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7話-1 かさぶたの裏のシンジツ

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ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『だって、未来はまだ決まってないから!

 そう考えれば、何とかなるかもしれないって思うんだ』


『‥‥‥』


『口開けてどうしたの?暑くて気分悪い?』


『‥‥‥‥いや、呆れてた』


『え?』


『未来が決まってないから?本気で言ってんのか。悪い事は言わないから諦めたほうがいい。進学校もどきに来てる時点で宇宙飛行士なんて無理だから』


『だから、頭が良いって評判の鏑木くんに助けてほしいの』


『断る』


『なんで』


『俺にメリットなんてないからな。何か対価があったとしてもやる気はないけど』


『それは‥‥‥』


『実現不可能な夢なんてさっさと捨てろ。抱えてたって「高校生にもなって何やってんだか」って笑われるだけだ。身の程を弁えて現実を見た方がいい』


『そんな人達には勝手に笑わせとけば良いでしょ。わたしは誰がどんな風に見ているかなんてことははどうだっていい』


『そうやって強がっていてもいつか無視できなくなるぞ。自分の無能さと叶わない夢を追う事の虚しさに身を削られて、楽な現実に逃げることになるんだよ。だから今のうちに諦めた方が身のためだろ』


『‥‥‥意外』


『は?』


『鏑木くん、意外と優しいんだなって。いつもつっけんどんに喋ってるから、もっと怖い人だと思ってた。

 でも、ごめんなさい。わたしは諦めない。だから助けてほしいの』


『だーかーらー、ッッッ!

 ‥‥‥‥‥‥あー、分かった、もういい。言っても無駄だって分かった。お前の勉強見てやるよ。これで満足か?頼むから現実に打ちのめされて早く諦めてくれ』


『本当に!?ありがとう、鏑木くん』


『チッ』

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 初めは、苛立ちと憐憫だった。それは確かだ。バカで諦めが悪くて哀れだと思って、付き合ってやることにした。これには一片の欺瞞はない筈で、そこから盲信に繋がる訳がない。


「そこから間違いだ。もう下準備は始まってた」


 スクリーンの過去を眺めている俺の心を読んで、ソレはそんなことを言う。


「そんな訳ねえだろ」


「見てりゃ分かるよ」


 目元にシワを寄せて、底意地悪い笑いを見せる。なんてウザったい顔を見なきゃいけないのだろうか。


「自業自得だ」


「アレもそうだが、お前も何で平然と心を読むんだよ意味が分からん。人でなしか?」


「そうだな。だけどそっちの方が話を進めやすいんだよ。読めるなら読むに越したことはないしな」


 自分も、間違いなくそうしていただろう。全くもってイヤになる。

 それに、不愉快にさせられるのは、俺と同じ顔をしたソレの行為だけではない。


「あのさ。この時の俺‥‥‥」


「あー、言わなくて良い。こっちも恥ずかしいしな。自分1人のちっぽけな失敗で人生を知ったような説教垂れるアホの方がよっぽど救いようがない。しかも見る目もない。かわいそうだな。

 止めだ止め、場面が変わるぜ」


 言っちゃってるじゃねえかとツッコミたくなったが、スクリーンの映像が砂嵐になって、そちらに目線が吸い寄せられる。


 やがて白黒のノイズが収まり、次の映像が照らし出された。シャーペン片手に、コタツに入った男女2人が向かい合わせに座っている場面だ。画面の中の自分は、真紀奈の家で勉強を教えていた。高校1年の冬頃の事だったか。先ほどの映像から3ヶ月ほど経った頃のものだろう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『まだやるのか?』


