帝国と勇者
若き帝国の王、ガイラクスが座する玉座の前に同じ年頃の剣士が跪いている。
「アザァ、面を上げよ」
「はっ」
二人は静かに目を合わせる。
玉座の間の天井はドーム型となっており、大きなステンドグラスがはめこまれている。
そこから降り注ぐ陽光が二人を一層に輝かせている。
それだけで部屋の中の女性達が見惚れたようにため息をつく。
強靭な意志を瞳に宿した帝王ガイラクスと、どこまでも包みこむような包容力を宿した瞳を持つアザァ。
一流の詩人が書いた冒険譚の挿絵のごとく美しい。
目を奪われているのはメイドたちだけではない。
護衛の騎士たちもまたアザァに対して少しばかりの嫉妬と、それを上回る敬意、尊敬、憧憬、そういった感情を持つ。
若い者が王の信を得るというのは往々にして衝突を起こすものであるが、アザァはその血統と、またそれ以上に純粋に帝国最強の剣士でもあるのだから。
「宣託の巫女様がいらっしゃいました」
「通せ」
部屋の扉に控える騎士が扉を開けると、白い僧衣をまとった若い女性が静かに歩み寄る。アザァのやや後方にて膝を着く。
「巫女よ。まわりくどい挨拶は不要だ。先日、お前が受けたという宣託をアザァに伝えろ」
「はい」
巫女は顔を上げるとアザァに向かい、ゆっくりと告げる。
「私の夢の中、戦女神はこうおっしゃいました。黒翼を兆しとし、その地には三人の魔人が集うだろう。それを打ち破らんとするならば、勇者の血筋を求め集い戦う以外に道は無し、と」
短いながらも、聞き流せない文言がいくつもある。
「黒翼か。アザァ、これはやはり?」
黒翼と聞いて、十人が十人、脳裏に描くのはただ一つ。
だがそれが間違いであって欲しいという表情を隠さずアザァへ問いかける。
「魔界に組する古竜にて、最強の黒竜かと。しかしアレはかつての勇者が対峙し、痛み分けの結果、これ以上は剣を交えないという不戦の約定を交わし魔族の地へ戻ったとされています。眉唾ですが」
「眉唾も何も、長く事実として語られている事だろう。ならば黒竜め、傷が癒え、約定を破り……戦場に舞い戻ったか?」
「考えられないことではありませんが、竜が一度結んだ約束事を反故にしたという話は聞いたことはありません」
黒き翼と言われて人間がすぐに思い付くのは、かつて神魔戦争と題された未曾有の戦時に猛威を振るった黒い竜だ。
地を飛び立つだけで暴風のごとく魔力の渦を生み出し、吐き出す黒炎はなにもかもを燃やしつくし灰すらも残らない。
ただし、残酷というわけでもなく、また虐殺を好むというわけでもない。魔王を戦友として、その王妃を親友として、あくまで魔族の仲間として戦争に参加していたようだった。
本来、竜というのは、神、人、魔、どの陣営にもつくものではなく、それぞれが個として生きており、友誼、制約、契約などを結ぶのも、敵意を向けられるのも個人間のやりとりである。
とはいえ、力なき者が竜を利用しようと騙したりして破滅した物語はいくらでもあり、危うきに寄らず、というのが常識である。
「黒竜は敵でない可能性もあるか。ぜひそうであってほしいな。で、それを兆しに魔人が三人集う。これはどう見る?」
「さすがに情報が足りません。これから魔人がその地に生まれるのか? どこからか流れてきた流浪の魔人が住み着くのか? 何か目的をもった魔人がやってくるのか? これに関しては調査の必要がありますが。まずは……」
「黒竜が現れる地がどこか、という事だな」
「はい。帝国の領土は広大です。魔人が集う地を見つけるのが遅ければその地はすぐ支配され、その魔人の性格によっては民を虐殺、もしくは人質として様々な残虐な手段を持ってこちらに攻め寄ってくるはずです」
二人は互いの考えを確認し、やるべき事の順序を定めて行く。
それはまるで何度もくり返したようなやりとりであった。
「まずは黒竜の目撃情報を最優先。探索隊や調査隊も出そう。次に魔人に対抗すべく勇者とその一行の子孫達へ招聘令。我が城の宝物殿の解放と武具の点検と準備。魔人討伐補助の為に派遣する兵士達の再編成と……」
