アリエステルと黒衣の紳士
宿への帰路を急ぐヒビキは西街から中心街へ早足で向かっていた。
予定していたようなガラの悪い冒険者とは出会えなかったものの、今後の役に立ちそうなツテとコネと知り合いが増えたのは収穫だ。
ただやはり最初は正統派という事で、明日マッカランが紹介してくれるであろう冒険者ギルドに登録した後、入門的な依頼を探してみたい。
ヒビキとしても、新米冒険者が受ける依頼に興味もあった。
パッと思いつくのは、害獣駆除や薬草探しだろうか。
戦闘行動が含まれる依頼に関しては色々と不安もある為、最初の最初は作業的なものが理想的だった。
「草花の採取とかないかな?」
薬草の原材料となる葉やら根やらを採取する仕事。
地味ではあるが体験しておくべきだろう。お約束的な意味も含めて。
そんな考え事をしながら進む路地に人気は少ない。
ゆえに目立ってしまった。
「……アリス?」
遠目に見える少女のシルエットは、見間違えるはずのない姿。まぎれもなくアリスだった。
なぜこんな場所に?
それもこんな時間に?
宿から抜け出したのか?
そんな疑問も浮かぶものの、今は注視すべきものがある。
「なんだ、あいつら?」
やや距離を置いて二人の鎧姿の騎士達が付いてきている。
護衛というには距離が開きすぎ、偶然同じ方向に歩いているにしては近すぎる。
見ようによっては今まさにアリスに何かしらの危害を与えようとしている緊迫した瞬間、のようにも見えるし、まったくそうは見えない風でもあるが。
ヒビキはすぐに走り出し、アリスの元へと駆け寄った。
よくわからないならば、騎士達を殴り倒してから考えようという素早い判断だ。
正しいかどうかは考慮しない、アリスの安全が最優先なのだから。
***
道の向こう側に全体的に黒い服装の男が見えたと思ったら、突如として走って向かってきた。
「……何者だ? 軽装だな」
「詮索は後だ、油断するなよ相棒」
抱えていた兜をかぶる暇はないと判断し地に転がすと、すぐに剣を抜く二人。
「あら? どうされたの?」
向かってくる男に気づいていないアリスは鞘走りの音に振り返り、剣を抜いた二人にたずねかける。
「こちらへ」
街にはすでに人影もなく、妙な噂を立てられる心配もないだろう状況であれば、騎士達の判断は早く正確だ。
アリスの手を引いた騎士が自分の背後へと誘う。それを守るようにもう一人の騎士も前へ出る。
「来るぞ。無手だ。隠し武器の類に気をつけろよ」
黒いマントに黒い手袋の男は、鋭い視線と頬に傷を持った長身で痩身の男だった。
いかにも盗賊か斥候といった身軽さが身上の者の様相である。
相手の思惑はわからないが明らかにこちらへの敵意がある以上、騎士達は丸腰相手でも初手から斬りかかる判断を下した。
少なくとも国の紋章に向かって敵意を投げかける以上、命を失っても文句は言えない。
「フンッ!」
袈裟切りの一刀。
鋭く、速い。
それを紙一重で交わした黒ずくめの男は、騎士の懐にもぐりこむと鎧の胸部へ拳を叩き込んだ。
「ぬッ」
騎士がそれまでなかった怒りを顔ににじませる。
衝撃そのものは騎士の肉体へ届かないものの、胸の紋章を殴りつける行為に対しての怒り。
「せいっ」
もう一人の騎士が突きを繰り出すが、それも軽やかにかわすと同じように胸を目掛けて拳を振るってくる。
騎士はそれをかわそうとせず、逆に体を前に進めることで、男の拳へのダメージを狙う。
だが、黒ずくめの男はその動きに気づくと拳を引き、さらにその身も大きく引いて距離をとった。
騎士達は黒ずくめの男が只者ではないと判断し、背後のアリスをどのようにして守るかを考える。
セオリーとしては警笛を吹いて増援を呼び、一人が足止め、一人がアリスを連れて中心街へ。
だが、この男相手にわずかな時間でも一対一というのは厳しいだろうという確信もある。
今のやり取りには、手加減をされた感触すらあるのだ。
しかし他に良案はなく、警笛を吹こうと騎士が胸元に下げていた笛を取り出す。
男がそれが何かを理解すると、すぐさま襲い掛かってきた。
「させんよ。相棒、力いっぱい頼むぞ」
笛を取り出し口へ近づけた騎士を守るように、もう一人の騎士が剣を構えてさらに三歩ほど前と出る。
黒ずくめの男は構わず突っ込んでくると、再び拳を突き出してくる。
それを剣で切り裂かんと、真横へ剣を振りぬく騎士。
しかし突き出された拳はすぐに引っ込められ、剣を振りぬいた剣士の隙を見計らい、その脇を抜けて行く。
「そう何度もな?」
フェイントである事を見抜いていたのか、振りぬいた勢いを殺さずそのまま一回転をして、再度の横薙ぎを黒ずくめの男へと浴びせる。
黒ずくめの男はそれをくぐるようにかわし蹴りを繰り出す。騎士の腹部にめり込み、数歩後ずらせたものの。
ピイイイィィィィィィィィィィィ!
