第6話 それは、奇跡などではなく
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海岸通りに車を走らせる。窓を開けると風が入ってきて心地よい。昔からこの感覚が好きだった。真紀奈の父さんにドライブへ連れてもらっていた時、彼は毎度こうして窓を全開にしていたことを覚えている。真紀奈は寒い寒いとすぐ閉めていたが。
今乗っているのは、2年前に買った四人乗りの白いミニバンだ。中古だが状態は良く、結構長持ちすると店員が笑顔で喋っていたのを思い出す。
購入する直前、叶助は「白はカッコよくないから変えてほしい」と言っていたか。結局押し切ったが、その後数日間は口を聞いてくれなかった。今でも、時々「これカッコよくない!」と愚痴をこぼしているのを聞く。
「そんなカッコ悪いか?白、いいと思うんだけど」と未空に聞いたら、「乗れるのなら色関係ないでしょ?」と返された。そのそっけなさが彼女らしいと思う。今頃、未空はどこかへ買い物に出かけているだろうか。何か頼めば良かったなあ。
「‥‥‥ふう」
ハンドルを握る手はひどく湿っている。アクセルを踏む足は小刻みに震え、ガラスに映る顔は歪んでいた。冷静を気取ろうとしているのになんとも情けない。
焦がすような怒気と凍える恐怖が渦巻いている。そのせいで途中何回か吐くはめになった。気分は最悪と言わざるを得ない。
だが、それもこれも全て叶助を連れて帰るために耐えるべきことだろう。
「んなこと分かってる‥‥‥」
1時間ほど前に届いたメールには、後ろ手で縛られ眠っている叶助の写真と彼が拐われた場所の住所が添付されていた。どうやってそこまで3時間はかかるような距離を移動したのか疑問に思ったが、「私」という件名ですぐに合点が行った。俺宛に、その一人称で送るようなヤツは1人しかいない。
何故、アレが居る。
「‥‥‥」
右足を深く踏む。
震えはまだ止まらない。
道先の青空には、黒雲が垂れ込んでいた。
◇
間を置かずに雨が屋根を打つ音が室内に響く。本を読むにあたり邪魔な音は全て消していたので、これは心地良いものらしい。
鏑木叶助はこんこんと眠っていて、起きる気配はない。そう設定したので当然ではあるが。時折、「お腹すいたあ」などと寝言を口にしているが気にすることもない。
さて、彼の過去に戻るとしよう。
◇
巻き戻されて3日後。
肌寒い街を歩きながら、彼女を救うにはどうしたら良いだろうと浮かぶ男に聞く。俺には知恵も策も無いから、何にだって縋り付くしかないだろう。3日間ずっと悩み通しだったのに何も思い浮かばないからどうしようもない。
「聞いてくると分かっていたよ」
「俺に何を教えても世界に影響は無いんだろ?だったら最短ルートをよこせ」
「確かに事実だが、さて」
「勿体ぶらずに教えろよ。テメエのその喋り方ウザったくてしょうがないんだよ」
つべこべ言わずに早くしてくれ。苛ついて、ほぼ命令するように彼に頼むとフードを深く被ってやれやれとため息をついて、
「君が当日彼女の手を離さない、これだけでよい。これだけしかない」
これ以上ない真剣な口調で述べる。
手を握って離すな。思ったより単純だ。あの日、あの時間に、真紀奈の手を握ったままでいる。それなら、
「油断してはならないよ、鏑木一心」
「え?」
「君が行おうとしているのは世界への反逆だ。といっても納得しないだろう。‥‥‥そうだな。例えば、ここに一冊の本があるとしよう」
彼がどこからか出したのは、先ほどまで手元にあったのとは別の表紙の黒い本。よく見ると何か小さく日本語で書かれているようだが、気にするほどでもないだろう。
「この本は世界で、世界が一冊の本、そうだな、この場合は小説だと仮定してみよう。描写は世界の事象、文やページの流れが時間の経過という具合でね。そして、どこかのページに『葦元真紀奈が死ぬ』と書かれているとする。ここまでは良いかね」
仕方なく、頷く。
もし書かれているのならば目にしたくない文字列だ。見てしまえば今度こそ狂ってしまうだろう。
「君はこの悲劇を変えようとしているのだが、運命を変えるのはほとんど無理だと思った方がいい。なぜなら時間の流れは不変であるからだ。ほら、小説の時間経過は基本的に一方通行に、描写は『すでに起こった』ように書かれるだろう?小説とは出来上がった状態で世に出される事物の総括本だ。つまり、最初から結末が決まっているのだ」
長ったらしく語ったあと、ここまで言えばわかるだろうとでも言いたげな目で俺を見る。本当に演技臭いヤツだ。きっと好きにはなれないだろう。
「完成した物語を書き換えるか新しいページを差し込むような無茶だから無理、って言いたいんだろ」
そういった話は小説や映画の中で見聞きしたことがある。まさか当事者になるとは思いもしなかったが。なりたくはなかった。
「正解。始まりと同時に終わっている物語に変化はない。記述の空隙さえも、些細な、ほんの些細な変化しかもたらさない。予定調和で廻っている。記述された事象に収束していく」
「そうかよ」
