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「これは一体……どういうことだよ!?」


 授業を終え教室を出てきたばかりの男女を捕まえて、俺は握りしめていたスマホの画面を突きつけた。画面に表示されているのは、とある学生起業コンテストの受賞連絡メールである。


 そこには俺が代表取締役の一人として立ち上げたはずのスタートアップ「ツインピークス」の名があったが、複数代表として並んでいる名前は瀬野(せの)高根(たかね)の二人のみ──俺、幸田奏介(こうだそうすけ)の名前はなかった。


「どういうことって……そういうことだよ」


「共同代表は俺と瀬野くんだろ!? なんで俺じゃなくて高根さんの名前が……」


「何か勘違いしてるみたいだけどぉ……ツインピークスの代表はうちと陽斗(はると)だから」


「じゃあ俺はなんなんだよ!」


「えー、平社員?」


 高根さんはそう言ってリップグロスが光る唇に人差し指を添えると、小首を傾げた。美人がやると絵になるな……なんて雑念を振り払い、俺は声を上げる。


「平社員だって!? 話が違うじゃないか! うちのサービスは全部俺が作ったのに!」


「はあ? うちのサービスを全部、お前が作ったって?」


 瀬野くんはそう言って、さも心外と言わんばかりに肩をすくめた。


「このサービスのアイデアを出したのは、全部オレと結愛(ゆあ)だろ。お前はそれをコーディングしただけだ」


「何を言ってるんだ! お前達のフワッとした構想を苦労してまともな仕様に落とし込んで、実装したのはこの俺だぞ!?」


 食ってかかる俺を見て、瀬野は眉を吊り上げた。


「勘違いすんなよ! うちのサービスのコンセプトは、ハイクラス学生人材を繋げるAIマッチングSNSなんだよ。お前みたいなだっせェ奴が授賞式の記事に載ったら、イメージダウンだろうが」


 体格の良い瀬野に凄まれて、俺はたじろいだ。自分でも情けないとは思いつつ……俺は瀬野のご機嫌をとるように、薄く笑みを浮かべる。


「だ、だからって、そんなら表には極力出ないようにするからさ……俺も取締役でいいだろう?」


 だがそんな俺に追い討ちをかけるように、瀬野くんは鼻で(わら)った。


「つーかさ……サービスは完璧に仕上がってるし、もうオレらだけで十分運営していけるから。お前は今日で解雇(クビ)な。解雇予告手当は一ヶ月分しっかり払ってやるから、安心しろよ?」


「ちょ、解雇(クビ)って……あのサービスのソースコードは全部俺が一人で書いたんだ! ソースには著作権があるんだぞ!?」


「でも著作権持ってるのは、オレ達なんだよね。ちゃんと契約書読んだ? 製造物の権利は会社に譲渡するってちゃんと書いてあるぜ?」


「うそだろ……」


「もちろん、秘密保持契約は守ってもらうぞ? サービスのノウハウを持ち出そうなんてしたら、契約違反で訴えるからな」


 愕然とする俺に、瀬野は勝ち誇った笑みで言い放った。


「起業家名乗りたいなら、もうちょっと経営にも興味持っとけよー? 法務とか経理とか、経営面は面倒だって放棄したのはお前だろ?」


「だからって……役割分担して一緒に起業しようって言ったのは、そっちじゃないか! 騙したのかよ……」


「俺たちが資金集めとか集客に苦労してる間、お前はパソコンの前に座ってただけだろ? 自業自得だよ」


「でっでも、俺がいなきゃ、システムの保守や改修はどうするんだ!?」


 なんとか食い下がろうとする俺を見下ろすようにして、瀬野は嘲笑った。


「もう新しい仲間は見付けてあるんだよ。お前なんかよりずっと有能な、経営のプロ達をな。ぶっちゃけプログラミングしか出来ない奴なんて、わざわざ内部にいらないんだよね。クラウドソーシングで外注すれば安く上がることが分かったし」


「あのシステムは、そんな単純なものじゃ……」


「しつけーんだよ! 学生バイトにしちゃこれまでずいぶんお高い分け前もらったろ? 恩に着て欲しいくらいだぜ」


 そうして瀬野は、俺に死刑宣告を下した。


「お前の代わりなんていくらでも居るんだよ、コーダー君?」



 *****



 ──あれは、去年の春のことである。

 授業を終えた俺が教室を出ると、どこかで見たことのある美女に声を掛けられた。


「ねーねー、キミが幸田奏介(コーダソースケ)くん?」


「そ、そうだけど……どこかで会ったことあったっけ?」


「んー、ないんじゃない? うちは高根結愛(たかねゆあ)っていうの。法学の三年だよ!」


 ──あれ、去年のミスキャンパスじゃね?