それはまるで何度もくり返していたような慣れたやり取りのようであったが、ガイラクスの才能であるならば当然であるのだろうと、淡々と出される命令を周囲に控えていた書紀たちが羊皮紙に記して行く。
そんな中、部屋の中からでもわかるほどに慌しい足音が響く。
「し、失礼いたします! 王よ、緊急です! ガイラクス王よ!」
玉座の間へ許可無く飛び込んできたのは見慣れた侍従の一人だ。
まだ若いが常に冷静で、重要な仕事をいくつか任せるほどに信用も篤い。
そんな男が血相を変えて走りこんでくるとなれば。
目が合ったアザァもガイラクスと同様の表情を浮かべていた。
――まさか。
と。
扉の前に控えていた騎士にその無礼からつまみ出されようとしている若い侍従だったが、ガイラクスは声をかけて解放してやれと手を振る。
「おい、放してやれ! 報告の続きをしろ。黒竜か! どこに現れた?」
「は、はい! すでに報告が……?」
「……いや。だが宣託があった。すぐに捜索隊を出すつもりではあったが。で、どこに現れた?」
「それ、が……!」
だが侍従は表情を失った顔で、恐怖に縛られたように膝から崩れ落ちた。
忘我の体で空を仰ぐようにして、だがなんとか言葉を搾り出そうとする。
「おい、どうした?」
ただ事ではないとガイラクスがやや体を浮かし、アザァが近寄ろうとした時。
玉座の間が暗闇に覆われた。
「な?」
「陛下」
すぐにアザァがガイラクスに寄り、周囲をうかがう。暗殺者が使う闇の雲? それにしては煙がない。ならば魔法使いの視界を奪う術かとアタリをつけるものの、どれとも違う。
そもそも帝国の玉座の間に侵入者などありえない。ならば何かと、アザァが警戒を強め、すでに手をやっている剣の柄を強く握り締める。
しかしすぐにその闇は解けた。
明かりが戻れば、巫女は虚ろな目で天を指差している。
ガイラクスが目をやれば、そこには黒き竜がドームの真上を通り過ぎた後だった。
「……帝国、それもこの首都に現れたか」
「街を襲う、というつもりではなさそうですね」
「もしそのつもりであれば、俺はすでに灰も残っていないだろうよ。お前だけがかろうじて、というところか?」
「黒竜がかつての力を維持していれば、私一人では相手にもなりません。今頃は共に燃えカスです」
二人は竜の中で古き不戦の契約が生きている事にひとまずは安堵する。
「……さっきから頼りないことばかり言ってくれるなよ、勇者のひ孫殿。お前の曽祖父はアレとやりあったんだろう?」
「私とて寝物語に伝え聞いただけです。曽祖父が黒竜と対峙したのは事実らしいですが、アレとやりあって生き残り? あげく戦いに勝ち、不戦の約定を結ばせた? などありえません。明らかに誇張、いえ捏造された英雄譚でしょう。戦時下の士気高揚の為の広告塔のごとく。それに不戦の約定など黒竜の気まぐれにすぎません」
「辛辣だな」
「ともあれ。なんにせよ彼女が敵ではないならば後は魔人が三人。こちらであれば遅れをとるつもりはありません。一対一であればですが」
「ところどころが微妙に頼もしくない物言いだが、そういうお前が言うのであれば魔人の対処は絶望的というわけではなさそうだ。良し、捜索隊と調査隊の派遣を急げ。黒竜の足取りは念のため確認したい。ここにくるまでにもどこかで舞い降りた形跡や目撃情報があるのか。そして今、ここからそのまま飛び去ったのか、途中で降り立ったのか。もちろん魔人の目撃情報も集めろ、急げ、行動開始だ!」
首都に現れた黒竜であったが、すでにどこかで何かの用件を済ませた帰り道、たまたま首都の上空を通過したのかもしれない。それならばすでに別の場所でも黒竜が目撃されているであろうし、また黒竜が兆しとなればすでに三人の魔人も何かしらの行動を起こしている可能性がある。
「……また人と魔の戦争が始まるのか?」
「そうではないことを願うばかりです」