10話_運命には克てない
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何の変哲もない空間に、二つの影。
一つは椅子の上に留まり、もう一つは片方を見上げている。
「───話を聞かせてもらえるかね、叶助君?」
「お父さんの、話?」
なぜそんなことを聞くのだろうと、叶助は首を傾げた。見ず知らずで、しかも今し方自分を殴った人間。それが椅子に座る男なのだから仕方ない。
要領を得ない表情の叶助。ふと、その顔が青白く染まる。
「‥‥‥っ!!」
叶助は胸元を押さえようとするが、後ろ手で縛られている為にうつ伏せに倒れ込む。
「はやく」
「‥‥‥あ、」
「したまえ」
「ああ!?」
男の左手には、布製の人形。彼は、いつの間にか右手に持っていたミシン針のように鋭利な何かを深く突き刺していた。
「人は痛みで絶命できる。外界との接触を過剰にしても毒となるのだから難儀な物だ」
やはり芝居がかった口調で言葉を紡ぎながら、裁縫のような軽やかさでぷすりぷすりと針を人形に刺しては抜く男。その度に、少年には神経に直接痛みが送られ、呻き声をあげてはのたうちまわる。
「だから、許容値を超える前に喋ってくれないか?私だって‥‥‥いいや。『悪者』らしくないな、この言動は」
「、っ、あ」
口から涎を垂らし、目の焦点が合わなくなる叶助。しかし意識は失われていない。
「死にたくないだろう?」
「、っ」
その言葉に、身を刺す痛みよりも恐ろしい怖気が走った。年端も行かぬ少年にあまりに残酷な「死」という言葉は、彼を反射的に頷かせるには十分だった。
叶助が落ち着きを取り戻すと、男は満足げに叶助の頭を撫でる。
「賢い、賢いな。その本能は素晴らしい。
賢いのだから、話してくれたまえ」
男は、大げさに人形に針を近づける。先ほどの痛みが蘇ってくるようで、思わず声を出す。
「おとう、さん、っ、あ゛っ!‥‥‥‥‥。お父さんは、やさしい人だ。お父さんが担任の友だちは、『私たちのことを考えて、おしえてくれるし、いっしょに遊んでくれる』って言ってた。他の友だちも、『カブラキ先生のクラスが良かった』って言ってた」
「ほう。で、君はどう思う?私が聞きたいのは君の意見だ」
叶助は、少し考えて、首を振る。
「わかんない」
「分からない?君は家族だろう。何をどうやったらそれに辿り着くのかね」
「お父さんは自分のことを話さないんだもん。人にやさしくしても、自分がやさしくされるのをいやがってるみたいだから。
‥‥‥今日、昔の話をきかせてくれるって言ってくれたのに、こんなところにゆうかいされちゃったし」
「彼は保身に走ったか。それはそれとして、随分元気がいいな?」
人形の首元をぎゅっと握ると、叶助は息苦しさに顔を歪ませる。
「君が言ったように、私は誘拐犯だ。逆らえば、『こう』なることくらい判るだろう?」
「‥‥‥!‥‥‥、!!」
抵抗できず、声も出せず、少年はただ苦悶の表情を浮かべる。苦しみのあまり目尻からは涙がこぼれ落ちるのを見て、男は「分かったかね?」と人形を手離す。
「はー、っ、ふ、っ」
「君は私に服従し、私は君に猶予を与える」
必死に空気を求めて、うつ伏せのまま鯉のように口を開け閉めする叶助をよそに、男は語る。
「私達の関係はこういうモノであり、善意は無い。だから君は賢く選択するべきだ。返事は?」
「‥‥‥は、い」
「よしよし、良い子だな。彼と違って素直だ。本当に彼の息子か?いや、これは意味がない問答だな」
「‥‥‥」
「まあいい。早速だが、選択だ。
私は彼が君に心を開かない理由を知っている。聞きたいかね?」
「‥‥はい」
「従順は演技だろうとも善だ。なので簡潔に教えてあげよう」
子どもは、唾を飲み込む。幼いながらも、何か罪悪感を覚えていた。
(ぼくは、本当に知っていいの?お父さんは、ぼくに言おうとしたんじゃないか?)