 そんな声が聞こえてきて、俺は合点がいった。どうりで見覚えがあったわけだ。


「あのね、ちょっと頼みたいことがあるんだけどぉ……一緒に来てもらっても、いい?」


 そう言って彼女は、胸の辺りでゆるく手を合わせて小首を傾げた。羨ましそうな周囲の視線が、俺達に集まっている……。


 その事実に気を良くした俺は、詳細も確認せず高根さんについていくことにした。だがそれが、全ての元凶だったのである。



 *****



 高根さんに連れて行かれたのは、大学内にある創業支援センターだった。うちの大学は最近学生ベンチャーに力を入れてるとは知ってたが、こんな施設ができるほどだったとは。


 俺がつい周囲をキョロキョロと見ていると、短髪の爽やかイケメンが手を上げた。


「こっちこっち!」


 俺は男が出てきてちょっとがっかりしつつも、相手が黒髪であることに安堵していた。ここでギャル男でも出てきてくれていたら、逆に早々に逃げ出せていたかもしれないが。


「初めまして! オレ、経営三年の瀬野陽斗(せのはると)って言います」


「あ、俺は情報三年の、幸田奏介(こうだそうすけ)です」


 俺は状況が良く分からないまま、つられて名乗りを返す。すると瀬野と名乗ったイケメンは、人懐っこい笑顔を浮かべて言った。


「幸田くんってさ……あ、同学年だし、タメ語でいいよね?」


 瀬野くんの笑顔の圧に俺が思わずうなずくと、彼はさらに笑みを深めて続けた。


「幸田くんってさ、なんかすごいプログラミングのコンテストで入賞したらしいじゃん! やっぱAIとかも作れるの?」


「まあ……一応。正確には機械学習に興味があってPython(パイソン)の勉強してる段階なんだけど」


「えっ、すごーい! 幸田くん、AI作れるんだ!」


 俺が来年配属を希望したいと思っている研究室は、ディープラーニングの研究に重点を置いている。そのため今からPython(パイソン)というスクリプト言語を勉強して、予習に励んでいるという訳だ。


錦蛇(パイソン)? は、なんかちょっとわかんねーけど……実はオレいま学生起業目指してて、作りたいサービスがあるんだけどさ。なかなかオレの理想を実現できるエンジニアが見つからなかったんだよね。そしたらデキる人が工学部に居るって聞いてさ、そんな幸田くんとならオレの理想のサービスが実現できるんじゃないかなって思ったんだ」


「いや、でも俺、素人だし……」


「オレだって素人さ! でも今は全くの素人がどんどん新サービスを成功させてるんだ。オレのアイデアと幸田くんの技術力があれば、上場も夢じゃないって!」


 そう言って、瀬野くんは俺の肩に腕を回した。


「幸田くんが共同代表になってくれるんなら、絶対に成功するスタートアップの構想があるんだ。一緒に新時代を作ろう!」


「共同代表……スタートアップ……」


 俺は瀬野くんに言われた単語を、噛み締めるようにして反芻した。もしこれが上手く行ったら、俺は学生起業家の仲間入りということか?


 ──正直に言おう。

 俺は生まれてからこれまで、こんなイケメンや美女に手放しで称賛されたことなんてなかった。ようやく俺の実力に周囲の評価が追い付いてきた……なんて、思ってしまったのである。


 その後も、瀬野くんと高根さんは俺をどんどん持ち上げた。リア充グループの仲間に向かって「こいつ、うちの天才エンジニア!」なんて紹介された俺は、すっかり調子に乗っていたんだと思う。


 起業に必要だと言われた書類にろくに確認もせずさっさと署名を終わらせた俺は、意気揚々と打ち合わせを始め……そして、ようやくその杜撰(ずさん)な計画に気が付いた。


 俺は頭を抱えたが、すでに学内ベンチャーとして認可が降りた後である。今さらやめまーすなんて、気軽に言える立場ではなくなっていたのだ。


 そう、俺は……「ツインピークス」は自分が共同代表を務める自分の会社だと、「ツイン」の片割れは俺のことだと……すっかり思い込んでいたのである。


 まだ始まってもいないのに、代表、つまり社長が投げ出すわけにはいかないだろう。だがその後の開発は混迷を極め、俺は早々に逃げ出さなかったことを後悔する羽目になった。



 *****



「え、この数字、初めて見たんたが……」


 俺は瀬野くんの用意した仕様書らしきものをめくりながら、頭を抱えた。そこには理想という名の荒唐無稽な空想が、ただただ羅列されていたのである。


「同時接続するユーザ数、こんなに想定してたのか!? 今のサーバじゃ容量足りなくて、アプリの挙動が半端でなく重くなるぞ! 仮想サーバの契約を変えないと……」


 だが苦言を呈する俺に、瀬野くんはめんどくさそうに言った。


「んなことしたら経費が増えるじゃん。アプリが重いのはプログラマの腕が悪いからって言うよね」


 アプリの動作が重くなったら、それはお前の腕のせい……そう暗に言われて悔しかった俺は、学科の友人達が就活で忙しそうにしているのを尻目にパフォーマンス改善に力を注いだ。


 俺は友人達から就活の苦労話を聞くたびに、大変だなあと言いつつ内心余裕をこいていた。俺は学生起業家で、経営者……つまり社長だ。卒業したら今の会社を続けるんだから、就活なんて必要ないのだ。


