頂上来駕
黒龍の背に乗って、魔族の姫と皇子を迎えたダルモアが宴を開き、旅立ちを見送った数日後。
ダンジョンコアが作り出す最奥の部屋、コアが設置されたコアルームで精神的肉体的その多もろもろの疲労を回復するために休息をとっていたダルモアの元に、あわただしくもゴブリンがやってきた。
ゴブリンが必死に何かをわめきたてている。もともとゴブリンはまっとうな疎通のできる存在ではない。人族、魔族、どちらからも害獣として扱われる事の方が多い。
だがダルモアはダンジョンの管理のため、コアによる能力を使って周囲のゴブリンを従属させている。
それにより、かろうじて言葉になっている単語と、手振り身振りで意思疎通が可能となっているのだが……。
「……また、だと!?」
ゴブリンが伝えるそれは、貴人の来訪。ついつい最近、最高位に近しい方々を迎えたばかりだというのに、何事か?
「いや、何事も何も……」
アリス姫とヒビキ皇子の関係に違いない。となると、お二人の旅の補佐や何かで側近の方でもやってきたのかと予想する。
「ううむ、とりあえずお迎えせねば!」
人生で最速記録を塗り替えるごとく、ダルモアは地上へと重い体を必死になって走らせる。
ダルモアが地上に出て夜空を見上げれば、満月を背にして翼を持った馬にまたがる一人の男が舞い降りてきていた。
夜色の髪、闇色の瞳。
側近などととんでもない。
「……お、皇子……様、でいらっしゃる! 皆の者、地に伏し拝せよ!」
黒龍を迎えた時のように、ゴブリン達が背を丸めて地に縮こまる。
ダルモアも片膝をつき、舞い降りる天馬を迎えた。
魔の皇子は四人。ヒビキをのぞいて残るは、長男、次男、四男。
もちろんあった事などないダルモアは、訪れた皇子が誰なのかはわからない。
ただ、後継者たる長男が人間界にやってくるなどなかろうと、おそらくは理知的で温厚と伝え聞く次男ではないかとあたりをつける。
「人間界は涼しいな」
天馬を地につけ、短めの黒髪をかきあげた麗人がダルモアを見る。
「貴様がダルモアか」
「はっ!」
挨拶もない誰何。
上たる者、下たる者、その明確な堺がある事をダルモアは再認識する。アリスやヒビキが特例で、これが本来の関係だし、ダルモアとしてはこちらの方がやりやすい。
「妹が世話になったらしいな」
「恐れ多くもご来駕いただき、一同、光栄の極みにございました!」
「おう」
こちらを見る事すらせず、名乗らずの皇子は周囲を見る。
「手伝え」
「はっ」
何をとは聞けない。言われたことだけをする。
「このコアを貴様のダンジョンの横に設置しろ」
「はっ」
差し出されたコアを丁重に受け取り、ダルモアは確認する。
「こ、これ……は……」
「ほう、知っているか? 塔型ダンジョン、名を『煉獄塔』。骨董品だが今回のお遊戯には使えん事もないだろうよ。貴様にはこの塔の門番を命ずる。これが門番の証だ、受け取れ」
続いて投げ渡されたのは魔力が恐ろしいほどに込められた黒い指輪だった。
「は、ははぁ!」
「皆まで説明する必要があるか?」
やや厳しめ、というより面倒そうな口調にダルモアが頭を働かせる。
ヒビキにあらかじめ聞いていた内容から、かろうじてこうだろうという推測が立った。
「姫様のご活躍の一助となれるのであれば我が身にありあまる光栄かと」
「オーガは頭の回転が速いな? 誤解していたようだ」
「恐縮でございます」
ダルモアとしてもうぬぼれるわけではないが、どちらかというとオーガ種の中では図抜けて頭が回る方だと自覚はしている。といっても、何でもかんでも力任せというオーガ種の範疇では、というものだが。