『うん』


『それにしても、成績伸びねえよな』


『そうだね』


『‥‥‥』


『夢だもん。諦めたくないよ』


『はぁ。3ヶ月もいると解るか』


『鏑木くん、怒ってると口元がピクって動くんだよ。知ってた?』


『知らなかった‥‥‥』


『ふふっ』


『はぁ。で、まだ諦めないのか』


『そんなことを言い続けて結構経ってるけど、鏑木くんこそなんで諦めないの?』


『あ?』


『だって、そんなに嫌ならわたしを見捨てちゃえばいいじゃない』


『‥‥‥なんでだろうな。おい、そこ間違ってる』


『あっ』

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「‥‥‥あ」


 画面が途切れてしまった。

 まあ、この後はいつも通りに真紀奈が疲れきるまで勉強し続けたのだろうし見なくても何も変わらないか。


「どうしてお前は答えなかった?」


「そんなの分からん」


 2年前のことを鮮明に覚えている人間なんて、完全記憶ができる奴ぐらいだろう。


「はぁ‥‥‥‥。だったら、今のお前はどう考えるんだ」


「何がだ。あとため息吐くなよムカつく」


「お前がここにいる時間が長くなるんだよ。こっちだってお前みたいなカタブツ虚弱野郎の擬人化みたいなのを相手したくねえっての。

 それで、今のお前は過去の自分がどうして答えなかったと考える?」


「聞いて意味あるか?」


「先に進めないからな」


 なぜ俺が彼女の問いに答えなかったのかと訊かれれば、それは。


「その回答が真紀奈に明かせるものではなかったからだろ。それ以外はあり得ない」


「ハハハハハハ!!お前、無自覚でそれ言ってんのか?だとしたら傑作だな」


「何がおかしいんだよ」


「いやいや、想定以上の満点回答で思わずな。ホントに笑える」


「勝手にやってろ。で、次に進めるのか?」


「いや、もう一つだけ。どうして、答えの内容が『真紀奈に言えるものじゃない』と思った?」


「ん?それこそ考える必要もなく決まってる。アイツを汚してしまうようなものかもしれないからじゃねえか」


 俺の中に居るくせに、何を当然なことを訊くのか。


「満点」


 ソレは何処からか取り出したボールをスナップスローの要領で投げ、映写機にぶつける。衝撃を受けて倒れると思われたそれは、ガコンガコンと変な音を立てて回り出した。煙が上がっている気がするし、壊れているに違いない。


 それでも、過去の記録は再生される。


 次に映るのは、マスクをして毛布をかぶりながら机に向かう真紀奈と、そこに対面する俺だった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『やめにしよう』


『なんで』


『結果は全く出てこない。お前は無理がたたって寝込んでる。これからもこんな風になるんだったら、早いうちに諦めたほうがいい』


『それに素直にうなずくわけないことくらい分かってるでしょ』


『そんなの分かってる。だから、もっと悪くなる前に辞めさせようとしてる』


『なにそれ、心配してくれてるの?』


『そんな訳ねえだろ。叶いそうもない辛い夢なんてさっさと諦めて、現実に逃げちまえば良いんだ。そうしてくれた方が俺の為になる』


『ありがと、でもごめんね。わたしは諦めたくない。こんなの、ただの過労だから大丈夫。すぐ治るよ』


『過労とかそういう話じゃない。半年間お前は頑張った、だけど結果は出ていない。もういいだろ』


『良くない。ここで辞めたら、全部無駄になっちゃうじゃない』


『このまま続けたらもっと多くの物を失う。次は大丈夫だって根拠のない希望を持っていたって辛いだけだ。‥‥‥これまで良く折れなかったよ。だから諦めてくれ』


『鏑木くんこそ諦めなよ。わたしのことくらい、半年間見てきて分かったんじゃないの』


『分かってる』


『だから、わたしをーーー


『‥‥‥分かってるから、もういい。俺が、お前に何も教えなければ良いんだ。そうすればお前は諦めるしかなくなる』


『え』


『そうだ、最初からこうすりゃ良かったんだ。

 じゃあな。学校以外じゃ、もう二度と会う事もないだろ』


『鏑木、くん?』


『お前、早く諦めろよ』


『待ってよ、』


『さよなら』

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 ガシャ、と金属製のドアが閉まって、画面中の自分は彼女の家から出て行った。真紀奈は、ただ俯いていた。


「‥‥‥何のつもりだ」


 隣を睨むが、何も反応は返ってこない。


 少しの間の後、また、画面が切り替わる。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『母さん、ただいま』


