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怯むリーダー、諸手を挙げる


停留所のようになっている広場に馬車を停めて、三人は馬車に積んでいたそれぞれの採取道具を取り出す。


ディアジオの雇っている御者はそのまま馬車の番と整備点検のために残していく。


アリスは自分の道具である手袋と撥水された革靴の入った麻袋をしっかりと抱えて歩き出す。


服装は昨日泥だらけにした服を、花の彩亭の従業員がすぐに洗い乾かし用意してくれたものを着ている。


またヒビキはマッカランにことわりを入れた上で、従業員にいくらかの駄賃を渡して似たような動きやすい服を何着か買い求めてくるように頼んである。


さすがに同じ服を毎日急かすように洗濯して整えされるというのは心苦しいものがある。


「アリス、重くはありませんか?」


「ぜんせんまったくへっちゃらです!」


普段であればアリスの荷物などはヒビキが持つがせっかくの時と場所でそんな野暮な事はしないし、アリスもそれを求めていない。


抱えている道具は安物であるし、穴の開いた中古でもあるのだが、初めてのアリスの冒険者道具なのだ。


むしろディアジオが二人の荷物を持とうとしたものの、ヒビキが「紳士だとは思いますが、仲間を思いやるというのとは違うかもしれませんよ」とやんわりと断り、アリスのそんな冒険者ライフを満喫させる。


そうして三人はそれぞれの荷物を持ち、リーダーを先頭にヒビキとディアジオが並んで追随している。


「アリス。今日はあまりぬかるみにはまらないようにしてくださいね」


「ふふふ。ヒビキ。冒険者とは一日一日成長するのですよ? 昨日の私と今日の私。どちらが優れた冒険者であるか言うまでもありません!」


言いたいことは理解できる。


確かに昨日から成長した、かもしれない、という程度にアリスの言い分は認めるにしても、一日では成長の伸び具合が足りずに今日もぬかねみにはまる事はたやすく予想できるからだ。


和気あいあいと雑談をしつつ、三人は昨日のように湖の周囲の湿地にて採取を始めた。


――始めようとしたのだが、湖はあまりに変貌していた。


「……こういう事はよくある事ですか、ディアジオ氏?」


「そのように他人行儀な。仲間であるのですから、ディアとお呼びください、ヒビキ嬢」


「その、嬢、というのは仲間に対して使うものですか?」


「さん、ちゃん、様。私はどれでも構いませんが、しいてお呼びするならば、やはり嬢、かと思いまして」


確かに、さん、ちゃん、様、どれ昨日会ったばかりの男に呼ばれるには距離が近くてむずがゆい。


ほどよく距離感の離れた嬢ならば我慢もできるかと、ヒビキは、ではそのように、とうなずいた。


「では、ディア。このような事はよくある事ですか?」


「少なくとも私の記憶と経験では初めての事ですね」


二人が湖を見て話し合う横で、アリスは呆然としたままその景色を眺め、信じられないという声で悲嘆にくれた。


「魔草が枯れています……見渡す限り、全部全部!」


そう。


昨日は確かにまばらながらに普通の草花に紛れて、青い葉、青い草、青い花が散見できた。


しかし今、三人の前には普通の草花しかない。


時折見られる枯れた葉草としおれた花は、わずかながらに蒼さを残しており、それが魔草であったと物語っている。


湖を囲むそれらはすべてがそうなっていた。


「これでは……依頼達成ができません! パーティー名も決められなければ、初仕事もこなせない。私はなんてダメなリーダーなんでしょうか……」


地に座り込もうとし、そこがぬかるみだった事に気付いて慌てて立ち上がろうとするものの、バランスを崩し、なんとか立て直そうと腕をあわわ、あわわ、という悲鳴とともにブルグル回しながら盛大に背中からぬかるみに倒れこんだリーダーはともかく、ヒビキはこの状況を喜びとともに迎えていた。