どうだっていいと無視して歩こうとすると、男は俺の頭を触る。気持ち悪い。
「離せ」
「離すが、もう一回だけ言っておこう。これより先は単なる地獄だ。リトライは何度でもできるが、経験値を手に入れても意味はない。無駄になるかもしれない、いいやそうなる。それでもやるのかね?」
やり直しは上手くいかないという話なのだろう。
そんな事今更だ。
「それで俺が諦める理由になるとでも思ってんのか。絶対に真紀奈が生きる世界にしてやるからそこで見ておけ」
どこかで心が死ぬかもしれない。
どうあがいても救えないのかもしれない。
だけど今、ここで「絶対」と言わなければ可能性がゼロになってしまう気がした。
「ふっ、ははははははっ!!良い決意だ鏑木一心、私はその無謀を賞賛する。直接援助できることはないが、ああ、きっと邪魔しないと約束しよう。孤独な君の話し相手くらいにはなれるかもしれないがね」
「人が苦しむ様を見るのがそんなに楽しいのかクソッタレ。
けどさ、礼は言っておくよ。ありがとう」
彼女を救えるチャンスをくれたのだ。礼を言わない理由はない。気味が悪いから好きにはなれないけど。
「感謝されることではないと返しておくよ。私は君が彼女を救おうと足掻く様を観たいだけだ」
声を張って、男は人でなしそのものな台詞を吐く。空中できりもみ回転してるしご機嫌なのだろうが感に障る。
「性格悪いな。友達いないだろ」
「他人に向かって堂々とそんな台詞を吐ける君が言えたことではなかろう」
「真紀奈が居るから問題ねーな」
「そうかい」
そうに決まってる。
「では、暇を持て余したら呼んでくれ。君の道行きに光あらん事を」
男は、周りの景色に溶け込むように薄くなっていく。
本当になんでもありだなコイツ。
俺は半ば呆れて、その様子を見ていた。
「‥‥‥お」
真紀奈から「今日は何か予定ある」と連絡が来たのに気付き「暇だ」と返すと、「じゃあ午後に私の家で」と返ってきた。時間感覚が大雑把すぎて笑ってしまう。
◇
真紀奈の部屋。彼女が出してくれた座布団に座って、天井を見上げていた。少しして、薄い青のパジャマ姿の真紀奈は、お盆に茶碗を二つ乗せて歩いてきた。
目の前の机に黒いお盆を置くと、彼女はいつも通り俺の隣に座る。
「急に言っちゃったけどありがと鏑木くん。お茶どーぞ。あ、お菓子もあるから欲しくなったら言ってね」
「おお、サンキュ、あっつ。あっつ。で、今日は何するんだ?勉強は流石に辛いんだが」
「買い物に付き合ってもらおうかなって」
真紀奈は頬を掻いて、少し恥ずかしげにはにかむ。
「買い物?別に構わないけど何買うんだ?」
「春物の服とランニングシューズ。あと何かテキトーに」
「それ俺が行く必要あるか?」
「あるある。鏑木くんだから意味があるんだよ」
茶を啜る真紀奈。
「分かった、行くか」
「いざ、ショッピングモールへ!」
レッツラゴー、と彼女は手を突き上げる。
「何年前のネタだよ‥‥‥」
「お父さんがやってた。そんな古いやつなの?」
「ああ、めっちゃ古いやつ。もう死語になってると思う」
首を傾げて聞いてくる。‥‥‥真紀奈の父親の守一さんなら納得だ。古いギャグ好きで、昔のギャグ漫画とかテープとか色々持っている。去年の夏に24時間耐久ビデオ視聴やった記憶は鮮明だ。
面白かったけど二度とやりたくねえ。
「そうなんだ。じゃ、行こっか」
特に気にも止めずに、彼女は席を立つ。スラリとした足が動いてゆく。特に理由はないが、後ろ姿に視線が行った。
「どうしたの?」
気付いたように、振り返る。
「いや?なんでもない。コップどうするんだ」
平静を装うが、きっと目は泳いでいたことだろう。真紀奈は気付いているのかもしれない。
「ごめん忘れてた、ありがと。鏑木くん、先降りててもらえる?ちょっとしたら私も出るから」
「おーけー。急がなくていいからな。怪我されても困るし」
「大丈夫だよ。私そんなにおっちょこちょいじゃないし」
どうだか。
「なーにーその顔。なんかポカやると思ってるみたいじゃん」
「よく分かったな」
「だってそういう顔してたし。それに、二年も一緒にいたら分かるよ」
「確かにな」
そう言われると弱ってしまう。全くその通りだから反論のしようがない。
「‥‥‥なんちゃって」
ええ‥‥‥。
「なんちゃってって」
下手な口笛を吹いて顔を逸らす彼女を見て苦笑する。そんな恥ずかしい嘘ならつかなくても良いのに。
「ほらほら、早く先行っちゃって。まだ着替えてもないし」
馬鹿力で部屋の外へ文字通り摘み出される。掴まれた首筋がちょっと痛いがそこは我慢しよう。
「じゃあ降りてるわ‥‥‥さっむいなぁ」
ドアを開けると外界の冷気が肌に染み込んできて、少し顔をしかめる。
「うん。どっかフラフラしないでね」
「オカンか」
「私も思った。ほんとにどっか行かないでよ?」
分かった分かったと手を挙げて外へ出る。割と寒い。春の昼間だというのに、この日陰は冬のように冷え切っていた。
「返事はー?」
「はいよー」
やっぱりオカンじゃん、という感想は胸にしまっておこう。