儚く散った憧憬
深手を負ったビキであったが、常に浮かべている年相応の柔らかい笑みを崩すことはなく巨大な蒼い魔魚と対峙を続けていた。
魔蒼魚もまた目を失い、しかし残りの三つの瞳を蒼く魔力で満たして、勝負をかけようと隙をうかがっているようだった。
船の上で戦いを見守るしかできないジャックは、ヒビキに対して戦士としての差を見せつけられ、魔蒼魚に対しては生き物としての違いを見せつけられ、己の無力感にさいなまれる。
「オレ達はただ見ているしかできないか」
「相棒。それは違う。世界が違う、生き方が違う、皆がそうだ。だが、俺たちにできる事もある。腐ってその機を逃せば、騎士失格だぞ」
ダニエルは二人の戦いの動きを見逃すまいと凝視をしつつも、ジッャクの弱気な言葉をかき消す。
ジャックはああ、まただな、と自省しつつも、己の生き方に常に自信を持つダニエルに助けられる。
「そうだな。ああ、そうだ」
ヒビキはきっと勝つのだろう。
後ろに控えているヒビキの姉、アリス。
彼女の顔にも一切の不安はない。
彼女たちにとって、この程度の戦いや負傷はいまや緊張にも値しないのだろうか。
であれば、幼い、と言っても過言ではないこの姉妹は、今までどれほどの戦いを潜り抜けてきたのだろう。
かつて夜の中街で一人で歩くアリスを見かけた時、世間知らずのお嬢様が物見遊山で夜の街を出歩いていたようにしか見えなかった。
そして探していたという妹のヒビキと合流した時も、姉を支えるシッカリとした妹だと思った。
それだけだ。
戦いに臨む者がまとう独特の気配というものは一切感じなかった。
確かに見た目からして、それを察しろというのは難しいかもしれない。
それは今ですらそうなのだ。今のアリスもまた自然にふるまっている。
戦いへの恐怖を克服した者ではない。
戦いを戦いとすら認識していない、それほどの違いを感じてジャックは少し背筋を冷やす。
だからこそ。
「巫女様が授けてくださった神託……これほどの力を持つ姉妹を呼び寄せなければならないほどの敵が来るという事か」
勇者の血筋を探せ、魔人に対抗せよ。
その神託は多くの者が知る所であるが、その集めるべき勇者の末裔というものはまだ見つかっていない。
だが幸運はここにある。
あてどなく探す事もなく、まぎれもない強者がここにいる幸運。
彼女たちはきっと国を救う一助たる存在足り得るだろう。
無力であるかもしれない。
だがダニエルが言ったように自分にもできる何かがあるとするならば、彼女たちを王へと会わせる事だろう。
ヒビキには彼女の力を他言しないと約束してしまった。しかしアリスの許しは得た。
その帳尻をうまくあわせ、交渉をする事。
それが今、ジャックに課せられた役目ではないだろうか。
「……国を左右するほどの交渉か」
剣での命のやり取りどころではない。
親、兄弟、友人……そういった近しい者だけではない。
名も知らぬ、顔も知らぬ、そんな国のすべての民の生命にかかわるような交渉だ。
だが、ヒビキであればすんなりと快諾してくれそうな予感もあるのだ。
それがジャックの心を少しばかり安堵させていた。
***
などと、ジャックの心中も知らず、ヒビキは勝負を決めるべく、湖面の上で軽やかなステップを踏み出し、強くしぶきをあげながら魔蒼魚へと駆けだす。
腕にカッコいい模様を浮かべている以上は、繰り出すのはパンチ系だ。
ヒビキが最も美しい技といって思い起こすのはドロップキックなのだが、ここでドロップキックでフィニッシュなどというのは台無しが過ぎる。
かといって、フライングクロスチョップというのは優美さに欠けると思う。
そもそも全身をぶつける技というのはダイナミックなのだが、それはプロレスラーのような鍛えられた美しい体格があってこそ映えるのである。
ヒビキの今の体格では、なんかこまいのが飛んでいった、というイメージだ。
よってヒビキが採用したのは、かつて見たアニメに登場した技の再現である。
今のヒビキのホムンクルスボディと魔力であれば、ゴリ押しであるものの再現は可能なはずだ。
ヒビキは前のめりのような姿勢で湖面を走り、手を鳥のように広げながら、開いた手の指先に魔力を込めていく。
イメージは鋭さ。
切り裂くように、あるゆるものを絶つように、それでいて美しく。それは湖面を舞う白鳥のように。
「……技に著作権はない。どこで聞いたの言葉だったかな」
ヒビキの若いころはオマージュやらリスペクトなどといったオブラート用語などなく、怪しきものは盗作、パ〇リ、などと断言されたものである。