と、警笛の音が深夜の街に響き渡った。
***
アリスの視界の中では、めまぐるしい速さで三人の男が動いていた。
騎士達の肩越しに、襲ってきた男を見る。
「……まるで黒狼紳士のような服装の方ですね」
黒マントに黒手袋。そして頬に傷。
ただ作中の黒狼紳士はもっと仕立てのよいマントに指先まで覆う黒革のグローブをしている。
細部の違いは他にもいろいろとあるのだが。
「頬の傷がいかにもですわ……ハッ! まさか!」
件の小説家は、最新作でも証明されているように登場人物に実際のモデルがいる事が多い。
黒狼紳士にもモデルがいるのではないかと、ファンが思案するのも不思議ではない。
今、目の前で騎士二人を相手に軽やかな体術で翻弄する様は、黒狼紳士そのものだ。
劇中でも黒狼紳士が顔見せとばかりに、護衛の騎士や兵士達をからかうシーンがある。
後にそういう相手と、色々な展開があったりするのだが、それはともかく。
「それで、なぜこんな展開になっているのでしょうね?」
黒狼紳士(仮)の目的はなんだろうか。
この街に来たばかりの自分が、当日の夜に夜道で襲われるほど恨みを買っているのとは考えにくい。
であれば、騎士達へ何か思いがあっての事だろうか? 確か『黒狼紳士』シリーズでも騎士達を相手取って、大立ち回りをする事はあった。
だがそれは逃亡であったり、かく乱であったり、仕事に絡む部分である。
「……という事はつまり?」
アリスの特定分野に対してだけは回転の速くなる頭脳がきらめく。
黒狼紳士が騎士達に向かって戦いを仕掛ける。
つまり、泥棒仕事の最中にバッタリと出会ってしまった、と。
私はたまたま運よくその場にいあわせた女性。
そして黒狼紳士は男性とも仲良くなるが、女性ともプラトニック的には仲良くなる主人公である。
彼女達はメインヒロインではないものの、友人になったり、恋敵になったりと、物語を盛り上げてくれる存在である。
そう、アリスは今、まさに。
「私、今……サブヒロインポジション!?」
突如として大声をあげたアリスに、三人の男達がビクリと肩を震わせ、その一瞬の隙をついて黒狼紳士はその場から飛び去るように街の暗闇へと消えていった。
***
「私、今……サブヒロインポジション!?」
その歓喜極まった雄たけびを聞いた瞬間、ヒビキは色々と察してそれ以上深入りしないように立ち去る事にした。
自分が騎士達に走って向かった瞬間、騎士達はアリスを守ろうとした。
この時点でどういった事情を抱えているのかはわからないが、この騎士達は被害者だと悟った。
深夜徘徊という散歩を楽しむアリスに振り回され、こんな所まで引きずりまわされた挙句、自分という不審者に遭遇したのだろう。
それでもアリスを即座に守ろうと動くあたり、任務に忠実かつお人好し、といった所だろうか。
二人の顔は覚えた。いずれどこかで、アリスのエスコートをしてくれた礼も機会があればしておきたいと、心のメモ帳に書き込んでおく。
アリスの雄たけびに隙を生じた二人の騎士から距離とり、そのまま街の陰へと走りこむ。
騎士達は一瞬こちらを追いかけようとしたものの、アリスの安全を優先したのか追っては来なかった。
ヒビキはそのまま三人に見つからないように近くに潜み、様子をうかがった。
「お嬢さん、お怪我はありませんか?」と一人がアリスを気遣い、一人は剣を構えたまま周囲を警戒している。
当のアリスと言えば、色々と興奮冷めやらぬのか頬を上気させたまま、大丈夫ですと答えていた。
そして警笛によってようやく駆けつけた軽装の兵士達。数は十人ほどだが、彼らに今起きたことを騎士が説明して周囲の巡回をするように命令を出す。
「相棒、お前はお嬢さんを頼む。オレは兵士の指揮にあたって少し巡回をする」
二人組みの騎士の一人が集まった兵士達の指揮をとり始め、もう一人がアリスに宿泊先を聞いていた。
「ですが、そのぅ、妹がまだ見つかっておりませんので」
アリスがそう告げると騎士が「兵士達が巡回してすぐに探しますので。お嬢さんだけでもまずはお戻りなさい」と、説得していた。
(ああ、そういう流れか)