『おかえりなさい。何かあった?』


『別に、何も』


『真紀奈ちゃんと喧嘩でもした?』


『‥‥‥喧嘩なんかじゃない。もうアイツとは会わないけど』


『どうして』


『俺が見切りつけたから』


『あの子はやる気があるのに?』


『やる気があったって才能がなきゃ伸びない。俺を見てたんだから分かるはずだけど』


『一心、アンタは真紀奈ちゃんじゃない。それに、人の事を勝手に見限って後で後悔するのはアンタの方だよ』


『ハッ。手前勝手に見限った人が言うと説得力が違うな』


『そうだね』


『‥‥‥』


『まあ、最後にどうするかは自分次第だけど、もう少しやってみても良いんじゃない?』


『俺が教えたって、』


『無駄かどうかはあの子が決めることじゃないの』


『無駄だって事にも気付けないまま落ちたらどうすりゃいいんだよ』


『一心が引っ張り上げれば良い』


『できねえよ。単純な話、ただの高校生でしかない俺が教えたって、1が10になるわけじゃないんだ』


『だけど、あの子の家には塾へ通う金は無いんでしょ?だったらアンタがやらないでどうするの』


『‥‥‥俺がやったって意味はない。それに、アイツにも言ったけど、叶わない夢を追ったって辛いだけだ』


『あの子の口から辛いとかもうやりたくないって言葉は聞いた?』


『アイツはそんなこと言うタマじゃない。どうせ、無理だって分かってもなんの弱音も吐かずに続けるだろ。‥‥‥そんなの、見てられねえよ』


『逃げたって意味ない。途中で目を逸らしたら、その残像が頭の内を掠め続けるよ』


『じゃあ、アイツが意地を張って蟻地獄に落ちる姿をずっと見てろって?』


『落ちないように引っ張りあげられるのはアンタだけだよ』


『‥‥‥ふざけてる。それができる根拠は何だよ!?俺にはそんな力はない。葦元だって、夢を諦めたこんな情けない奴の手なんて掴みたくないに決まってる。なのに無責任に伸ばすなんてできるわけがない』


『どんな形であれ、手を伸ばしちゃったじゃない。今更引っ込めたら、それこそ無責任でしょ?

 それに、真紀奈ちゃんはそんなことを言ってない。アンタ自身はどうしたい?』


『‥‥‥‥‥できるなら、葦元には夢を叶えて欲しいし、それの手助けになる事をしたい。だけど、そんなのはアイツがシンデレラストーリーの主人公でない限り不可能だ。現実はそんな甘くない』


『現実、現実ねぇ。最近の若者は〜なんて言うつもりはないけど、もう少しバカになったら?夢にダイブしても良いじゃない。辛いし痛いけど』


『俺がやろうとしているのはアイツを崖から突き落とし続けることだ。

 正直、折れない葦元が怖いよ』


『でも、あの子を手伝いたいんでしょ』


『‥‥‥』


『なら、やればいいじゃない』


『‥‥‥ちょっと、外へ出る』

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 暗転。

 白光。

 ノイズ。

 再生。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『マキナ>少し、話せない?』


『鏑木一心>分かった』


『マキナ>近くの公園で』


『鏑木一心>了解』

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 空を彩る黒と橙。


 白光を放つ街灯に、背中を預ける人影。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『葦元、来たぞ』


『あー、来てくれた。ありがと』


『別に礼なんて要らねえよ。それで、話ってなんだ。大方予想はつくけど』


『鏑木くんの考えている通りのことだよ』


『そうか、なら口にしてくれ』


『わたしを助けて』


『‥‥‥正直言って乗り気じゃない。どう考えたって、諦めちまった方が楽なのは確かなんだから』


『わたしも、そうだと思う。でも、その楽はわたしにとっての「楽しい」じゃないと思うんだ』


『俺も、そう思うよ。

 だから最後にもう一回だけ質問する。辛いのは解ってるよな?出口が見えなくなる事だってあるんだ。それでも、前に進みたいんだな?』


『うん。辛くても苦しくても、可能性があるなら諦めない。ここで辞めたら、その後どこかでつまらないなって思っちゃうから。

 ‥‥‥だから、わたしの夢を手伝って』


『本当に、良いんだな』


『いいよ。

 ね、そんな心配そうな顔をしないでよ。絶対に、鏑木くんを悲しませたりはしないから』


『そういうことは模試で成績伸ばしてから言え。‥‥‥本当にバカ野郎だお前』


『野郎じゃないですー。バカなのもこれから治るんですー』


『お前のバカは治らねえよ。つーか治すな』


『どういうこと?』


『分からんでよろしい!』

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 そして、空間は元に戻る。映写機の光は消え、濃い霧の中、椅子に座った二人が浮かぶ。