トラブルというのは物語の山場となるものだからだ。


この現象の謎解きなり解決なりをアリスにやらせて、かつ依頼も続行する。


ただし、あまりに難易度が高そうであれば。


ヒビキはディアジオをちらりと見ると、彼なりにすでに思案していたのだろう解決策を提示してくる。


「これではいささか……場所を変えますか? 魔草採取に向いている湖というだけで、ほかにもいくらでもアテはありますが」


「そうですね」


ヒビキの考えと同じく、ディアジオも場所を変えての依頼続行を申し出てくる。


ディアジオが気が利くおかげで、次善のプランも用意と確認ができた。


ヒビキは内心で良し、とうなずきながらディアジオへ向かった首を横に振る。


「場所を変える……それであれば簡単な話ではあるんですが、この話はそう簡単ではないのです」


「ほう? と言われると?」


好奇心を刺激されたディアジオがヒビキにたずねる。


ヒビキは申し訳なさそうな笑みを浮かべて。


「そうたずねられて、お答えできるほど簡単な話でもありませんので。ここはひとつ乙女の秘密という事でお願いします」


実際、正直に答えられる理由ではないのだから仕方ない。


よくわからないトラブルを楽しもうというだけの話なのだから。


ヒビキの顔も申し訳なさそうになるというものだった。


「……わかりました。事情もおありでしょうから。とにかく何かしらの理由があって、この場所で採取依頼を続行。というわけですね?」


「ええ。この現象の原因をつきとめて解決すればなお素晴らしいものです。さて……アリス? リーダー?」


大の字になったままアリスは涙を浮かべていた。


アリスは微動だにせず、瞳から涙をポロポロとこぼしながらヒビキに問いかける。


「心が折れそうです。それは冒険者としての死とも言えます……」


洗濯したばかりだった服が沈むようにして湿地に埋まり、器用に半分だけ泥に浸かってしまった悲しみはそれほどに深かったらしい。


「泥にまみれて死んだ人はいませんし、冒険者はその程度で心は折れません。ちょっと恥ずかしいかな、という程度です」


「やっぱり! 恥ずかしいんですね! 今の! 私は!」


涙がポロポロから、ドバーと滝のようにあふれ出した。


言い過ぎたかもしれないとヒビキが反省する。


「冗談ですよ。さ、凹んでいないで……いや、文字通り泥の中で凹んでいるんですが、立ってください。リーダーが先を歩いてくれないと私たちは何もできませんよ」


「……リコールはしないんですか」


「難しい言葉を知っていますね。するわけがないでしょう。リーダーは何があってもアリスですよ」


どうやら失態が続いていたため、リーダーから降ろされると思いこみ凹んでいたようだ。


まだ何も始まっていないうちからリーダーの座から降ろされるというのは中々得難い経験になるだろうが、アリスの求める冒険譚ではないだろう。


「そうですか。何があっても私がリーダーですか」


「ええ」


「ディアゾオさんも同じお考えですか?」


「実に惜しい、正解はディアジオです。そして私もリーダーはアリスさんにお任せしたいと思っています」


ジーっと二人を見るアリス。背中が冷たいのか、ブルリと身を震わせつつ、ようやく何か納得したように一つうなずく。


「では引き続き私がリーダーというわけですので、今後の方針を決めましょう」


両手を腰にあてて、キリっとした表情をつくったアリスは再び湖を見る。


「とは言え、採取するべき魔草がないわけですけれども」


アリスが判断に窮する。


正確にはどうしようもないけどリーダーとしてどうにかしなくては、という顔だ。


「ヒビキはどう思いますか?」


リーダーは思考を放棄してヒビキに問いかける。


場所を変えましょうというベストな答えはとあえずしまっておいて、このトラブルをアリスに正面からぶつけるために一芝居打つことにした。


「アリス……おかしいと思いませんか?」


アゴに手をあててヒビキは、怜悧な思考を持つ名探偵のような表情を演じてアリスに問い返す。


「何がでしょう?」


「ディアですら見聞きしたことがないというこの状況。それが私たちがパーティーとしてやってきた初日に起きる。これはまるで我々に与えられた試練のようではないですか?」


「試練、ですか?」


いまいちノリが悪いなとヒビキは方向性を変えることにする。


もやっとした障害ではなく、世俗の優越感を提示してみる。


「不可解な事件に直面したのは出来たばかりのパーティー。それを見事に解決したとなると、その名は瞬く間に響き渡るかもしれませんよ?」


「……パーティー名が決まっていればそうかもしれませんね」


アリスの心にヒビが入ったかのような音が幻聴となってヒビキの耳に届く。これはちょっといただけない失敗であった。


そこに助け舟を出してくれたのはディアジオであった。


「謎ですよね。こんな不可思議な現象に出会うなんて、まるで詩人が歌う冒険譚の序章のようではないですか?」


ピクリと耳が動くアリス。


ヒビキは反省する。別に難しい話にすることはない。基本に忠実にいけばよいだけの話だった。


「そうですね。物語はえてして謎の事件から幕が上がります。それをどう解決するのか。いえ、解決したものこそが主役というものですか」


アリスはそんな二人の言葉に、聞いていないふりをしながら湖を見つめている。


静かな湖面。


魔草はしなびて枯れているものの、毒や危険なものが湧き出ているという様子もない。


つまり、こう、何か怖そうな目には合わないんじゃないかな? という事を考えている目だなとヒビキは推察する。


意外とグロ耐性がなかったと本人からして意識していなかった弱点がアリスを慎重にさせていた。


あのへんの茂みとか今ちょっと動かなかったかな? とか、湖のわずかな波紋を見て何か飛び出してこないかな? と少し腰が引けているのも伝わってくる。


ヒビキはあと一押しかなと、アリスに近づく。そして耳元でそっと悪魔のささやきを一つ。


「大丈夫です。私がついていますよ」


それだけ言ってさっと離れる。


アリスが深呼吸を一つしてから、湖に向けていた顔を二人に向ける。


「私はこの謎を解きあかし、元の湖を取り戻すべきだと思います。何があろうと、どんと来いです!」


勇ましい言葉を口にしたアリスの眉は少しだけ不安で垂れ下がっていたが、ヒビキはそれを消し飛ばすような笑顔で。


「では、そのように」


と、いつもの言葉で従った。


ティアジオもまた、楽しくなりそうですねとアリスの意見を好意的に肯定し、リーダーは初のパーティー指針を決定した。


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