商人の跡取り
北方砦で小休止を挟んだヒビキとアリスは、ちょうどそこにやってきた商人の幌馬車に相乗りしていた。
偶然にも通りかかった商人に、というものではない。
白髪の隊長のすすめで、いずれ城下から砦への補給物資を運んでくる商人の馬車を待って乗せてもらえ、という助言に従った結果だ。
その商人は隊長もよく知る商人で、若いがそれなりに成功してるそうだ。
商人は隊長が紹介する腕利きの冒険者志願者、という若い姉妹にやや面食らう。
しかし冒険者というのは、年や外見で実力は計れない。
実際、隊長曰く、妹の方は魔眼持ちで、相当な実力者だと言われた。
道中の安全を図るという約束で、商人とヒビキは契約をかわし、馬車に幌に乗り込んだ。
馬車には先客があった。
「ふむ」
一人は腰に何本かのナイフを差した軽装の中年男性が、しげしげと二人を観察している。
「あら、かわいい。姉妹かしら? よく似ているわね」
もう一人は杖を持ったローブ姿の若い女性だ。
「どうも。追加の護衛として、街までご一緒させていただきます」
「お邪魔いたしますわ! まぁまぁまぁ、冒険者の方ですか?」
ヒビキは彼らが元々この馬車の護衛に雇われていると理解する。
幌の中には他に誰もおらず、荷物もほとんど無い。
どこかで商いをした帰りなら空荷で戻ることもないだろうが、この砦への補給となれば幌の中に荷物がないのも納得だ。
アリスはそれどころではなく、本物の冒険者に出会い興奮していた。
物語のような美男美女、というわけではないが本物に出会えたというものはやはり格別なのだろう。
「お名前は? ご職業は? どちらからいらしたの?」
矢継ぎ早に質問攻めにしていくアリスに男はたじろぎ、女は微笑む。
「アリス、初対面の方々に失礼ですよ」
「ですがヒビキ、冒険者さんですよ! きっと今までに何度も大冒険をしていらしたのだわ!」
二人の冒険者はそろって苦笑した。
普通であれば初対面で詮索してくる輩に嫌悪と警戒を抱くものだが、アリスのあまりにも、憧れています、という雰囲気に二人は思い当たる節があった。
かつて自分達がそうであったように。
冒険者というものに過度な理想を抱いていたのだから。
「アリスちゃん、と言ったかしら」
「はい!」
「とりあえずお座りなさいな。ここから馬車でも城下町まで数日はかかるわ。その間、色々とお話して仲良くなりましょう」
「はい!」
アリスが女性冒険者に気に入られ、喜んで隣に座り込む。
男の冒険者が、またおせっかいが始まったか、とぼやきつつ、ヒビキを見る。
「君はヒビキちゃん、と言ったかな」
「ヒビキと呼び捨てで結構ですよ」
「そうか、ではヒビキ。俺はシトラス、呼び捨てでかまわんぞ。あっちの女はカルア。短い間だが同じ馬車の護衛だ。よろしく頼む」
「ええ、こちらこそ若輩者ですが、よろしくお願いします」
握手を交わす。
シトラスと名乗った男は、ふむ、とうなずき。
「姉妹か。ヒビキが姉、ではないんだよな?」
「おっしゃりたい事は理解しますが、私が妹です。ご想像通り、姉の面倒は私が見ています」
「ふむ」
カルアと楽しそうに盛り上がっているアリスを見る。
アリスは二十歳に満たないだろう。
一方のヒビキはそれよりやや年下。子供、とは言わないが、大人ではない。
「商人殿の話では魔眼持ち、と?」
「ええ、みだりにと使えるものではありませんが」
「それはそうだ。貴重な魔力を無駄にされると、こちらもいざという時にアテにできないからな」
「ええ。ですから、いざ、という時には年の割りに使えるほうだと思いますよ?」
ふむ、とうなずくシトラス。
護衛対象が増えたと嘆くべきか、護衛仲間が増えたと喜ぶべきか、その判断をしているところだろう。
「……ま、いいさ。何かが起こるとは限らないし、そうなったらそうなった時だ。では役割を決めよう」
シトラスは肩をすくめて、ヒビキを同業者として扱うことにしたようだ。
幌の中でそんなやりとりが行われている間、その持ち主である若き商人は白髪の隊長と話している。
「隊長、黒竜が去ったというのは?」
「ああ。この目で北の空へ飛んでいったのを確認している」
「北……魔族どもの地ですね。帰っていった、という事でしょうか」
黒竜が魔族との協力体制というのは子供から年寄りまでの常識だ。
「それはわからん。なにせその速度だ。何か気が向けば一日で大陸を横断するという黒竜だしな」
「天災のようなものですからね」
「そのものさ、アレは」
結局、警戒したところでどうしようもないが、人というのはその脅威が身近から去っただけでも安心するものだ。
「それで、あの姉妹は?」
「素性はわからんが……本人曰く、どこかの遠くの地から冒険者を目指して出てきたという」
「……こんな時機に?」
商人が言いたい事は一つ。
