アリエステルと騎士の体面
あてなく中心街をさまようアリス。
黒いマントを羽織っているとはいえ、遅い時間に若い娘が一人で出歩いているというのは良くも悪くも目立ってしまう。
特にアリスは人間の街では一般的な髪の色にしているとはいえ、美貌そのものは変わっていない。
むしろこの辺りの土地の者ではないその顔立ちは、ある種神秘的でもある。
そして無邪気に微笑む姿は自愛に満ちた美少女だ。
そんな女性が夜、一人歩きをする。
しかも目立たないように黒いマントを羽織って。
何か理由があるのか? と何も知らない者であればそう思うだろう。
疑問と不審、そういった理由からアリスはすぐに巡回中の二人組みの騎士に声をかけられた。
「こんばんは、お嬢さん。少々よろしいですか?」
騎士達は兜を脱ぐと手に抱え、素顔を晒してアリスへと歩み寄る。
「このような時間にお一人ですか?」
もう一人の騎士が連れがいないかの確認をしつつ、アリスに確認をとる。
アリスはキョトンとした顔から、すぐに何かに気づき、大声をあげた。
「ナンパ! ナンパですか! これがナンパというものですか!」
喜び、ぴょんぴょんと飛んで跳ねたアリスに対して、一瞬、あっけにとられた騎士達は慌てて違いますと手を振り制止させる。
「違うのですか……」
「ええ、我々は職務中でして、決してそのような用件でお声かけしたわけではありません」
毅然とした態度で否定する騎士に対して、アリスは露骨に表情を曇らせる。
その表情に、もう一人の騎士が彼女の女としての誇りを傷つけてしまったかとフォローに入る。
「ああ、その。お嬢さんはとても魅力的ですから、そういう手合いに声をかけられる事も多いでしょうね。私も職務中でなければ……」
「おい、何を言い出す!?」
そのフォローは焦りからか、明らかにダメな方向に振れていたため、同僚が止めに入る。
「あ! ああ、すまん、あ、いえ、お嬢さん、ええと、こんな所で何をされていましたか?」
騎士は慌てながら、誤魔化すようにそんな質問をアリスに投げかけた。
一方アリスはナンパではなく、騎士達が何かを問いかけるために声をかけてきたのかと理解すると、すぐに質問に答える。
「はい。私のおとう、いえ、妹を探しにきたのですが、なかなか見つからずに困っています」
ああ、やはりこんな時間に一人で出歩く理由があったのかと騎士達がうなずき合う。
困っているような雰囲気と笑顔ではないが、どうやら本当に困っているらしい。
「人探しですか……人通りはまだあるとはいえ、若い女性が夜の一人歩きは感心しませんよ」
さきほどの失態の照れ隠しあり、遠まわしながらもやや威圧的に家に戻れと騎士はアリスに告げる。
だがアリスはそれに物怖じする事なく、笑顔を一層輝かせた。
「ふふふ、騎士さんとお話するのは初めてです! 鎧姿、とても素敵ですわ! 兜を取ってくださってご挨拶して下さるのも紳士ですわ!」
「ああ、それは、その、どうも」
普段であればご機嫌とりのおべっかかと思う騎士も、まっすぐな瞳で鎧を見るあどけない娘の素直な賛美となると、照れと誇らしさがないまぜになりさらに態度が軟化してしまう。
「あ、そうそう! 騎士さん達はご存知ないかしら? 私に似た、少し年下の女の子でヒビキというのですげれど」
その言葉に騎士が反応する。
「貴女より年下の女の子が一人で出歩いていると?」
「部屋からいなくなっていましたし、宿のどこにもいませんでしたから、多分」
断言できるほど宿を探したアリスではないが、彼女の頭の中ではヒビキは街を徘徊している手のかかる弟となっている。
「……でしたら、仕方ない。我々が同行いたしますので、街を少し見て回りましょう」
騎士の二人は周囲を見回す。
正確には道行く人々の視線にさらされている事を意識していたが、アリスはそれに気づく事はない。
「私のお手伝いをしてくださるのですか?」
「職務ですので。このように時間に、うら若い女性を一人歩きさせるのを見過ごすわけにはいきません」
普段であればすぐに帰宅するようにと言いつけて終わりであるが、二人の騎士はそんな素振りすら見せずに同行しようと申し出てきた。
アリスは特に考えずに笑顔を浮かべる。
「ありがとうございます! では、参りましょう。ええ、見ればすぐにわかりますよ、とってもかわいい妹ですから!」
さきほどの言では、自分によく似た妹と言っていた。
つまり自分もとってもかわいいという自覚があるのだなと、内心思ったもののどうもそのような気配ではない。
単純に妹の存在そのものが愛しくてたまらない、そういう雰囲気だった。
「なかなか、果報者の妹さんらしい」
騎士二人は道も知らぬアリスに先導されて、その一歩後ろをついて歩き始めた。
***
騎士の二人は調子を狂わせながらも、先に行く若い女性の後に続く。
辺りを見回しながら、店、人、物と、あらゆるモノに興味を引かれているようで、歩調も定まらない。
