神託の巫女の後悔
メイドと騎士に囲まれて城内にある礼拝堂へと向かう。
城内の長い廊下を物々しい集団に囲まれて歩く。
シーバスの姿を見たものは、手を重ねて祈ったり、頭を下げたりして、皆が敬意を持って見送る。
そんな一つ一つにシーバスは、ぎこちない態度と、ひきつった笑顔でなんとか応対する。
目礼だけでも充分、むしろ無視しても良いのだが、いちいち返礼するシーバスにメイドと騎士達はますます好感を抱く。
あの金の亡者の先代、あの卑しくも傲慢な母から、なぜこのような聖女が生まれたのかと。
「それではシーバス様、我々はこれにて」
騎士達が礼拝堂に到着すると、扉に護衛の二人を残して撤収していく。
メイドだけが当然のように礼拝堂の中へとついてくる。
礼拝堂は無人であった。
いつもはちらほらと信者などが散見するが、今は王命により立ち入り禁止にて無人となっている。
広さもそれなりにあるこの場所は、祭事や儀式などが行われる。
多くの人数を収容できるように設計されているが、王と教会の静かな諍いがある為、あまり活用される事はない。
そんな広い広い礼拝堂で、シーバスは一直線で端に設置されている小さな小さな小屋を目指す。
金をかけられて作られた礼拝堂であるが、一際、かけられた金銭的な意味で目をひくのがその小屋、告解室だ。
以前は粗末というほどではないが、簡素な告解室であった。
だがシーバスが利用するという事で、外装、内装ともに即座に手が入り、この礼拝堂内で最も高価なものとなっている。
「じゃ、じゃあ、私は、中で戦女神様にお祈りを……」
「はい。側で控えておりますので、御用の際はいつでもお声をかけてください」
どっかに行って欲しいなぁ、と、訴えかけるような目でメイドに心の声をかけてみる。
しかし、メイドはそれを見て、ただただ頭を深く下げた。
諦めたシーバスは純金で作られた取っ手に触れる。
それだけで緊張する。
汚してしまったら、あとで弁償とか言われないだろうかと。
狭い告解室の中は、これまた高級な椅子や家具で調えられていた。
椅子には腰が埋まりそうなほどのクッションと、肌触りも保温性も抜群のひざ掛け毛布が用意されている。
何の意味があるのか、壁には一流の画家が描いただろう戦女神の想像図が見事に描かれ、床には足の踏み場をなくす勢いで宝石が埋め込まれている。
「うう……もし壁とか汚したら……この宝石とか蹴って飛んでいったらどうするの?」
黒竜の姿が城の上空に現れたあの日。
しばらく城に留まるように言われたものの、居場所がなく、ならば礼拝堂で祈っている振りをしようとやってきた告解室。
その日は、簡素な木の椅子があるだけだった。
告解室にこもっている間は誰も邪魔をしてこない。一人でいられる。
これは良い逃避先ができたと喜んでいたのもつかの間。
翌日からは専属メイドと騎士団がつき、憩いの場と定めた告解室はこのように様変わりしていた。
ヒザを手で抱えるように椅子に座り込み、足は床につけないようにする。
壁にも決して触れないよう、椅子は部屋の真ん中に。
万一、椅子が倒れこまないように、身じろぎもしないようにする。
椅子のクッションは固定されているので、その上にゆっくりと座る。
毛布はたたんだまま、けっして触れない。
「うう、うう、戻して、最初の告解室に戻して……」
こんな事になるなら、あんな宣託などするのではなかった。
怒涛の後悔に身を縮ませることしかできないシーバスは、ただただ時が過ぎるにまかせるしかなかった。
