閉じられた幕の内側で
これは、彼の知らない可能性です。
ジ
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───「■■■■■ろ」
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ジジ
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───「■い、■■■。%##€$2々」
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嵆韆磬璿邢孅【■■→→#3^^^って》
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ジ
ノイズが聞こえた。男の声がした。
───ひどく不快な、その声が。
ジジ
ザ
ザ
‥‥‥不快?
「───良いから起きろこの愚鈍ッ!!」
「ァァァああああッ!?」
聴き慣れた声と共に蹴り上げられ、放たれた弾丸の如く地面に回転しながら突き刺さって、目が覚めた。いや、視界は機能しているのだが────、
「ッッ」
ああ、そういう事かよ畜生‥‥‥!!
「『目を瞑った』じゃねえよクソボケ。何飲まれてやがる、流されすぎだ。お前はあの子を助けるんだろ。だったら早く目ェ醒ませ」
黒い闇の中、俺と同じ姿をしたソレに早口で捲し立てられる。俺がキレた時はこんな必死なんだろうか。‥‥‥いつ会ったかは、もう曖昧だが。
「呑気か‥‥‥、まあ『ただの事象』として受け止めてないから良いか。ここに居れば時間稼ぎにはなる。安心しろ」
「お前、どこまで知ってんだ」
その口振りからして、現在の俺の状況くらいはわかっていそうだが。もしかしたら、彼女を救う方法すら解っているのかもしれない。
「ああ。知ってるし、教えてやる。俺はお前のことを、お前は俺のことを嫌悪しているって『設定』だが、『葦元真紀奈を助けたい』という欲望で俺達は利害が一致している。これも『設定』の範疇か」
「急に何を言い出すんだ」
ソレは、俺の姿から白いシルエットに形を変える。人型の分、黒い空間を切り取ったようだ。
「ったく、いっぺん殺してやった筈なのによ」
「殺してやったって、誰を」
「そんなん『作者』に決まってるだろ。俺はアレを一回殺して自分も消えた筈だが、どういう訳かアレは生きてやがった。んで俺も生きている。あんだけ撃ち込んだのに死なないとかゾンビかよ。『作者』に許された特権ってヤツか?なんでもいいが」
聞き捨てならない、言葉があった。
「‥‥‥‥‥‥ハッ」
自分でも、底冷えする程に渇いた笑い。
「ムカつくよな」
「聞いたのを後悔するくらいにな」
裏腹に、胃液が煮立っているように腹が熱い。その激情は、鏑木一心の精神を灼いていた。
「死んだのに蘇るとか反則だよな。そのチートを真紀奈に分けてやってほしいくらいだ」
「‥‥‥まったく、こっちの苦労はなんなんだよ」
何度も目を逸らした、真紀奈の■。
人間であれば回避不可能である死を、殺人犯のアレは克服した?
理不尽の中心であるあの作者は、それほどまでに傲慢か。
真紀奈を救えないという結末。
彼女は救いを望んでいないという現実。
ああ、諦めるべきだ。そうやって現実に折れた方が良いのだろう。幻想を見る方が辛いのだから。
だから、いっそのこと『ただあるモノ』として彼女の死を受け止める事も考えた。書かれていたから仕方ないと。真紀奈を助けるという夢を見ながら、それは不可能だと知ってしまったから。
諦めようとした、なのに。
どうしようもない不条理を敷いた元凶は。
‥‥‥それすら、簡単に、踏みにじる?
