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9話 果たされない約束を、幾度も交わした

感想やブックマークなど、よろしくお願いします。


4時間という睡眠時間とは裏腹に、異様に軽い身体を感じながら目覚める。これが『治療』の成果なのだろう。


 昼前になると、真紀奈から『出かけない?』と連絡が来たので、二つ返事で了解の意を示す。


 後悔した。


「昨日の今日で、いや、良い機会かもしれないけど‥‥‥」


 彼女がどう思っているかは彼女に聞くのが一番。その通りだが、気恥ずかしいし、自然な流れで質問できる類の物かと言われるとそういう訳でもない。


 とりあえず約束の時間なので着替えて支度して、出かけることにする。


「こんにちはー」


 ドアを開けると、明るいトーンの優しい声、ショートカットの黒髪、黒いセーター、白いロングスカートが目と耳を支配する。


 真紀奈がいた。


「あ、鏑木くん」


「待ち合わせここだっけ?」


「待てなくて来ちゃったー」と気の抜けた顔で彼女は笑う。‥‥‥それを綺麗だと思うのも、崇拝故なのだろうが。

 

「遅れたか?すまん」


「いいよ、5分くらいだし」


「そうか。今日はどうする?」


「とりあえず街回らない?することもないし」


 背中を刺す冷たい針を、静かに無意識のうちに追いやる。


「‥‥‥ああ、そうするか」


 大丈夫だ。あと、2日。

 2日で───。


「鏑木くん、行こ?」


「‥‥‥、ああ」


 あの文字列がフラッシュバックしそうになるのを、ドアの鍵をかけつつ抑える。


「よし、閉まった。行くか」


「うん!」


 足取りは軽い。問題はない。


 動けるなら、あとは目的を果たす装置になってしまえばいいのだろう。悩みなんて全部無視して、ただ手を握ることに注力していれば、助けられる。そちらの方が合理的だ。なのに、どこかで、それではダメだと思っている。



 平日の駅前は、赤、白、黒、その他と、色彩で溢れている。大通りには自動車が次々に流れていた。大勢からすれば何の変哲もない日常風景なのだろうが、直ぐに到来するあの日と被って仕方ない。


 ‥‥‥息を吐いて、左手を彼女に差し出す。


「真紀奈、手」


「え?」


「はぐれたら困る。離さないでくれよ」


「ええっ!?あー、うん。そうだね‥‥‥」


 目を逸らして、左手を包み込む彼女。


「嫌でも我慢してくれ」


「イヤじゃないよ!」


 真紀奈の温度を確かめて、前を向く。この混み具合も、あの日を思い出させるようで、手が震える。


「寒い?」


「いや、大丈夫だ。どこに行く?」


「光方映画館」


 となると、北の方まで少し歩いて、そこから西へ向かうことになる。ちょうどいいだろう。


「なんかやってたっけ?」


「なんかやってた気がする」


「覚えてないのかよ」


「行ったら思い出せるから大丈夫大丈夫」


 まあ、大丈夫なんだろう。‥‥‥これもそうなのか。クソッタレ。


「鏑木くん鏑木くん」


「なんだい真紀奈さん」


「エスコート、お願いね?」


 振り返ると、彼女は、ウインクの後、恭しくお辞儀をした。

 その所作があまりに綺麗で、目を逸らした。


「‥‥‥バカやってんじゃねえ。早く行くぞ」


 手を引いて歩く。


 見せ物ではないのに、周りの目線で何か損をしているようで、顔が熱くてたまらなかった。



 大きなショッピングモールの西にある、光方映画館に着く。


 真紀奈は貼り出されているポスターを見渡して、「これだー」と指差す。

 

「これかあ‥‥‥」


 マシンガンらしき何かを持ったスキンヘッドで髭面の男と、やたら露出度の高い服の金髪の女が大量の虚ろな人間に囲まれている。

『ゾンビ・パニック・バニッシュ』というタイトルからして、よくある感じのアレだろう。


 オマケに「その銀弾で撃ち抜くのは誰のハートか?」とかいうキャッチコピーが付いている。語感が悪い。


「これ見るのか?」


「うん。チケットも買ったよ。二人分」


「いつのまに‥‥‥」


「開演まであと10分だって。飲み物買う?」


「ああ。真紀奈は何飲む?」


「いいよ、自分で買うから」


「チケット買わせちまったし」


「別に気にしなくていいのにー。‥‥‥なら、烏龍茶で」


「分かった」


 女性店員に烏龍茶を二つ頼んで、代金を払う。カップを渡された時に何やら生暖かい笑みを向けられたが気のせいだろう。


 エレベーターに乗って、映画が上映されている5階まで上がった。ショッピングモール内の方に客を取られているのか人気はない。


「空いてるね」


「そうだな。ま、騒ぐ奴もいないだろうから万々歳だ」


 少し経つと、「次の上映作品をご覧の方、入場してください」とアナウンスがあり、スクリーンへ続く扉が開いた。


「面白いと良いね」


「ああ」


 本当に、あちらと違って愉快だったらいい。喜劇ならそれでいい。


 