そんな彼の心を知った上で、男は口にする。
信じられない、事実を。
「彼が人殺しだからだ」
「‥‥‥え?」
芝居がかった口調ではなく、空気が冷め切ってしまうほどに無機質な声。そこに嘘の色は見られない。ニュースを読み上げる不快な電子音声のように、彼はそれを繰り返した。
「うそだ」
「ああ、一面以外からは全て虚構だ。しかし彼は事実だと認識している。『大切な人もその家族も、世界全てを殺した大罪人』だとね。主観が法であるこの世界において、罪を決めるのは鏑木一心以外には存在しない」
「お父さんはそんな悪い人じゃない。人を‥‥‥、殺したなら、つかまるんだから」
「なぜ言い切れる?彼自身のことを知らないのに、『何もぼくに話してくれない』のに、信用はできると?ファンタジーでなくとも、犯罪を隠して生きる人間はごまんと居るのにもかかわらず?」
「‥‥‥っ」
ハードカバーの本を開いた男は、痛い所を疲れて黙り込んだ彼を嗤って、悪魔のように問う。
「だから、臆病で卑怯な彼の代わりに私が彼の罪を話してあげるとしようか。寝物語のごとく、だ」
「‥‥‥聞きたくない」
「知りたいだろう?」
「‥‥‥こわい。
もしかしたら、お父さんのことがもっと分からなくなるかもしれない」
俯く叶助の脳裏に浮かぶのは、自分を肩車で乗せて夕暮れの河原を歩く笑顔の父親。
父親は、いつも笑顔だ。仕事で疲れていたとしても、「大丈夫。」と母や自分に笑顔。怒ることなど無く、いつも笑いかけている。
笑顔。笑顔。笑顔。笑顔。笑顔。
笑顔が消える時は、いつも誰かを守ろうとする時だった。例えば、犬に襲われた時。例えば、木から落ちて怪我をした自分を負ぶって帰ってくれたあの日。
笑顔の父は優しいと、誰にも怒らずに、人の為に頑張っている父はカッコいいと、思っていた。
だけれど、その笑みが、無表情の仮面に見えるようになっていた。本を多く読むようになったのも、『笑顔』の父の顔が怖いからだった。
叶助は、父が嫌いな訳ではない。
鏑木一心という人間が人間に見えないことに、心から恐怖しているだけだ。
「‥‥‥ハッ」
それを見透かした男は、自らが産んだ男を嗤い、そして一方的に語りだす。
彼自身の、事実を。
○過去
「見ているんだろ、早く戻せ!俺は真紀奈を見ていないっ、アイツの死なんて認めちゃいない!!」
この温度が消えてしまう前に。斜め下から聞こえる水音に振り向いてしまう前に。
でないと。
でないと俺は。
「だが、」
「『だが』でも『しかし』でもねえよ、足掻くのが見たいんだろう!?だったら躊躇ってないで早くしろ!!」
自分の存在が浮き足立つ。
頭には激痛が走って、血を吐いた。
そして。
暗幕の底へと、意識は揺り落とされる。
○現在
「結論から言おう。鏑木一心には、葦元真紀奈を救う事ができなかった。いや。元々、無理な話だったのだよ」
「どうして、お父さんはマキナって人を助けられなかったの?」
「私は彼をそのように設計したからだ。叶助君、君は物語を読むかね?」
「読む、けど」
「物語の登場人物について、『どうしてここでこうやって行動しないのか』と思ったことは?」
「‥‥‥うーん。たまにある、かなあ」
「では、それが何故できないのか分かるかい?」
「それは‥‥‥、分からない」
「答えは単純。そういう設定で、『既に書かれた物』だからだ。例えば『悪を徹底的に打ちのめす正義の味方』という役割のキャラクターを主軸に置いてストーリーを作るのなら、『敵を叩きのめすヒーロー物』ということになる。それに沿って書かれた文章は、覆せない」
「どういうこと?」
「単純に、この物語の場合、鏑木一心は『葦元真紀奈を救えない』役割だった、という事だ。現に、君の母親は葦元真紀奈ではないだろう?」
「うん。お母さんの名前はちがう。‥‥‥それで、マキナさんって人はどうなったの?」
「自分が苦しめて殺した、と鏑木一心は認識している」
「‥‥‥なんで?お父さんは、人殺しができる人じゃないよ」
「彼は何度も死の運命を覆そうとしたが、それは彼女を苦しめるモノでしかなかったのだ。見方を変えれば安楽死、彼の真実としては見殺し。だから、彼は自らを人殺しだと認識している」




