体育祭2
まな美たちのダンスが終わると、安達は再び歩き出した。
「じゃあ、礒狩さん、また後で。お互い頑張ろうな。ヘイグランド。バスケ部はいつでもお前を歓迎するからな」
「はい、また後で」
「もう来ないでください……」
朋と慶が同時に返事をする。安達の背後にいたバスケ部のメンバーも歩き出した。遠ざかりながら話している声が聞こえた。
「あれがヘイグランドか。確かにでかいな」
「でもあの様子じゃ無理じゃね? 安達ももう諦めろよ」
「いや、俺は諦めない! 1学期の間は粘るつもりだ!」
慶は終業式まで安達の襲来に耐えねばならないらしい。何とも哀れになった。
「にしてもよ、安達が話してた女子、胸でかかったな」
誰かから聞こえた声に、背筋が震えた。無意識のうちに胸元の体操服を握りしめる。胸を押さえる下着を着けていても目立ってしまっているのは、自分でも気付いていた。体に負担はかかるだろうが、いっそさらしでも巻いて、もっと押さえるべきだろうか。
――男は皆、飢えた獣のようだ。理性を持たず、欲望のままに生きる獣。
見ず知らずの男に卑猥な目を向けられることの不快さが、あいつらに分かるだろうか。
『僕たち男が、たっぷりと可愛がってあげるんだよ……』
耳元に吐きかけられた、あの男の言葉が蘇る。ナメクジのように粘着質な指の感触を思い出して戦慄した。
何年経っても、あの男の影が追いかけてくる。クモの糸のように粘着質で、逃げおおせた朋を絡め取る悪意の残滓。月日が経過するごとに心の安寧を取り戻してきたのに、ふとした瞬間に襲い掛かってくる暗い記憶。
――一体、自分はいつまで怯えて暮らさなくてはいけないのだろう。
段々と呼吸が浅くなってきた時、安達の声がした。
「こら、そういうことを言うな。失礼だぞ」
「だってよ、見ちゃうだろ、あんなでかかったら」
「そういう問題じゃない」
朋は意外な思いで遠ざかる安達を見つめた。その後の会話はもう聞こえなかったけれど、友達に同意せず、嗜めてくれたのが嬉しかった。
ホッと息を吐くと、がちがちに硬直していた体から力が抜けた。
(あれ、先輩って、案外いいやつなのかもしれない……)
「……今、あいつ何て言った……?」
横から、万物を凍らせる冬の嵐のごとく冷たい声がした。ぎょっとして見上げると、目線だけで人を殺せそうな慶が、安達たちの去った方角を睨みつけていた。
「慶、いいから放っておけよ。安達先輩が注意してくれたからさ」
「あいつの注意なんて、クソほどの役にも立たないだろ」
普段使わないような乱暴な言葉と、低い唸るような声が慶の怒りを雄弁に語っている。今にも走っていって殴りかかりそうだ。
「マジで、いいから落ち着いてくれよ」
段々と周囲の注目を集めてきている。何とか宥めようと、必死に慶の背中を摩った。
「お前がそこまで怒る必要ないって。あたしも気にしてないから、ほら」
「気にしてるだろ」
「もう、いいから!」
思わず声を荒げると、ピクリと慶の肩が揺れた。肺の空気を全部押し出すような深いくて長い溜息を吐いた。髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜて、申し訳なさそうに朋を見た。
「……ごめん。カッとなった」
「うん、あたしのために怒ってくれてありがとうな」
「いや、朋のためだけじゃなかったんだけど……」
「え?」
「何でもない」
慶は気まずそうに目を逸らした。
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。