しかしここは異世界。そんな事を言ってヒビキを問い詰める者はいない。
ならば子供心に憧れたあの技もこの技も、誰に遠慮する事なく振るう事ができる。そう、この体であれば再現が可能なのだ。
しかもギャラリー付きであるとなれば、否応にも盛り上がってしまうのは仕方ない。
「そう、仕方ない。これはアリスの為」
自分に言い分けをするあたり、ヒビキも少々の後ろめたさと恥ずかしさがあるのだが、状況的にもここで無様はさらせないのだ。
「そう、今、オレは水鳥のごとく」
ヒビキが魔蒼魚に迫る。
魔蒼魚が何度も尾びれで湖面を激しく叩き、大きな水しぶきを目隠しのように巻き上げて幻惑しつつも、迎撃の構えを取る。
ヒビキはそれを見て、まさに今しかないというタイミングで湖面を蹴ると大きく跳躍した。
「おお……」
その美しさにジャックとダニエルが感嘆のうめきを漏らす。
両手を鳥のように真横に広げ、全身はまっすぐに伸ばした伸身宙返りで弧を描き、ヒビキは魔蒼魚の頭上から襲い掛かる。
それに気づいた魔蒼魚がすぐに上へと殺意を向けて食らいかかった。
下で待ち構える魔蒼魚に向かって、ヒビキは広げていた手を魔蒼魚へ挟み込むようにして腕を振るう。
魔力をさらに込めたのか両腕の炎のような模様がさらに蒼く発光した。
魔蒼魚の残った口と、ヒビキの魔力を込めた一つの口。
それが交差する瞬間、まだ収まらない水しぶきに全てが隠される。
「どうなった!?」
ジャックが水しぶきがおさまるのを待つ。
長いような一瞬ののち。
そこには二つに裂かれた魔蒼魚の姿があり、その上にたつヒビキの姿があった。
「おお、勝った、勝ったぞ!」
勝負の決した瞬間は目にできなかったが、素手だというのに綺麗に二つにされた魔蒼魚は、まるでそれが本来の形の二頭の魔魚であるかのように浮かんでいた。
ヒビキの姿に新しい負傷はない。ただ片手だけが血にまみれているものの、その微笑みはかわらずだった。
むしろ負傷している事を忘れているかのように、その手をアリスに向けて振っていた。
戦いが終わった、という事だ。
「終わりました! すみませんが舟をヒビキの所までよろしいですか?」
騎士達は安堵しつつも、わかっていた結果だと言わんばかりに落ち着いた顔で船をヒビキに寄せていく。
アリスも抱きしめていた杖をヒビキに向けて振っている。
平気な顔をしている妹であるが、一刻も早く治療してあげたいというのは当然だ。
だからその顔が突然驚きに満ちた時、ジャックとダニエルはすぐに悟る。戦いの場で笑顔が消える時というのは、敵がまだ生きていた時だ。
「ヒビキさん!」
手を振って船を待っていたヒビキの背後から、二頭になってしまった魔蒼魚がそれぞれ湖面から飛ぶようにしてヒビキへと襲い掛かったのだ。
まさかまだ生きていたとはという油断からの、完全な不意打ち。
しかも片方は眉間を貫かれて力尽きたはずだと言うのに。
ヒビキが初めて笑顔を消し、それでもなおすぐに体勢を整えると、再び両手を翼のように広げた。
そして見失うような速さで二頭の魔蒼魚の間を滑るように一瞬で駆け抜けた。
ヒビキが広げていた両手は交差したまま止まっており、魔蒼魚に背を向けたまま片膝をたて湖面に佇んでいる。
それはまるで水鳥が羽ばたき終え、翼を休めているかのような姿だった。
一瞬でヒビキを見失った魔蒼魚は、やがて自分たちの背後にヒビキの姿を認めると、ゆっくりと回頭とした再び襲い掛かろうと湖面をはじき宙を舞った。
「ヒビキさん、なにを!?」
ジャックが微動だにしないヒビキに声をかけるものの。
「な、なんと……」
二頭の魔蒼魚は中空でバラバラとなって舞い落ちた。
二人の騎士はヒビキの武術の冴えに現実感すら失う。剣ですら難しいであろう一刀両断。
それを素手で、しかも無数の肉片にしてしまうなど。どのうよな術理なのか想像すらつかない。
「うわぁ……ヒビキ、やりすぎです」
驚愕に言葉を失っていた二人の騎士だったが、アリスの嫌そうな声でさらに驚愕する。
ヒビキの技に対して何も言葉はなく、ただ散らばった肉に不快感を示しただけだった。
ともかくヒビキを迎えにいかねばとジャックが船をこぎだすとアリスが慌てた声を上げた。
「あ、あの、お二人とも。舟はここで結構です。あっちには、その、あまり近づかないようにしませんか?」
どうしものかと考える二人の騎士であったが、それよりも早くヒビキが湖面を歩いて近づいて来ていた。
気のせいか、ヒビキもまた散らばった肉片を大げさに避けているようだった。