「長かったな」


「最後だからな。感想をどうぞ、お客様」


 短時間で見慣れたニヤニヤ顔を隠すようにわざとらしく首を垂れて、ソレは聞いてくる。分かりきっているくせに嫌な奴だ。


「クソみたいな初体験をどうもありがとう。それで、これとお前がやりたいことに何の関係があるんだ?」


 自分のダメな部分を見つめ直して反省しろ、という目的の方がしっくりくるような記録ばかりだった。どうやっても彼女への崇拝を示すことに繋がるとは思えない。


「全部、今のお前に自覚させる為にある。

 これまで見せた出来事は全て鏑木一心という人間の過去だが、お前は過去の自分に対してどう思った?」


「過去と言っても2年くらい昔だから今とあまり変わっているとは思えないが、あえて言うんだったら、情けない奴だと思う。そんなもんだろ」


 誰が見ても明らかだろう。真紀奈の夢の輝かしさを認められず、そこから逃避しようとして、結局は身近な人に諭されてなんとか踏みとどまった。まったく、見ていられない。


「そうだろうな。憧れに素直になれずに突っ張って、自分の失敗が他人にも適用されると思い込んで、夢を追う彼女を自分勝手に見下して杞憂していた。

 なら、今はどうだ。真紀奈の姿をどう思っているんだ?」


「何よりも綺麗だと思う。わざわざ言わせる気かよ」


 夢を追い続ける彼女の姿は、きっと何物にも変えがたいほどにも輝しい。それを嘲笑うのは、たとえ世界だって許されないはずだ。


「そうだろうな。それは何も不自然じゃない。

 さて、ここからが本題だ。

 今のお前は、彼女に何をしてやりたい?何をしていると思ってる?」


「俺は、真紀奈が夢を叶える助力になることをしたいし、今だってそれをしている筈だ。アイツが挑戦し続けられるように、なんだってする」


 だからこそ理不尽な死が彼女を襲うのを回避しようとしているのだ。真紀奈が自身の夢の為に現実へダイブするのを誰も邪魔しないように俺は、


「‥‥‥あ、?」


 些細で、不快な違和感があった。

 脳に直接生暖かい息を吹きかけられるような感触がして、頭をかきむしる。


 まさか。


 まさか、これが?


「そんな訳あるか。そんな、バカなこと」


 思わず隣を見ると、ソレは笑っていた。


 その言葉を待ち望んでいたかのように、ひどく嬉しそうに、気色の悪い満面の笑みを浮かべていた。


 思わず、「違うだろ」と、反射的に、祈るみたいに、口に出していた。


 しかし、ソレは俺を嘲笑い。

 

 苦しくなるほどの間の後、言った。


「やっと気付いたか。長かったなぁ、遅かったなあ?」


「‥‥‥うそ、だ」


 滑り落ちた否定は、笑いたくなるほどに空虚だったのが理解できてしまう。赤子の駄々で、間に合わせのメッキでしかない。


「嘘じゃないさ。今まで観てきたものは、確かにお前が経験した過去だ」


「だからって、崇拝にも依存にもなるはずがない‥‥‥。あってたまるか、そんなこと」


「もう飽きたなこのやりとり。さっさと認めた方がお前のためになるからはーやーくーしーてーくーれー」


 認めた方が楽とかそういう話ではない。認めてはいけないのだ。決して、認めてはならない物なのだ。


 崇拝と依存の重ね着ーーーつまり盲信は、その人を見ていないことと同じなのに、それを行なっていた?

