ダルモアの見送り
ダルモアがその厳つい顔をやや緊張気味にしてヒビキに問いかける。
「……一つ、お尋ねしてもよろしいですか?」
「答えられる質問ならば」
「皆様はどのような御用でこちらへ?」
当然の疑問だが、さすがにアリスが冒険者になって姫プレイしたいから来たというのは体裁が悪い。
どう説明したものかとヒビキは老婆に目をやる。年の功でうまく言いくるめてもらえないかと思ったのだが、目が合った老婆はしばらく何かを考え、ふいっと目をそらした。
「ダルモア坊や。すまないが何か温まる飲み物はないかい? 空を飛んで来ると冷えてしまってね」
「これは気がきかず失礼を……ただちにご用意を。お前達、酒をもってこい!」
いい案が浮かばなかったらしく、誤魔化された。そもそも老婆は今回のアリスの目的を知らないはずだ。せいぜい若者が好奇心で人間の街に遊びに出かけた、くらいの認識だろう。
「アリス様、ヒビキ様、お飲み物などは? とは言え、人間が残していったものですので、さほど良いものはございませんが。火酒や果実酒などでよろしければすぐにご用意できます」
「いえ、私は結構」
「では私は果実酒をいただけますか」
「はっ、かしこまりました」
オーガが配下のゴブリンに手際よく指示をする。
すぐに果実酒の入った瓶とグラス、美しい皿に盛られた果実などが運ばれてくる。
ヒビキは妙に用意が良いなと疑問に思いたずねかける。
「よく酒などありましたね。普段からダルモアが呑むのですか?」
ダルモアは少々言いにくそうにしてから。
「……実は一部の人間が持ってくるのです。酒の他にも果実や食料なども。ゴブリン達の中にはそれを好むものがおりますし、慰労としては良いかと思い、交換のようなことを続けております。無論、ダンジョンの外で行っておりますが問題となりますか?」
「別に構わないのでは? ダンジョンの防衛と維持の方法はそれぞれに任せられているはずです。ダルモアが部下の慰安の為に有用と考えてのことであれば問題ありません。むしろそこまで気が回せるというは素晴らしいです。あ、皮肉ではなく、本意ですからね」
「は、ありがとうございます」
顔に似合わずコミュ強かつ、ホワイトな雇用主だなと感心しつつ、ヒビキはこのまま話題をそらせないだろうかと考える。
立場的にそれでも問題ないはずだが、自分ではなくアリスに尋ねられると正直に言いそうでそれは避けたい。
アリスと老婆がコブリンたちに給仕されている隙に、ヒビキはわざとらしく咳払いをする。それに気づき寄ってきたダルモアの耳に口を寄せる。
「……目的はアリスの人間の街での社会勉強です。期間は未定ですが人間として私と二人で街の宿にしばらく駐留します。もちろんお忍びですよ」
「おお、なるほど。敵を知る為ですな。その豪胆さ、お若い女性であっても、さすがに我らが魔王様のご息女であらせられる!」
ダルモアにとっては好ましい回答だったらしく笑顔で頷く。
「これは極々内密の話ですが」
ヒビキはダルモアがアリスの身を案じるどころか、魔族の鑑の如く良い案だという能筋反応にもう少し突っ込んだ情報を与えることにした。マッチポンプ要員から共犯者に格上げするつもりである。
「街では私達は冒険者として生活する予定です」
「な、なんと! しかしそれはさすがに危険では……」
ダルモアもさすがに戦いの場にまで出るとは思っていなかった。せいぜい町人のまぎれて人間の街を偵察する程度の認識だった為、驚きを隠せない。
「だからこそ価値があると思いませんか? 本では得られない敵の知識。新しい発見があるかもしれない」
「……なるほど、なるほど……我らでは到底不可能ですが、外見が人間と変わらない魔人の方々であれば可能な話です」
「ええ。もっとも髪や瞳だけは色を変える必要がありますが……そんな事より、ダルモア」
