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無理をする理由がなければ冒険は始まらない


「なるほど。それで今朝は船が出ておらず、皆さん酒盛りで盛り上がっているわけですか」


ベンネヴィスからさらに細々した事情を聞いたヒビキが納得する。


魚釣りで小遣いを稼ぐ者はいてもせいぜいが副業で、釣り仲間とダラダラ過ごすために集まっているような元冒険者や引退者ばかりらしい。


ゆえに相応の蓄えもあり、釣り一本で生計を立てている者はいないらしく、今日がダメなら明日、明日がダメでもそのうちに、というスタンスでばらく釣り糸を垂らせなくとも、生活が切羽詰まる者もいないというわけだ。


「ついてねぇなぁ、まったく」


ベンネヴィスはどうしたものかと考え、どうしようもないと結論を出しつつも、されど何か手はないかと腕を組んで湖を見つめている。


ヒビキもなんとなくその右隣に立って湖を見る。


波紋一つない湖面は、朝日を美しい姿のまま浮かべている。


「その巨大な魚、実際に見てみたい所ですが……アリスはどうですか?」


「見たいです!」


ヒビキが背後のアリスにたずねると、アリスもヒビキの右に並び立って興味深々とばかりにうなずく。


「そうですね。実際に見てないことには何も始まりませんからね」


ディアジオもアリスの右に並んで湖を見つめる。


「私も興味をひかれます。商人としても冒険者としても」


湖のヌシという存在がどうにも尋常な生き物ではなさそうだという事で、冒険者としての好奇心が刺激されつつ、商人としては冷静に計算をしている。


「……お嬢ちゃんたちは魔草採りだろう? この湖にこだわる事もあるまい」


普段、あまり親しくない者と一緒にいる事の少ないベンネヴィスは、右に並びだした三人の存在に落ち着かずそんな事を口にする。


「魔草採りの受注はしていますが本当の目的はその先にあるものでして。そしてその求める物が今まさにこの湖にあるのです」


「はあ?」


ヒビキの要領を得ない返答にベンネヴィスが首をかしげるが、ヒビキもわざわざ物語のような冒険譚が目的ですとは言えない。


と、ここでベンネヴィスがディアジオを見て目を細めた。


「……っていうか、そっちの。そう、お前だお前。お嬢ちゃんたちに気を取られて気づかなかったが、よく見りゃタリスカー商会の放蕩息子じゃねぇか!」


ディアジオに向かって大きな声で商会の屋号であり、姓であるタリスカーと呼んだベンネヴィスは知り合いを見つけたとばかりに少し安堵した表情を見せた。


「ご無沙汰しています。その節は大変お世話になりました」


「……お前さん、そんなだったか? いや、確かにいいとこの坊ちゃんだし品はあったが、それでももっとこう雑というか、軽薄な感じじゃなかったか?」


「お恥ずかしい。ですがつい先日天啓を得まして。生まれ変わったかのような気分です」


「そ、そうか、神さんと仲良くなったのか。だけどあんまり根を詰めるなよ。神さんってのは拝んでる時は救われる気分になるかもしれねぇが、自分を救うのはいつだって自分だからな?」


「ご助言ありがたく。ご心配されずとも、そのあたりはちゃんとわきまえております。あくまで比喩的な言い方をしただけで、特に信仰を深めたわけではありませんから」


「お、おう? まあ人生色々あるわな? だが、なんだ、困ったことがあったらオレんとこに来い。話くらいは聞いてやれるからな?」


強面がディアジオを気遣うように眉根を寄せて柔らかく話しかける。


このままでは青空人生相談室が始まりそうな為、ヒビキはやや強引にベンネヴィスに話しかける。


「ベンさん。その大きな魚というのは、なんとかして呼び出すというか、誘い出すというかできませんか」


「いや、できませんか? なんてオレに聞かれてもなぁ……」


急に話をふられたベンネヴィスが首を振る。そして湖の周囲を見て。


「魔草が目当てで回遊していたってんなら、この辺りの魔草はすべて食い尽くしているだろうからもう戻ってこないかもしれん。あとは湖の周囲を回って、魔草がまだ残っている所にいけばやってくるかもしれんが……」


道理だな、とヒビキは思う。


だが広い湖の周囲を泥に足をとられながら歩いて探すというのは現実的に無理だろう。


昨日の魔草採りでもぬかるみに足をとられる事が多く相当にてこずったし、場所によってはずいぶんと深く足をとられる場所もあり、不用意に歩ける場所ではない。


となればやはり船を出して、その魚影を拝んでみたいものだが。


ベンネヴィスがヒビキの内心をその顔から読んだのか、諭すように注意をうながす。


「おっとお嬢ちゃん。船を出そうってんならやめとけよ? 駆け出しにすら満たないお嬢ちゃん達にはヤバすぎる湖だ。そのデケェ魚うんぬんもそうだし、そもそもこの湖にゃピーラニッアがウヨウヨいるんだからな? 誰も船なんざ出しゃしないぞ?」


美味い魚ではあるが、危ない魚でもある。


「残念ですね、アリス。船は出していただけそうにありませんよ」


「いえ、確かに大きな魚を見たいとは言いましたが、小船に乗ってまで見たいとは思いませんので!」


目を見開いて、何を言ってるのですか、という顔で否定するアリス。


もともと魚釣りをしなかったのも、ピーラニッアが怖くて腰が引けたからだ。


確かにそんな大きな魚であれば見てみたいが、わざわざ船に乗ってまで見たいわけではないし、むしろお断りだ。


あくまでこの安全な岸から「わー大きいですねー!」と、ゆるい感じで見てみたい、それがアリスの希望である。


「うーん」


だが、ヒビキとしてはここで話を終わらせるのもつまらない所だ。


ディアジオを見れば、いかようにでもお付き合いしますよ、という紳士スマイルだ。


「どうしましょうかね」


初心者クエストの魔草採りの達成に立ち戻って、別の場所に移動して採取の続きをするか。


それとももう少しこの湖で様子を見て、何か変化なりを待つか。


どうしたら面白おかしい展開に持っていけるだろうかと思案していると。


「やはりいつもとは空気が違うな。相棒はどう思う」


「とりあえず被害は出ていないようだが、あの者たちに話を聞いてみるか」


湖を眺めているヒビキの後ろから二人組の足音と会話が聞こえてきた。


ヒビキが振り返ると、革鎧をまとった二人組が歩み寄ってくる。


二人は立って並んで湖を眺めているヒビキたちに近づくと声をかけた。


「失礼。私たちは報告を受けて城から様子を見に来た者だが、事情を知っているのであれば教えていただけるかな?」


二人組はヒビキの知った顔、城の騎士であった。


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