「いずれアリスは塔を攻略すべく人間の従僕ども……いや、仲間か。人間の仲間とやってくる。貴様の役目は門番だ。苦戦を演じて後、通せ」
「は!」
「何か聞きたいことはあるか?」
「……誠に畏れながら、御一つ」
「あるのか?」
まさかオーガが本当に質問をしてくるとは思わず、面倒そうに顔を向けた。
ダルモアとしても本来質問などしてはいけない、ただの社交辞令とほかっていても聞かざるを得ない事がある。
「恐れ多くも麗しき姫様から直にお言葉を頂きました私が、人間と言えど姫様のお仲間に拳を向けるという事は……お優しい姫様が悲しまれるのでは、と」
「ああ、そういう事か。貴様、アリスの事を第一に考えるとは見どころがあるな。確かにアリスは慈愛に溢れているゆえ、顔見知りが争う事を厭うかもしれん」
ただ質問しては王子の機嫌を損ねるだけと判断したダルモアは、継いで継いでにアリスを褒めやかす言葉を入れていく。
「……だがそれも最終決戦ともなれば盛り上がりの一環となるだろうよ。よし、貴様は一人だけそこで潰せ。アリスと他の仲間は通してやれ」
「一人ですか」
「ヒビキを潰せ。アリスと同行していただろう?」
まさかの指定はヒビキの名だった。ダルモアが温厚で思慮深いかの貴人の顔を浮かべる。
しかしこれは命令だ。ダルモアに否はない。だが発声は遅れた。
「……はっ!」
「躊躇したな? 皇子の名を敵とみて震えたか?」
それをとがめる目の前の皇子にヒビキのような柔らかさはない。
いかなる処罰が下るかと思いきや、苛烈な雰囲気を持つ皇子は笑った。
「ヒビキの名を聞いてなお拳を向けよと言われ、たったあれだけの間で覚悟を決めたのは悪くないぞ、ダルモア。業腹だが易々と勝てる相手でもない。ヤツはずる賢いからな。負けても褒美はとらす。だがせいぜい痛めつけるくらいの期待はしておくぞ!」
「は!」
今度は反射的に返事してから、言葉の内容をかみ砕く。
負けても褒美を取らすとまで言われ、格段に気は楽になった。ヒビキ相手に本気の拳の向けるのもためらうが、勝つと言うの到底無理だとわかっていたからだ。
「なんにせよ、アリスの物語にふさわしい舞台を作らねばな。あと、そこらに群がるゴブリンはお前が使役しているのか?」
「は!」
「ちょうどいい。あそこの木に隠れている人間をからかってやれ。とらえて我が前に引きずり出せ。殺すなよ」
「は?」
皇子がやや離れた場所の大木を指す。
すぐさま木が揺れ動き、一つの人影が脱兎のごとき逃げ出した。
「とらえろ! 生かして連れてこい!」
ダルモアが皇子の命令通りの指示をゴブリンに出し、やや時間をおいてゴブリンたちは縛り上げた一人の男を連れて戻ってくる。
白髪混じりの商人だったが、その眼光は鋭いものだった。
「ジジイのくせに生意気な目をしているな?」
「皇子。この者、近くの人間の兵士です」
「ほう? 知った顔か」
「偵察の為か、私のダンジョンの周囲をまれに徘徊しております」
「ふん。間が悪かっただけか。運がないな人間」
興味を失ったようにして手をふりあげた皇子だが、白髪交じりの兵士――砦の偵察隊長は目を閉じる事なく最後まで皇子をにらみつけていた。
「ほう。気概がいいな。弱いが戦士の目だ。気に入った」
皇子はふりおろしていた手をおろす。
「ダルモア。このジジイは人質だ。ここを知っているというとこは、ジジイが帰らねば他の者が様子を見に来るよな?」
「は! おっしゃる通りかと!」
「ではそれまでに体裁を整えておけ! 『煉獄塔』を立て、邪魔な木々を切り払って景観を整えろ! 働けゴブリンども、貴様らはアリスを迎えるための下僕としての名誉を授ける!」