 ふざけるな。それをしてしまったら。

 していたのなら。


「正しくても納得できるわけがないだろ!?こんな、こんな‥‥‥」


 言葉に詰まる俺の後を引き継いで、俺と同じ声で、わざとらしい口調で、ソレは口にする。


「『手前勝手にレッテル貼りして、本当は理想を押しつけ傷つけるかもしれないコトをしているなんて、頷いてたまるか!!俺がやられたことを今度は真紀奈にやってるなんて信じたくない!』か?」


「そうだ!!認められるわけない、ハイそうですかって首を縦に振ることをできるわけないだろ!?真紀奈をそんなことにしていたなんて、」


 言えば言うほど惨めで、言葉を切る。

 見たくもない、決して是認できない本性が剥き出しになるのが解ってしまう。無力で情けない見慣れた自分より更に醜い姿が露わになっていくのを感じた。


 ふと、足元の白霧が指向性を持って動き始めた。蛇のような形に姿を変え、一ヶ所へと。


「これ、は?」


「あーー疲れた!!やっとだ。これで、『欲の階層』にお前の欲望が現れる。さーて、鏑木一心の本心はどんなものかな?」


 目で追っていくと、スクリーンのあった場所を中心に、霧と薄暗い空間が新聞紙のようにクシャクシャと集められていた。目に見える全てが剥ぎ取られて、暗幕に覆われていた世界が明らかになる。


「ここまでして無意識のうちに隠していたかったなんて尊敬したくなるぞ?自分を誤魔化すの得意だな、お前」


 たまらず眼を閉じる。無意味なのは知っていても、そうせずにはいられない。本性も、本性を隠す醜さも、何も見たくない。


「ま、そうしてるといいさ。そうやって眼を逸らしてもここからは出られないけどな」


 世界を遮って俯く臆病者に、ソレは告げる。

 

「‥‥‥分かってんだよ」


 いくらおぞましくても認めなければならないことも、今のままでは何も解決しないことも、ここから出なければ真紀奈を理不尽から守れないことも、理解はしている。


 だとしても、欲望の根底が崇拝だったなんていう真実だけは飲み下せない。

 嫉妬が畏敬へと変わって、彼女が発していたかもしれないSOSを無視して理想を押し付るなど、自分を信用してくれている真紀奈への嘲弄と変わりがないではないか。


「最悪じゃないか、俺‥‥‥」


 楽になりたくて、顔を上げた。


 

 荒れ地が広がる空間には、一つの白い石像が建っていた。眼を凝らすと、それは見慣れた彼女を模していてーーー、


 愕然とした。瓜二つだった。


「‥‥‥クソ野郎が」


 輝いているように見えたその偶像。しかし、ヤスリをかけすぎた爪のように、表面はボロボロだった。そのうえ、その像を縛り付けるように、太い鎖が何重にも巻かれていた。


「よく見ろ、これがお前の欲望の根元だよ。

 葦元真紀奈が崖から落ちる姿に眼を焼かれた鏑木一心は、嬉々として背中を押すようになったとさ。『夢を追うアイツを手助けしたい』ってのは聞こえがいいが、実際のところは『現実から夢へダイブし続けるのを見続けたい』っていうのが根底にあったんだ。

 言って思ったが、崇拝というか狂信だな。‥‥‥近くで見るか?」


 いつの間にか、ボロボロの布を羽織って杖を携えていたソレは、そんなことを聞いてくる。


「もう見たくない。‥‥‥なんだ、その格好」


「お前の無意識のイメージ。巡礼者だな。 

 で、ご感想は?」


「最悪だ」


 本当に最悪だ。

 本性も、自分自身も、全部が嫌になる。

 