そして明日もあの王に言わなければならない。宣託はくだらなかったと。
それがいつまで許されるかはわからない。
明日など、永遠に来なければいい。
「私はただ、お腹がすいていただけなのに……」
シーバスは涙を流しつつ、母の名を呼ぶ。
寂しいからではない。
憎くて憎くて、それでも何もできない自分が悔しくて。
事の始まりは何もかも放り投げ、いや、金目のモノはあるだけ持ち出して、若い男と逃げ出した先代の巫女であり、母のせいだ。
後に偉い人に聞かされたが、母は神託と銘打って、王に対しかなりの額の無心をしていたそうだ。
神殿にもその恩恵はあり、当初は良しとしていたノストラダ本殿の高僧達も、やがて王の怒りが顕著になるに従って、先代の巫女の無心を止めるようになった。
先代の巫女もそれを了承し、最後に大きな神託という無心をした翌日。
若い僧侶と姿を消した。
残された書置きには二つの短い文。
ひとつ、自らに神託が下り救国の旅に参ります、と。
ひとつ、後継者には今まで厳しい修行に耐えた娘を、と。
高僧達が悟る。すべての責任を押し付けて逃げたのだと。
だが高僧達も自分に罪過が及ばぬように、同じことをする。
高僧達は実の娘であるシーバスを使い、その責任を転嫁した。
腹をすかせたシーバスに食事を与え、恐ろしいものがやってくると国王に伝えれば良い、と。
久しぶりの暖かい食事を得たシーバスは、自分が恐ろしいと考えるものを伝える。
シーバスはすぐにそれを口にした。
――偶然、昨夜にそんな夢を見たのだ。
誰しもが恐怖の代名詞、黒竜。
ダンジョンを構え、人々を喰らうといわれる魔人。
黒竜が飛んでいった後、大地に三人の魔人が立っている。
その光景を前に、シーバスに戦女神が語りかける。
勇者の血を引くものを探し、集わせ、打ち破れ、と。
シーバスがそれを伝えると高僧達は、まるで本当の神託のようだな、とその夢を詩的な文章で高級そうな紙に書き記す。
シーバスがそれを覗くと、それはまるで母が行っていた神託のような語り口であった。
高僧たちはシーバスに、「これは確かにお前が語った内容だな?」と問いかけ、シーバスがうなずくと満足そうに笑った。
その翌日。
シーバスはガイラクスに呼び出され、玉座の間へ召喚される。
正確にはノストラダ本殿にやってきた騎士達に護衛を”強制”されて。
随伴するべき高僧は本殿を探しても一人もおらず、シーバスはただ一人、城へ、玉座の間へ、王の眼下へと立たされたのだ。
そして緊張と過呼吸で虚ろになった意識のまま、王の命に従い、神託を読み上げ、その最中に、黒竜が飛来した。
以降、何やら、王と教会、ノストラダ派との確執について話をされたが、シーバスの頭には残っていない。
ただわかっている事は二つ。
ここにいる間、暖かい物を食べさせてもらえるという事。
ここにいる間、毎朝、あの王に会わなければならない事。
ゴハンは食べたい、王には会いたくない。
ここにきて新しい神託はしていないが、今のところ王がそれで怒っている様子はない。
前回の宣託が、たまたま、本当の出来事になり、その対処に時間をとっているからだとシーバスは理解している。
しかし、それがいつまで続くだろうか。
いつまでこうして客人の如く遇されるだろうか。
ノストラダの高僧達が自分を王に売って、自分達はどこかへ逃げたという事も、ようやくだが理解できていた。
そんな身よりのないシーバスが、これから生きて行くには?