「宣託か」
代替わりした当代の神託の巫女、シーバス。
彼女曰く、勇者の血筋を集めて、いずれ現れる三人の魔人に立ち向かえ、という宣託。
商人はあの若さで魔眼を発露させるという事は、危機に際して、戦女神が勇者の血筋の戦士を帝国へ向かわせたのではないか? という事を案に尋ねている。
「神のみぞ知る、さ。個人的には偶然であって欲しくは無いがな。あの若さであの魔力。血筋と言われればそうかもしれんし、そうでないかもしれん。だが強いという事は確かなのだから」
「……ならば私のこの縁を大事にしておくべきですね。護衛としての依頼、街についてからは冒険者登録の際に同伴いたしましょう」
「そうだな。アンタほどの大店の跡取りであれば、冒険者登録もスムースだろう」
「ええ、その通りです。まだまだ修行中の跡取りです。かれこれ長いこと修行に励んでいるのですがね」
跡取りという言葉に若い商人は眉をゆがめる。
それを見て、ああ、そういえば禁句だったなと、白髪の隊長が気づかぬ振りで話を進める。
「ともかく。有能な冒険者にツバをつけておけるのは商人としても悪い話じゃないだろう」
「それはもちろん。ですから、ここから先はおまかせ下さい。しかし珍しい。ここまで入れ込むというのは貴方にしては珍しいですね?」
隊長は命の恩人だからな、と苦笑して、商人と別れの握手を交わす。
「黒竜の影響か、魔獣の動きが読めん。森から大仰に出てくることはないだろうが、森の外だから安全という状況ではない」
「ええ。ご忠告に感謝を。それではまた次の補給の時に」
商人が背を向けて、自分の幌馬車へと向かう。
隊長も自分を待つ部下達の所へと戻る。
馬車がゆっくりと動き始めると、幌の後ろの幕が開く。
「ごきげんよーう! 隊長さん、皆さん、ごきげんよう!」
アリスが手を振り、別れの挨拶を告げている。
隊長は苦笑して振り返る。そして手を振り返し砦の中へと戻って行く。
自分でも商人に警告したが、森の様子がまだおかしい。
街道の巡回警備も当面は増やすべきだろう。『北の岩窟』の偵察も頻度を上げるべきか。
「三人の魔人、ねぇ」
隊長が首都に恐怖を与えるほどの強さを持つ魔人とすぐに思いつくのは『巨拳ダルモア』だ。
間違いなく首都近郊に点在するダンジョンの中では、郡を抜く一人だ。
だが、その強さの割りにいまいち脅威の対象になりにくいのは、魔人としては特殊な行動様式からだ。
まず、『巨拳ダルモア』はダンジョンから出てこない。
少なくとも、こちらから手を出さなければ、何もしてこない。
『巨拳ダルモア』の被害にあうのは、すべて『北の岩窟』に侵入した冒険者だけだ。
そもそも人間同士だって、自分の家に侵入者があれば撃退するだろう。
そして、その実力は相当なものだ。
なにせ『巨拳ダルモア』の姿を”ダンジョンの中で”見た者は誰もいない。
実力のあるパーティーが潜った場合、彼らは誰も帰ってきていない。
手下のゴブリンにやられるような冒険者でなければ答えは一つ。
ダンジョンで待ち受ける臨戦態勢の『巨拳ダルモア』に返り討ちにされたのだ。
逆に、ダンジョンの入り口付近で『巨拳ダルモア』の姿を見た者は、それなりの数になる。特に商人に多い。
言うまでもなく、ゴブリンの食料と酒へ律儀に清算するためにダンジョンから出てきた『巨拳ダルモア』の姿だ。
その際の『巨拳ダルモア』は紳士的、というのはおかしいが、商人に恐怖を与えるのではなく、代価の換わりに魔石を与える。
一度、商人に化けた冒険者が不意打ちをしたものの、それはあっけなく返り討ち。
これには商人ギルドから猛烈な抗議が殺到。
ダルモアが取引に応じなくなる可能性が高いと。
結局、その責任とダルモアが今後も取引に応じるかを検証するため、再度、別の冒険者が商人を装い本当に取引をしに出かける事になる。
その冒険者は死を覚悟して臨んだ依頼だったが、ダルモアは何事もなかったかのように、酒と魔石を交換した。
つまり、不意打ち程度で自分は倒せないという絶対的な自信と実力だ。
逆に言えば、それだけの事をしても、逆上して街に攻め込むという性格でもない。
よって、脅威として認定され『巨拳ダルモア』という二つ名も定めたが、性格は温厚、もしくは戦闘欲求が少ない、と判断されている。
「『巨拳』が三人の一人とすれば、残りの二人を抑えれば、当面は安心できるという事なんだろうな」
隊長は、別の砦を護る同僚達からも魔人の情報は相互共有している。
『巨拳ダルモア』ほどの実力者もいくつか思い当たる。
「勇者の血筋か……どうなんだろうねぇ」
今頃、馬車に揺られているヒビキ。
そしてその姉というのであれば、何かしらの力は持っているであろう姉のアリス。
「戦女神の加護のあらんことを」
どちらにしろ、二人の武運を祈り、隊長は仕事へと戻った。