風呂前・歌え
「おい!”風呂屋”!風呂を出せ!」
「はい」
砲弾と『魔法』が飛び交う戦場。その後方。
ロマンは将軍の命令に元気よく答えた。
手をかざし、念じると、前方に浮かび上がったのはロマンだけの魔方陣。
『物質創造・風呂構築』
体内の魔力が魔方陣へと注がれ、事象を改変する。
無から有を作り出す。
そして魔方陣から出てきたのは―――ドラム缶だった。
中に満たされているのは人間が入るのにちょうどいい温度のお湯。
「五右衛門風呂か…もっと良いモノは出せないのか」
「すいません、先ほど休憩の兵士たちにも供給してきたため魔力が足りず…」
情けない笑みを浮かべて謝るロマンに、ため息をつきながら将軍は額に手を当てる。
「まったく…殺傷能力のない魔法を使うお前は本来なら”無能力”として魔法の階級にすら組み込まれない。だが、お前が実際には最低の”1段”の階級を貰い、魔法師として飯を食えているのは、衛生観念ドクトリンを唱えた私のおかげなのだ。そのことに感謝して、私の風呂の魔力もちゃんと残すんだな」
「はい。感謝しております」
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「この書類を人事部に持って行ってもらえるか?」
「分かりました」
戦争が終わって数日。
いつもの日常にロマンは戻っていた。
通常、平時における魔法師の仕事は体を鍛え、魔法を磨き、兵法を学ぶことだ。
しかし、戦場において前線で戦うという役割を持たないロマンにそれは必要ない。
故に、ロマンの仕事は一般兵士と変わらない雑務。
他の魔法師の道具を磨いたり、装備の点検をしたり、書類仕事をしたり、そういったもの。
書類を抱えて兵舎の廊下を歩くロマンに声がかけられる。
「おい、数年も部隊にいるのに、いまだ撃墜数ゼロの能無しがいるぜ」
「本当だ。おい、恥ずかしくないのか?あんな魔法が発現しちまって、どの面下げて部隊で活動してるんだよ」
「というか、全く殺傷能力のない魔法を発現するほうが珍しすぎて、逆にレアだよな」
「将軍に泣きついて、新しい階段制でも作ってもらえよ!」
ギャハハ!と笑う魔法師たち。
しかし、ロマンは特に気にした様子もなく微笑んだ。
「いやあ、強いみんなが戦ってくれるから、能無しの僕はせめてものサポートを頑張れているよ。いつもありがとう」
暖簾に腕押しの様子に、毒気を抜かれた魔法師たちは少し呆けたあと、舌打ちする。
「…ち、相変わらず呑気なやつだ。張り合いがない」
「基礎訓練ぐらい頑張って、魔法に頼らず戦果を挙げられるようにするんだな」
「うん」
魔法師たちが去っていく。
その後ろ姿を眺めていたロマンに新たな声がかけられた。
「情けないわね」
「イレア」
振り向くと、そこには赤い髪を持つ気の強そうな美人がいた。
腰に手を当てて、こちらを睨んでいる。
彼女はロマンの幼馴染で、魔法師ではないが、作戦本部のメンバーの一人だ。
軍団長の父を持ち、女では出世しにくい軍部を、他ならぬ本人の努力でのし上がってきた。
「あんだけ言われて怒ることもしないなんて。アンタ、ホントに金玉ついてんの?」
「嫁入り前の淑女が金玉なんてはしたないよ」
「ごまかさないで!全く…」
「アンタの魔法は物質創造系。分類ランクとしては高めだから、要は使い方よ。問答無用で”5段”となる空間支配系には到底およばないかもしれないけど…工夫して殺傷能力を高めれば、”3段”は貰えるはず。例えば、お湯をすごく熱くして敵にぶっかけるとか」
「ボクの能力はあくまで風呂だからお湯は大体40度ぐらいまでしか上げられないなあ」
「すぐ否定しない!特訓しなさいよ!能力を使えるものにしたら皆もアンタを見返すんじゃない?」
イレアは言い方はきついが、いつも心配してくれている。
その気持ちがロマンにはありがたかった。
でも。
「良いんだよ、これで」
「弱虫」
微笑んで遠くを見るフワフワした雰囲気のロマンとは対照的に、憮然とした表情で背後に炎を背負っていそうなイレア。
「おーい、イレアー」
と、そんな雰囲気を遠くからの声が遮る。
軍服を着た中年ががイレアに向かって手を振っていた。
「あ、パパだ。じゃあ、私行くから」
「うん、また」
去っていくイレアを見送って、中年に一礼し、ロマンはまた仕事に戻るのだった。
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戦争で死んだ両親の遺影に供え物をして、ロマンは風呂に入る。
貧乏で貧相な家だけど、将軍に拾われる前は家すら無かったことを思えば、豪邸みたいなものだ。
それに、魔法で作り出した風呂だけは王族のそれにも負けないほどに豪勢だとロマンは自負していた。
休みの日に完全回復させた魔力を使った、趣向を凝らした風呂。
そこにゆっくり浸かり、歌を歌う。
そうすれば、いつだって明るくいられる。
大事なロマンの日課だった。
「ババンバ バン バン バン…」
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次の日、兵舎に出勤すると、ざわざわとした雰囲気が漂っていた。
なんだろう、と首を傾げるロマンに近づいてくる人が一人。
それは昨日の中年―――イレアの父だった。
「おはようございます、軍団長。何かあったんですか?落ち着かない雰囲気のようですが」
「ロマン。それがな、イレアが居なくなってしまったんだ。すぐに捜索隊を結成して捜査に乗り出そうと…」
