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境界線で君を待つ  作者: 柏井清音
1章
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朋と慶

 けたたましいアラーム音が鳴り響く。

 朦朧とした意識のまま、礒狩朋(さがかりとも)は枕元に手を這わせ、スマホの画面をスワイプしてアラームを解除した。


 勝手に閉じようとする瞼を何度も持ち上げつつ、SNSに目を通す。お気に入りのアーティストのライブ情報と、先ほどまで見ていた夢の中を行き来していると、額に強烈な一撃が降ってきた。いつの間にか、スマホが手から滑り落ちていたらしい。


「いってえ……、くそ……」

 朋は毒づいてゆっくりと体を起こし、寝ぐせだらけの頭をがしがしと掻いた。ぼんやりした思考をスッキリさせるために、スマホからアップテンポの曲を流し、手早く制服に着替える。

 白い木枠の姿見を覗き込む。鏡の中で、見慣れた制服姿の女子高生が、居心地悪そうにこちらを見返していた。


 日焼けした肌に、平凡な顔。骨太で、いかにも健康そうな体。自分の意志とは無関係に膨れ上がった胸は、極力小さく見せてくれるという、普通よりも少々お高めのブラジャーで抑えられていても、はっきりとその双丘が確認できる。

 チェック柄のスカートから伸びた脚は高校指定のジャージで肌の露出を抑えていた。


 ――スカート姿の自分は、何年経っても見慣れない。


 小学校を卒業するまで、スカートは数える程度しか穿いたことがなかったが、東京都二十三区内といえど、朋の住んでいる学区では、個人の意志で制服の組み合わせを選べる学校はまれだった。中学入学と同時にセーラー服にスカートという制服に押し込められ、高校に進学しても、「女子生徒」に与えられたのはスカート一択だった。


 学費のお高い私立になら私服の学校もあったのかもしれないが、朋と二つ上の兄の学費や、35年ローンで購入した一軒家を考えても、サラリーマンで中間管理職の父親と、パートの母親には負担が大きいのだ。スカートが嫌だからという理由だけでかけていい迷惑ではないと判断した。

 小さく息を吐き、寝ぐせだらけの短い黒髪を適当に直してから、足早に部屋を出た。


 朝食を食べずに玄関へ向かう。朋には毎朝やり遂げなければならない使命があるのだが、見送りに来た母も事情を知っているため、食事もせずに家を出る朋を咎めることはしない。

「待って、昨日パート先で、賞味期限ぎりぎりのプリンが安く変えたのよ。けい君、プリン好きだったわよね? ついでに渡しておいて」

「あいよ」


 朋の母は、主婦業の傍ら、近所のスーパーでレジ打ちのバイトをしている。そのため、定期的に賞味期限間近の割引商品を店員価格で更にお得に購入できるため、こうして色々買ってきては、家族や仲のいい友達に分けているのだ。


「気を付けていくのよ。行ってらっしゃい」

「行ってきます」

 ビニール袋に入った4個のプリンを受け取り、玄関を開くと、左隣の一軒家に向かった。一応インターフォンを鳴らしたものの、返事を待たずに扉を開ける。

「おじさん、おばさん、おはよう」

 リビングに入ると、自分の親と同じ年代の白人男性と、日本人女性が、テレビのニュースを観ながらコーヒーを飲んでいるところだった。この家の主である、ヘイグランド夫妻だ。


「おはよう、朋ちゃん。いつも悪いわね」

「おばさん、これ、母ちゃんから。パート先で安く買えたんだって。賞味期限明日までだから、早めに食って」

 母から預かったプリンを手渡すと、おばさんは嬉しそうに頬を緩めた。

「あらあ! ありがとうね! 良かったわね、トーマス! プリンだって」

「イタダキマス、朋ちゃん、ありがと」


 おじさんはアメリカ出身だ。13年前に一家で日本に越してくるまでは、「コニチワ」という英語訛りの挨拶くらいしか日本語を知らなかった。流暢に日本語を話す今となっても、単語によっては独特のアクセントがある。


 ヘイグランド家は、朋が3歳の頃、アメリカから礒狩家の隣に引っ越してきた。それ以来、家族ぐるみで親しい付き合いをしている。この家の長男である、朋と同じ年の慶は親でも起こすのが苦労するほど寝起きが悪いため、朋は毎朝慶を起こす代わりにヘイグランド家で朝食をいただく取り決めになっているのだ。


「うん、母ちゃんに伝えておく」


 朋はリビングを抜けて、2階へ上がると、廊下の突き当りのドアをノックもなしに開いた。

 モノトーンで統一した家具が置かれた部屋は、部屋の主の年齢を考慮すると、驚くほどきれいに保たれている。几帳面な彼の性格が反映されていた。


 朋は無遠慮に部屋を横切ると、窓際のベッドの上で布団にくるまれて縮こまっている幼馴染の上に覆い被さった。布団の中から、ぐえ、とカエルのような声が聞こえた。

「おい、こら、慶! いつまで寝てるんだよ、学校遅れるぞ」


 無理やり布団をめくると、中からきついウェーブのかかった明るい茶色の髪がひと房零れ落ちる。

「ほれほれ、起きないと足の裏くすぐるぞ」

 ベッドの反対側へ体をひねり、足があるであろう箇所の布団を剥がしにかかった。

「んんっ!」


 憮然とした声が聞こえたと思ったら、急に朋の視界が回転し、硬い床に尻もちをついた。どうやらベッドから落ちて、尻で着地したらしい。


 軽く睨みながら顔を上げると、ベッドの上で巨大な体を起こした慶が目に入った。俯いているため、顔は見えないが、どうやらまだ半分寝ているらしい。こくりこくりと船を漕ぐ度に頭が揺れ、慶の長い髪が、彼の広くて硬そうな胸を撫でた。


「ほら、さっさと起きろよ! あたしまで朝飯食いっぱぐれるだろ!」

 立ち上がって、クローゼットの中から制服を引っ張り出し、慶に向かって投げた。インナーの白いTシャツと靴下も放ってやる。

「ん……あんがと……」


 慶は聞き取れない声でむにゃむにゃ何か言ったが、朋は気にも留めずに慶の背後に回り込む。手にヘアオイルを取り、さっと手櫛で慶の髪の毛を整えて、ベッドの脇に落ちていたゴムで後頭部でくくってやる。きついくせ毛の慶の髪は、ブラシや櫛で梳かすと爆発したように広がってしまうし、短くすると収集がつかなくなるため、あえて伸ばしている。


「あたしは手を洗ってるからな」


 一階の洗面所でヘアオイルでべたついた手を洗って、下りてきた慶と入れ違いに廊下へ出る。

 慶は以前まで部屋で着替えていたが、ここ数年は洗面所のドアを閉めて着替えと洗顔をするようになった。理由を訪ねてみたことがあるが、曖昧にごまかされたので、それ以上は突っ込んで聞いていない。思春期だし、恥ずかしいのかもしれない。

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