呪い2
「朋!」
悲鳴にも似た高い叫び声が響いた。
男がビクリと身を震わせた。耳元でヒュッと息を呑み、すぐさま朋の耳から唇が離れていった。
「あなた、何してるの! うちの子を放しなさい!」
荒い足音が近づいて来たと思ったら、力強く肩を引かれた。いつの間にか固く閉ざしていた視界に明るい光が差し込んで、見慣れた母の横顔が目に飛び込んできた。
「こ、これは違うんだ!」
「何が違うって言うの! この、けだもの!」
嚙みつきそうな勢いで母が怒鳴る。男の視界からさえぎるように朋を背後に押しやって庇った。
「違う、違うんですよぉ! これはそう、この子が誘ったんだ!」
「何ですって? よくもそんなことが言えたわね!」
この恥知らず、と叫んで、顔を真っ赤にして男を睨みつける。
「警察を呼びますからね! 逃げるんじゃないわよ!」
男は朋と母を付き飛ばし、二人が尻もちをついた隙に全速力で駆け出した。
「あああぁぁぁぁ、違う、違うんだぁ……! 僕は悪くない……! あの子が僕を誘惑したんだ!」
遠ざかりながらうわ言のように繰り返す男の声から逃れたくて、朋は咄嗟に耳を塞ぐ。その一言一言に、聞いた者を蝕む毒が含まれているような気がした。
そこから先は、ショックのあまり記憶が曖昧になっているようで、どうやって家に帰ったのか、誰とどんなことを話したのか、正確には覚えていない。
その日の夜は眠れなかった。普段は部屋を真っ暗にした状態でないと眠れないが、暗闇が怖くて、常夜灯を灯して、繰り返し、繰り返し己に問う。
――自分は何故、女に生まれてしまったんだろう。
胸を締め付けるこの感情は何だろう。有刺鉄線で雁字搦めにされているように、徐々に食い込んで、血が噴き出すような、この痛みの名前は。
熱い涙が頬を流れ、顎を伝って次から次へと滴り落ちていく。
――悔しい、悔しい、悔しい……!
その瞬間、朋の頭の奥で何かが白く弾けた。それは強烈な呪いとなって、朋の魂に楔を打ち付けた。
――男とは女の尊厳を踏みにじることに愉悦を覚える、人の皮を被ったけだものなのだ。奴らにとって女は人間ではなく、己の欲望を満たすために利用する玩具に過ぎない。
自分が女の子であるという自覚はまだ無かったが、その日以来、長かった髪を切った。言葉も兄の真似をして、男の子により近くなるよう意識した。男になりたかった訳ではない。そうすることでしか、己を守る術を思いつかなかった。いつも誰かに背後から追いかけられているような焦燥感を抱いていた。しばらくの間は感情の起伏も激しくなり、クラスの男子と怒鳴り合いのケンカをすることもしばしばあった。「男女」と揶揄されるようになったのはこの頃で、そう呼ばれるたびに安堵したことを覚えている。
――これで、「女」から遠ざかることができたのだ、と。