急に雰囲気の変わったヒビキにダルモアが緊張する。
「この件、実はあちらのおばあ様も知らない話です。知っているのは王族と私と、今はダルモアだけです」
「そ、そのような重要な……ッ」
重要な秘密ではなく、おふざけが過ぎて他言できないだけであるが、そこまで話すつもりもない。
「ええ。今回のように王族が人間の街で暮らすなどという事は初めてです。どんな問題が起こるかも予想できません。であれば、事情を知る士気と信用と忠誠心の篤い協力者が必要です」
「……それを私に、と」
「頼めますか? さきほど貴方が言ったように、我々は髪と瞳さえ色を変えてしまうと身体的特徴だけでは人間と見分けがつきません。つまりダンジョンに入れば危険度は人間の冒険者と同じです。同胞が我々を人間の冒険者として襲ってくるでしょう」
「それは確かに」
実際、この二人が髪と瞳の色を誤魔化した状態で冒険者にまぎれ、自分のダンジョンにやってきたとしたらダルモアも外見だけでは判断できなかっただろう。
今回も黒竜の背に乗ってやってきたという条件に加えて、黒髪と黒い瞳から推察できたにすぎないのだから。
だがどんな理由があれ、王族に剣を振り上げるというのはこれ以上ない不敬だ。しかしヒビキは首を振る。
「アリスが……姫様が自らの意思で望まれたことです」
「おお、おお……さすが、さすがは我らが姫君様!」
「とは言え、何も起こらないかもしれませんし、それはそれで良い事です」
感極まっているダルモアに少々罪悪感を感じる。ヒビキは嘘は言っていない。ただ、すべてを明かしていないだけだ。
それに外見では見分けがつかなかったとしても、本当に危険な状態になれぱ魔力を解放して魔人モードへ移行する。
ただし、その時点でパーティーを組んだ冒険者に素性はバレるし、アリスが望む姫プレイも終了となるため、避けたい選択肢ではある。
ヒビキの目的は人間の中で無双するのではなく、あくまでアリスのハッピーバースディイベントの完遂だ。
「というわけで、もし何か助力が必要な時は何かしらの形で連絡を入れますが……よろしいか?」
「はっ、いつでもお待ちしております」
無言で頷きあう二人。
獰猛にて覚悟を決めた戦士の顔であるオーガと美しい造形のホムンクルスの内心との温度差は激しいが、とにかくここに男同士の固い約束が成ったのである。
***
日も暮れたダルモアのダンジョンの入り口は、かつてない盛り上がりを見せていた。
到着した時点で夕暮れという事もあり、ヒビキ達はダンジョン内で一泊した後、明日の朝に出発とした。
ダルモアは急な貴人達の宿泊により、食事の手配や寝床の準備などに苦慮奮戦していたが、その表情はとても嬉しそうだった。
それらもひと段落つき、黒竜とアリスを上座に据えて、大き目の焚き火を囲んだ夕食を兼ねた酒宴が行われている。
ヒビキも給仕などを行いアリスの世話をする。アリスは人生初の野外での食事を楽しんでいるようだった。
「おばーちゃん、お外でお食事というは初めてですが、とても楽しいですね」
「そうね。皆で火を囲んで糧を頂戴する。原始の娯楽とでもいうのかしらね」
「ヒビキ、もう少し果実酒をくださいな」
「少々呑みすぎですが……今日くらいは良いでしょう。せっかくの旅の二日目を二日酔いで迎えないようにしてくださいよ」
「わかっています。子ども扱いしないで下さい」
「子ども扱いなら、酒などお注ぎしませんよ」
ヒビキは苦笑しつつも、楽しげにはしゃぐアリスの杯に酒を注ぐ。黒竜の杯にも注いで回るが、こちらは香りからして相当に度数の高い酒だった。
「あら、ありがとうヒビキちゃん。明日からアリスちゃんのお世話お願いね……最初からなんだか大変そうな予定になったみたいたけど大丈夫?」
「ええ、おまかせ下さい。アリスにとって楽しい旅行になるよう努力いたします」