確かに『作者』は作品において絶対的存在だ。作品内の、その全てを好き勝手に設定できるのが作者というものだ。矛盾があろうと、何だろうと、全てはソイツの頭の中で進むのだから。神と言っても差し支えない。
だったら、なぜこんな悲劇にした。死は覆せないと散々叩きつけた癖に、なぜ自分だけはのうのうと蘇る。
‥‥‥違う。
それよりも。
『辛くても、苦しくても、』
『可能性があるなら───』
『諦めない。』
覆せない運命に擦り潰される彼女に、どうしてそんな残酷な事を言わせた。言わせたのなら、何故デッドエンドに配置した。青い薔薇を持たせて殺すなんて、イカれているとしか言いようがない。
どうせ死んでしまうのなら、終わりが決まってしまっているのならば、その先の未来にある夢を追わせる必要は無かった筈だ。さっさと諦めさせて、俺なんかと関わる事なくひっそりと楽に死なせてやれば良かったに決まってる。それなのに、理不尽で圧殺した。
ああ、分かってる。これは癇癪だ。思い通りにならないからと世界の全てを恨む、そんな幼稚な怒りだ。
しかし。
なんでも思い通りになるフィクションの世界に、哀しい結末はいらない筈だろう。あの外道はそれを喜ぶとしても、消費されるこちらにとって看過できるものじゃない。
「‥‥‥ふざけるな。こっちが助けたい真紀奈はどうあがいたって死ぬってのに、死んでも殺したいアレは生き返る?あのクソ野郎が真紀奈を殺したってのにどうしてそんな事が許されているんだ。おかしいだろっ、真紀奈が一体何をした?アイツは夢に向かって走ってたのに、そんな身勝手な『物語』に潰されるっていうのか。あの『作者』の、身勝手な妄想に付き合わされて!!」
どうしようもない事は無数に散らばっているのは解っている。それでも、暗闇に吸い込まれてしまうとしても、目の前のこの不条理を叫ばずにはいられなかった。
「そうだ。殺される」
「‥‥‥どうすればいい。どうすれば、助けられる。苦しませず、」
無理だ、と頭の中の冷静な部分が機械的に告げている。死の未来を見せられ続けた真紀奈は、狂ってしまいそうなほどに苦しんでいる。何をしたって、意味はない。
「死なせるしか、ないのか。‥‥‥この『力』で、できる限り、穏やかに」
右手に安楽死の為の薬があるように見えて、それを潰すように握る。
まだ、何かあるはずだ。
何か、別に助ける方法が。アレの筋書いた『運命』なんて物を打ち破ることが、できる何かがあるはずだ。どこかに、何らかの形で、転がっているはずだ。
‥‥‥‥‥‥、ない、のか。
でも、まだ。まだ考えれば、何か。
「‥‥‥なあお前。誰のために、彼女自身が望まない形であの子を助けたいんだ」
いくらか時間が経って、そんな質問を飛ばしてきた。いつだったか、似たようなことがあった気がする。
「俺は、真紀奈に夢を追って、叶えて、その先もずっと、自分の思い通りに走り続けてほしいんだ。だから、自分のためだ」
これは、字面通りの綺麗な物じゃない。自分の望みは子供の物でもあると勘違いしている親のようなエゴばかりだ。俺は意識的に『もう助けないでほしい』という真紀奈を無視している。
「一周して戻ってきたのか?救いのない話だな。お前のそれは、」
「崖からダイブを繰り返す彼女をニコニコ笑顔で見守る狂信者じみた事と変わりがない、だろ。分かってるよ。
でもさ。こんな事になっちまう前の真紀奈は、それを大丈夫だって受け止めてくれていた。もうほとんど覚えてないけれど、それだけは確かだ」
いつかの、彼女の笑顔が、頭に割り込む。
何と言っていたかは思い出せないが、それは、今の俺に繋がっている物だ。
「だから、それだけは守り抜きたいんだ。もう歪めてしまったなら、どうにかして戻したい。俺がやった事はそれだけでは償えないけれど、せめて、あの子が元に戻る為の何かはしたい。罪悪感に酔っているだけかもしれないけれど、それでも、俺はアイツが夢を追う手助けをしたいんだ。ここだけは変わらない」
本当に、それだけだ。結局のところ、俺はこののっぺらぼうの言う通り、戻ってきたのだろう。
ソレは、しばらくの間暗闇を見上げていた。何かを待つように。はたまた、俺を見たくないという意思の現れかもしれない。
「‥‥‥身勝手だって分かっているか。幻想を彼女に見た結果の、虚像を守りたいというエゴの発露だと」
世界の真実からすれば、その虚像は儚いものだ。だからこそ、言うべき答えは決まっていた。
「そんなもんだ。確かに、俺が守りたいのは、俺が見た真紀奈の虚像だ。
