余計なお世話
「余計なお世話」
ぼそりと呟いた慶の声に、はっと我に返った。見上げると、彼は底冷えのするような目で女性を見据えていた。背景にブリザードが見える気がする。
「何ですって!? あなた、どこの国の人か知らないけど、日本では年上の人にそんな口を利くのは許されないのよ!? まったく、人様の国にずかずか入ってきて、この国の文化を土足で踏みにじるようなことをして!」
(こいつ、慶に何てことを……!)
自分を日本人とアメリカ人のどちらにもなれない中途半端な存在だと思い込んでいる慶の境遇を考えると、女性の言葉はこれ以上もない侮辱だった。怒りのあまり喉が詰まったようになって声が出ない。顔が熱くなり、体の中心から小刻みに震え広がっていく。
今度こそ、慶は誰にでも分かるくらい、冷酷な表情を浮かべた。
「残念でしたね。生憎、俺は日本育ちの日本人ですよ。人の会話を盗み聞きして、挙句に暴言を浴びせてくるなんて、それこそ親の顔が見てみたいです」
女性は怒りに顔を赤く染め、口をはくはくさせている。
「さっさと買い物を済まそう、朋。こんなやつに構ってる時間が惜しい」
「お、おう……」
慶は片手でカートを押しつつ、空いている方の手で朋の腕を引いて歩き出した。
背後から響く女性の怒声に耳を傾けないようするため、朋は自分の腕を掴んでいる慶の手に意識を集中した。
いつからこんなに大きく骨っぽくなったのだろう。昔は自分とあまり変わらなかったように思う。決して華奢ではない朋の腕を掴んでも余るくらいだ。
――変わっていってしまう。自分も、慶も。
虚しさのような、喪失感のような、何とも言い難い気持ちに、胸が重くなる。
(あたしだって、好きで女に生まれたわけじゃないのにな……)
この世に生まれ落ちた瞬間に役割を押し付けられることは、理不尽でしかない。
太古の昔から、ずっとそうやって人間は生きてきたのだと言われたら、そうなのだろう。しかし、それを受け入れるかどうかは、自分で決めたい。その自由も権利もあるはずなに。
小さい頃は自分の性別をあまり理解していなかったように思う。女の子はピンクなどの暖色系を身に着け、ファッションドールで遊び、おままごとに興じるのが「普通」であるとか、男の子はブルーなどの寒色系を身に着け、車やロボットに興味を持つのが「当たり前」だと聞かされても、へえ、そうなんだとしか思わなかった。自分が「女の子」に分類されているということも、「普通」から逸脱して、ひらひらしたスカートを嫌がり、お姫様よりも戦隊ヒーローに憧れていることにも気が付かなかった。
自分が女性であることに違和感を感じてはいるが、かと言って男になりたいわけでもない。仮に誰かに説明を求められたとしても、上手く言葉に表すことができない、あまりにも漠然として、中途半端な存在だと思う。
女性が見えない所まで来ると、慶はちらりと朋を振り返った。
「気にしないでいいよ」
「え?」
「俺は朋の言葉遣いで嫌な気持ちになったことはないし」
「慶……」
「朋は、朋らしくいればいい」
普段は無口で無表情なのに、いつだって朋の気持ちを考えてくれるのだ、この親友は。朋が欲しい言葉をくれて、見返りを求めることなく、黙って側にいてくれる。
「ありがとな、かばってくれて。あのおばちゃん、お前に酷いこと言ったのに、何も言い返せなくてごめん」
「……別に。俺は自分で反撃できてスッとした」
慶は薄茶色の目を逸らす。耳が少し赤くなっているので、照れているらしい。
「さて、残るは飲み物だけだな」