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殻人の国(かくじんのくに)  作者: みはらなおき
1/1

1:殻人の棄児ソト

ある若い男が、帰り道を歩いていた。

男の名は、ソトという。本当は、31文字もある名をつけられたが、途中の二文字だけで、「ソト」と呼ばれている。

ソトは、産み親の分からない卵から孵った棄児として、この湖畔町で保護され、今では町の外れの空き家を貸与されて暮らしていた。

日は既に暮れ、懐中電灯で道を照らしながら歩いていた。最後の坂を上がろうとした時、

「ズドッ」と、空気を強く圧縮するような音と、その圧力が身体にぶつかると同時に、周りに焦げ臭い匂いが広がった。

「うわっ」

坂道に半ば倒れるようにして転がり、ソトは、しばらくじっとして様子を伺った。

音はそれきりで、周りは真っ暗でしんとしている。

ソトは起き上がると、落としてしまった懐中電灯を拾い、音のした方に向けた。

湖に沿った小道の先に何かが斜めに突っ込んで、その辺りの土を吹き飛ばし、穴を空けたようだ。

ソトは恐る恐る穴に近づき、中を照らした。

何かが埋まっている。

手では掘り出せそうになかった。ソトは、湖畔町の明かりが灯る方を眺めた。誰もこちらに来る様子はない。

「明日、シャベルで掘り出そう。」


翌朝早起きしたソトは、まず家を出て、そばの小屋の脇の水門と水位を確認した。小屋にある小型の発電機や揚水ポンプも点検するとポンプの出力を下げた。

「異状なし」ソトは指差し確認をして点検票に印をつけた。水門と小型水力発電所の管理がソトの仕事だった。

小屋の片隅には工具がしまってある。ソトは、長靴を履き、シャベルを担いで坂の下に向かった。

昨夜見つけた穴からは少し水が浸み出している。

「堤が崩れたらえらいことだったな。早い目にしっかり埋めないと。」ソトは、呟きながら、足首まで水に浸かりながら、泥土をかき出した。

しばらく掘っていると、膝から先ほどの長さの乳白色をした紡錘型のものが出てきた。ほぼ正確な円形になっていて、特に角はない。砲弾にも見えるが、何かしら自然由来のものに感じられた。

「ちょっと重い…な」ソトは、それを両手の平でしっかり握り持ち上げた。

水をかけて泥をぬぐうと乳白色は一層美しいことがわかった。

浸みひとつなく、上品でどこか艶かしくもあった。

「あ、根だ。」紡錘型の下端から爪の長さ程の細く白いものが数本伸びている。

「これは、種か。」

ソトは、何か巨大な植物がその実を熟させ、この種を果てしなく遠いところに飛ばす様を想像した。

これが飛んできた方に行けば、いつかその植物を発見できるかも知れない。

ソトは、ワクワクした。これまで棄児として、憐れみと制限を受けてきた自分が、発見者として尊敬を集める。こんな素晴らしいことがあるのだろうか。

ソトは、この白い大きな種と思われるものを抱えて家に戻った。

「これが飛んできた方角を調べなくては…、方位磁石が要る!」ソトは、少し興奮気味に独り言を呟いていた。

方位磁石などソトは、持っていなかった。いや、ソトは、これといった財産もなかった。与えられた最低限のものでこの町で暮らすことを許されているのだ。

ソトの財産は、自分が孵化した時の卵の殻だけだった。卵には、排卵時に卵菅のひだによってできる個別の筋ができる。この線条痕によって母親が特定できる。また、殻にできた紋からも推定されるとされ、大切に保管するように言われている。ソトの殻も、安物ながらも白木の木箱に納められている。