お前の思う通り、自己満足だ。‥‥‥でもさ、アレが作りあげた『それだけしかない』世界を否定するには、その薄っぺらい虚構にも、少しでも意味はあったって肯定しなくちゃならないと思う」
「‥‥‥」
「それに、真紀奈もこんな俺に幻想を見ていてくれていたんだ。なら、それを無駄にしない為には。‥‥‥そうやって思うべきだろ」
そう。これは『思う』事だ。スタンスの問題で、現状は何も変わらない。世界は結局彼女を押し潰す。相変わらず冷静な部分は無駄な抵抗だと殴ってくる。
だけど、無駄を無駄と諦めるのは、『それしかない』あの野郎の世界に屈服することを意味している。虚構を無価値だと貶めるのは、彼女の存在を否定する事と同じだ。『真実』を知ってしまった俺は、それだけはしちゃいけない。
しばらくして、「バカか」という罵倒とともに、大きなため息があった。
「答えたのにそれかよ」
「ただの意地じゃねえか。こういうのって普通、悟った人間みたいな高尚な答えを出す物じゃねえの」
思わず笑ってしまった。俺にそんな答えは編み出せない。
「別に、俺が納得するかどうかだからな」
「救いようがないが、折れそうにないのは分かった。‥‥‥で?お前はどうやってそれを守り抜きたいんだ。五感潰すか?」
「誰が苦行じみたことをやるか。というか、それを考えている途中でお前が訊いてきたんだろうが」
本当に一ミリも現状は動いていなくて、頭を抱える。恥ずかしくなってきた。啖呵切っておいて結局これだ、締まりがない。
「お前には『力』があるだろ」
「あ」
指摘されて、頭を掻く手を止めた。
‥‥‥そういえばそうだった。
確かに、この世界がフィクションであると認識した時、俺は『なんでもできる』ようになったらしい。明晰夢みたいな物だ。しかしアレに与えられた物だ。本当に、使って良いのだろうか。
「その力はお前のもんだろうが。それを使え」
「でも、それもアレの掌の上じゃないのか?」
「いや。アイツとお前の力は根元の部分が違う。そこがあの『作者』への突破口になる」
どういう事だと停止する俺に、彼は言う。
「それは───、」
白いシルエットは嗤った。「気付かなかったのか」とでも言いたいのか。というか言ってやがる。のっぺらぼうの癖して表情豊かな野郎だ。
「そんな、単純な、」
「アレの盲点はそこだ。だからあんな虚しい奴になったんじゃねえの?まあ、どうでも良い話だな」
「‥‥‥めちゃくちゃすぎる」
「あっちだってお前達の平穏をめちゃくちゃにしてやがるんだろうが。だったら秩序をぶっ壊した所で問題はない」
まるで子供の理屈だ。
「バカ言え。今さらお行儀良くなってどうする」
「だけどさ、それがアレにとっての弱点だとしても、想定された物だったら意味はない」
「安心しろ」と、ソレは首を振る。
何が安心できるというのか。
「それはない。あの『作者』が意図的に脆弱性を設定したとしても、『これ』を利用すればお前が何をしているかは絶対に決められない。これは、俺達にある特権だ。心情や言動が確定されるキャラクターが、唯一あやふやにされる所だ」
「‥‥‥本当に、信じていいのか」
こんな時になって、臆病が顔を出す。心というあやふやな物に頼って確実性を捨てたのに、往生際が悪い。
「面倒な奴だな!俺だってアレには心底ムカついてるんだから嘘はつかねえよ」
それさえも、この状況さえも『作者』の手のひらの上にある可能性は捨て切れない。むしろ、その確率が高い。蜘蛛の糸がアレの指先に繋がっていた、というのはあり得る。
だが、
「‥‥‥それを考えても仕方ない、よな。これは、俺が選んだ物なんだ。お前だってアイツを助けたいんだしな。
よし!分かった。作戦を教えろ」
「───、」
真紀奈を救う方法を聞いて、承諾した。言葉にしてはいけないそれは、言葉ではなく、■■という形で伝えられた。
やるべき事からして、おそらく。‥‥‥この選択は、きっと後で悔やむ物だ。彼女を殺してしまうことに変わりはないのだから。
でも。
「‥‥‥アイツがどこかで元気にやってれば、それで良い。きっと、大丈夫なんだ」
不確定をわざと口に出す。それが、ささやかな抵抗の一つになる気がしたから。
「粋だな」
「俺にできるのは粋がることくらいだしな」
「皮肉すら通じないバカになったか」
ほっとけ。
「世話になったな」
「二度と来るなよ、お前の相手は骨が折れる」
その言葉と共に、俺は浮遊していく。
白いシルエットから遠ざかって、ソレは点になる。
そして。
「勝てよ」
「勝ちも負けも、全部壊してやる」
暗闇が、白に染まっていった。
ラストまでもう少し。
ご感想などありましたら、ありがたいです。