夜とは言え、まだまだ街は起きている。
王城のあるこの中心街では、繁華街ほど飲食店や娯楽施設はないものの、それでもきらびやかな街灯が道を照らしている。
商人ギルドのある南街ほど華やかではないが、整然とした美しい街並み。
職工ギルドのある西街ほど賑やかではないが、生活感のある優しい景色。
二つの特徴をほどほどにあわせたような街が、中心街である。
ただ、王のいる区画というべきものとして、最も多くの騎士が常に巡回しているのはこの中心街だけだ。
治安という意味では間違いなく最も安全な区域だ。
冒険者ギルドのある東街では、彼らがウロウロしているだけで一定以上の治安が維持されている。
商人ギルドの南街では各商人の防犯意識が高いし、店によっては冒険者を守衛として雇っているところもある。
それは駆け出しの仕事だったり、引退間近のベテランの小遣い稼ぎだったりと色々な事情ではあるが、様々な冒険者が駐在している。
だが目の前の楽しそうな背中は、そのどちらでもない場所に向かっていた。
「なぁ、あの子、西街に向かってないか?」
「そうだな……そもそも本当に何かアテがあって進んでいるのかね」
キョロキョロと街のすべてを楽しみながら、進む背中に騎士は声を掛ける。
「お嬢さん、そちらは西街なんだが。妹さんは職工関係に用事があったのかな?」
「しょく、こう?」
アリスが騎士の言葉を繰り返し。
「ああ! 職工! そうです、そうです、そうでした! ヒビキはなんというか、多分、そうです! 鍛冶の人ととかに用事です!」
明らかな嘘。
むしろ、あまりに取り繕う姿が露骨すぎて、逆に演技ではないかと思うほどだった。
再び前を向いて歩き始めるアリス。
対して騎士達は眉をひそめあう。
「いや、ううん、どうしたものか。どうするよ、相棒」
「今のはお前の聞き方が悪い。誤魔化してくださいって聞き方だろうが」
確かに不要な情報を与えすぎた。
いつもであれば、この先に何があるのか知っているのか? もしくは、この先のどこに用があるのか? 妹には誰か知り合いがいるのか? などなど、聞き方はいくらでもあったはずだ。
「あのお嬢ちゃん、別に西に何か用があるわけじゃなさそうだが。相棒はどう思うよ?」
「考えたくないが……我々を護衛にして、気ままに観光しているだけの気がする」
「王宮騎士を二人相手にか。一応、これでもそれなりには畏怖されているばずだが」
「よそから来たなら、我々と他の騎士との区別がつくかもあやしいぞ」
二人の鎧に刻まれた王の紋章は、王宮に勤める事を示す特別なものである。
由緒正しい家柄かつ容姿端麗な子息が、厳しい訓練と教育を受け、さらに王直々の質疑応答に通った者だけが着用を許される鎧だ。
中心街以外でも騎士や兵士が警邏巡回をしているが、数少ない王宮騎士がそれらに混じって巡回任務につくのは中心街だけだ。
アリスはたまたまその希少な王宮騎士の目にとまった。
これが普通の騎士であれば、ヒビキの世界でいう未成年の補導よろしく強制的に宿に送り届けられたであろう。
だが彼らは王宮騎士だ。
騎士の手本であり、紳士としても手本でなければならない。
特に夜とはいえ、まだまだ人が行き交う時間。
大柄で威圧的な自分達が、見るからに可憐で無邪気な少女を連れ歩くというのは、非常に外聞がよろしくない。
つまり彼らは王宮騎士であるがゆえ、王に捧げた忠誠以上に世間体に逆らえない存在なのであった。
最初にナンパ呼ばわりされた時は肝が冷えた。
魔獣退治や盗賊退治などの実戦経験もあり、覚悟と胆力を備えた二人の騎士がここ数年でもっとも恐怖を覚えた瞬間だった。
今、彼らに出来ることはとても少ない。
せいぜい黙って後ろから着いて行くことだけだ。
逆にしてはならない事だけが多すぎた。
少女に触れない。
大きな声を出さない。
二人で挟み込むようにして歩かない。
とにかく、彼女がおびえたり、よしんば泣いてしまうような展開だけば絶対に避けなければならない。
「……お嬢さん、本当にそちらに妹さんはいるのか?」
「おい、やめろ」
オレだってそれは聞きたいがガマンしていたんだぞ、と制止する声も遅く、アリスは立ち止まる。
困ったような顔をして、立ちすくむアリス。
美人というのは得だ。何をしていても絵になるし、何をしていても注目を集める。
逆に困るのは周囲の人間だ。
今のように悲しみまじりで困った顔をされると、図体のデカい王宮騎士が可憐な少女を威圧しているようにしか見えない。
「ああ。良いんだ、大丈夫。我々は君の手伝いをしたいだけさ」
「そ、そうだ。何かを問い詰めているわけではないんだ。さあ、先を急ごう」
何か言い訳を懸命に考えていた様子のアリスは、二人の言葉を聞いて、しめた、という顔で「はい!」と返事をする。
そしてまたフラフラと好奇心というシッポを揺らしながら歩く華奢な黒マントの背中を、二人の男が覇気のない顔でついて歩き始めた。




