冒険者であり美女であるが故の取引
「あ、そう言えば途中までしかお話ししていなかった湖の番人の件ですが」
宿には泊まらない方針が決まった後、三人は再び泥まみれになりつつ採取を続けていた。
そんな折、マッカランが思い出したように湖の謎を守る番人について内容を語り始めた。
門番とはこの湖に生息する魚の事だと言う。しかしヒビキにはすでに心当たりがあった。
「ああ、やっぱりそうなんですね」
湖で小船に浮いている連中を見たアリスが釣りをやりたがらないわけもない。
しかし、アリスはわき目も降らず今もせっせと魔草を探して歩きまわっている。
というのも、つい先ほど魚を釣りあげたおじさんがいたので、様子を眺めていた。
その結果、釣りを楽しむ事は断念していた。
魚は釣りあげられた瞬間、おじさんに噛みつきにいったのだ。
魚なので水から引き上げられ、宙から落ちしまえばあとは地でピチピチと跳ねるだけだ。
だが針を外すために捕まえなければいけないが、その瞬間にも歯をガチガチとならしている。
「肉食ですからね。釣り上げたとき勢いあまってピーラニッアに触れてしまうと、あやまって肉を食いちぎられる事もありますよ」
「……失礼、なんて?」
聞き間違いかとヒビキは聞き返す。
「ピーラニッア、です」
「それはもしかして肉食で凶暴で、湖に落ちようものなら群れで獲物に食い掛る感じの魚ですか?」
「おや、ご存じでしたか?」
この世界の謎として日本語が通じるのもそうだが固有名詞も時折こうした少しイジったようなものが珍しくない。
「それにしては鯛ぐらいのサイズがありましたけど」
だが元になったものと同じものかというと、そうでもない事が多い。少なくともヒビキが知るピラニアはあんなにも巨大ではない。
「タイ? ですか? お二人のお国の魚でしょうか?」
ヒビキはおじさんが釣り上げていたピラニアと瓜二つの凶暴なビジュアルを持った鯛ほどのサイズの魚を思い出す。
ちなみにここにいる歴戦のおじさんたちには、釣り上げたピーラニッアを処理する事は片手間だし、それぐらいでないとここで糸を垂らす事は自殺行為ともいえるそうだ。
「しかし、確かにそんな魚がいるとなると湖の底の魔力が何か、なんてものは調べられませんね
ヒビキがマッカランが言っていた魔力の素についてもたずねる。
「ええ。釣り上げた一匹二匹を処理するならともかく、潜るなんてとてもとても。しかも大昔の話ですが、巨大な何か……なんと呼ばれていたかは失念しましたが、湖のヌシなんてものもいるようですからね」
「それは……ネッシーとか言いませんか?」
ゴクリとヒビキが生唾を飲む。
「いえ、そのような名前ではなかったと思います」
「そうですか」
少し残念に思いつつも、ヒビキは湖で船を浮かべるオジさんたちを見る。
「最初にここに来た時は釣り好きなおじさん達の集まりかと思いましたが……」
現実は凄腕な方々が小舟に浮かんでいるようだ。少なくともお尻の下で肉をかじり取る人食い魚が泳いでいても居眠りできる程度には。
「ふふ、この中にはかつては名を馳せた方もいらっしゃると思いますよ」
ヒビキとしては、たとえ湖に落ちてピーラニッアなる異形の人食い魚にたかられても、ケガ一つ追わずに脱出する自信と体躯を持っている。
だが、それとこれとは話が違う。いうなれば、ゴキブリにたかられてもケガはしないが、そんな危険をわざわざ冒す者は絶対にいないのだから。
そしてアリスに至っては普通にかじられてしまうだろう。
ヒビキがそばにいる以上、命を落とすことなどはないがそういう問題ではない。
おとなしく我々はお花を摘んでいましょうね、アリスに言うと、「ヒビキ。私はこの魔草採りという初仕事に真剣に向かい合いたいのです。魚釣りはまた今
度、いずれ、そのうち、という事にしましょう」と早口で了解していた。
というか、今までそんな危険な魚がうようよしている湖のほとりで草をむしっていたのかと思うとぞっとするが、マッカランにそんな危機意識はないようだった。
水中でなければ大丈夫という事なのだろうか。なにせ本人も一緒にぬかるみで泥をかぶっていたのだから。
そうして三人で魔草を取り続け、依頼達成までの目標である十束のうち三束を採り終えた頃、二度目の買い取り馬車がやってきた。
「そろそろ時間ですね。我々も着替えて街へ帰りましょうか。ところでヒビキさん、替えの服などは?」
「あるにはありますが……」
一応、いつも持っているカバンの中に替えの服などはあるが、冒険者とはかけはなれたドレスなどだ。
まさかここまで泥だらけになるとは思っていなかった為、ヒビキは作業着として使える着替えまで用意をしていなかった。
「あまりよいお返事ではないですね。でしたら、こういうのはどうでしょうか?」