ヒビキはそのやりとりで、だいたいの事情を察し、ほぼ間違いないだろうと確信もした。
このままではアリスはまだ宿に戻ろうとしないだろうし、戻ったとしても自分を探しに出ようとするかもしれない。
宿での足止めはどういう事かうまくいかなかったようだ。だがそれは責めない。
何事にも確実というものはないし、誰だってミスはある。
主人の望むイベントの下調べに出るため、主人の安全にはそれなりに配慮した自分のミスでもあるのだから。
(ただ三兄弟にバレると面倒だから、あとでアリスには口止めをしておこう)
ともかく、今はアリスとともに宿に戻るのがいいだろう。これ以上、騎士達に迷惑をかけるのも心苦しい。
「アリス。どうしてこんな所にいるんですか。それに騎士様や、兵士の皆さんはどうされたのですか?」
物陰から偶然を装うようにして顔をだし、ヒビキはアリスと騎士に声をかける。
顔と身長はスロット2の妹フェイスに変更してある。
黒いマントはそのままなので身長を縮めた分やや丈が長い。黒い手袋は懐にしまいこんだ。
「まあ、ヒビキ!」
「お嬢ちゃんが、ゴホンッ、お嬢さんがこちらのお姉さんの妹さんかな?」
騎士が言い直し、ヒビキがそれにうなずく。
「確かにより幼い、いや、お若い。そんな年の女性が一人歩きとは感心しないな。お姉さんは君を探してずいぶんと探し回ったのだよ」
それに付き合わされただろうに、それに関しては一言も文句を言わないあたりヒビキは騎士に対しての好感度をまた上げた。
あと、いちいち女性に対しての言葉遣いに気を使おうとしているところが面白い。
「それは大変申し訳ありませんでした。宿の方には姉を外出させないようにお願いしていたのですが手違いがあったようですね」
「ああ、そうでした! ヒビキがどこに言ったかお尋ねしようとしたんですが、宿の方が誰もいなかったんですよ!」
ヒビキがそんな事があるのか? と思いつつも、従業員も常にカウンターに張り付いているわけではないかと納得する。
何か悪いタイミングが重なった結果、こういう状況になったのだろうか。
「だが、それはそれとして。君のような少女が一人で出歩くという理由にはならん。首都とは言え、夜は危ない。今も不審者と……」
「そうです、そうです! ヒビキ! 今、私は黒狼紳士さんと出会ってしまったのですよ!」
騎士の言葉をさえぎり、アリスが興奮して叫ぶ。
黒狼紳士? とヒビキは首をかしげるが、どこかで聞いた事があるなと記憶を探る。
「……ああ、アリスが隠していた本の中の主人公ですね」
「ハッ!」
いわゆる性描写が露骨な本は、本棚の後ろや別の本のカバーをかけて隠蔽していたアリス。
今回はあまりに興奮していた為、ポロっと声に出してしまった。
「う、うう……見つかっていたんですね……」
興奮で上気していた顔が、羞恥で上気していくアリス。
「君達、私の話を聞きなさい。ともかく今夜はすぐに宿に戻りなさい。私が送って行くから」
騎士はここにいたってなお声を荒げる事なく、二人の少女の世話を焼こうとしていた。
ヒビキはその厚意に笑顔を浮かべて頭を下げる。
「ありがとうございます。今夜の一人歩きは事情があれど不用意であったと反省しております。騎士様方には大変なご迷惑をおかけいたしました」
年に似合わぬ丁寧な言葉遣いと態度で感謝と謝意を示すと、騎士は一瞬驚きを見せるものの、胸に手をあてて返礼する。
「ご婦人を守る事は至上の役目。礼を言われる事ではないが、美しき女性の笑顔が見られた事は最高の報酬です」
「あ、私も! ありがとうございました! 騎士様、とっても強かったです!」
「ははは、ありがとうございます。ですが、あの頬傷の黒ずくめ、かなりの使い手でした。我ら二人がかりで始終圧されておりましたし、貴女が無事だったのは運が良かった」
謙虚に事実を語る騎士であったが悔しさもにじませているあたり、再戦があれば面倒になりそうだとヒビキは美少女スマイルの裏で考えていた。
「ともかく夜も更けております。さあ参りましょう。ヒビキさんとおっしゃったか。宿はどちらでしたか?」
ヒビキは花の彩り亭の名を出すと、騎士はうなずき、今度は先頭に立って案内を始めた。