「磁石、方位磁石…、あ!」ソトは、小屋に予備の発電機があることを思い出した。発電機には、磁石が使われている。

「少しの間だけ、分解して取り出して、方位磁石として使って戻せば誰にも気付かれないだろう。」それはとてもよく思えたが、次の瞬間、ソトは、強い罪悪感を感じた。

あらゆる道具や仕組みには、それを考え出した者や原理を発見した者への絶対的な尊敬が必要とされていた。分解や破壊は強い冒涜とされていた。

この尊敬が、それを使う者に使用料を払わせ、収入となる。この尊敬と収入は、相続され永遠に受け継がれる。ソトは、棄児であり、一切の尊敬と収入を持たない身の上だった。

町に住む者は、一族の尊敬と収入を維持拡大するため、子供の頃から学び、高い教養を身につけ、新しい発見を目指して努力している。

これを努力義務と言い、新しい発見によって、町は他の町を併呑し、膨張していく。その一つが今の湖畔町だった。

ソトは、寒気のような罪悪感に身体を強ばらせながら、じっと乳白色の美しい種を見つめていた。

この種にはどんな鞘がついていたのか、どんな仕組みで種をとばしたのか。それらを発見することは、どれほどの尊敬を集めるのだろうか。

ソトは、歯を食いしばって考え続けた。そして、ついに決断の言葉を出した。

「そ、そうだ。俺の発見は町のためになることなんだ。」

ソトは、新しい尊敬のための冒涜を正当化した。


2:唯一の財産

ソトは、がっくりと予備の発電機の前で項垂れていた。

「この小屋の工具では分解できない。」

もとより、発電機の整備や修理は、ある程度の尊敬を持つ技術者の役割で、彼らが使う工具も到底ソトには扱えないものだった。

ソトは、とぼとぼと種のもとに戻った。種の表面が少し乾き、艶やかさが減っていた。

ソトは、慌てて水を掛けた。

「このままでは枯れてしまう。」

ソトは、おろおろと部屋を見渡したが、この種が収まるような器はなかった。

考えあぐねたソトは、白木の木箱の倹飩(けんどん)を引き上げた。そっと殻を取り出し、最も大きな器に適したものを選んだ。殻の内側には、卵薄膜さえ残っている。

自分の出自を示す唯一の財産を鉢代わりに使うことは大いに躊躇された。

だが、なんとしても種の価値を失くすことはできなかった。

ソトは、そっと種を殻の中に下ろした。殻の器の中でぐらつくと思われたが、種は下端が平らになっていて殻の重心となってひとりでに安定した。

鉢に少し水を張ると、ソトは、溜め息をついた。

「こうしておけば一先ず大丈夫だろう。もう学校に行く時間だ。」

簡単に身支度を整えると、ソトは湖畔町に向かった。


3:そぞろ

ソトは、行き道でもずっと種のことを考えていた。

「地図を見たら、大体の方向が分かるだろう。あと、植物図鑑も調べよう。」ぶつぶつと思案に暮れているうちにソトは、町の中心地の広場に到着した。

広場には、枝を大きく広げた大木が何本もあり、それぞれの下に、初級学校の生徒がたくさん集まっていた。大木は様々な学派を表し、誰でも無料で基礎的なことは学ぶことができる。学ぶ質に応じて高くなる授業料を賄える者は、高位の学校に進んで専門性を高めていく。ソトは初級学校で分野を広げる以外なく、最初に「少年基礎」、次いで「社会」に通って町外れの発電所の管理ができるようになり、今年から「理科」に通っている。

そぞろに一日の授業に出た放課後、ソトは、早足で初級学生図書館に行った。湖畔町の地図を丹念にノートに描き写し、種が飛んできたと思われる方向の地理も大まかに書きこんでいった。

次いでソトは、植物図鑑の書架で、種を調べた。

どの種類を調べても、あのような大きな、しかも白い種はなかった。

ソトは、押し殺した声で呟いた。

「やった!これはやっぱり新発見に違いない!あぁ、専門の図書館に行けたらなぁ。」

ソトは、その後、発電局で報告をし、通達を受け、市場に寄って食料を少し買った。馴染みの店主と挨拶を交わし、会話をする。店主は市場で代々果物屋の経営者として尊敬を受け、店を営んでいる。もしかしたら何か知っているかも知れない。

「それにしてもたくさんの果物があるものですね。」

「そうさ、これだけの種類が手に入る店は、湖畔町でうちぐらいさ。」店主は、気さくに答えた。

「あの…、白い果物とか、えっと、種が白い果物とかはあるでしょうか。」

「ん?う~ん、梨とか、瓜かい。米粒も白い種といえなくもないかね。キノコにも白くてでかいのがあったな。」

「な、なるほど。」ソトは、自分が狭い知識の中でしか考えていなかったことに気づいた。もっと幅広く調べなくては。

ソトは、早足で家路を急いだ。


4:

ソトは、帰宅すると、一番に懐中電灯で種を照らした。

「あ!ああ!」闇に浮かび上がった姿に、ソトは腰を抜かさんばかりに驚いた。

種は、いや種だったものは、乳白色と艶かしさはそのままに、まるで彫りかけの彫刻のように変化していた。胎児のように、うつむいた頭らしきものを上にして、両手足を縮めた格好に見える。背骨も浮き出しつつあった。

ソトは、おそるおそる彫像のようなそれに近づいた。息を飲み、顔を近づけてみる。根は殻に強く張り、水を全て吸い上げきっていた。慌てて水を注ぐ。気がつくと殻の内側にあった卵薄膜がすっかりなくなっている。

試しに、ソトは、今日町で買ってきた牛乳を注いでみた。鉢には薄白色が広がったが、徐々に種に濾し取られ、透明な水に戻っていった。

「おお!」およそ一時間はかかったであろうその有り様を、ソトは、真っ暗な部屋で懐中電灯をかざしたまま観察していた。

「牛乳、卵薄膜…、たんぱく質を栄養にしているのか!」ソトは、残りの牛乳を全て鉢に注いだ。

「そうだ。この白い種を発見したこと自体、尊敬される素晴らしいことじょないか。これの育て方を発見すれば、きっと大いなる発見者になれるはずだ!」

ソトは、ようやく部屋の明かりを灯すと、自分の夕食も忘れて、ノートに種を発見した経緯や種の形状の絵を書き始めた。


5

数日がたった初級学校の休み時間、

「おい、ソト。」

「あ、カイ。」友人のカイは、理科の教師助手として、働いている。尊敬の少ない家系ながら、成績がよく、教え方で新たな尊敬を見つけようとしている。

「この頃少し顔つきが違うぞ。どうしたんだ。」

ソトは、白い種のことを話すかどうか迷った。

「い、いま植物の観察日記をつけてるんだ。」

「そうなのか。おまえは電気に進むと思ってたが、まあいいことだ。生物は俺の分野だ。よかったら聞いてくれよ。」

カイは教える仕事を目指していることもあり、教師らしい立場で言葉を返した。ソトは、それが少し羨ましく思えたが、ありがたくも思えた。

「それで何を育ててるんだ。」

「それが…、何か分からないんだ。」

「何だって」カイは思わず聞き返した。

「どんな種だって苗が出ればわかるもんじゃないか」

「いやそれが、いくら辞典を見てもわからないんだ。」

「そんなことがあるもんか、きっと中級か高級の図書館にいけば必ず載っているよ。」すっくとカイは立ち上がり高級図書館に歩きだした。

ソトは慌てて後ろをついて行きながら、「ぼくもいけるのかい」と叫ぶ。カイは振り向きながら、「俺と一緒なら平気さ」と返した。初級学校を通り過ぎた先の立派な図書館の一つに大きな銅像が建っている。二人はそれらしく挨拶をして行き過ぎ、高級図書館の重い扉を開いた。すぐに図書館員のカウンターがあるが、カイは学生章を見せると、「他派の方と一緒なんです」と言った。受付は機械的に頷いただけで、二人を奥の銀の格子扉の中へ招き入れた。

そこには、ソトが表紙すら見たことがない書物が並んでいた。

きょろきょろするソトを促して、カイは書架を進んでいく。

「見当がつかないというのは困ったなぁ。」

「あの、えっと、植物の図鑑はどこらへんかな。種の絵も載ってるような」

「それなら…」とカイは歩を進め、ある奥まった書架から大判で分厚い本を引っ張り出した。

「ほら、植物図鑑全巻。品種別に網羅されてる。全十巻調べれば必ず探し出せるさ。」

ページを開くと、初級学生図書館のものとは比べ物にならない、精細で美しい挿し絵が現れた。

「それで、特徴は。」

ソトは意を決して、ノートを開いてこれまでの経緯をすべて説明した。カイは黙って話を聞き、しばらく考えて口を開いた。

「おい、これは植物なのか。まるでさなぎの成長記録…、いや胎児の…。こ、こんなものが本当にあるのか。」

「あ、あるよ。」

カイは、植物図鑑を音をさせて閉じた。

「実物を見せろ。」



・6 ソトとカイ

湖畔町の外れを、二本の懐中電灯が揺れている。二人は、カイの自転車でソトの家に帰りついた。

ソトは家に入ると、明かりをつけた。そこには、さらに成長した乳白色の姿があった。胎児のようであったそれは、すっきりと背を伸ばし、顔を上げている。両手ははっきりと分化し、胸の前で手を交差しながら差し出しつつあった。それはまるで目を閉じた裸体の少女が神からの贈り物を受け取る仕草にさえ見えた。

