商人の名乗り
商人は自ら御者台に座り、馬を操っていた。
幌の中にいたシトラスから商人の護衛兼、道中の見張り役として役割を振られたヒビキも商人の隣に座っている。
シトラスの判断というより、商人がヒビキと話す為にセッティングを頼んだのだろう。
「……『魔眼』の持ち主というのは聞きました。砦の隊長と同じく身体能力強化に長けているとか」
前触れもなく商人はヒビキに話しかける。
「ええ、その通りです」
ヒビキも隠すことではないと肯定する。
さらに言えば、身体能力のみに特化しているわけではないが、あえてそこまで言う必要もない。
「同伴の姉。アリスさんと言いいましたか。あちらは?」
「アリスを戦力として当てにされると困ります。彼女は見ての通り荒事には向きません」
「つまり、私は護衛ではなく、余計なお荷物を背負い込んだと?」
「私の大切なお荷物を運んでもらえるという話ですから、ついでに貴方を護って差し上げるんですよ?」
商人は笑う。ヒビキも笑う。
「なるほど。その若さでたいした度胸。舌も頭もよく回るようです」
「どうも」
さて、と商人が態度を改める。
馬へムチをあて速度を上げながら、商人は語りだした。
「冒険者になりたいそうですが?」
「ええ」
「冒険者になってどうするんです? 何が目的で?」
ヒビキにとっては冒険者になるという事が最初の目的であり、冒険者としての生活をアリスを楽しませてあげようというのが最終目標だ。
そんな事は思ってもいない商人は、暗にその力で何を求めているか、それに自分を一枚かませないか、と利を探る目でたずねているのだ。
「初対面の方に言える事でもないですが、親しくなったからと言ってお教えするものでもないですね」
「ごもっとも。では目的は伏せたままで結構。私の援助を受けませんか?」
これまた急な展開だなとヒビキは商人を見るが、商人が冗談を言っているふうでもない。
「……初対面の相手に対して援助ですか? 『魔眼』の持ち主という理由だけで?」
「あそこの隊長が実力を保障するほどですからね。何、難しい話ではありませんよ。私が、冒険者登録や宿の手配、その他こまごまとした相談事を請け負うという話です」
「こちらが支払うものは?」
「私の依頼を直接受けて欲しい。冒険者ギルドや酒場を通さず、個人的なお願い、という形で」
うさんくさい。
そんな言葉を表すように、ヒビキは顔をしかめて、露骨に怪しむ表情で商人を見る。
商人もそれが演技である事をわかっていながらも、取り繕うようにして続きを話す。
「何、不正や違法を頼むわけではありません。商売敵に知られたくない細々とした仕事を内密にお願いしたい時に手を貸してほしいんですよ」
「魔獣の討伐などですか?」
商人がとんでもないという顔をする。
「いやいや。もっと地味です。採取や調査、買い出しなどですかね」
「……本当に地味ですね」
「ただ、その手の地味で秘密裏に行いたい仕事は単身、多くとも三人以下。目的地に攻略難所があれば腕が立つ者が必要ですから、一騎当千にしかできない地味で難しい仕事なんですよ」
ヒビキは考える。
冒険者登録。実際はどうやってするのかは知らない。現地での行き当たりばったりの予定だ。
宿の確保。カバンの魔道具を一部売り払って資金を作り、あとは現地での行き当たりばったりの予定。
その他、こまごまとした事はその都度に、行き当たりばったりで対処する予定だった。
無論、それらをこなすだけの自信と財力があるからというのもあるが、そもそもこの旅自体がアリスの突然の誕生日プレゼントのおねだりから始まっている。
もし準備期間が許されたならヒビキが事前に人間の町でそれを整え、なんならマッチポンプ用にこちらの命令を聞く勇者一行や攻略ダンジョンも用意できた。
しかし現実は異世界でも厳しい。
常に今あるカードでやっていくいくしかない。始まりからして行き当たりばったりなのだから、ヒビキは悪くないと自分に言い聞かせている。
よって、今回の商人の提案は、渡りに船、というやつではある。
「口約束ですか」
「ええ。契約書も何も無い、口約束です」
先に利益を得るのはヒビキ達だし、その後に協力を要請されても知らん顔はできる、と商人が暗に言っている。
「そんな義理人情で商売をやっていけるんですか?」
「この程度の先行投資で、その商売相手が信用できるかどうかがわかるなら安いものです。いざという時にアテにならないでは困りますし」
「いざ、という時にアテにならないこともあるのでは?」
「その、いざ、という時が来るまでに、それなりの信用を得るのも商人の腕の内です。それに世の中、なんだかんだで最後に困った時に手を貸してくれるのは義理人情に厚い方ですよ」
ますますもって都合が良いとヒビキは考える。
援助だけを受けて、いざ、という時に知らん顔したところで、ヒビキたちにデメリットはまったく無い。
アリスが滞在中の期間だけ冒険者でいられれば良いし、何か不都合が起きればこの街から撤収して違う街でアリスの誕生日パーティーを仕切りなおしてもいい。
「わかりました。ではお友達から、という事で」
「別に私は恋人や結婚相手を探しているわけではないんですが……」
ヒビキは商人と握手をする。
「申し遅れました。私の名はマッカラン。スペイサイド商会の後継者、の一人です。親しいものはマックと呼びます。どうぞ、マックと」
「よろしく、マッカランさん」
マッカランは、信用を得るのはなかなか難しそうですね、と苦笑した。
順調に馬車は進み、御者台での会話も進んでいた頃。
幌の中ではアリスがカルアに色々な話を聞いていた。
「いいこと、アリスちゃん。魔獣、特に狼が魔化した魔狼は群れで狩りをするわ。斥候役の最初の一頭をどれだけ迅速に、かつ圧倒できるかで勝負は決まるの」
「なるほど!」
「意外と臆病だからね。自分達より強いかもと思うと、急に戦意喪失したりするし。逆に最初の一頭にてこずったりすると、調子付いて一気に襲ってきたりするわ。これ、最悪の展開ね。新人冒険者とかが最初に様子見をして陥るパターンよ」
「なるほどなるほど。あ、でも、小説でもそんなシーンがあった気がします!」
「あら。なかなか勉強してるのね、その作者」
三人よればかしましい、と言うが、二人でも充分にぎやかだと思いつつシトラスは口にはしない。あえて魔獣の尾を踏みに行く必要もない。
「ふむ……」
魔獣の動きに注意して欲しいと雇用主であるマッカランは言っていた。
黒竜の影響が残っているのか多少は森に違和感を感じるが、とりたてて異常を肌で感じるほどでもない。
むしろいつもよりも静かなぐらいだ。
「何かあってもなくても賃金は一緒だからな。できればこのまま穏やかに帰りたいものだ」
と、何気なく漏らした一言にアリスが反応する。
しかし、声をかけてくるわけでもない。
アリス本人はさり気なさを装っているらしいが、シトラスには丸わかりな視線を向けてこちらの様子をうかがっている。
シトラスがさきほどのような独り言を漏らしたり、装備の点検や整備などを行ったり、何かするたびにアリスの視線が飛んでくる。
警戒されるているのだろうかと思ったが、興味津々といった表情でもある。
カルアもそんなアリスの様子に気づいているはずだが何も言わない。それどころか、楽しそうにクスクスと笑っている。
年頃の娘の考えることはわからんなと、無言でため息を漏らす。
なんにせよ、何事もない旅路というのが一番だ。
馬車は進む。
やがて日が沈みかけた頃。
雨が降り出した。
それはやがて。
何者の足音をもかき消すような、強い強い雨になっていった。