 やがて四年に上がると、就活の季節は落ち着き……次は卒論の季節がやってきた。運良く第一希望の研究室に配属された俺は、ちゃんと卒業だけはできるよう、真面目に研究室には顔を出していた。


 とはいえサービスの稼働が近付くと、さすがの俺にも余裕のない日が続く。配属されたばかりの研究室に行ってもいつもデスクに突っ伏して寝ている俺に、隣の席の女が難癖をつけてきた。


「幸田くんってさぁ……学生ベンチャーに参加してるんだって?」


「まあね」


「浮わついたことやるのはいいけど、ちゃんと学生の本分を忘れないようにしなさいよね! じゃないと留年するよ!」


 彼女の名前は、飛田真理奈(ひだまりな)。今日も小柄な身体にオーバーサイズのTシャツと細身のジーパン、そしてエアコン避けのパーカーという、どうにも垢抜けない出で立ちだ。


 せっかく綺麗な黒髪は、適当にゴムで一つにまとめただけである。化粧っ気のない顔はその大半が前髪と赤いセルフレームの眼鏡で隠されていて、いつも白い唇はどうにも不健康そうだ。


 とても高根さんと同じ生物とは思えないし、言うことだって失礼にもほどがある。俺は適当にあしらって、ご忠告は無視してしまうことにした。


 この頃の俺は完全に、イキっていたのだ。



 *****



 その後サービスはなんとか稼働したが、リリース直後は思い出したくないレベルのひどい状況だった。いや、ベータテストにしては不具合は少なかったと自負しているが、なにせエンジニアは俺一人なのだ。


「おいっ! また不具合の問い合わせが来てるぞ!? すぐに直せよ!」


 連日の睡眠不足で余裕が無くなっている瀬野くんが、また声を荒らげている。そのトーンにうんざりとしながらも、俺は聞き返した。


「どこの画面? 再現性は?」


「知らねーよ! メール全部転送しといたから、自分で読めよ!」


 俺は内心ため息をつきながら、メーラーを開いた。目を通すことしばし。その内容はどれも酷いもので、俺は頭を抱えた。


 酷いといっても、罵詈雑言が並んでいるわけではない。お問い合わせの内容があまりにもフワッと要領の得ないものだらけで、いつどこで何が起こったのかすら全く分からないというタイプの酷さなのだ。


「どぉかな、すぐ治りそう?」


 総務担当として参画している高根さんが、心配そうな声を上げた。


「再現性もないのに、そんなすぐに修正するなんて無理だよ。まずは発生条件と不具合の内容を調査しないと……」


「でもぉ……ユーザーさんがマジで困ってるみたいなの。何とかならないかなぁ……」


 学内一の美女に上目遣いで見つめられた結果、俺は二徹目に突入する羽目になった。



 *****



 調査の結果、エクセプションを投げた原因は想定外の入力をされていたからということが判明したが、俺は自分の仕様の検討不足を反省した。


 そして取り急ぎ「不具合のお問い合わせ」という、「いつ、どこで、何をしたら、どうなった」をフォーム埋めで入力するページを用意した。そして掴み所のない問い合わせを激減させることにも、成功したのだ。


「おい、うちのサービスが雑誌に載るってよ! やっぱ幸田くんは天才だよ!」


 とうとう始まった本サービスが軌道に乗り心に余裕が生まれた瀬野くんは、再び俺を手放しで褒め称え始めた。イケメンの称賛を得られるのは、なかなか悪くない。


「すっごーい! 幸田くんが参加してくれたおかげだよ! ありがとー!」


 あの皆の憧れのミスキャンパスに、この俺が感謝されているのだ。この頃の俺は、最高に有頂天だった。


 そしてさらに俺を調子に乗らせる事件が起こった。売上目標達成の打ち上げに3人で行ったダーツバーで、俺はビギナーズラックを連発。するとしたたかに酔っていた高根さんが、俺の腕に抱きついてきたのである。


「きゃー、すっごーい! ほんとに初めてなのぉ?」


 酒で潤んだ瞳と、火照った頬……そんな状態の美女に上目遣いで見つめられ、俺は心臓が跳ねまわるのを抑えることができなかった。人は酒に酔うと、本音が出てしまうらしいじゃないか。


 翌日行きつけのラーメン屋でクーポンを貰った俺は、ふと考えた。これを口実にすれば、高根さんを自然に誘えるかもしれない。断られても、あくまで無料券があるからついでに誘っただけだ。


 そう、何も恥ずかしいことはない。プライドの高い俺には逃げ道が必要だった。


「それじゃ、お先に失礼しまーす」


 創業センター内の自社スペースで作業していた俺は、高根さんの声を聞き慌てて立ち上がった。瀬野くんがいない今日が、チャンスである。


「あの、高根さん」


「なぁにー幸田くん」


 ちょっと鼻にかかった声もかわいいなぁと思いつつ、俺は続けた。


「おすすめのラーメン屋のさ、トッピング無料券もらったんだけど……この後食いに行かない? いつものお礼もかねてさ、おごるよ」


 よし、なんとか挙動不審にならずに誘えたぞ!

