らくがき2 十、立花家再封400年だって
なんですって。
柳川は立花宗茂公、再封400年で盛りあがっているそうだ・
・・・知らなんだ。
柳川でその名を知らぬものはいない立花宗茂は、この前の戦国大名ランキングでも14位にランクインした、今、人気急上昇中の戦国大名だ。
西国無双の異名を誇り、大友、豊臣、徳川家に仕えた立花宗茂。
こう書くと、一見、世渡り上手な人物に見えるがそうではない。
下克上が当たり前と言われるこの時代で、実直・誠実に生きた人物と評されている。
高橋家の嫡男からマスオさん的境遇にて、立花家に婿入り義父道雪公から家督を譲られる。
秀吉公の九州征伐や朝鮮出兵で活躍、柳川の大名となる。
秀吉公の死後、関ケ原の戦いでは恩義のある豊臣方の西軍につく。
結果西軍は破れ、立花家は領地没収となる。
流浪の身となった宗茂だが、その才と誠実さを買われ、徳川家に仕える。
大坂の陣などで活躍、のち、3代将軍家光まで彼は仕えた。
柳川をおさめていた田中家に跡取りが生まれなかったことから、お家が断絶となり、立花家が再入封する。
これが返り咲き大名といわれる所以で、元の統治していた国に戻った大名は、立花宗茂公ただ一人といわれる。
それから再封400年・・・。
だそうだ。
端折って手短にすると、
「今年は柳川藩初代藩主立花宗茂公が、再び柳川藩に返り咲いてから400年になります。宗茂公は豊臣秀吉に仕え、九州仕置きや朝鮮出兵で活躍し、柳川12万石の大名となりました。ところが、秀吉公の死後、関ケ原の戦いで西軍についたため領地没収となります。しかし、彼の人柄や才能が認められ徳川家に仕えることになります。徳川家でも大坂の陣の活躍やその才が認められ、柳川藩田中家のお家断絶もあり、信頼を得た宗茂公は柳川へ返り咲きました。それから今年で400年となります。柳川では今年様々なイベントか予定されています」
ですかな(笑)。
これぞらくがき。
観光は厳しいですね。