「……ゴハンがもらえなくなったら、また宣託をしないといけないのかな」
嘘に嘘を重ねて、それがまた真実となってくれればいい。
だがそうは上手くいかないだろう。
いずれ嘘は露見し、罪がとがめられ、罰が与えられる。
その時のことを創造してシーバスは狭い告解室で身を震わせる。
しかし、他に生きる術はない。
ならば、その時はよく考えて、せいぜい嘘とわからないような宣託をしようと考える。
シーバスの嗚咽は、ずっと続いていた。
一方、その狭い告解室の外では。
「シーバス様……」
シーバスの嗚咽が告解室が漏れ出るのをメイドは耳にしていた。
内容まではわからないが、やはりこの国の先を案じているのだろう。
なんという巫女、まさに聖女。
「実に素晴らしい。私ごときが創作したヒロインなど、まだまだですわ」
メイドは王族ゆかりのものである。
とは言え、遠い親戚、と言われる程度なのだが身元はしっかりしているため、王の目に触れる距離でメイドとして貴人の世話などをしている。
そして彼女にはもう一つの顔がある。
「新作はやはり巫女モノ……連載中の美人姉妹冒険記も評判は悪くないのですが、やや淡白というか……」
名を隠しての作家活動である。
作品を執筆するたびに名を変えて、信用できる業者に頼み出版をしている。
当初からあくまで趣味であったため、金銭がらみに関してはその業者に任せている。
儲かっているようだし、業者も律儀に相場の印税を支払ってくれているが、もともと金に困っている彼女でもなく、金銭には興味はないのだが、金額という部分だけは注視している。
印税が大きい、という事は人気がある、という事だ。これほど数字としてわかりやすいものもない。
だが数字にばかりこだわって、自分が書きたいものを書かないというのは本末転倒だ。
美人姉妹冒険記はまさに数字を追った末の産物であり、メイド本人も少々筆の進みが遅いと自覚していた。
「昔のような騎士たちの恋物語もまた書きたいですし、勇者一行の冒険譚も……ですが、今はやはりシーバス様という本物の聖女様の身近にはべる事ができるのですから、この好機を活かさないのはありえないですわね。ならば今度は美しい少女達が集い、戦っていく白百合のような物語はどうでしょう」
礼拝堂には告解室にシーバスのみで、辺りに視線はない。
メイドは礼拝堂に並べられたたくさんの長机と長椅子の一つに腰掛け、あらかじめそこに用意していた紙とペンを取り出す。
「書き出しはどうでしょうね……先代の巫女様はどうにも受けが悪そうですから、尊い犠牲役として序盤で死んでいただくとして……巫女のお名前はとりあえず仮名としてシーバス様の名をお借りしましょう」
メイドは想像をふくらませる。
話の筋はこうだ。
先代の巫女が神託を受けて旅に出る。
だが結果は芳しくなく、消息不明となった。
そしてまだ力の無かったシーバス(仮名)は、母を止められなかった事と、供に行くことができなかった事を後悔する。
時を経て、当代となったシーバス(仮名)にやがて神託が下る。
それは黒竜の出現を予兆として、恐ろしい魔人が三人もやってくるというものだった。
「……うーん、あまり事実を書くと色々とうるさそうですが……まぁ、事実を元にした架空戦記という事で。今回の宣託もことさら秘密というわけでもありませんし」
なにせ黒竜が城の上を通過したのだ。隠し様がない。
むしろすぐに宣託の巫女を担ぎ上げ、今後も神託に従えば大丈夫だと民を安心させたガイラクス王の判断の早さこそ素晴らしい。
ならば神託を元に話を作っても大丈夫だろう。
「宣託を受けた巫女は三人の魔人に対抗するべく、供に戦う仲間を得るために神託を待つ。そう城の告解室で……ッ!」
筆の進みが早まり、メイドは荒くなってきた鼻息のまま、いまだ嗚咽が響く告解室を見る。
そう、あの中では今まさに本物の巫女が宣託を受けるべく、国を思い涙を流しながら祈りを捧げているのだ。
「ああ、ああ、仲間はどうしましょう。巫女様を主役とするのであれば、性格が似ているのは良くないですね。奔放で純真なタイプとか、クールでニヒルなタイプあたりが儚げな巫女様の魅力を引き立てる事ができそうですが……」
苦悩に唸るメイド。
告解室からは嗚咽。
二人の若い女の、くぐもった声がやむことはなく今日も時が過ぎて行く。
メイドは目先の展開を考え、まずは書き始めることにする。
先代の巫女を失って、シーバス(仮名)が自分の力の無さゆえに何もできなかった。
それを涙を流して後悔するシーンが見所だ。
「一話目の題名は……そうですね……『神託の巫女の後悔』でよろしいですわ」
メイドは一心不乱に筆を進める。
こんな至福の時を迎えられて、自分はなんと幸せ者なのかと。