 内心気合いを入れる俺に、だが彼女はいつもの軽く拝むような仕草で、口を開いた。


「ごっめぇん、これからバイトがあるの! うちって仕送り少なくて……。早く会社が軌道に乗ったら、こんなバイトなんてしなくてよくなるんだけどな。……というわけで、ごめんね?」


「そっ、そうなんだ……」


 がっくりとした俺は、会社の収益をもっと増やせるよう、いっそうサービスの充実に力を注ぐようになった。



 *****



「そういやアンタってさぁ、この前うちを誘った店なんて、学生街のラーメン屋? だっけ? それもクーポンあるからとか……マジウケたんだけど!」


 嘲るような高根さんの声を聞いて、俺は走馬灯から現実に引き戻された。


「違っ……それは口実で!」


「クーポンが口実ってマ? この私を誘うのに? ほんとありえないんだけど!」


 高根さんは顎を上げて虫ケラを見るような目をこちらに向けると、薄笑いを浮かべた。


「そもそもうち、陽斗とつきあってんだけど。気付いてなかったの? マジでキモいから、早く消えてくんない?」


 いたたまれなくなった俺はクスクスという笑い声を背後に聞きながら……逃げるようにして、その場を離れた。



 *****



 学生起業家って響きに調子こいたあげく、この有り様か……。


 あまりの結果に憔悴しきった俺は、それでも重い足を引きずり研究室へと向かった。助教の紺野先生に呼び出されているからだ。


「ああ、ようやく来たか、幸田君。まあソファの方にかけたまえ」


 紺野先生はこんな口調だが、三十路に一歩手前の長身の女性だ。工学部の講師陣には未だ珍しい、紅一点である。


 彼女は対面に腰かけると、困った顔をして口を開いた。


「卒論進んでるか? このままじゃあ卒業できんぞ。それに就活もしていないようだが、卒業後はどうするんだ? 例の学生ベンチャーを続けるにしても、ちゃんと書類は出さないとダメだからな」


「……はい」


 その学生ベンチャーが、ダメになったんです……とは。俺はどうしても、言えなかった。


 俺は「体調悪いんでやっぱ輪講休みます」とだけ修士の先輩に伝えて帰宅すると、それからしばらく自宅に引きこもった。単位はなんとか取り終えていたし卒論の準備もそこそこ進んではいたのだが……必修の卒論をわざと落とせば、留年できることに気付いたのだ。


 大学院の入試も終わったし、就活の季節もとっくに過ぎている。不況の今では、秋採用をやっている企業なんて殆どない。


 経歴に空白を作らないためには、もう留年でもするしか方法がない……。俺は自室で頭まで布団を被りながら、己のプライドの高さを自嘲した。



 *****



 何日間、そうしていただろう。チャイムが鳴る音に気が付いて、俺は布団からモソモソと顔を出した。学科の友人が訪ねてきたのだろうか?


 でも今は、例え友人でも合わせる顔がなかった。ちゃんと考えて就活してる奴らに、まあ頑張れよ! ……なんて、少しでも思ってしまったことが申し訳ない。俺は再び、携帯ゲーム機と共に頭から布団を被った。


 だが一向に、チャイムは鳴り止まない。やがてチャイムは、ドンドンと扉を叩く音に変わった。


 ……もうこれ、近所迷惑レベルだろ。誰だよ!


 俺は仕方なく布団から出ると、渋々ドアを開けた。


「なんだよ……」「あっ、生きてた!」


 そこに立っていたのは、同じ研究室の飛田さんである。しまった、先にドアスコープ覗いてから開けるんだった。意外な訪問者に驚いていると、彼女は矢継ぎ早に言葉を投げ掛けてきた。


「幸田くん、LIME送っても全然既読にならないし、みんな心配してるよ! 体調大丈夫?」


「ああ、別に……」


「別にって、すごい顔色じゃん! ちゃんとごはん食べてる? これ、紺野先生から差し入れ!」


 ずいっと差し出された袋を、俺は思わず受け取った。


「え、あ、ありがとう……?」


「ホントに大丈夫? 一人で病院行ける?」


「だ、大丈夫だって! もうすっかり治ってるから!」


「そう……じゃあ、明日は研究室にも顔を出してね! みんな待ってるから!」


 それだけ言い置くと、あっという間に飛田さんは帰って行った。なんだったんだ……。


 袋を開くと、コンビニのおにぎりとカップスープ、そして日持ちする真空パックに入ったお粥や惣菜が数点中に入っている。最後にプリンが2つ……その女子なチョイスに苦笑しながら、俺はありがたく頂戴することにした。



 *****



 翌日、俺は研究室に顔を出して、紺野先生にお礼を言った。今日は輪講はないが、一応学生室にも顔を出す。そこにいた先輩たちに心配かけたことを謝ってから、俺はパーティションで仕切られた自席に座ってみた。だが、全く研究に手がつかない。