「面白かったね。最後のところで少し泣いちゃった」


 目元を少し赤く腫らして笑っている真紀奈に「ああ」と返す。やっぱり、俺に何かを見通す目は備わっていないらしい。


 さっき見た『ゾンビ・パニック・バニッシュ 』という映画は、予想通りめちゃくちゃだった。前後で辻褄が合わない所はしょっちゅうある、途中で「ジョン(髭面のハゲ)がメサイア(金髪露出狂女)を銀弾で撃ち殺せば全てが解決する」というよく分からない設定が脈絡なく生える、「世界中にゾンビ化現象が起きた」という世界観だったのに終盤で普通に人が暮らしている大都市が出てくる、など挙げればキリがなかった。

 

 しかし、面白かったのだ。何がと言われたら言語化はできないが、面白かった。最後にジョンとメサイアが笑顔で互いの心臓を打ち抜いて死ぬシーンで何故か泣きそうになってしまったのは、事実だ。


「また来ようね」


「‥‥‥そうだな。二人で行こう」と返すと、「当たり前じゃない」と彼女は笑う。そこに嘘はないと信じたい。



 映画館を出ると、空は夕に染まっていた。飛ぶ黒い影を目で追っていると、真紀奈は「ねぇ」と俺の袖を掴む。


「なんだ?」


「帰りは繋いでくれないの?」


 きょとんとした顔で、白い右手を差し出す彼女。それに胸が高鳴るのも、「自分が必要とされていることに嬉しくなっているだけ」なのだろうか。


「‥‥‥繋ぐよ」


「嫌なの?」


「むしろ嬉しいくらいだ」 本当に。


「そ。ならよかった」


 その右手を握ると、真紀奈は微笑んだ。

 その横顔は、あたたかくて、映画のワンシーンにも劣らない情感があった。


 彼女に歩幅を合わせて、雑踏を掻き分け進む。人とぶつかり、黒だらけの波に流されそうになる。途中で何度も斜め後ろを振り返って、彼女を確かめた。横目だと不安でしかたなくて、真紀奈には「いなくならないから大丈夫だよ」と苦笑されて、苦く笑う。


 前を向き直すと、軽い衝撃。背の高い中年がしかめ面で見下していた。すみませんと頭を下げると、タバコ臭いため息まじりに「分かってんだったらいいけどよぉ」と彼は笑った。


 


「ね。大丈夫だったねー」


「なにが?」


「手、離さずに済んだじゃない?」


 結局、手を離すことはなかった。これならば、いや、何の確証もないが、未来に進めるのかもしれない。あの男が言っていたように、世界に制止されるのかもしれないが、今はそんな事を考えていてもどうしようもない。


 ‥‥‥そういえば、あの男は何処へ行ったのだろうか。「足掻く様を見たい」と言ってたのなら、今回の光景はさぞお気に召しただろうに。


「アレのことだし見てんだろうな‥‥‥」


 何でもありの奴がすることだ。直接見ていなくても、あの分厚い本に記録を取ってあるのだろう。自動筆記されていたりするのかもしれない。


「どうしたの?」


「いいや。ただのひとりごと」


「そうなの」


 そうだよ。


 本当に、独り言だ。アレ以外の誰にも理解されない、意味をなさない音声だ。そこに込められた想いなんて、大した物ではない。


 込められた、想い。


「‥‥‥なあ真紀奈」


「なに?」


 手を握る真紀奈は、民家の灯りに照らされている。対して俺は、彼女の影を踏みしめて立っていた。それは、虚像が指摘した俺そのもののようで、思わず笑ってしまう。


「笑ってどうしたの。大丈夫?」


「ただ、綺麗だと思って」


 急にこんなことを言われても戸惑うだけだろうに、口に出てしまっていた。当然、真紀奈は次々に表情を変えては顔を赤くしている。


「お前こそ大丈夫かよ」


「大丈夫じゃないよ!鏑木くんにそんなこと言われるなんて思ってなかったし‥‥‥。

 それで、聞きたいことあるんだよね?」


 頬を赤らめたまま、彼女は言う。穏やかで、しかし、どことなく問題を解いているときのような表情だった。


 さて、もう引けない。経験則からして、こうなった彼女は解るまで止めることはない。


「‥‥‥怒るなよ」


「内容によるけど」


「‥‥‥気持ち悪がって嫌いになろうが責任は負わないからな」


「嫌わないよ」


 自殺する前に遺書を書く人間の気持ちが分かったような気がする。やっている事はその逆だったが。


 口を開いて、声を発したら引き返せはしない。言おうとしている今だって怖くて手汗がじっとりと出ているのに、その後はどうなってしまうのか予想もできない。手から身体中の水分が抜けて乾いたスポンジになりそうだ。


 それでも、口に出さなくてはならない。


「真紀奈は、俺が手伝ってきて、迷惑じゃなかったか」


「どういうこと?」


 何を聞いているのやら、という顔。


 そうだよな。


 むしろこれを聞く方が迷惑だ。でも、言ってしまうしかなかった。‥‥‥そこにはきっと「真紀奈なら受け止めてくれる」という盲信しかない。その根底にあるのは崇拝だ。畜生。


