到着直後の光景に戸惑うアリスとヒビキ
街を出た馬車に揺られる事、一時間。
スライムと遭遇したような広い街道を走り、途中で森の小道に入り、さらに進んだその先で馬車は止まった。
「着いたようですね」
マッカランがまず下車し、馬車のドアを開いたまま手を差し出す。
「ありがとうございます! ……あら?」
アリスがその手をとり馬車を降りると同時に、驚きの声をあげる。
ヒビキも何事かと馬車から降り立ち、辺りを見まわす。
そこには話に聞いた通りの大きな湖があった。
背の高い木々に囲まれた湖はとても澄んでおり、木洩れ日を反射してきらめいている。
草木も茂り、湖の上には湖面に咲く白い花が時折起きる波紋で揺れている。
湖のほとり、水と土が混じった湿地の部分にも花々は咲いており、蝶や虫なども見て取れる。
「きれいな湖ですけど……色々と台無しですね」
湖は美しい。景色も素晴らしい。
だが、そんな自然色で描かれた光景を台無しにするかのように、湖の近くには何件かの派手な小屋が軒を連ねている。
それぞれの玄関先にはのぼりが建っており『一宿一飯一銀貨』だったり『貸し船屋』だったり『釣り餌豊富!』だったり。
「初心者、駆け出し、そういった方々にも安心してオススメできるポイントの理由の一つですよ」
マッカランが笑顔で二人に説明する。
「常に誰かしらいますからね。ここの先輩方は面倒見のよい方も多いですよ。引退して娯楽がてら来ている方や、過酷なダンジョン探索を終えて休息がてらという方なども」
あの方もそう、あの方もそうですよ、と指さす先には湖に浮かべた小舟の上で釣り糸を垂らす釣り人達の姿だった。
「ええと、ここは……釣りの為の湖ですか?」
「いえいえ。魔草採取には最も適した場所の一つですよ。白い花がいくつか咲いていますが……ちらほらと青みかかった花も見えるでしょう。あの辺りの魔力を吸った魔草ですね」
マッカランが言うように同じ形をした花であるが白い花の中に、わすせかに青い花も見受けられる。
「草は難しいですが、花はわかりやすいですからまずはそちらを主に集めると良いかと思いますよ」
「魔草は花や草の種別は特にないんですか?」
「ええ。重要なのは魔力を含んだ草花というだけです。草食かつ魔力が必要な獣のエサとなりますから、とにかく量が必要とされます」
マッカランの説明を聞き終えて、なおヒビキは疑問に思う。
「では、こちらの先輩方はお花摘みではなく、なぜ釣りを?」
「魔草集めより、釣りの方がお金になるので……」
マッカランは苦笑して答える。
「こちらで釣れる魚は美味でしてね。街で売ればそこそこの小遣い程度にはなるんです。ですから時間の空いた冒険者の方々が、休息がてらだったり、娯楽目的だったりと釣りに来られるんですよ」
「釣った魚を街に持って行って売るんですか。ちょっと大変ですね」
馬車で一時間の距離を往復する労力までかけて釣りで稼げるのだろうかと疑問に思う。ヒビキたちはマッカランの馬車に厚意で乗せて行ってもらっているが、実際はそういった運賃などもかかるだろう。
「いえいえ。だいたいの方は宿で連泊しつつ、釣った魚は街からやってくる定期便に卸す具合です。先日ご案内した雑貨屋の通り『金策通り』から早朝と夕刻前の一日に二度買い取り専門の馬車がやってきます」
「はー、なるほど。その日釣った魚はその日のうちに捌けるのですね」
「はい。皆さん、二度目の買い取り馬車が戻れば、釣りをやめて宴会をしたり焚き火をしたり、楽しく過ごされていますよ」
釣り好きのおじさん達がバカンスでキャンプに来ているノリのようだなとヒビキは思う。
若い女性は自分とアリスだけで、あとは眠そうな目で釣りをしているおじさんか、寝ながら釣りをしているおじさんしかいない。
「見たところ魔草採取のライバルはいません。幸運ですね」
マッカランが自分の事のように喜び、アリスもラッキーですね! と同意してやる気を見せる。
「それでマックはこの後どうされるんですか? 街に戻られるのですか?」
マッカランも忙しい身だろうし、帰りはどうしたものかとヒビキが思案していると。
「トンボ帰りというのはなかなか腰にきますし。せっかくですので、今日はお二人と一緒に魔草を採取しようかと。暗くなる前に街に戻りますのでそれまでがんばりましょう」
マッカランが腕まくりをする。
初日という事で知り合いもいない状況下、マッカランが一緒にいてくれるのはありがたいなとヒビキは思う。
彼を通してここの先輩たちの何人かと知り合いになれれば、いろいろと過ごしやすくもなるだろう。
指定された分量というものは特にないが、マッカランにどれくらいの分量が妥当か尋ねると、両手でつかめる程度を束にして十束。このあたりの量から換金できる量でしょうかとという答えが返ってくる。
雑草をむしるならばあっという間だが、青く色づいた花のみを、それも足元の悪いぬかるんだ場所を探してその量というのはなかなかに骨が折れそうだった。
「それでは始めましょう!」
マッカランと同じく腕まくりをし、ローブのすそを少しまくり上げて絞って縛ったアリスがやる気満々でぬかるみに踏み出す。
ブーツははいたままなので、何かを踏んでケガをするという事はないだろうが……。
「アリス、気を付けて。足をとられま……あっ」
いうが早いか、アリスはブーツをぬかるみに沈め、踏み出そうとしたものの足が抜けず、バランスを崩して盛大に尻もちをつく。
「アリスさん、大丈夫ですか?」
マッカランがかけよって手を差し出して、立ち上がらせる。
「……」
無言でぷるぷる震えているアリス。
「冒険者生活。その厳しさの一点を早速身をもって知りましたね」
かける言葉はないが、何も言わないよりはいいだろうとヒビキはいつもより気持ち優しく声をかける。
「皆が皆、初めからうまくできるわけではありません。今は一流と呼ばれている方も、最初は沼に足をとられて苦労した事もあったでしょう」
マッカランもどう対応していいのかわからずヒビキに同調して慰めている。
「お尻が冷たいです……」
さすがにへこんだのかトーンが低い。
だがそれもつかの間。
「そうですね! どんな一流の冒険者も、そうあの勇者さんでさえも! すべては皆、このお尻の冷たさを味わったと思うと感無量です!」
さすがにそれは少数派だろうとヒビキとマッカランが目を合わせてながら、やる気を取り戻したアリスが再びぬかるみを歩き始めた背を見て微笑む。
だがすぐにまたバランスを崩すアリス。
「あ、危ないですよ!」
マッカランが背後から支えようとする。しかし小柄な女性の身で軽いとはいえすでに勢いがついたアリスにのしかかられ、マッカランはアリスを抱えながら背中から泥の中へと盛大に倒れこみ大の字を描く。
飛びちった泥を器用によけたヒビキは、泥の中で墓場からよみがえったゾンビのごとく手を宙にさ迷わせて助けを請うアリスを引き上げる。
アリスという重石がなくなったマッカランも自力で立ち上がり、アリスさんお怪我は? などと相変わら紳士ぶりを発揮していた。
こうして冒険者生活の初日は泥しぶきとともに幕を上げた。