 しばらくぼーっと溜まったメールを処理していると、仕切りの向こうから飛田さんがひょっこりと顔を覗かせた。


「おつかれー」


「あ、おつかれ。昨日は助かったよ」


「そっか、よかった……」


 俺が素直に礼を言うと、飛田さんはちょっと迷うように目線をおよがせたあと、意を決したように口を開いた。


「ねぇ、今週末空いてない?」


「空いてるけど……」


「幸田くんってジサカーなんだよね? 新しいグラボ買いたいんだけど、何買えばいいのかわかんなくて。ほら、相性問題とかあるらしいじゃん?」


「え、パーツの相性ってやつ? それならグラボはあんま関係ないし、心配ならお店の人に聞いたら……」


 俺がなにげに返すと、飛田さんは顔を真っ赤にして不機嫌になったようだ。


「いいから、選ぶの手伝って! お礼にお昼おごるから!」


 なんだ、それが人に物を頼む態度かよ……。

 俺は少しだけイラっとしたが、昨日わざわざ食料を買って届けてもらった恩がある。紺野先生いわく資金の出所は先生だが、用意したのは飛田さんらしい。


 俺は少し不満を覚えつつも、渋々うなずいた。どうせベンチャーをクビになってから、暇を持て余しているのだ。


「……分かったよ。PCのメーカーと型番わかる?」


「BTOのゲーミングPCなんだけど……」


 BTOとはBuild To Orderの略で、受注生産という意味だ。ユーザの細かい希望に合わせて販売店がカスタマイズして売る、つまりプロが組み立ててくれる自作PCのようなものである。


「ならケースのサイズとか、スロットの状況とか、実物を見てみないとわからないな……」


 俺が困った表情を浮かべると、飛田さんは驚くことを言い出した。


「じゃあ悪いけど、見にきてくれる?」


「え、どこに?」


「私の部屋」


「ええっ、部屋に!?」


「仕方ないでしょ! 見ないと分からない幸田くんが悪いんだから!」


 なんで俺が怒られないといけないんだ……。そう困惑しながらも、なんだかんだで俺は土曜に飛田さんの部屋を訪ねることになった。



 *****



 そして土曜の朝──。

 俺は飛田さんの部屋の前に立ち、もう昨日から何十回目となるLIME履歴の確認を行った。


 ──ここで間違いないよな?


 しょせん相手は飛田さんだと思っていたが、そういや女子の部屋を訪ねるのは初めてだ。それも相手は一人暮らし……過去に読んだいろんな漫画のシチュエーションが頭をよぎったが、まあ、相手は飛田さんだ。


 妄想するだけ無駄無駄とばかりに頭を振って……俺は約束の時間に遅れそうになってから、ようやく呼び鈴を押した。


「はーい、ちょっと待って!」


 ガチャリと鍵を開ける音がして、一拍置いてドアが開く。


「……誰?」


 俺が思わず呟くと、出てきた人物は剣呑な視線をこちらに向けた。


「……ケンカ売ってんの?」


「いや、その、いつもと違いすぎるからというか、何というか……」


 俺はしどろもどろになりながらも、その視線は彼女に釘付けになっていた。


 いつもの低い位置でのひっつめ髪はほどかれて、緩めのカーブを描いている。薄手のリブニットは身体にほどよくフィットして、胸元を隠すはずのハイネックが逆に女性らしい曲線を際立たせているのは皮肉か、それとも策略か。


 慌てて視線を上げるといつも眼鏡の下に隠されていた瞳は思いの外大きくて、強い口調に反して不安そうに俺を見上げていた。


 言葉が見付からないまま、つい沈黙を続けていると。飛田さんは目をそらして、言い訳めいたことを呟きはじめた。


「その、うちの大学の一年に妹がいるんだけど……今日男子と会うって言ったら無理やりコンタクト入れてメイクして行ったの。私のキャラに合わなくて恥ずかしいから、やめてって言ったのに……」


 なおも俺が言葉を探して黙っていると、彼女の黒目がちの瞳が微かに潤んだように見えた。


「そっ、そんなことねーよ! よく似合ってるし!」


 慌てて上擦った声をあげると、彼女はぱっとこちらを見上げる。その潤みを帯びた瞳と一瞬目があって、俺は急いで目をそらしてごまかした。


「ほら、早く確認済ませないと、アキバまで行く時間がなくなるだろ!」


「う、うん。ええと、とりあえず入って……」


「おじゃましまーす……」


 整えられた玄関に恐る恐る靴を脱ぐと、俺は1K の廊下兼キッチンを進んだ。突き当たりのドアを開けると、白系で明るく統一された室内へと続いている。


 だがその部屋に似つかわしくない黒く大きなゲーミングPCが床置きされているのを見付けて、俺はちょっぴり安堵した。この空間に異質な存在は、俺だけではないようだ。


「ちょっとこれ、ケースはぐって見てもいいか?」


「うん。お願い」


 俺はさっそくケースを確認すると、蓋を見付けて取り外した。


 ケースはアイスマスター製か。BTOなのにちゃんとしたメーカー物のケース使ってるなんて、なかなか金がかかってやがる。


 サイズは小さめのミドルタワーといったところか。小さめとはいえミドルなんて、女子の持ち物とはとても思えない。こいつは厳つい要塞だ。これなら大抵のグラボは余裕で刺さるだろう。


