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謎めく湖でBeauty meets Beast


「どうしたもんかねぇ、まったくよぉ」


ベンネヴィスは湖の前で立ち尽くし、ため息とともにつぶやく。


持ち前の面倒見の良さ、生来のお節介焼き、調子に乗って安請け合いする、という悪癖も混じった人の好さからいらぬ苦労をよく背負ってきた。


今もその類ではあるのだが、今回に至っては困ってはいるものの後悔はしていない。


昨日、長年の付き合いの職人が念願であった娘の結婚式に出席し、幸せに嫁いでいった愛娘を見送ったのだ。


男手一人で苦労して育てた娘が立派に育ち、式で父への感謝を述べた際には職人は号泣していた。


そして翌朝、つまり今朝。


深酒もあいまって、初めて一人で迎えた朝はさみしかろうとベンネヴィスは様子を見に行った。


そこで見たものは、抜け殻のようになっていた職人の姿だった。


生気が抜けたというか、焼き入れに失敗した鉄というか、素人が研ぎ損ねた刃物というか。


目に生気がない、声に張りがない、体に力が入っていない。


職人は昨晩、寝ていなかったらしく、椅子に腰かけたままベンネヴィスを迎えてこう言った。


「もう満足だ。もう何もいらん。ただ……老いさらばえて娘に迷惑をかけたくない。どこか、そうだ、どこかへ旅立ちたい。アイツも待ってる。一人で長く待たせすぎた」


職人の足元には商売道具である槌が転がっていた。


きっとそれを相棒に、夜明かし一人酒を飲んでいたのだろう。


ベンネヴィスは直観する。


この先、優しい娘に自分の事で苦労をさせたくないと悲観的になりすぎている。


幸せで頭が混乱して、今の自分の姿を見た娘が悲しむことを理解できていない。


確かに奥方をお産で亡くし、妻を深く愛していた職人は愛娘を抱きしめて慟哭した。


その姿は今も思い出せる。


過去の事は忘れろと他人は簡単に言う。


慰め、良心、思いやり。そういった心からであってもそれは簡単な事ではないし、軽率にかける言葉ではない。


だが今ならば。


娘が幸せに嫁いだ翌朝なのだ。


ベンネヴィスは怒ったように言うべきか、諭すように言うべきか、なだめるように言うべきか迷い。


「ガッハッハッ! 何を抜かしてやがる! お前がもし、いなくなったら……」


いつものように大きく笑った。


「……なったら?」


「お嬢ちゃんは誰に孫の顔を見せてやるんだ?」


職人がハッとした顔になる。


苦労から苦労の綱渡りで生きてきた彼にとって、奇跡のような幸せが訪れた後にくるのは当然また苦労か不幸だと思い込んでいた。


だが、幸せの後に幸せが来ることもある。


生きてさえいれば、どんな不幸な記憶を上塗りする幸福が訪れる。そういった未来にようやく考えが及んだ。


「そうか、そうか……孫、か。こんな、こんなオレにも孫か」


熱にうなされたような顔で職人はベンネヴィスを見る。


「おうとも! お嬢ちゃんが孫に見せたいお前さんの姿はなんだと思う?」


「……げ、元気な姿だ」


「違う!」


否定されるはずのない答えが否定され、職人はうろたえるがベンネヴィスは豪快に笑って職人の足元に転がっていた槌を指さす。


「そのぶっとい腕で鉄を叩く職人の姿だ。娘が立派に自分を育ててくれたおじいちゃんの最高に恰好いい姿だろうが!」


その後、職人は大粒の涙を流してベンネヴィスに礼を言うと、槌を拾い上げてズボンに差す。


「オレは少し寝る! 昨晩の酒が抜けてねぇんだ! 起きたら昼から仕事だ! 孫の小遣い、今から貯めとかねぇとな!」


熱した鉄のごとく顔に赤みがさし、生気がみなぎった姿はいままでの職人のそれだった。


「おうよ。だが今からそんな張り切ると孫の小遣いどころか家が建つぞ!」


「家でも屋敷でも城でも建ててやらあ!」


「よく言った、じゃあ前祝いだ! 今夜はギルドで宴会だ! 今からひとっぱしり行ってピーラニッアでも買い込んできてやるぞ!」


「ピーラニッア、いいのか!?」


「おうよ! ダチどもも呼んで今夜も宴会だ! カゴいっぱいのピーラニッアだ、揚げてもいいし、酢漬けもいいな! 焼いても旨いし、今夜も酒がうまくなるな!」


そこそこ値の張る魚だが、それに値するだけの味である。


ピーラニッアの揚げ物は職人の大好物であるが、ここ数年は嫁入り道具やらなんやらの為に貯金をしてずいぶんとご無沙汰のはずだ。


長年の友人が生き返ったようなものなのだから、それくらいはしてやってもいいだろう。


金はある。悲しい事に未だ独身で、金を使うような凝った趣味もなく、されど地位と役職もあり、それなりの給金が国から支給されている。


逆に言えば、こんな時にくらいしか使うアテのない金でもある。


そうして事あるごとに仲間に大判振る舞いをするため、ベンネヴィスへの信頼やら恩やらが積もり持ってギルドマスターとしての地位を盤石にしてしまうのだが、本人にはそういった賄賂的な下心は当然カケラもない。


