暗い道
暗い道を馬車が進む。
「ずいぶんと雨足が強くなってきましたね」
水を弾くように獣脂を塗りこめたフードを着込んだマッカランがため息をつく。
幌から突き出た屋根が御者台を覆っているものの、それだけでは雨は防げない為の防寒具だ。
「急ぎの用事でもありましたか?」
同じようにしてフード付のコートを着込んだヒビキは、マッカランの横で変わらず道中の警戒と話し相手をつとめていた。
「商人というのは、無駄が生じるだけで損をした気分になるんですよ。雨でなければもう少し早く進めるのですが」
あと少し進めば旅宿舎がある場所に出るという事で、雨に濡れながらの行進だった。
すでに日も落ち道もぬかるんでいるため、慎重に馬車を進めている。
あきらかに速度は落ち、手綱を握るマッカランの神経だけはいつもより磨り減って行く。
「ただ、ヒビキさんがいるおかげで、いつもよりは安心なんですがね」
「魔獣ですか?」
「それもですが、それなりに出るんですよ、このあたりも」
「……出る?」
「ええ、さほど数はいないらしいのですが、なかなか手ごわいとの噂の盗賊です」
「……ああ、そっちですか」
「他に何が?」
ゴーストやらゾンビやらが闊歩、とまではいかなくとも珍しくないこの異世界。
それでも怪談じみたものがあるのかと、一瞬ヒビキが思ったものの、やはりそうではなく現実的な話だった。
「一応、ウチの商会の幌には国家指定の紋章が入っているので襲われるとは思いませんが……ああいった手合いが食い詰めるとやはり、ね」
幌には帝国の任務に従事している証としてのマークが入っている。
これに害を与えれば、帝国から兵士が派遣される。
盗賊などからすればリスクが高い。
よってそういったマークのない馬車が狙われやすい。
だからと言ってマッカランの馬車が狙われないわけではない。
特に仲間割れや食い詰めた盗賊などは、目先の金と食料の為にならば、なりふり構わない。かまう余裕がない。
「現在の皇帝は治安に関しては、それも流通や貿易に絡むあたり特には注視していますからね。山狩りも昔よりも頻繁に行われています」
昔よりも街道は安全になりましたとマッカランは言うが、続けて。
「ここは『北の岩窟』もありますし、魔獣も多い。盗賊であろうと人間が住める場所ではないのですが……だからこそ見つかりにくいという場所でもあります。実際ここに居座る盗賊がいるという噂もあるわけですし」
そういうのに狙われると厄介極まりないです、とマッカランは辺りを見回しつつ心配げに呟く。
「そういう悪い噂ほどよく当たるというジンクスなどは?」
「よしてください縁起でもない」
えてして悪い予感ほどよく当たるというもので、マッカランもいつもと違う空気を感じてか、無意識にそんな話を持ち出してしまったのだろう。
まずヒビキが気づく。
そして幌馬車から、シトラスが顔をのぞかせた。
その隙間の奥には、アリスを守るように抱きかかえて、杖を用意しているカルアの姿も見える。
「多いか?」
「多いですね」
シトラスの問いにヒビキが答える。
マッカランがそのやりとりで状況に気づき、問いかける。
「……何が多いんですか? 魔獣ですか?」
「厄介極まりない方のお客さんですかね」
「どちらも厄介ですよ!」
「商人殿は幌へ。手綱は変わろう。カルア! お姫様を頼むぞ!」
幌の中のカルアにシトラスが指示を飛ばすと、杖を軽く挙げて応えている。
その熟練を漂わすやりとりを見たアリスが、おお、と言った顔で感動していた。
それを見たヒビキは、アリスへ視線でおとなしくしているようにと伝えると、アリスもコクコクとうなずく。
やや道幅の広いところまで来ると馬車を止め、シトラスが降り、ヒビキもその横に立つ。
「さて、ヒビキ……人を殺した経験は?」
「残念ながら」
「それは幸せな事だよ。これから残念になる覚悟があればいい。実力があっても覚悟がなければ死ぬぞ」