「まあ、見たくもないものを見ちまったから当然か」


「当たり前だ。本当に、こんなのが治療になるのか」


 欲望の元となるものに気付けば精神と身体のズレが治るという話だったが、むしろ悪化させているとしか思えない。


「なるさ。そのために存在する奴が不具合なく動くなら、正しい結果がついてくるのは当然だろ?」


「どういう意味だ」


「バグを起こせってこと。俺だってあの子を助けたいのは変わらないからな」


 ソレは意味の分からないことを、真剣そうに、陰気な顔で口走っていた。


 何を言おうとしているのか掴めず首を傾げていると、ソレは急に「これで俺の役目は終わりだ」と俺を持ち上げて、下にぶん投げた。

 1秒と経たない内に、ソレとの距離は広がっていく。気づいた時には、もう豆粒ほどだった。


「ちょっ、何してんだテメエ‥‥‥!?」


「これで俺の役目は終わりだ。だからもうお前は出ていけ。俺の方が絶対に上手くやれるが、仕方なく任せるぞ鏑木一心」


「‥‥‥無理だ」


「だから、ここの番人として一つだけ言ってやる。欲望は瞬間で変化し、根元にある感情はもっと簡単に変質する。そして嫌なら、納得できる物へ変えるしかない。

 じゃあな、軟弱野郎」


 ソレの姿は確認できないで、声だけが聞こえていた。


 絶えず下降し続ける身体は音声を脳まで届けていたが、さっきから底辺まで沈んだままの精神はどうしようもなく動かない。


 盲信は、それを自覚したとしてもやめられない。きっと、依存と一緒くたになってしまっているものだから。

 

 健全な精神の持ち主ならば、開き直るか「分かってよかった、治そう!」とするのだろうけれど、俺にはそんなことはとてもできない。どうしてもマイナス面にばかり目がいってしまう。


「‥‥‥ほんと、最低だ」


 どこまでも落下する。


 果てしない暗闇が、感覚を奪っていった。



 ーーー暗闇に、二つの白が浮かんでいる。


 一つはハードカバーの本を右手に持ったパーカー姿の男であり、一つは白色の人型であった。


「行ったか。治療は終わったかね?」と男が口を開くと、白いマネキンのようなソレは頷き返し、頭だと思われる部分を皮肉げに横へ倒した。


「解っていながらよく言う。そういう舞台装置にしたのは貴様だろう?」


「一応の確認だ。彼に倒れられると困るのでね」


「‥‥‥これで俺の出番は終了というワケか。まったく、呆れるほど不愉快だったな」


 肩と思しき部分をすくめて、ため息を吐いたソレは、何処かへと歩き出す。


「よく働いてくれた」


「よく働いてやった。

 ‥‥‥だが、やりたい事が残ってる」


「何?」


「ーーーこういう事だ」


 三本の指で拳銃の形を作り、中指を丸めた。


 音は鳴らない。銃弾が指から発射される訳でもない。

 

 だが、しかし。


「‥‥‥な、に」


 顔を驚愕の色に染める男。

 胸には、大きな風穴が開いていた。


「間接的とはいえ、アレの記憶を見せたのが間違いだったな」


「まさ、か」


 吐血し膝から崩れ落ちる男を目のない面で見下す。しかし、確かに表情が存在していた。


「都合の良い人形にも感情は生まれてしまう。そんなことにも気付かないのか?」


「‥‥‥そういう、ことか。これは想定外、だな」


 倒れ伏し、致死的に流血しながら笑う男に、ソレは人差し指を向ける。


「お遊戯の時間は、終わりだ」


「くーーー、」


 3度中指を曲げると、彼の頭部が音もなくひしゃげる。4度目で、腐った果実より脆く弾け飛んだ。


 腕をだらんと下げて、顔も口もない白い顔を、放心したように上げる。


「‥‥‥これで、いい」


 ソレが呟くと、白い身体は足元から塵と失せていた。1分ほどで経たない内に消滅するだろう。


「‥‥‥人形にしてはいい終わりだ」


 ただのマネキンにしか過ぎないソレは、最期に少年の記憶を思い返す。


 彼の大きな思い出は、全て少女と共にある物だった。


 鏑木一心の中で、葦元真紀奈はそれほどまでに輝かしいものに見えるのだろう。過剰に自身を卑下し、少女を崇拝するほどに。


 『欲の階層』で番人の役割を充てられたソレは、「まあ、それも欲に繋がるなら否定はしねえよ」と残念そうに呟いて、霧散した。


 何よりも黒い闇が全てを占める空間には、男の死体のみが残っていた。

男は死にました。

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