「俺はお前の役に立とうと思って、やってきた。‥‥‥でも、それが。お前を傷つけることに、なっていなかったか?俺一人の自己満足で、お前が出すSOSに気付けなかったり、したんじゃないのか」


 ああ、言ってしまった。バカな事を、でもいつかは聞かなくてはならないことを。


 言葉にしてしまって、楽になっているのが嫌でたまらない。真紀奈は人間だ。懺悔を受け入れてくれる『特別な存在』じゃない。


 思考が泥沼に捕われて、沈み込んで、いくらかの間があった。


 自動車が風を寄越して、ショートカットの髪が揺れる。そして、柔らかい光に包まれる彼女は、微笑んだ。


「傷ついたに決まってるじゃない」


「‥‥‥っ」


 また、車が通る。いっそ轢かれてしまえば楽だった。いや、それも最悪か。こんな奴の臓物なんて見たくはないだろう。


「分かりやすいけど口は悪いし、鈍感だしね。教えてもらっている立場だったから我慢してたけど、最初の方は『バカにするなー!』って気持ちを燃料にして喰らい付いてた。事あるごとに諦めろ、なんて言われるもんだから尚更ね」


 滑稽。なんて一人芝居。ピエロにもなれないほどに愚か。


 俺がやっていたのは結局、脳味噌お花畑の地獄絵図というわけだ。


「そう、か」


「私だって人間だからね」


 しかし彼女は、こう続けた。


「‥‥‥でも、それだけ。それだけだよ」


「それだけ、って」


「わたしは、鏑木くんに会って良かったと思ってる。夢を追わせてくれて、本当に感謝してるんだ。傷ついたのはありがとうなんて思わないけど。暴言言われたら普通に嫌だよ。嫌で、傷ついた。‥‥‥だけどそれ以上に、ううん。────、──」


 マフラーを改造したであろうバイクが轟音をまき散らし猛スピードで過ぎ去った。


「だから、迷惑なんて、手伝ってほしくないなんて、自己満足だなんて、思った事はなかった。

 これから先も、思わないよ」


「ああ、。」


 クソッタレ。


 ここまで言わせて、恥ずかしくないのか。

 

 彼女の表情を、声を、瞳を、言葉を、ここまで確かにしなければ信じきる事すらできない。‥‥‥こんな奴の根底に、崇拝や盲信があってたまるものか。鏑木一心は、ここまで打ち明けてくれる葦元真紀奈を、ずっと疑いの目で見ていた。それは、きっと何よりも嘲笑されるべき代物だ。


 だから、思わず口をついて出ていた。


「ごめん。真紀奈、今まで本当に悪かった。

 傷付けていたことも、お前を信じていなかったのも、全部、謝る。だから、だから‥‥‥」


「‥‥‥、」


 だから、何だ。


 それを乞う資格はない。


 ここまで傷付けて続けて、あそこまで真紀奈に言わせておきながら、今更保身に走るのか。鏑木一心は、腑抜けの能無しか。


 そうだ。だから、言ってしまう。


「‥‥‥許して貰えるまで、側で助け続けさせてくれ。お前の為になりたいのは、本当なんだ」


「許しなんてしない。鏑木くんの気持ちが本当だなんて、遭った時から知ってる。だから、そんな物で縛らなくたって、わたしを一生助けてよ」


 情けない俺に微笑む彼女は、なんでもない少女の顔をしていたのに、綺麗だった。今までとは違って、彼女を見ているようだった。


「‥‥‥やっぱり、本当に強いよ」


「鏑木くんこそ、やっぱり優しいんだね」


「んな訳ねえだろ。怖いだけだ。でも」


 でも、お前がそう思ってくれているのなら、それが良い。それは自分を下に置いているからでも、偶像が消え失せてしまうのが怖いからでもなく、ただ単に『そうでありたいと思える』姿だから。


 まあ、そんなのは彼女に話せるような物ではない。胸の内にしまって置くのが丁度いいのだろう。


「でも、何?」


「なんでもねえよ」


 目を逸らすと、彼女は悪戯げに笑って「このー」と俺の腕に抱き付く。


ーーーーーーーーーー現在ーーーーーーーーーーー


「‥‥‥そうして歩き出した。『これから』など、彼女にはないというのに。彼と私が消し去ったのだが」


 フードの男は仰々しく一旦本を閉じ、カーテンを少し開け、ため息をついてまた閉める。彼の一挙手一投足、その全ては過剰なほどに芝居がかっていて、対峙する者によっては不快感をもたらすだろう。


 男は、目を覚ました少年───叶助に、問うた。

 

 これもまた、非常に演技じみている。


「さて、鏑木一心はあと少しで来るはずだ。それまで暇潰しとして話を聞かせてもらえるかね、叶助君?」


 鏑木叶助は、静かに、男を見据えていた。

相思相愛、されど■ではない。

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