シトラスは年端も行かない少女に対して、辛らつなアドバイスを贈る。
「大丈夫ですよ。手加減できるところまではそうしますし、それで足りますから」
「……」
小娘が、と言いかけヒビキをにらみつけようとしたシトラスは、だが何も言えなかった。
確かに話には聞いていたが、目と目があったそれは、すでに蒼く輝いていた。
「強者の余裕か」
「アリスにはあまり残酷なシーンは見せたくないんですよ。なにせお姫様ですから」
「さっきの嫌味への意趣返しか?」
シトラスは自分がヒビキの姉をお姫様と揶揄したのが気に障ったのかと思ったが。
「おや、嫌味だったんですか?」
実際にお姫様なのを知らないシトラスがそう呼んだのは、それはそれで面白かったとヒビキは気にしていない。
少なくとも、今、役に立たない存在という意味では、お姫様のように大人しく座っていて欲しいのが共通の意見だ。
そうして臨戦態勢で待ち構えている二人は、異変に気づく。
「……減ってないか?」
「半分ぐらいになっていますね」
こちらにやってくる気配が数を減らしている。
距離が縮まるに連れて、その気配に殺気などがないのも感じ取れる。
逆に、乱れた呼気の気配は追われる者が放つ、恐怖にさらされたものだ。
「何かに追われているような感じですね」
「盗賊が散り散りになって追われるような存在となると……」
シトラスが、ふむ、と考え込み、辺りを見回し、ああ、とうなずく。
「まずいぞ、相当にまずい」
「何か? もしや黒竜でもまた戻ってきたとでも?」
「それはまずいなんてものじゃない。死んだも同然だ。そこまでじゃないが、コイツも充分にマズイ。馬車はそのままでいい、中の三人を連れて森の中へ……」
その時、森の中から盗賊らしき男達が三人ほど飛び出してきた。
「お、おい、馬車だ!」
一人がこちらに血走らせた目を向ける。
「お前ら! それを、馬をよこせ!」
二人目がそれに呼応して、腰のナイフを抜く。
「早くしろ、もうそこまでアレが……ッ!」
三人目もナイフを抜き、こちらへと走りだしたところで、頭がはじけ飛んだ。
二人の盗賊は背後を振り返ると悲鳴を上げながら、こちらではなく、それぞれ別の方向へと逃げて行く。
「今だ、来い、手伝え、三人を降ろすぞ! お姫さんとカルアを頼む! 商人殿はオレについて来い!」
シトラスの動きは早かった。
幌から三人を降ろし、森の中へと誘導する。
辺りは暗く、視界も無いに等しいが、音を立てずにゆっくりと木々の中へと身を潜ませた。
ヒビキもそれにならい、アリスとカルアを抱きかかえ茂みに身を隠す。魔力による筋力強化により、二人の女性くらいであれば余裕すらある。
事態を理解したカルアはヒビキの腕からアリスを抱きとめて、右手で自分の口を、左手でアリスの口を押さえている。
マッカランはシトラスに指示され、両手で自分の口を押さえていた。
やがてヒビキが身をかがめている場所に、シトラスが滑るようにやってくる。
「ヒビキ、すぐに魔力を抑えろ。寄ってくるぞ」
シトラスが緊迫した顔でヒビキに魔力を抑えるように指示する。
理由を聞くよりまずヒビキはそれにうなずく。
どんな状況も力まかせでどうにでもできる自信と実力はあるが、自分には冒険者としての知識が足りていないのも事実。
勉強させてもらうという意味でも、ヒビキはシトラスに従った。
「されで……なんですか、さっきのは? 狙撃ですか? 魔法攻撃?」
「スライムだ」
「スライム、ですか」
ヒビキにもその名に覚えはあるが、実物を見たことはない。
「……冷静だな。虚勢でもたいしたものだ。そのまま静かにな。アレは物音に反応する」
街道に目をやれば、すでにさっきの盗賊たちは倒れ付していた。
しばらくすると、盗賊たちが飛び出してきた森の辺りから、激しい音が近づいてい来る。
木々をなぎ倒し、地をえぐる様にして、ゆっくりとゆっくりと進むそれが雨夜に姿を現す。
「ひどいな、コイツはひどい……」