そんな流れでベンネヴィスは友人の家を出てすぐ、歩いて湖へ向かった。


途中で追い越してきた馬車に乗せてもらい、湖に到着すると釣り人を探す。どうせ何人かは知った顔がいるはずだ。


そいつらに分けてもらおう。多少、値に色をつければ譲ってくれるはずだ。


いつもであればそれでうまくいくはずだった。


だが今朝に限ってうまくいかなかった。


なぜならば、湖に見たこともない大きな魚影が浮かんでいたのだから。


湖面に突き出ているのは、背びれ、だろうか。


ぼんやりと蒼く光るヒレだけを湖面に露出させて、ゆっくりと円を描くように回遊している。


岸の近くまでその巨大な魚が寄ると、岸に生えていた魔草や魔花が一気にしおれ、枯れてしまう。


「なんだよ、ありゃあ……」


ベンネヴィスは困惑と恐怖が混じった顔になり、遠巻きにそれを見つめている釣り人だちへと駆け寄った。


「おーい! なんだありゃあ?」


その声に半分ほどの者達が顔を向け、その中の半分ほどの者達がギョッとして顔をそむける。


今、ベンネヴィスから目をそらさなかったのは、知った顔たちだ。


「おう、親分か」


「珍しいなこんな時間に、そもそもこんな所に。あ、いや、祝い事でピーラニッアでも買いに来たか?」


高級魚は祝い事の肴にも持ってこいだ。ベンネヴィスの気風と人柄の良さを知る者であれば、簡単な謎解きでもある。


「おうよ。カゴいっぱいにピーラニッアが欲しくてな」


「そりゃまた景気のいい話だ。ぜひとも相伴にあずかりてぇが……」


「おう! 宴会は人が多い方がいいからな、かまわんぞ!」


ベンネヴィスの答えに釣り人達が笑顔になるが。


「残念ながら、今日は無理だ。親分も見ただろ、あのバカでけぇ魚を」


「おう。アレは一体なんだ?」


「知るヤツがいないかと皆で集まって話してたんだがな」


早朝なれど全員で十人ほどはいる釣り人たちが、今はここに集まっているようだった。


「どうやら、アレが湖のヌシってやつじゃないかと」


「ヌシ、か。噂には聞いていたが……以前に姿を現したのは、数十年前だろう? デケェってたって魚が生きてるもんかね、そんな長く?」


ベンネヴィスはチラリと古い職人に聞いた記憶があるヌシの話を思い出す。


白髪の職人が子供の頃に見た蒼く巨大な魚の話。


子供の頃の記憶が大げさに誇張されたほら話だと思っていたが、酒の席ほどそういうものは盛り上がる。


そんなほら話によればヌシは人を一飲みするほど巨大で、どう猛な蒼い魚だったという。


そして今。


ベンネヴィスの視線の先で、岸に生える魔草目当てなのか、ゆらゆらと回遊している大きなヒレを眺める。


「確かにデケェな……いや異常だろう? 魔獣か?」


「魚の魔獣っては聞いたことないが、いてもおかしくない。なんにせよ得体が知れんもんだからな。今、釣り仲間の一人が城の方の冒険者ギルドに知らせに行ったよ」


ベンネヴィスの独り言に釣り人も追従して、一応の急報を出したらしい。


魚の魔獣など聞いたことはないが、現に目の前で尋常ではない魚が泳いでいるのだから。


湖は広く、魚影はやがて奥へ奥へ魔草を求めてか姿を消していった。


「……」


「……」


誰ともなく言葉を失い、沈黙が流れ。


「まぁ、しゃーないな!」


「そうだな、しょうがねえ!」


釣り人たちは船を出すことをあきらめ、朝日の下で宴会を始める事にした。


一方、これは困ったと湖を未練がましく睨むベンネヴィスの背に声がかかる。


「親方、ピーラニッアは今日は無理だ。あんな得体の知れないモンがウロウロしているのに船は出せん」


「昨日の売れ残りとかなら、まだどっかに売ってるかもしれないが……親分としては新鮮なのがいいだろうしなぁ」


一応、世話になった覚えのある者もいるらしく気を遣ってはくれるが、さすがに船を出す者はいないし、たかが魚、それも自分の為にそんな危険を冒す者がいればベンネヴィスが自ら止める。


「はぁ……コイツは困ったな」


長い付き合いの職人の景気づけの為とはいえ、あれだけ大口を叩いて約束した以上、これでは恰好がつかない。


例え、別の何かで埋め合わせてもあの職人は笑って感謝してくれるだろうが、ピーラニッアを楽しみにしてくれているだろう。


ベンネヴィスとしてもどうにかならんかなと腕を組んで考えこむ。


船を出さずに岸から釣るというのも考えたが、ある程度の水深がないとピーラニッアは釣れない。


せめて一匹と思えど、結局、何も思いつかず。


できる事といえば難しい顔で湖を見つめて途方に暮れる事だけだった。


そんなベンネヴィスの背中に。


「あ、あのぅ……おはよう、ございます……」


怯えに怯え切って震えた声がかけられた。


「ああん?」


「ひゃあ!」


別に凄みをきかせたわけではないが、多少のイラつきもあってベンネヴィスは普段より二割増しほど険しい顔で振り返った。


そこには腰を抜かしてへたり込んだ、青いワンピースの美女がいた。


予約更新にミスがあり、アップされていませんでした。

明日はいつも通りの時間に更新いたします。

よろしくお願いします。

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