「軍団長」
イレアの父の言葉を遮って、ロマンが言った。
「ボクも探しに行きます」
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「へっへっへ…いけねえな嬢ちゃん、あんなところを一人で歩いてちゃあよ。こわ~い盗賊に襲われちまうぜ」
兵舎がある町からそれほど遠くない森の中で、イレアは男たちに囲まれていた。
昨日の夜、個人特訓のために町から少し離れた森の手前に来たところを襲われたのだ。
いつもなら練習に付き合ってくれる兵士が一緒にいるのだが、昨日はたまたま都合が悪く、仕方なくイレアは一人で特訓しようとしていた。
男たちの欲望に満ちた目がイレアに向けられ、一歩、また一歩と近づいていく。
最初は強情にも男たちを睨みつけていたイレアだが、段々とこらえきれなくなり、そして絞り出すように叫んだ。
「助けて…!」
その時だった。
「おーい、イレアー」
「…!」
森に響く声が男たちの動きを止めた。
イライラとしながら男たちは声のしたほうへ足を向ける。
「ち、誰か来やがった…兵士か?」
「そうみたいぜ、鎧を着てやがる」
「あいつは…弱過ぎて逆に有名な魔法師じゃねえか?」
声で分かっていたが、男の一人が言った弱すぎて、という言葉でイレアは声の主を確信する。
そして叫んだ。
「逃げて!ロマン!」
「こいつ!」
男がイレアを殴って黙らせる。
しかしもう遅い。
「まずい、アイツが逃げて居場所を他の騎士に伝えられたら…!」
「イレア!」
ロマンが走ってくる。
「おいおい、馬鹿か?こっちに来やがった!」
「まあいい!さっさと殺せば俺らの居場所を伝える奴は消える!やっちまえ!」
「俺らソクオチ盗賊団は平均”3段”の魔法を使うことで有名なんだぜ!」
男たちが臨戦態勢に入る。
それぞれ手を前に突き出し、呪文を発する。
『物質操作・ウォーターカッター!』
『熱量変換・衝撃波!』
『物質創造・武器射出!』
様々な魔法がロマンに向かって放たれる。
それらはロマンが居た場所を直撃し、大きな土煙を上げた。
「ハッハッハッ、みろよ、ミンチだぜ!」
「そんな!ロマン!」
盗賊が叫び、イレアが悲壮な顔で叫ぶ。
土煙が晴れる。
「…な」
ロマンは無傷でそこに立っていた。
異様なことに、ロマンの周囲には魔法がぶつかって大きく地面がえぐれた跡があるものの、ロマンの足元は全く変化がない。
綺麗な地面のままだ。
「なんだ?俺らの魔法がぶつかり合って偶然相殺しちまったのか?」
「もう一度撃て!」
リーダー盗賊の号令で魔法が放たれる。
『物質操作・ウォーターカッター!』
『熱量変換・衝撃波!』
『物質創造・武器射出!』
対するロマンは、いつもの魔法を使う構えをし―――唱えた。
『空間支配・テルマエ展開』
景色が変わる。
いや、『空間が塗りつぶされる』。
林だった景色が、豪華な西洋様式の大衆風呂に変わる。
そして、盗賊たちの魔法は、風呂の空間に入った途端―――『かき消えた』。
「なに?!」
「馬鹿な!」
「空間支配系だと?!”5段”の力じゃねえか!どうなってんだ!」
驚く盗賊たち。
「この風呂の中では、あらゆる戦闘行為は拒絶される。魔法、暴力、全てだ。そして扉は閉じさせてもらった。君たちは逃げることも出来ない。大人しく投降するんだ」
「く、くそ…」
ガクリ、と膝をつく盗賊たち。
彼らに近づいたロマンは言った。
いつものように、穏やかな微笑みを浮かべて。
「騎士団が来るまでの間、風呂でも入りなよ。君たちにも盗賊をやっていた理由があるんだろう?風呂で心を落ち着かせて、まっとうにやり直す方法を考えればいいよ」
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「この風呂…傷も治るのね」
「あらゆる戦闘行為を拒絶するからね」
イレアとロマンは風呂に入っていた。
盗賊たちも同じ室内に設けられた別の風呂に入っている。
ちなみに、イレアの入っている風呂の空間は、ロマンが作り出した仕切りに囲まれている。
温かい湯に体を浸し、一息ついたイレアは言った。
「この前は弱虫なんて言ってごめんなさい。ロマンって、強かったのね」
「いや、相変わらず殺傷能力はないから僕自身は戦えないよ」
「でも、傷も治って魔法を無効化する魔法なんて、前線で大活躍でしょう?」
「将軍にこの魔法の効果を教えるつもりはないよ」
「なぜ?」
「前線になんて出たくないから。両親を奪った戦争や殺し合いは大嫌いだし。本当は参加すらしたくない。けど、将軍が起用してくれなかったらお金がなくて餓死してたのも事実だから…僕が兵士なのはそれだけの理由だ」
「なんで戦争するんだろうね。みんな風呂に入って、疲れを取って話し合えば、平和になると思うんだけどなあ」
「信念がある、というのとはちょっと違う気がするけど…ロマンはそれでいいのかもね」
「助けてくれて、ありがとう」
ロマンは微笑んで、いつものように歌い出した。
平和を思う、彼の歌を。
ババンバ バン バン バン
ババンバ バン バン バン
ババンバ バン バン バン
ババンバ バン バン バン
いい湯だな(ハハハン) いい湯だな(ハハハン)
湯気が天井から ポタリと背中に
つめてエな(ハハハン) つめてエな(ハハハン)
ここは北国 登別の湯
ババンバ バン バン バン
ババンバ バン バン バン
ババンバ バン バン バン
ババンバ バン バン バン