 念のため俺はメジャーで必要な内径を確認すると、蓋をケースに嵌め直した。


「終わったぞー」


 そう言いながら振り返ると、飲み物らしきグラスを持った飛田さんが、驚いたように目を丸めた。


「え、もう終わり?」


「ああ、サイズ計るだけだったし。じゃあアキバに行こうか」


「そっか……」


 そう言って、なぜか飛田さんは少しだけしゅんっとしてしまった。ああ、せっかく用意してくれたのに、飲まないのは悪いよな。


「あ、その前に! 喉乾いたから、それもらっていい?」


 ちょっとわざとらしかったか? と、心配する暇もなく。飛田さんは嬉しそうに笑って言った。


「うん。どうぞ! そこに座って」



 *****



「うーん、良い買い物できた! 幸田くん、ありがとね」


 買ったばかりのグラボの箱を抱えて、飛田さんは満面の笑みを浮かべた。


 いつも顔を隠していた前髪は軽く横に流されて、形の良い眉が片方あらわになっている。小ぶりだがすっと通った鼻筋の先にある唇は、ほんのり桜色に染められていた。


 飛田さんって……こんなに可愛かったんだな。

 俺は簡単に掌を返してしまう自分に少し呆れながら、口を開いた。


「よかったらそれ、動作確認までしてあげようか?」


「え、いいの!?」


「乗りかかった舟だしな」


「ありがと! ……じゃあ、その前に」


 彼女は明るい笑顔のままで、ラーメン屋の看板を指差した。


「すっかり遅くなっちゃったけど、約束のお昼ここでいい?」



 *****



「うーん……うまー!」


 飛田さんは最初の一口を飲み込むと、頬に手をあて幸せそうに顔をとろかせた。


「なんか悪いな、チャーシューまで付けてもらって」


「いいのいいの、この後増設までやってもらうんだから! あ、でも一枚もらっていい?」


「あ、ああ、いいよ……」


 俺がどぎまぎしつつ肯定すると、飛田さんはさっと箸をひっくり返して持ち直す。


「では、遠慮なく」


 なんだ、ひっくり返すのか……って、俺は何を考えてるんだ。何を。


 そんなことを考えているうちに、彼女は右横に座る俺のどんぶりに箸を伸ばした。飛田さんの右腕が俺の左腕をかすめて、くすぐったい感触だけを残してゆく。


 飛田さんはチャーシューをぱくっと口に入れると、しばらく黙ってもぐもぐと咀嚼してから、ごくりと飲み下した。


「すっごく柔らかいから、つい一口で食べちゃった!」


 そう言って恥ずかしそうに笑うと、彼女はさりげなくむこうを向いた。脂で光る唇を、小さな舌がちろりと舐める。なんだか見てはいけないものを見てしまった気がして、俺は慌てて忙しそうに働くスタッフに目線を向けた。


 しばらく黙々と食べ続けた俺は、ようやく一息ついて腕時計を見た。時刻はもう3時をまわり、昼飯時には遅い店内は、ラーメン屋とは思えないくらいの穏やかな雰囲気に包まれている。


 水のおかわりを飛田さんから受け取って、俺は礼を言った。


「飛田さんありがとな」


「ううん、ついでだったから」


「いや、水じゃなくて、いやそれもあるけど……その、なんか元気出たわ」


 俺がそう小さく呟くと、彼女は水のグラスをにぎったまま横に座って、心配そうな目をこちらに向けた。


「やっぱり……何があったの?」


「実は俺、会社やめちゃって……いや、実を言うと追い出されてさ。ずっと俺の会社だと思って、あいつらは仲間だと信じて頑張ってたのに……本当に、バカだよなぁ……」


 俺が自嘲気味に笑ってみせると。彼女は身体ごとこちらに向き直り、真剣な顔をして言った。


「幸田くん、あのね、上手く言えないけど……キミの書くソースコードね、すっごく綺麗なの。どこにも無駄なところがなくて、でも、保守性もすごく高くて……。あんなコードの一行も読もうとしないやつらには勿体ないって、ずっと思ってたのよ」


