背中を押してくれる人々
8月も残り数日となった日、朋は恵瑠に会いに、ヘイグランド家を訪れていた。
恵瑠の大学はセメスター制といって、一年に前半と後半の二学期がある。9月から12月までが前半の学期で、1月から5月までが後半の学期に別れて単位を修得する。恵瑠はSophomoreと呼ばれる二年生になるため、翌日アメリカへ帰るのだ。
ヘイグランド家からは一緒に空港まで見送りに来ないかと誘われていたのだが、朋まで同行すると、恵瑠の荷物が車に入らないことを理由に断った。本当は、慶と顔を合わせるのが気まずかったのが最大の理由なのだが。
この日も朋にとっては都合のいいことに、慶は不在だった。
「荷造りが忙しいところ、悪りぃな。見送りに行けないから、どうしても今日挨拶しておきたくて」
朋はスーツケースが広げられた恵瑠の部屋を苦笑しながら見渡した。すでにぎっしりと衣類や日用品が詰め込まれているが、床の上には現地で手に入りにくい日本食が所せましと並べられている。
朋はマヨネーズを手に取って顔を顰めた。
「マヨネーズくらい、あっちにも売ってるんじゃねえの?」
「あんた、アメリカのマヨネーズ食べたことないから、そんなことを言えるのよ!!」
荷物をスーツケースに押し込んでいた恵瑠が、眼光鋭く朋を振り返る。
「アメリカで代表的なマヨネーズは、私にしてみたら、質感はマヨネーズ、味は上手く説できないけど、酸っぱいホイップクリーム? みたいなのよ! 私にとって、あれはマヨネーズじゃないわ」
人口の多い街へ行けば、アジア系のスーパーマーケットに日本のマヨネーズが売っているらしいが、日本の倍以上の値段なんだとか。恵瑠のマヨネーズ熱に若干引いたが、そうなのか、と返すに留めておいた。
しばらく恵瑠の荷造りを見守っていると、恵瑠は荷物に視線を定めたまま呟いた。
「……あんた、慶と何かあったでしょ?」
「えっ!?」
「ここ最近、慶は元気がないし、あんたたち一緒にいないから」
「いや、まあ、そうなんだけどよ……」
慶の様子を聞いて、胸が痛んだ。花火大会以来、バイト先ではお互いあいさつ程度しかしていないが、慶はいつもと変わらない態度に見えていた。
――やっぱり、慶も気にしてるんだな。
言いようのない罪悪感に溜息を吐くと、恵瑠は荷造りの手を止めて、朋にベッドに座るよう促した。
「その様子だと、とうとう慶があんたに好きって言ったのね」
「な! 何で知ってるんだよ!? 慶が言ったのか?」
「単なる勘よ。私はずっと前から慶の気持ちは知っていたもの」
「えっ、何で」
「私が何年あんたたちの姉をやってると思ってるわけ? 一目瞭然じゃない」
朋にとって、ヘイグランド家の面々は家族と同じような存在だ。当然、恵瑠のことも姉のように慕っている。その恵瑠から見て、慶の気持ちは実に分かりやすいものだったらしい。
「……慶は、自分の気持ちを伝えることが、あたしが前に進むきっかけになればいいと思ったらしいんだ」
「そう……。あんたはどう思った?」
「……正直に言えば、ショックだったよ」
青天の霹靂だった。家族のような存在が突然見知らぬ男になってしまったようで、未だにどう受け取ったものか、混乱しているのも事実だ。
しかし、朋にとって、慶はやはり家族同様の大切な存在だ。逃げずに向き合いたいとは思う。だた、どうしたらいいのか分からず、時間だけが過ぎてしまう。
「あんたにも色々考える時間が必要でしょうし、あんたたち二人の問題だから、慶とのことについては何も言わないわ。でも、これだけ伝えておきたくて」
恵瑠は朋の背中を撫でながら、真剣な眼差しを向けてきた。
「あんたが本当に、前に進みたいって思うんだったら、必ず専門家を頼りなさい。あんたの人生がかかってる大事な問題なの。私たち素人が安易にアドバイスできるようなことじゃないから」
「恵瑠……」
気が強いし、普段は女王様みたいだけれど、こうして心配してくれる。触れられた背中から、じんわりとした温もりと共に、恵瑠の愛情が伝わってきた。
そこでふと、母の姿が頭を過った。
事件後、しばらく不安定だった時期、母は朋を励まし、安心させようと平静を装って接してくれたが、その瞳はとても悲しそうだった。そんな母を見るのが辛くて、家では無理に明るく振舞った。家族も朋に辛い記憶を思い出させたくなかったのか、事件の話をするのを避けていた。
(できれば、母ちゃんにはこれ以上心配かけたくないけど……)
専門家に相談するのであれば、保護者には同伴してもらわなくてはならないだろう。
――まずは情報収集して、母に何をどう説明すべきか、考えなくては。
「ありがとう、恵瑠。明日、気を付けて帰れよ。I love you」
「I love you, too 朋」
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。