 殻いっぱいに注いでおいた牛乳は、ほとんどが吸収されている。その場で棒立ちになっているカイを尻目に、ソトは今日買って来た牛乳をすべて殻に注いだ。

「ど、どういうことだそれは。」

「よくわからないけど、タンパク質がよさそうなんだ。」

カイはソトの話を聞きながら、乳白色の少女像の周りをうろうろしながら観察していた。そして、

「おい、俺にいっぱい食わせようと思ってないか」とソトを見下ろした。

「なんだって。」「手の込んだ芝居で、何を企んでるんだ。こんな生物があるわけがない。どこかでこいつを買うか彫り上げて一儲けできるとでも思ったのか。」

「そんなんじゃない。」「まあ独りぼっちで、毎日、機械と水門の点検なんかしてたら…」「そんなんじゃない!」「じゃあ、なぜすぐ知らせなかった。」「そんなんじゃない!」ソトは立ち上がって、カイの言葉を遮った。

「僕は、そこの堤でこいつを掘り出して育ててきたんだ。も、もしかしたら、未知の植物の発見者になれるかも知れないって。君にはわからないよ。僕みたいな何もない棄児が一つの尊敬を手に入れるのは奇跡を掴むようなものなんだ。」ソトは、一気に言葉を吐き出した。

「ま、まあ気持ちはわかるが…」とカイは被りを振ろうとした。が、今牛乳を注いだ器がソト自身の殻であることに気付き、絶句した。

「こ、これは、おまえの殻じゃないのか。もし割れたらどうするんだ。唯一の身の証を失ったら…。」カイには、ソトの行為が信じられなかった。だが、ソトの覚悟とこの乳白色のものが贋物ではないとの確証を得ることになった。少女像の足元の牛乳は、すでに少し濾しとられ、薄い白色の液体になりつつあった。そこから、びっしりと殻の内側に張り巡らされた根のようなものも見える。これが作り物でないことは明らかだった。

「わかったよ。とにかくもっと大きな器に移そう。これ以上育つなら、おまえの殻が壊れてしまうぞ。俺が手伝ってやる。おまえが発見者になるには、証人が必要になるんだぞ。」

ソトは小さく頷いた。

「一日にどれくらい牛乳をやっているんだ。」「えっと、最初は給金があっただけを…」

「なんだ、量で記録をとっておけよ。さっきのノートをもう一回見せろ。」「あ、うん」ソトの日記は文字通り、観察の絵日記に他ならなかった。科学的計量的な視点が弱く、ソトはカイに問われるままに思い出しながら、ノートに加筆していった。

「それにしてもスケッチは見事だ。おまえ絵画に進んでもよかったのかもな。」

二人は時間がたつのも忘れて、艶やかな乳白色の少女像とその美しさについて、また、自分たちのことについて話し合った。ソトにとってカイは初めて対等に、また知識を惜しみなく与えてくれる存在となった。

 ふと気づけば、空が明るくなっている。二人は、外に出て大きく伸びをした。

「ほら」カイが東の空を指さす。「明けの明星だね。」ソトが答えた。

「よく知ってるな。あっちもわかるか。」カイは、西の空に輝く星を指さし、言った。

「今、大接近の時期だからな。」

 二人は、明け方の空を眺めながら、再び自転車に乗り湖畔町に向かった。



・7背骨

 二人は学校をさぼった。大きめのバケツを買い、食料品店に向かった。数店をめぐり、目立たないよう牛乳を二、三本ずつ、買い集めた。自分たちの食料も買い込むと、二人は大急ぎでソトの家に引き返した。

「あ、また成長が進んでいる。」乳白色の少女像はより輪郭がはっきりし、手が下がってきた。また下半身も二本の足に分かれ始めていた。既にカイもその美しさに囚われようとしていた。

