いざこざの背景【慶視点】
その日の夜、慶は自室のベッドに寝転び、天井を眺めていた。枕元に置いたスマホからは今年流行しているアーティストの曲が流れているが、物思いに耽っているせいで歌詞は耳を通り抜けていく。
――『怖い……』
頭の中で、先ほどの光景が何度も繰り返される。青ざめて震える朋の姿が過るたび、胸が酷く傷んだ。
怖がらせるつもりは微塵もなかった。
職員用のテントから、安達が朋を抱えている姿を目撃して、嫉妬で気が狂いそうになった。奴の無骨な手が朋の背中と、むき出しの膝裏に添えられているのが我慢ならなかった。慶ですら、腕や手以外の朋の素肌に触れたことがないのに、安達は易々とその禁域に侵入したのだ。腸が煮えくり返るような激情を抑えようと必死になっていたが、全く功を奏していなかったようだ。
垂れ流しになったドロドロの嫉妬を見て、朋は酷く怯えていた。今まで必死に隠していた慶の「男」の部分が露見してしまい、まるで見知らぬ男でも見たような気分になったのだろう。
「本当に、今日は胸糞悪い日だった……」
思えば、一連の感情ジェットコースターは、安達の仲間のひとりが朋についてコメントしたことから始まった。年頃の男なので、女性の胸に関心があるのは仕方がないのかもしれないが、対象が朋の胸だったのが許せない。おまけに、いちいち感想を口に出すのだから、品性を疑う。
(それだけに飽き足らず、あのクソ野郎……)
慶は騎馬戦の時を思い出して、奥歯をきつく嚙み締めた。
「見ろよあいつ、めっちゃ巨乳じゃね!? 走るたびに揺れてる」
騎馬戦の2回戦が終わり、女子に交代すると、男子は後方に下がり、地面に座って待機していた。ぼんやりと女子の戦いを眺めていると、慶の耳に下品な会話が飛び込んできた。声の主を振り返ると、それが安達と一緒にいた仲間のひとりであることに気が付いた。例の「胸でかい」発言の男だ。
(あいつ、また胸の話をしてるのか……盛りのついた雄犬みたいだな)
朋の胸に対しての発言を思い出してイライラしたが、深く息を吐いてやり過ごした。
男は楽しそうに仲間と会話を続ける。
「胸はでかいけど、顔は60点くらいだな。俺はあっちのポニーテールの子がいい」
「さっきも安達の知り合いで胸でかい子がいたけど、顔は普通だったな。でも、ヤるだけだったら、顔はどうでもよくね? あの子あんまりモテなさそうだったし、頼んだら1発くらいヤらせてくれねえかな」
「そりゃ、ヤれるんだったら、ちょっとくらいブスでもデブでもいいよ」
ははは、と笑う声に、慶の中で何かがぶつりと切れた。体の芯は凍えるくらい冷たく感じるのに、顔だけが熱を持ったように熱い。怒りのあまり、体の中心から震えが広がった。
気が付いた時には男の胸倉を掴み、鼻と鼻がぶつかりそうな距離で相手を睨みつけていた。
「てめっ……何だよ!!」
「朋はお前みたいな下種が見下していい相手じゃないんだよ!!」
「ああ!? 何言ってやがる! あんなブス、本気で相手にするわけねえだろ!!」
「もう一回言ってみろ!!」
周囲の生徒たちが止めに入るも、二人は互いに胸倉を掴み合ったまま引かなかった。次第に喧噪が広がっていったところで、男性教師数人が二人の間に割り込んだ。
「お前たち! 止めないか! 競技中だぞ!」
慶は射殺す勢いで男を睨みつけたまま身を引いた。
職員用テントに連行され、事情を聴かれたが、慶は一切話さなかった。朋に対する侮辱を口にするくらいなら、停学になった方がマシだと思えた。
「俺はなにもしてねえよ! 友達と話してたら、そいつがいきなり殴りかかってきたんだ」
「理由もなしに殴りかからないだろう。何を話していたんだ?」
すぐ側で男が不機嫌を隠さずに男性教師に言い募っている。結局、慶が黙秘を決め込んだので、一旦処分保留とし、競技終了後に周囲にいた生徒たちから話を聞くことになったようだ。男性教師のひとりが、慶と男にくれぐれも今後接触しないように言い含めて解散となった。
(あの下半身脳みそ野郎、絶対に許さない)
思い出しただけで怒りが湧き上がってくる。あの男が何を言ったのか知ったら、朋の男性嫌悪症に拍車がかかってしまうだろう。決して朋に話すわけにはいかない。
あの直後、救護テントに運ばれてきた朋と安達を見て、燃え盛っていた怒りに燃料が投下されたのだ。朋には最悪のタイミングで顔を見られたと言っていい。
このままでは、慶が「男」として朋に好意を抱いていることがばれてしまうだろう。
「何とかしないと……」
日に日に苦しくなっていく。気持ちを閉じ込めた檻は、すでにひび割れて、崩壊は間近に迫っていた。
耐え続ければ、この想いは、いつか風化するものだろうか。
――けれど、いつまで耐えればいい……?
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。