その号令のもとゴブリンたちが動き出す。ダルモアが細かい指示を出しつつ、コアを設置する位置などを調整していく。
皇子はその様を眺めつつ、ダルモアに命じた。
「貴様の部屋は下か?」
「は、三十階下にございますれば。狭き場所ですがお使いください」
「……そこまで潜る気にはなれんな」
皇子が眉をひそめるが、ダルモアとしてはどうしようもない。
「良い。ではここを我が床とする。敷く毛皮はあるか? 火を起こせ、酒をもて!」
その場にどっかと座り込んだ。
「お、皇子?」
「なんだ?」
また面倒そうに顔を向けられるが、ダルモアはおそるおそる質問をする。
「こらちで……そのお休みになられる、と?」
「いかんのか? もしやオレが邪魔になるとでも?」
「玉体にそのような! しかしここでは雨風すら……」
「『煉獄塔』の設置と展開は二十四時間。それまでの話だろう。それにオレは公務中、常に野宿だ。白くて柔らかい寝床などにこだわらん」
「は!」
返事を返しつつダルモアはあふれる脂汗を拭う事すらできなかった。
目前の皇子は長男だ。
公務で旅をする皇子などたった一人。
魔界にあらわれる災害ともいえるような魔物を討伐してまわる護国の皇子、その人しかいない。
身一つで国を巡り、魔族最強の……拳士だった。
「全て御意のままに」
「おう」
ダルモアがかつてしとめた巨獣の毛皮をもってこさせ、人間と取引して得た酒などを準備する。
皇子はそれを眺めながら、手際もいいな、と褒めていた。ダルモアにとっては二度目の事であり、手慣れた部分もあったが、訪れた貴人の順番が逆であったら、さぞ不興を買うような不始末を起こしていただろう。
分厚い毛皮の上に腰をおろし、焚き火に照らされながら手酌で酒をつぐ皇子は、目の前でころがる偵察隊長を見る。
「縄を切れ」
「は!」
ダルモアが偵察隊長を束縛していた縄を絶つ。
「逃げられん事は理解しているな?」
無言でうなずく偵察隊長。
「貴様は生かして返す。様子を見に来るであろう兵士とともにな」
「……本当か?」
「無礼者!」
ダルモアが偵察隊長を打ち据えようとして止まる。自分の筋力で人間を殴れば、生かすと言った皇子の言葉を反故にしてしまう。
「かまわん。ジジイ、好きに話せ。オレは今機嫌がいい。だが貴様は兵士。兵士とは民と国と王に尽くす者。吐く言葉が貴様の護るものの程度を示すとわきまえよ」
「……失礼いたしました」
「おう」
ダルモアは恐れる。
皇子であれば力の一端をにおわすだけで人間の兵士など、恐怖で縛る事も容易。それをせず礼儀というものだけで偵察隊長を従順にさせた。目に宿っていた敵意もやや潜め、見定めるような視線に代わっている。
「貴様が生還してなすべき事は一つ。貴様の王に『煉獄塔』の存在を伝え、そこで待ち受ける魔人の脅威を示す事のみだ。ここで見聞きしたあらゆる事を伝える事を許す」
「……は。それであれば私の任務でもあります」
「よし。互いに利のある関係となれたわけだな。飲め。約定の杯だ」
皇子が別の杯に酒を注ぎ、突きつける。
ひざまずいて応答していた偵察隊長が、ひざをするようにして寄り、杯を丁重に両手で受け取る。
そして互いに杯を飲み干した。
「……くぁ!」
あまりの酒精の強さに偵察隊長が呼気を振る。
「ふ、人間には強い酒だったか」
今、皇子が飲んでいた酒は自前で持ってきていたお気に入りのもので、比喩でもなく火がつく酒だ。
だがそれだけではない。
「こ、これ……は」
ゴブリンにうちすえられ、ひきずられてできた無数の傷がまたたく間に治癒していく。
「治癒の酒だ。人間は水薬で作るようだが、そんな味気ないものより、酒に治癒術を仕込んだ方が美味いだろう?」