「こいつは、また少し背も伸びて、本当に人らしい形になってきたな。ん。」少女像の背中を眺めていたカイが目を止めた。

「この背骨はおかしいぞ。ほら、腰椎から上に向かって背骨が左右に分かれて肩甲骨に繋がっている。いや、頚椎は普通に首に繋がっているぞ。どうなっているんだ。」

「ど、どういうことだい。」

「人の背骨ってのは、首に向かって真っすぐついているもんだろう。いや脊椎動物全部がそうだ。でもこいつは、肩甲骨に向かって繋がっていて、肩甲骨の上の方から、また大椎あたりで一本に戻っている。こいつは人じゃないぞ。」二人はぞくりと背中に冷たいものを感じた。

 二人は、しばらく顔を見合せたまま沈黙した。

「そ、そりゃ人じゃないよ。最初から。」ソトはようやく言葉を絞り出した。

「そうだな。は、はは。」カイも少し笑った。

「バケツに移そうよ。」「お、おう」

ソトは、慎重に艶やかな乳白色の少女像を背後から抱えて持ち上げた。表面は最初の頃と同じように硬く、滑りそうな滑らかさもそのままだった。カイは、少女像から殻を慎重に剥がしていった。

ソトは、バケツに移すと足にあたる部分でバランスがとれないか、調整しようとした。よく見ると先ほど剥がした根が、ひとりでにゆっくりとバケツの床に密着していく。

「大丈夫だよ。」そっとソトが手を放す。少女像は安定して直立した。

「こいつは自分でバランスをとって“立っている”んだ。」カイは少し硬直した表情で言った。

バケツにたっぷりと牛乳を注ぐと、二人は、大急ぎで湖畔町に戻った。自転車の後ろでカイがこぼす。

「図書館で調べようにも、分類がわからん。植物か動物か、鉱物か…」

「僕に考えがあるんだけど。」「なんだ」

「民間伝承や伝説、民話の分野はどうだろう。」カイはだまって頷いた。


・8白い娘

「俺はひとまずこれまでの情報をもとに植物鉱物の分野から調べていくよ。」

「僕は民間伝承や民話の類を調べてみます。」

二人は時間も忘れて取り組んだ。だが、手掛かりになるようなものは一向に出てこない。成果がないまま更に数日が経った。


「どうだ」ぐったりと疲れを顔に出したカイが、ソトの籠っている「民俗・伝承」の書架を覗いた。


ソトは座ったまま黙って首を横に振り、隣の椅子を促した。広い机には、十冊ほどの古めかしい本が積まれている。

「カイさんの方に積んだ本ですが、『白い娘』ってのがあるんです。これからそれを見ようと。」

「なんだそりゃ。」カイは、片手で雑に一冊をつまみ上げると、ぱらぱらと気だるげにページを開いた。


「…、

険しい山の村にはずれに他国から流れてきた年老いた猟師が住んでいた。かつて尊敬を集めた一族だったが新しい技を持つ一族に尊敬を奪われ、獲物の価値まで貶められ、一族のものは他派に流れ、一人でこの国の山奥に住み着いていた。…時折ふもとの村に降りて来ては、肉や毛皮を売っていた。

ある時、その老猟師が、彼に優しくしていた唯一の若者に、

「荷車を貸してくれ」と頼んだ。大中小とある荷車のどれがいいかと尋ねると、一番大きなものと言う。

「そんなもの、山奥まで引いていくだけでも大変だろう。」と言うと、

「庭に出しておいてくれればいい。」と言う。若者がその通りすると、翌朝には、荷車に納まりきらないほどの見事な大熊がその荷車に積まれていた。だが、そばには誰もおらず、荷車を引いた様子もなかった。

この大熊を領主に献上すると大変喜ばれ、金貨3000枚になった。

その夜、老猟師が尋ねて来た。こんな時間にと思ったが、抜けるように色が白く背の高い美しい痩せた娘を連れている。若者が早速金貨を半分渡すと、二人で一晩だけ泊めてくれと言う。よそ者に荷車を貸したり、泊めてやるなど考えられないことだ。だが、若者は快く二人を泊めた。