「飛田さん……」


 彼女は言葉を切ると、スマホを操作してある画面を俺に差し出した。そこには外資系のIT企業、エムディーヴァの採用情報画面が表示されている。


 今日買ったグラボの製造メーカーであるだけでなく、最近はディープラーニングを応用した自動運転技術なんかも研究していて、さらなる飛躍を見せている企業だ。


「ここ、私が内定出たところ」


「マジかよ、すっげー! おめでとう!!」


 ほんの少しの嫉妬心を抑え込んで、俺は明るく声を上げた。俺が起業家気取りでイキってる間に、彼女は堅実に就活を重ねていたのだ。


 だが彼女はちっとも嬉しそうな顔をせずに、真剣な眼差しで言葉を続けた。


「ここ、通年採用してるから。まだ間に合うよ」


「こんな超大手、コミュ障の俺には面接突破無理だって!」


「大丈夫、ここのエンジニア採用は実力主義だから。現に私も内定出てるでしょ?」


「おお、確かに!」


「ちょっと! 少しくらいは、そんなことないよ~コミュ力あるよ~とか、言いなさいよ!」


「コミュ力の話じゃねーよ。飛田さんが実力あるのは分かってるから、確かにって言ったんだ」


「もう、茶化さないで!」


「いや、本当だよ」


 飛田さんは顔を真っ赤にしたあと、うつむいて言った。


「本当に行き先ないんでしょ? 私が企業研究したときの資料見せてあげるから、受けてみようよ……」


「……なんでここまでしてくれるんだ?」


「だって、卒業したらもう会えな……じゃない! キミの実力を買ってるからよ! 長い目で見たら、確実に弊社の利益になるんだから! それだけよっ!」


「もうすでに弊社かよ!」


 思わず笑って言うと、彼女はその形の良い眉をつり上げた。


「そんなこと言ってたら、協力してあげないんだから!」


「ごめんごめん! ……俺、本気で頑張るから。協力お願いします、先輩!」


 俺がガバッと頭を下げると、飛田さんは口に手をあてて笑った。


「うん、ここは就活のプロに任せなさい!」



 *****



 それからの俺は、これまでの遅れを取り戻すかのように頑張った。飛田さんに借りた資料を読み込み、何度も面接のシミュレーションを繰り返した。もちろん、卒論用の研究も忘れてはいない。


 そうして年が明け──とうとう俺は、エムディーヴァからの内定連絡を受けたのだった。


『内定きた』


 俺はLIMEの送信ボタンを押そうとして、思い直して文字を消した。これから会えないかという文章に直して、改めて送信ボタンを押す。


 まだ学内にいた飛田さんと学部の片隅で落ち合うと、彼女はすっかり板についたコンタクト姿で、夕日を背に手を振りながら現れた。


 軽く手を上げて応えると、俺は口を開いた。


「今日も眼鏡じゃないんだな」


「な、なによ……コンタクトの方が眼鏡より肩凝らないって気付いただけだから!」


「そうなんだ。うん、そっちの方が可愛いよ」


 色々と吹っ切れた俺はそう素直に告げると、笑った。


「なっ、なによ急に! キモいんだけど!」


 言葉とは裏腹に、彼女は顔を真っ赤にして目を逸らす。


「内定出たよ」


 はっとしてこちらを向く彼女に、俺は微笑んだ。


「飛田さんには本当に感謝してるんだ。自分の卒論で忙しかったのに……ありがとうな」


 飛田さんは頬を夕焼け色に染めたまま、それでも嬉しそうに微笑んだ。


「全部幸田くんの努力のたまものだよ。あのスタートアップでの経験があったから、今のキミがあるの。ごめんね、真剣に取り組んでたのに……浮わついてるなんて言っちゃって。キミをあの二人に取られたみたいで、悔しかったの」


「なんだそれ」


「せっかく同じ研究室に入ったのに、全然……ええと、何でもない! とにかく、これからも長い付き合いになりそうだけど……よろしくね」


「ああ、よろしくな!」


 今となってはあの高揚と挫折の日々は、俺の学生時代の大事な経験の一部となっていた。


 これからの人生、多少のことでは俺はくじけたりしないだろう。なんてったって、俺は自分が立ちあげた(つもりの)ベンチャーを追放された男だからな!



 *****



 すっかり立ち直った俺は、卒論の最終チェックに追われていた。研究室にこもったまま5限の終わりのチャイムを聞いて、売店にでも行こうと席を立つ。


 そして研究棟のエントランスを出たところで、待ち伏せていた瀬野と高根につかまった。どうやら学部が違っていると、研究棟の中へは入れない仕組みになっているようである。


「おい、幸田! お前なにLIMEブロックしてんだよ!」


「あーそういや、あのときショックで思わずブロックしちゃったんだっけ。すまんすまん」


 俺は何気ない笑みを浮かべると、改めて二人を見た。何かに追い詰められているような形相を浮かべている彼らには、もはやかつてのような輝きは感じられない。


 そういや飛田さんが言ってたな。確かツインピークスは主力サービスでクレジットカード情報が流出し、不正利用されて損害賠償問題に発展してるんだっけ。ここのところ就活と卒論の遅れを取り戻すのに精一杯だった俺は、あまり詳しく知らないけれど。