***
マッカランがヒビキたちにたずね、ヒビキたちもうなずく。
宿の一つで湯を買い、マッカランの馬車の陰で汚れた服を脱いで、マッカランからある取引と交換で譲ってくれた服へと着替える。
「外で着替えをするなんて初めてです!」
「のぞきはいないと思いますが、手早く着替えましょうね」
ヒビキは周囲に気配がないかを探りつつ、アリスの着替えを手伝う。
マッカランが差し出してきた服は、それなりに見栄えの良い空色のワンピースだった。
冒険者用ではなく年若い町娘が着ていたような服だ。そして古着ではなく新品。
「サイズ感もよい具合のようですね。快活なお嬢様といった感じでお似合いですよ」
「ふふ、ありがとうヒビキ! それで街に戻ったら、このままマッカランさんとお食事なんですよね?」
「ええ、そうです」
「お食事は、この服のままでよろしいんですよね?」
「ええ、そのように言われましたので」
服と引き換えの取引条件とはこの服を着たままマッカランと夕食を同席する事。
店は花の彩亭ではなく、別の食堂らしい。それなりに高級志向の店らしく、客層も富裕層。
そしてこの服はマッカラカンの商会の新商品。
つまりは宣伝のためのモデルになってほしいというものだった。
アリスは特に疑問に思う事もなくマッカランさんがそれで助かるなら! と快諾。
ヒビキは美しくも優しく自慢の姉を着飾って見せびらかせる事ができるので、やはり快諾した。
「ヒビキー? 後ろ、留めてくださいな」
「ええ」
アリスが長い髪をかきあげ、背中をあらわにする。
ヒビキはそこにあるいくつかのボタンを留めて乱れた髪を整えてやり、自分も着替えを始めた。
アリスの空色ワンピースには袖や首元に小さな白いフリル、スカートにはやや多めのプリーツが入り、すそには白糸での縁取りがされた簡素なドレスというもの。
簡素とはいえ、それはヒビキたちからの視点での感想で、一般人からすれば上等な布地と仕立てからして高級品である事は間違いない。
一方、ヒビキに渡された服は同色のツーピースと白のボタンシャツというデキる女的な装いだ。
「はー! ヒビキ、かっこいいですよ!」
「ふふ、アリスも可愛いですよ」
互いを本心から褒めあってたいたところ、少し離れたところからマッカランの声がかかる。
「お二人とも、どうでしょうか? サイズなどはあっていますか?」
「ええ、大丈夫です。もう着替え終わりましたので」
ヒビキがそう返し、ではマッカランがそろそろいきましょうと姿を現し、一瞬、言葉を失ったように棒立ちになる。
「マック?」
「ああ、いえ、その。こう言っては失礼かと思いますが、思っていた以上に服が映えまして」
「服が映えるというは誉め言葉ではないような……」
ヒビキはあまり耳にした事のない誉め言葉のような文言に首をかしげる。
誉め言葉ならよくお似合いです、などではなかろうか?
「いえいえ合っておりますよ。アリスさんとヒビキさんの美貌のおかげで、そちらの服がよりよく見えるのですから。やはり私の目に狂いはなかった」
「えーと? 褒められていますか?」
「もちろんです。アリスさん、とてもお可愛らしい。本当にお姫様のようですよ」
「ありがとうございます!」
笑顔でアリスが片足を引きながら、スカートのすそをつまんで礼をする。
ヒザを曲げて頭を下げるほどの丁寧なものではないが、慣れた雰囲気と洗練され所作というのはやはり伝わってくる。
「……マック? そろそろ行きましょうか?」
再び呆然としていたマッカランの様子に、ヒビキは少し嬉しく思いながら声をかけた。
「あ、はいっ、すみません、行きましょう!」
慌てながらマッカランが行きと同じく御者台に座る。
「私も横につきましょうか?」
ヒビキがマッカランを気遣うものの、マッカランが遠慮する。
「ありがとうございます。ですが一人で大丈夫ですよ。それに風や雨など吹こうものなら……」
「ああ、折角の新商品が台無しですものね」
「ええ。というわけで、中でごゆっくり過ごしてください」
マッカランであれば服の替えもあるだろうし、商品を汚したところで怒りはしないだろう。
ただ単にヒビキにも休んでアリスの話し相手をしてほしいという心遣いだとヒビキは理解する。
「それではそうさせていただきます」
マッカランにそう言って頭を下げると、すでに乗り込んでいるアリスと同じく馬車の中へと入りこむ。
「お洋服の宣伝ですから。それなりにお行儀よくしてくださいね」
「わかりました! それにしてもどんなお料理でしょう、楽しみですね!」
「今日はたくさん働きましたからね。きっとおいしく感じられますよ」
そうして二人を乗せた馬車は街へと帰っていった。