三人で夕食を食べたが、この美しい娘は、作法や言葉遣いはまるでなっていないがとても優しく、かいがいしく世話をしてくれる。老猟師に聞くと、この娘は一年前に山奥で見つけたと言う。土に埋まった子供の死体だと思って驚いたが、とても美しく、『白い帆の娘』の伝説を思い出して世話をしたら生き返ったと言う。娘は、この一年育ててくれた恩を強く感じて、色々と世話を焼いてくれるようになったが、世間のことはまるで知らない様子で、少しずつ教えていると言う。そこで一度、里の暮らしを味あわせてやりたかったと言う。若者はもっと詳しく娘のことを聞こうとしたが、老猟師は言葉をはぐらかしてしまった。

若者は、娘に一目惚れしてしまって、ぜひしばらく泊っていってくれと言うが、老猟師は固辞した。

若者は、明日娘に綺麗な服を買いに連れていこうと言ったが、娘は申し訳なさそうに静かに首を横に振るだけだった。

若者の様子がいかにも惚れた男の一途な顔になっていたのか、老猟師は、大熊の獲り方の秘密を教えると言う。ただそれは誰にも真似できない、この娘にしかできないことなのだと言う。

老猟師と娘は庭に出た。娘は羽織っていたとても粗末な服を脱ぐと、前掛けのような布だけになった。露わになった肩や細く長い手足が月明かりに映えて、この世のものとは思えない美しさだったと言う。娘は、庭にあった西瓜ほどもある石を両手で抱えた。

娘は一度若者をはにかんだような笑顔で見た。突然、娘の背中にとても大きな帆が広がり、娘は一気に舞い上がった。

若者は、慌てて庭に飛び出し夜空を見上げた。月明かりに白い帆が菱形に美しく、そして小さく、見えた。

「動いてはいけないよ」老猟師が声を掛ける。ひゅっ、と音がしたかと思うと、庭池に大きな水柱が立った。

若者は腰を抜かした。見上げると、菱形の帆は折りたたまれながら降りて来る。

やがて娘は、音もたてずに庭に降り立った。その姿は真っ白い蝶の精のようだったと言う。

老猟師は若者を縁側に座らせた。

「今夜のことは誰にも秘密にするように。親切にしてくれてありがとう。」老猟師はそう言うと受け取った金貨を若者のそばに置いた。娘は老猟師を後ろからしっかり抱きしめた。白い蝶が羽を広げるように、帆がいっぱいに広がって、老猟師と娘は夜空に消えてしまった。

翌朝、領主の使いの者達が菱形の帆を見たものはいないかと探し回っていた。老猟師は二度と現れることはなく、若者は年寄りになって死ぬ時になってこの話を残したと言う。


二人は、しばらく言葉もなく顔を見合わせた。


「つ、土に埋まった子供の死体…、って。白いところだけじゃないか」カイは、そのページを叩きながら言った。だが、少し動揺している。それはソトも同じだった。


「もっと詳しく載ってないんですか。」ソトは本を奪い取るようにして、解説のページを探した。


「…約千年前の山岳国家の風土記に初出あり。学派統合や優劣競争が顕著になった時代に、少数の弱小民族への優しさや失伝した技術について語ったと思われる説話と思われる。説話中にある『白い帆の娘』は、上古時代の記紀に「天に強く輝ける赤き星のある満月の夜、空に昇る白帆、あるいは凧をつけた娘の姿をした者…(現代語訳)」とあるが、凶兆とも瑞兆ともされず詳細不明。


「あ、あの、最初の紡錘型のもの、土に埋まったまま育ったら、子供の死体に見えますよ!この猟師は、ある程度育ったものを見つけたんじゃないですか。」


「だとしても、恩返しに熊を獲ってくれるって言うのか。」

「それは…、猟師だから。あ。」ソトは言葉に詰まった。

「なんだ?」

「く、熊は、大空から石を落とされたんですよ。大熊を調べたらどうやって仕留めたか分かります。それに庭の水柱も音が周りに聞こえたんじゃないですか。それに伝説の白い帆の娘が見られていたら、軍事的な脅威や尊敬のために知りたいじゃありませんか。」