「は、はは。おっしゃる通りですな」
その反応を見て、皇子がふむ、と考え込む。
「貴様は使えそうだ。役目を増やす」
「……は」
偵察隊長が身構えるが、皇子はかまわず告げた。
「貴様の迎えが来るまでオレの話し相手になれ。あとは我が塔を人間から見て見栄え良く整えよ」
「話し相手はともかく……見栄えとおっしゃる?」
「先ほどは何でも話して良いといったが、これから言う事は他言無用だ。できるか?」
「は、はい」
できないとは言えないし、情報がより得られるならばそう返答するしかない。
「オレはそう長居はせん。貴様の国に攻め込む事もなければ、周囲を荒らすつもりはない。そう見えるようにする必要があるだけだ。だがそれが露見すればお前たちに緊張感がなくなるからな」
「な、なんと。誠にですか」
「オレはウソはつかん」
イヤそうな顔になり、あわてて偵察隊長が頭を下げる。
「失礼いたしました!」
「ともかく詳しい話は面倒だ。貴様はそこのオーガと協力して……なんだったか? 人間の間で流行っている物語のような? そういう具合に塔の内装を整えよ。ダルモア。塔の内装は充填してあるマナを使って改装しろ」
「は、はっ!」
突然名を呼ばれたダルモアも反射的に返答する。
「では貴様ら。ここからは親睦の宴だ。ジジイ、楽にせよ! ダルモアも座れ! ここからは人間の作った酒を楽しむとするか。ダルモア、ありったけを用意せよ! ジジイ、貴様もこれならば飲めるだろう! 乾杯だ、杯を持て!」
皇子の言葉に逆らえるはずもなく、二人は座りなおして皇子に問う。
「して、何に乾杯を?」
ダルモアが問いかけ、皇子が即答する。
「愚問が過ぎるぞダルモア! 我が妹、アリエステルの良き旅路にだ、乾杯!」
ダルモアは納得し、偵察隊長は知らぬ名だが女性の為のカンパイならば良いかと、杯を重ねた。
たとえその本名と愛称を知っていたとしても、先日であった騒がしくも屈託のない少女とは思いもしなかっただろうが。
そして偵察隊長が帰らぬ人となり……。
***
数日が経って、砦にあらわれた一人の男がそれを知る。
「あの隊長さんが帰ってきてないんですか?」
それなりに経験を積んだ冒険者といった外見の男が塔に詰める兵士に助けをもとめられた。
兵士たちは数日前、隊長とともにダルモアのダンジョンの巡回偵察に同行した者たちだったが、飛来する翼をはやした馬を見るなり、隊長に砦に戻るよう厳命された。
黒龍という国をゆるがす脅威が去ったばかりであり、もし自分が帰らねば国に報告するように言われていたのだが。
どれほど待てばいいかも判断がつかず、そんなうちに日数だけが過ぎていき。
もはや隊長は戻らないと判断した時に、彼は現れた。
「困ったな……あの隊長さんならスライムの居所のアテがつくかと頼ってきたのに」
「勇者様! なにとぞ、なにとぞ我らの隊長を!」
「……オーガですよね、『巨拳のダルモア』の住処」
「はい!」
正直、アザァであれば勝てない相手ではない。ただし装備があればだ。今はあくまでスライム、ついでに道々で盗賊を狩るために、襲われやすい外見をしている。
かと言って、今からまた数日かけて城の宝物庫まで戻ってというほど時間に余裕もなさそうだ。今の軽装でも隙をついて隊長を連れ戻す事くらいはできるだろう。その隊長生きていればの話だが。
「わかりました。まずは様子だけも見てきます」
そしてアザァは場所を聞き、新しい馬を借りてダルモアがいるとされる場所へと向かった。
「……なに、あれ?」
洞窟型のダンジョンがあるはずの場所……そこには巨大な塔が立っていたのだった。




