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境界線で君を待つ  作者: 柏井清音
3章
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後悔【慶視点】

 慶の目から見ても、朋は幼い頃から、自分の性別に頓着しない子供だったように思う。女の子たちとそつなくコミュニケーションを取って仲良くし、同時に男の子に混じってサッカーをしたりもする。ただ、スカートを穿くと、妙に居心地が悪そうにしていたのを幼心に覚えている。


 朋はそれまで、自分が「女の子」なのだと言われて嫌がるそぶりは見せていなかった。性別に対して酷く嫌悪感を持ってしまったのは、あの事件からだ。

 

 あの忌まわしい日のことは、慶もよく覚えている。


 小学校3年生の秋。あの日の放課後、慶は朋や他の友達数人と一緒に近くの公園で遊んでいた。遊ぶといっても、公園の遊具で遊ぶわけではなく、ベンチに座って携帯ゲーム機の通信機能を使って一緒にゲームをしているだけだったのだが。


 しばらくして、別のゲームで遊ぼうとした時、朋が家にゲームソフトを忘れてきたことに気が付いた。

「あれ、あたし、家に忘れてきたみたい。ちょっと取りに帰るね! 先に進めてて!」

「俺も付いて行こうか?」

 慶の提案に、朋は笑って手を振った。

「大丈夫だよ、慶。10分くらいで戻って来られるから」

「わかった。気をつけて」


 朋を待つ間にゲームを進めていたが、何故だか嫌な予感がして落ち着かない。


「俺、ちょっと朋を迎えに行ってくる」

「オッケー、じゃあ、俺たち夕焼けチャイムまではここにいるから、早く戻って来いよ?」


 公園から家の方向へ早足で歩いている間も、朋の姿は確認できなかった。胸の奥がざわざわして、慶は走り出した。


「え? 朋なら学校から帰ってすぐ遊びに行ったきり、帰って来てないけど?」


 慶が礒狩家のインターホンを鳴らすと、出てきた礒狩のおばさんは、訝し気に首を傾げた。では、朋は公園からまだ家に着いていないことになる。ドクンと心臓が跳ねた。


「俺、その辺を探してくる」

「最近不審者がうろうろしてるって、学校からメールがあったの。心配だから私も行くわ」


 慶は礒狩のおばさんと一緒に、家から公園までの道のりを探し始めた。家から公園に至るまでは一本道ではないので、慶が来たものとは別の道を、朋の名前を呼びながら歩いた。


 途中で習い事から家に帰るところだった、当時中学1年生の恵瑠にばったり出くわした。状況を説明すると、心配した恵瑠も朋の捜索に加わった。


 人通りが少ない道の途中にある廃屋を通りがかった時だった。


「ねえ、何か声が聞こえなかった?」

 突然恵瑠が立ち止まった。険しい顔で廃屋の方を睨んでいる。ツタが絡まったブロック塀の間に、錆びついて今にも倒れそうな門がある。よく見ると、それは誰かが押し開けたように不自然に開いていた。


「朋! 朋、いるの?」


 礒狩のおばさんは門の奥を覗き込んで声をかける。一瞬躊躇し、思い切ったように敷地内に足を踏み入れた。慶と恵瑠もそれに続く。

 家屋は木造の平屋で、外壁のあちこちにツタが絡まって緑に見えるほどだ。腐ってぼろぼろになった玄関扉は人が通れるくらいに開いていた。耳を澄ませると、何やら低い声でぼそぼそと話す声が聞こえる。


 目の前を歩いていた礒狩のおばさんが扉の中を覗き込んで、ぎくりと体を強張らせた。一瞬の後に朋の名を叫びながら、玄関に飛び込んでいく。

 礒狩のおばさんの怒声と、低い男の声が何回か聞こえたかと思うと、廃屋から男が突然飛び出してきて、慶と恵瑠は反射的に身を翻して避けた。


 男はひたすら、自分は悪くないと繰り返しながら走っていく。いち早く状況を察知した恵瑠が、スマホで警察に電話をかけるのが聞こえた。

 呆然としていた慶の視界の端に、礒狩のおばさんに肩を抱かれた朋が廃屋から出てくるのが見えた。朋の顔は真っ青で、体か震え、足取りが覚束ない。


 そんな朋の様子を目の当たりにした瞬間、誰かに頭を殴られたかのような衝撃を覚えた。


 ついさっきまで、あんなに楽しそうにゲームをしていた、明るくて活発な朋はそこにいない。まるで真冬の海から引き上げられた直後のように弱々しい、家族と同じくらい身近な存在。


 ――あの時、自分が一緒に戻っていれば、朋はこんな目に遭わずに済んだのに……!


 罪悪感と自己嫌悪が波のように押し寄せてくる。喉がぎゅっと絞られたように苦しくなって、目が熱くなった。たちまち涙があふれてくる。


「俺が、朋を、ひとりで、行かせたから……」


 礒狩のおばさんは朋の肩をさすりながら、何とか取り繕ったような笑顔をこちらに向けた。

「ううん。慶君は悪くないのよ。全部、あの男の人が悪いの」

「でも……、朋が、朋が……」

 慶の言葉に、礒狩のおばさんは強く首を振った。慶に訴えかけるように、じっと慶の双眸を見据える。

「慶君が探しに来てくれなかったら、手遅れになっていたわ。慶君のおかげで、朋は助かったの。本当にありがとうね、慶君」


 慶がぎこちなく頷くと、礒狩のおばさんは朋を連れて、ゆっくりと廃屋の敷地を出た。慶と恵瑠も、数歩遅れて歩き出す。二人が警察の到着を待つ間、恵瑠と慶は先に家に帰るように言われた。


 重苦しい空気の中、無言で歩いていると、背後から、いつのより低い恵瑠の声がした。

「…いい、慶? 朋に起こったことは、絶対誰にも言ってはダメよ」


 恵瑠の剣幕に、慶は背筋が冷たくなった。今日朋の身に起こったことは、他人には聞かせられないほど重大なことだったのだと再認識した。

 抑え込んでいた涙が、罪悪感と共に再びこみ上げてきた。

 言葉を出そうにも、嗚咽にかき消されて出てこない。恵瑠は泣きじゃくる慶の背中を何度も撫でた。


「ダディーやお母さんにも言ってはダメ。いいわね。それと、あんたのせいじゃないわ。おばさんも、そう言っていたでしょう?」

 鼻を啜りながら、慶は何度も頷いた。


 その日以来、朋は不安定になった。楽しそうにしていたかと思えば、些細なことで塞ぎこみ、何かを警戒しているように、遠くを見据える。


 男っぽくて乱暴に聞こえる言葉を選んで使うようになったし、髪の毛も短くした。周りから押し付けられる「女の子なんだから」という価値観に異様に反発するようになった。

 まるで、何かから逃げているようだと思った。そして、それが妙に悲しかった。


 いつも側にいるのに、慶には朋を救ってあげる術がない。誰が敵に回っても、自分だけは朋の味方でありたかった。心の全てを自分にさらけ出してほしい。全ての憂いをこの手で取り去ってやりたい。それが朋を危険に晒したことに対する罪悪感からなのか、それ以外の感情ゆえなのか区別するには、慶は当時、あまりにも幼過ぎた。

[修正のお知らせ]恵瑠の年齢と大学の学年が合わないことに気付いたため、回想当時の恵瑠の学年を小学6年生から、中学1年生へ修正しました。

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