勇者不在の玉座にて
「湖のヌシ? ですか?」
早朝一番でやってきたのは、第一線からはずいぶんと昔に身を引いた冒険者だった。
今は湖で釣りをして過ごしているそうだが、なんでも巨大な魚が湖に現れたとの事だった。
さらに岸の魔草などから魔力を吸い取っているようだ、といういまいち信じがたい報告も付け加えて。
いくら信じがたいとはいえ彼がそんな嘘をつく理由もなく、受付嬢は冒険者の見た限りを聞き取り報告書を作ることにした。
「情報提供ありがとうございました。もし何か変化や被害などがあれば、またご連絡ください」
去っていく冒険者に礼を言いつつ、手元の聞き取った覚書を見る。
現状、聞く限りでは被害もなく、ささいな報告ではあるが……気にかかる事は多く、もう少し情報が欲しい。
「うーん。こういう時のイヤな予感ほど当たるものよねぇ」
受付嬢はしばし思案する。
宝石をあしらわれた腕章をしている彼女はこの冒険者ギルドの責任者でもあるが、誰かを動かすといった権力を有しない。
独断でギルドからの依頼書を作成し、ギルドの金庫から報酬を支払うという形であれば人を出せるが、今回の報告内容は場合によって急を要するものになるかもしれない。
論拠たるものはないが、いうなれば女のカンというものだ。
だが、それを正当な理由して報告書を作るわけにもいかないため、もっともらしい文書にして部下の一人にそれを王城のある所へと届けるように命じた。
***
「湖のヌシ? だと?」
ギルドからの使いである名も知らぬ受付嬢が騎士団の詰め所に報告書を持ってきた時、詰め所にはそろそろ始まる検問任務のために二人ほど待機していた。
「やあ、朝早くからご苦労様だ。おう相棒、レディに労わりの言葉が先だろう」
「あ、ああ、そうだな、失敬した。しかし……本当の事なのか?」
片方の騎士が受け取ったばかりの報告書に目を通す。
確かにそれは報告書などでよく目にする字であり、冒険者ギルドのマスターである彼女の字で間違いはない。
「報告は受け取ったが……これを我々にどうしろと?」
「いえ、私はこちらに届けるようにと命じられたまででして……ああ、けれど、そう言えば今日の検問当番はジャック様、ダニエル様だからきっとよくして下さる、ともおっしゃっていましたが……」
「……相棒。つまりコレはアレだ」
「ああ、厄介ごとを押し付けてきたな、あの女狐……っ、おっと、失礼。今のは聞かなかったことにしてくれ」
「は、はぁ……?」
受付嬢は、騎士というものがあしざまに女性を、しかも自分の直属の上司で、人柄も仕事上の上司としても素晴らしいと尊敬する女性を悪く言われて、ややムッとした表情を作る。
「ふむ。誤解されたな。彼女と我々は、あ、我々と言っても騎士ではなく、私とこの相棒の二人に限ってだが、敵同士でね」
ジャックと呼ばれた騎士がため息をつく。
ダニエルもため息をつきながら。
「敵、と言っても戦いにすらなっていないぞ。毎度毎度、私たち二人をいいように使うのだ。少し年が上の幼馴染というだけでな」
二人の騎士が同時にため息をつく。
「そのようなご関係でしたか」
色々とピンとくるものがあるのか、受付嬢は日頃から想像できない上司の茶目っ気を目の当たりにしつつ、やってられないと愚痴を吐きながらも、さほどイヤそうではない二人の騎士を眺める。
「ま、なんにしろ。アイツがわざわざよこしてくる報告だ。見過ごすにはリスクが高いとの判断だろう」
「検問任務は新入りにまかせて、俺たち、コホン。私たちは湖へ偵察任務と急遽変更だな。一応、上にも報告はあげておこうか」
ジャックが魔法のべルを振る。
しばらくして、新入りらしき若い騎士が詰め所に二人駆けこんできた。
「お呼びでしょうか!」
鎧姿ではない二人が直立不動でジャックを見る。
寝ぐせも少し残っているが、城内の仮眠室から飛んできたには素晴らしい早さだった。
ダニエルは、応、と立ち上がり二人に命令を与える。
「徹夜明けの巡回任務明けに起こして悪かったな」
「いえ、我らいつでも任務に全力を……」