シトラスの漏らす言葉の意味を問うまでもない。
幌馬車ほどの大きさのそれは、赤茶色に濁った物体だった。
動くたびに形を変え、揺れるたびに内容物がはみ出ては、吸い込まれていく。
スライムはやがて完全に姿をさらし、街道へと進み出る。
そして最初に仕留めた獲物である、頭を失った盗賊にのしかかり、しばらくその場で鳴動すると、また移動を開始する。
すでにそこに盗賊の姿はない。
二人目の盗賊が倒れている場所へ移動する時、揺れたその体からはみ出たのは、腕か、足か。
それも一人分ではない。
二人分でもない。
五人分としてもまだ不足だろう。
「腕の立つ盗賊って噂だったが……あんな死に方には同情する」
死んで食われるならばともかく。
「……やめてくれえ、やめてくれえええ!」
三人目の盗賊は頭ではなく、足を砕かれて街道にのた打ち回っていた。
もはや逃げることもかなわない獲物に追撃する事はないのか、それとも活きの良さというものにでもあるのか、スライムはゆっくりと近づいて行く。
「やめやめやめ! やめッッッッッ!」
砕かれた足にスライムがのしかかる。
そのままゆっくりゆっくり、腰へ。胴へ。胸へ。
恐怖で錯乱した盗賊は泡を吹き、言葉にならない断末魔を挙げたまま、やがて顔にまでスライムが覆いかぶさった
そしてスライムの体はさらに赤くなっていく。
体を蠢かせて、体内の盗賊たちを砕いているようだった。
「咀嚼、しているんですかね、あれは」
「そうらしい。獲物の体がへしゃげ、噴出した血でスライムが赤くなる。血は消化できないのか、体外に排出される。あんな感じにな」
スライムの粘液に包まれた体のいたるところから血が染み出している。
「吸収するのは肉だけで骨も消化しない。装備品も当然な。だが、それらは体内に留めておいて、次の狩りに使う。さっきみたいに射出してな」
「なんとも……見ていて気持ちのいいものじゃありませんね」
「むしろ初見で平然としているお前さんが異常だよ。お姫さんはもう吐く寸前じゃないか?」
そういえばアリスは大丈夫だろうかと視線をやると、平然とした顔でカルアに抱きしめられていた。
「いや、お姫様もあれで、たいしたものだな。身じろぎ一つしてないじゃないか」
「……あ、いえ、あれは」
カルアがアリスの様子に気づき、口から手を放すと、眼球が裏返り、ぷくぷくと泡を吹き出した。
「失神していたか」
「なにぶん、お姫様ですからね」
「まぁ、大声で錯乱されるよりはいいさ……商人殿は?」
シトラスの背後に身を潜めていたマッカランは、両手で押さえている口元から吐瀉物が溢れているものの、声は出すまいと必死に堪えている。
「さすが大店の跡取り。たいしたものだ」
シトラスが感心しつつ、スライムの姿を確認する。
スライムは街道をしばらく徘徊していた。
まだ獲物を探しているのか、行っては戻り、戻っては進む。
その跡には、溢れた血で赤い道が出来上がる。
雨がそれをさらに広げ、辺り一帯に血臭が蔓延していく。
雨音は弱まることなく続く。
馬車を進めている時は厄介だと思った雨も、今は自分達の存在を隠す手助けとなっている。
恵みの雨にシトラスは感謝する。
「……これならスライムはこちらには気づかない。このままやりすごせる。物音を立てるなよ?」
シトラスが安堵しつつも、注意を促したところで。
パキリ、と真後ろで枝を踏みしめる音がした。
それは本来であれば、もっと早く気づけるべき物音だった。
だがこの雨とスライムへの警戒で、シトラスの注意はそこまで及んでいなかった。
ヒビキであればそれでも気づいたであろうが、失神したアリスを介抱してい為、普段より注意力が散逸していた。
そしてまたパキリ、と。
さきほどより近い背後で枝が踏み折れる音。
シトラスが誰が物音を立てているのか、注意しようと振り返る
「……ッ」
シトラスは声も出せずに硬直する。
手の届く距離、そこには二匹目のスライムの姿があった。