「だから秘密にしたっていうのか。そもそも、子供の死体を見ただけで、どうしてその『白い帆の娘』を思い出すんだ。」

「それは…、そうですねぇ。この上古時代の記紀っていうの探してきます。」ソトは、慌ただしく立ち上がった。


.9上古時代記紀

ソトは、上古時代の記紀の棚を見つけた。数巻あるうちの一冊に「南海の島の民の話」として載っていた。

「…、

三日月のような入り江と浅い海に恵まれ、漁業と加工で尊敬を集めていた国があった。二十ほどの群島で、人口も多く、この国に学派を変えて移り住む者も絶えなかった。ある年、入り江の周りに数頭の鯨が居着くようになった。近海の魚は食べつくされ、漁に出ようとする船が襲われるようになった。入り江の古老が身の丈ほどもある銅鐸を作らせ、三角に並べて決められた調子で打つと、最も端の島に住む白い菱形の帆の娘が空から降りてきた。古老から鯨の話を聞くと娘は帰っていった。翌朝、再び娘は銅鐸のところに降りてきた。娘は、身の丈ほどもある鈦で作られた銛を五本と、小さな痩せた白い男の子を抱いて来た。娘は、合図を待って船を出すよう言うと、二本を右手に、左手で男の子を抱いて飛び上がった。

真昼の月に菱形の帆の姿が納まるほど高く上がりしばらくすると、銛がものすごい勢いで海に落ちた。轟音と共に、海がすり鉢のようになったと思うと、戻る波の中央には、頭に銛を打ち込まれた鯨が飛び上がった。直後にもう一度大きな音がして、今度は、向きを変えようと横を向いた頭に銛を打ち込まれた鯨が上がった。大きなほら貝のような音が聞こえ始めた。古老が皆の船を向かわせ、二頭の鯨を浜に引き上げた。娘は銅鐸のところに降りてきた。娘の白い帆は大きな四つの三角で、下の角の口から音を出しながら、帆を畳んで背に入れてしまった。男の子は、娘のくびれた腹にしがみついていたが、腹から降りて、娘に並んで立った。一頭の鯨から鈦の大銛を抜くと、銛の先が割れて骨に残った。古老と娘は、これからも端の島を出ないこと、決められた調子で銅鐸が鳴れば、その三角の地面に降りて来ること、国の者は一切端の島にいかないことを改めて誓約し、国の者たちの歓声を浴びた。入り江の国で一番の真水の井戸で汲んだ清水が鼎で献上され、それを娘と男の子は飲んだ。娘は何倍か飲むと、両の乳房が豊に膨らんだ。鼎を運んだ入り江の国の娘が男の子に、端の島ではどう暮らしているかを尋ねたところ、自分も鰹くらいなら一人で射すると言う。また、自分たちが獲る時以外は、泉の泥で眠ると答えたと言う。欠けた銛の切っ先は、神宝として南海の神殿に…

ソトは、一気にこの部分を読み下して、「泉の泥で眠る…」と呟いた。カイが様子を見に来た。頁を覗き込んだ。

「おい、天に強く輝ける赤き星…の記述はないぞ。」

「え、あ、本当だ。でもこれすごいよ。民間伝承に手がかりはありそうだよ。」ソトは上古時代記紀を全て棚から出すと、席に運び読み込み始めた。




.10

二人は、上古時代記紀の要点をひとまず慌ただしく書き写すと市場で買い出しをしてソトの家に戻った。

ソトは、懐中電灯でバケツを照らした。バケツが倒れている。


「おい部屋の明かりをつけろ。」ソトは、室内灯のスイッチに手を伸ばした。


ぼんやりとした明かりが灯る。倒れたバケツからこぼれた滴りの先の窓際に力なく座り込んだ乳白色の少女がいた。ソトらを見つけると虚ろな眼差しでパクパクとしている。


「エ、エサじゃないか」「お、おぅ」慌てて牛乳を取り出し飲み口を開ける。少女はゆっくりと手を伸ばした。


「う、動くぞ」少女に牛乳瓶を持たせると、その手をそのまま口元に持って行ってやった。


 少女は、一気に喉も鳴らさず飲み干した。「次をとってくれよ」「おう」


 少女は、一気に七本を飲み干し、一息ついたようになった。ソトは自分の上着を羽織らせてやった。



牛乳文字通り一気に飲み干した。



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