実は明日の予定が決まるまで軽い悶着があった。
朝日が昇ったら出発しますと、はやるアリスが宣言。それはともかく、問題は手段だ。
もちろん黒竜の背に乗って街へ向かうわけにもいかない。とは言え、城下町の上空を横断してからそれなりの距離をとって着地したこの地点から歩くというのもまた厳しい。
ここで忠臣ダルモアが、かつて撃退した冒険者が使っていた馬車を鹵獲して保管してあるという事でそれを頂戴する事にした。
やや破損している幌馬車であったが、むしろ途中で襲われてなんとか街にたどり着いたという風体の方が街に入りやすいかとヒビキは考える。
問題はたった二点。
馬がいない。
御者がいない。
そのたった二点の問題こそが致命的であった。
忠臣ダルモアにそれを告げると、笑顔でお任せください、と言い放ち自分が馬車を引こうとポジションに入った。
「ダルモアさん、大丈夫なの?」
「もちろん大丈夫です」
大丈夫なはずがない、むしろ頭が大丈夫かお前達、というツッコミを笑顔で塗りつぶし、ヒビキはダルモアの肩に手をかける。
「ダルモアはジョークもうまいですね」
「は、はぁ?」
「魔族が馬車を引いて? 人間の街へ? さぞ愉快なお祭りが始まるでしょうね」
「確かにそうですが、ここから街までは結構な距離です。人の足であれば十日はかかるでしょう。なれば近くまで自分が馬車を引き、ほどよい所から歩かれてはいかがかと」
十日。ヒビキの想定よりはるかに長い。長いが、別段急ぐ旅でもないしアリスが飽きるまではゆっくり行くかと思案しつつ。
「馬車が通れる道という事は、人間達が使っている馬車道でしょう? 行商人に見られてしまう危険性は?」
「それもそうなのですが、では、どうされるおつもりで?」
いささか意地が悪かったなとヒビキは自省する。ダルモアからすれば自分たちのような貴人を歩かせるという選択肢はありえない。であれば、自分が引くという判断しかない。
ふむ、とヒビキは考える。いや考えるまでも無い。この状況なら。
「アリス、どうしたいですか?」
ほろ酔い加減になりつつ、近くに立っていたゴブリンを褒めたり撫でたりしていたアリスに問いかける。
「え? なんですかヒビキ?」
「こういう状況で貴方はどうしたいですか? 貴方が望んで始めた旅です。貴方がお決めなさい。正しい、正しくないではなく、貴方が望むように」
「えっと……」
アリスは周囲を見回す。
壊れた馬車、しかし馬は無し。
街はまだまだ先だが、たどるべき馬車道はあり、行商人の往来もあると聞かされる。
道程は徒歩で十日ほど。馬車であれば道の状態次第だが半分の五日ぐらいだろうという事。
「……これは? ……これは!」
思いついたのではなく、思い出したという満面の笑顔で即決した。
「通りがかった行商人に乗せてもらいましょう!」
「ではそうしましょう」
よくある冒険譚の語り始めのシーンの一つに、行商人との出会いというものがある。
知り合った商人と道連れになり、馬車に揺られて街までの楽しい冒険トーク。時には野党や魔獣から襲われる、そんなアクシデントもあるかもしれない。
アリスの興奮した表情はそんな期待に満ちたものだった。
という流れで明日の予定は決まった。
「ダルモア、世話になりましたがこれがアリスの決定です。私達はここから街道を徒歩で行き、途中で人間の馬車に拾ってもらいます」
「……道中、お気をつけて、というのはおかしい話ですか」
「ええ。何があろうともアリスに髪ほどの傷がつくことすらありえませんよ」
「ヒビキ様であれば過信ではないのでしょうね。それでは別れは御武運ではなく、良き旅になられるようお祈りいたしましょう」
「ありがとう。では、もし次に会う機会があれば、その時はよろしくお願いします」
「はっ」
皆までいう事もなくダルモアは忠臣の顔でうなずいた。