「いやいや、わかってる。疲れて眠いのに呼び出しやがって、というのはよくわかってる」
ダニエルが申し訳なさそうに言いながら任務を与える。
「だが事は急を要するかもしれん。二人は私たちの代わりにしばらく検問任務を頼む。それとその前に……この報告書を」
ジャックがさきほど受付嬢が持ってきた報告書に、自分たちが先行して湖へと偵察に出る旨を書き加えたものを新米騎士に渡す。
ダニエルは新人騎士たちに、城のある場所へそれを届けるように命じて、鎧を脱ぐと身軽な革鎧に着替えてから湖へと出発した。
***
「それで? 周り回ってようやく私の所へやってきたわけか……なんだこれは」
ヒザに抱えていた黒猫を足元に降ろし、報告書を受け取ったガイラクスがそれを見て笑う。
様々な場所と人の間を経由した報告書は、その数だけの書き込みが加えられて、ゴールである王、ガイラクスの手元にたどりついていた。
ガイラクスの元へ届けたのは、神託の巫女シーバス付きのメイドである。
「はい。どなた様もこの内容の報告書をどこへ届けるのが適切か判断に窮されておりまして。みかねた私が僭越ながら、間違いのない場所へとお届けにあがった次第です。王たる方のお目に触れるには、やや乱雑な文書ではありますが」
「乱雑どころか落書きの寄せ集めみたいになってるぞ。だがまぁ確かに面倒な内容だし、私が処理すれば誰にも責任は生じないからな」
手持ちの報告書には、王の判断を仰ぐにしては些細な内容が記されている。
一言でいえば、湖に巨大でよくわからない魚が出てきた、危ないかもしれないけどそうでもないかもしれない、というものだ。
被害は出ていないようだし、様子見でも間違いではない。
だが、すぐにでも被害が出るかもしれないと、迅速かつ慎重に処理しようとするならば、騎士や魔術師などの投入も必要だろう。当然手続きに時間もかかる。
そんな厄介極まりない報告書が城の中で足が生え羽が生えたように飛び回っているところをメイドが見つけ、こちらにやってきたというわけだ。
「とりあえず最初にコレを確認した騎士の二人が偵察に出てるのか、これはいい判断だが……あとのたらい回しぶりがひどいな」
「誰だって貧乏くじは引きたくありませんからね」
「それもそうだ。さて、で、お前はコレを読んでどう思った?」
ガイラクスはメイドに尋ねる。
色々と有能で多岐にわたる知識と、どこで使うのかという無駄な知識も併せ持った彼女であれば何か知るところはないかと。
メイドは報告書の内容の一つ一つを解していく。
「まず巨大な魚とありまして、その大きさが人を一飲みするとのことですが」
「うむ」
「であれば、全容のスケッチなり特徴なりも記されているはずです。その背びれらしきものが大きいため、そのような推測が生まれたのでしょう。大きさや形状については信用できないかと。もちろんただの魚の大きさではないでしょうけれど」
「印象と思い込みか。蒼い背びれ、というのは? 魔物絡みか?」
蒼色というものは魔眼もそうであるように、魔力が可視化した形となってあふれた場合の現象時によく見られる色だ。
「そうですね。体が発光するとなると、もはや通常の生き物ではありません。魔物、魔獣、どちらかでしょう」
「魚の魔獣か。あまり聞かんが? アザァもいない時に面倒ごとは勘弁だぞ?」
スライム討伐を自分が命じたばかりだ。
ついでがあれば盗賊を狩ってもくるだろうし、三日や四日では帰ってはきそうにない。
最悪、呼び戻すことも視野に入る事態なのかと、ガイラクスは面倒そうな顔をする。
「そうですね。私も寡聞にて魚類の魔獣というのは存じ上げません。ですが、魔草などの周囲の魔力を吸うという所で、一応の見当がつきました」
「さすがだな……回りくどい説明はいい。結論を」
メイドが知識をひけらかさんと自身満々な顔になった瞬間、ガイラクスは先手をとって先を急かす。
メイドは少し残念そうにしつつも、要望通り簡潔な答えを返す。
「キメラです」
ガイラクスの足元で丸まっていた黒猫がニャァと鳴いた。