「お前がいなくなってから、大変だったんだぞ! セキュリティがガバガバで、サイバー攻撃を受けたんだ! お前がちゃんと考えて作ってなかったせいだ!」


 なんとか責任転嫁しようとする瀬野に、俺は呆れながら言った。


「だからセキュリティの世界は日進月歩で、常に最新に対応してないと危ないってあれほど言ったじゃないか。まさか俺が抜けてからずっと更新してなかったのか?」


「更新はしてたが、クラウドソーシングの奴等があんなに使えないとは思わなかったんだよ! 自分の技術が足りないくせに、依頼側(こっち)のせいにして評価に酷評書きやがって!」


 俺は呆れ返りすぎて、顎が外れそうだった。引き継ぐ時間も相手も用意せずに俺を追い出したこいつらは、元となるソースコードさえあればフリーのプログラマにWeb上で依頼するだけで何とかしてもらえると、本気で思っていたらしい。


 資料といえば、依頼主が全く理解していないソースコードと、ゆるふわな仕様書モドキだけ。おそらく費用も納期も、エンジニアをなめくさった提案になっていただろう。そんな地雷案件を運悪く受けてしまったフリーランスの方には、いくら同情してもしきれない。


「お前さ、どうせまだ就職先も決まってないんだろ!? 今ならツインピークスに戻らせてやるよ! CEOとはいかないまでも、CTO(最高技術責任者)くらいにはしてやるからさ!」


 沈みかけてなお上から目線で、瀬野はまくしたてた。そんな泥舟に、まだ俺が未練を感じていると本気で思っているんだろうか。


 俺は面倒くさそうに頭を掻くと、口を開いた。


「悪いけど、俺エムディーヴァの内定承諾書にサインしちゃったんだよね。だから無理」


「なっ! エムディーヴァだと!? 去年のファーブスのランキングで、従業員の待遇全米一位に選ばれた企業じゃねぇか!」


「え、そうなんだ? 実は面接でツインピークスでの開発経験を話したらさ、すごく興味を持ってもらえたんだよね。だから良い機会を与えてくれた君達には感謝してるよ」


「なんだよそれ……大手に内定でたからって、共に苦労した仲間を見捨てるってのか!?」


「いや、先に俺を捨てたのはそっちだろ?」


 俺は呆れを隠そうともせず、ため息をついた。

 ──こんな奴らに、俺は良いように使われていたのか。


 もし初めから誠実に、CTOをやってくれと頼まれていたら──

 お互いに得意な分野を尊重しながら、補い合えていたら──

 今もまだ、共に戦っていられたのだろうか。


 そういう俺の方だって、こいつらに技術的なこと言ったってどうせ分からないだろ、と……無意識に彼らを下に見てしまっていたのかもしれない。お互いに理解し合う努力を、放棄していたんだな。


 就活対策で会社組織について研究するうち、俺はようやく理解した。開発も、営業も、総務も──どれがバランスを欠いても成功しない、共に戦う仲間だったのだ。


「えっ、ファーブスでランキング一位の外資に内定でたの? すっごいじゃん!」


 これまで後ろで黙っていた高根が、急に瀬野を押し退けて俺に詰め寄った。


「うち、幸田くんなら絶対にイケると思ったんだよね!」


「おいっ、結愛っ!」


 声を荒げる瀬野を無視して、高根は俺の腕を掴んだ。そのまま胸を押し付けるように、強く抱き締める。


 外見とか、肩書きとか、マジでこいつらそんなものしか見てないんだな。ああ、俺も……そういや同類だったんだ。


 高根の媚びるような上目遣いに俺はちらりと冷めた視線を返すと、迷うことなく振りほどいた。彼らもいつか、気付く日がくるのだろうか。


「やめてくれよ、彼女に誤解されたら困るだろ。……じゃ、ユーザに誠意ある対応、頑張ってね」


 俺は最後にちょっぴり虚勢を張りながら、二人に背を向ける。そうして手をひらひらとさせてから、悠然と立ち去った。後にはお互いを罵り合う男女だけが、黄昏時のキャンパスにとり残されていた。



 *****



「飛田さん! ちょっと……」


 ドア口から俺が手招きすると、研究室にまだ残っていた彼女はモニターから目を上げた。夜を迎えた研究棟を人気のない方に並んで歩きながら、俺は口を開く。


「実は俺、嘘ついちゃってさ」


「どういうこと?」


「今日久しぶりに瀬野達に会ったんだけど、彼女が居るって言っちゃった」


「なんだ、話ってそんなこと? あーあ、見栄張っちゃって」


 呆れたように笑う飛田さんの方をあえて見ないようにして、俺は言った。


「でも、気になる子がいるのは本当なんだが」


「えっ、誰!? 私の知ってる子!?」


 途端に慌てたような口調になる飛田さんから顔を背けたままで、俺はぼそりと呟いた。


「飛田さん」


「何よ?」


「だから、俺の気になる子は、飛田さん……です。飛田さんのこと、もっと知りたいんだ」


「えっ、どういう……」


 俺は意を決して立ち止まると、彼女の目を見据えた。

 これからゆっくりお互いのことを知っていこう。

 時間は充分、あるんだから──。







 ─終─


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