北方砦偵察隊を魔獣が囲む
「……あながち嘘でもないんだろうな。遠くから冒険者になるべくやってきたというのも、お嬢ちゃんが我々よりも強いというのも」
「ええ。嘘を見破る道具でもあれば、それとにらめっこしながら同じことを言ってみせるのですが」
「そんな都合のいいものはないし、あったとしたら国宝だろうさ」
はぁ、と深いため息を吐きつつ、白髪の男は自分たちが近くにある砦に駐留する兵士であり、偵察任務についていると明かした。
自分は隊長として二人の部下を連れて急いでいたところ、あまりにも無警戒で無用心な怪しい二人組みに出会ってしまったと皮肉を言ってくる。
「偵察隊、ですか」
商人さんではなかったのですね、アリスが残念そうにこぼした。
「ああ。この魔の森に黒竜が舞い降りたという報告があってな。以降、飛び立ったという情報もない。いまだ黒竜が滞在しているとなれば国の大事だ。討伐隊……いや、せいぜいが撃退部隊なりを編成するとしても、まずは確認の為に最も近い場所にいた我々に白羽の矢が立ったのさ。商人の格好をしているのは、ここの魔人が非武装者を襲わないからだ」
降参した隊長はスラスラとしゃべり始めた。
「お嬢ちゃん達も見ただろう。黒竜を。あの恐ろしい黒い羽を」
隊長の言葉に、アリスが反応する。
「おばーちゃん……んむっ!!」
おばーちゃんは恐ろしくないです! という言葉が出てくる前にヒビキがアリスの口に指をそえる。
「どうした?」
隊長が不審げに二人を見るが、ヒビキは何食わぬ顔で。
「姉は恐怖を覚えると家族を呼ぶ癖がありまして。特に祖母は幼い頃からずっと見守ってくださった大切な方ですから、いまだ甘えているのです」
「おばーちゃんはとっても優しいんですよ! ぜんぜん恐ろしくないですよ!」
「そうか」
アリスと隊長の会話はつながってないようでつながっているのだが、それを認識しているのはヒビキだけだ。
「で、どうだい? 黒竜がさらに北へ飛び去ったとか、そういう話は道中聞いたり見たりしていないかい?」
「残念ですが。我々はそもそも黒竜を見ていないんです」
「見てない? お嬢ちゃん達は北からこちらにやってきた。我々はここから南の砦からやってきて、互いの中間がこの森だ。という事はやはり、黒竜はまだ森の中か」
考えたくない事実を確認したと隊長が嘆く。
「隊長、ですがそれは収穫です。それを報告すれば良いのでは?」
「南下してきた彼女達が見ていないのならば、森の中にいる事は明白です」
隊長は考える。筋は通るが、そんな報告は通らない。
軍を動かすという事は、莫大な国の金を動かすという事だ。確実な目撃情報を上にあげる必要がある。
「いや、駄目だ。この目で確認する」
部下達は落胆するものの、すぐに覚悟を決めた顔でうなずく。
「行くのは俺一人だ」
「え?」
「お前ら、こんな所にお嬢ちゃん達を置いていくつもりか? なら後は簡単な計算だ。お姫様がお二人。ならばエスコート役の騎士も二人必要だろう。こんな爺さんよりは、若いお前らの方が適任だ。顔の作りはいささか残念なお前達だが、そこは容赦してもらえ」
「隊長、さすがにそれは……」
「一人の方がひよっこに足を引っ張られずに済む。お前達は正直まだまだだよ。帰ったらまた鍛えなおしてやるからな」
などと、決死の覚悟の男達が会話をしている側で、一人カタカタと震える者がいた。
アリスである。
「ああ、これ、これこれは。老いた戦士が若者の前途の為、己が命を危険にさらして、これこれ、もう、本当にこういう会話を耳にできるなんて……」
満足そうな表情でブルブルしてる残念な姉を見つつ、ヒビキは隊長に話しかける。
「黒竜が見つからない場合は、ずっと探し回るのですか? いないものを見つけることはできませんよ」
「そのあたりの判断は難しいな。ある程度、森の中の様子を見た後、ダンジョン『北の岩窟』の入り口周辺へ向かう。そこにも黒竜がいない、もしくは降り立った痕跡がなければ森の中にはいない、そもそも森に降り立ってはいないと判断するつもりだが」
「そうですか」
ヒビキは考える。
おばあ様はダルモアに会ってご機嫌だったし酒も杯を重ねていた。
酔いつぶれてさらに一泊という可能性もあるし、今にも飛び立って帰る頃かもしれない。
しかし少なくとも黒竜の姿でそこらに転がっている事はないだろう。いるとしても、昨晩ビビキ達も利用したダンジョンの中の部屋だ。
とすれば隊長が黒竜の姿を確認する事はないし、降り立った形跡と言っても森の木々をなぎ倒して着地したというわけでもないから、それも難しい。
そんな無駄な事に時間と覚悟を費やすのであれば、自分達の保証人になってもらって首都への入国をスムースにしたいという魂胆がヒビキの内心にあった。
入国審査のようなものがあるかどうかはわからないが、この三人がいれば、すくなくとも隊長だけでもいれば話が早そうである。
当初の予定では、うまいこと行商人の馬車にのせてもらい、うまいこと商人に頼んで身内と言ってもらおうという、ファジィな計画をヒビキは抱えていた。
商人であれば金目のもので釣るのは簡単だろうし、それなりの金を渡せば口も堅くなるはずだ。
あとは、そういった取引をアリスに内緒でこっそりとやるだけ、のはずだったが、国の兵士がそれをやってくれるのであれば信用度がまったく違う。
「隊長さん、我々を首都まで送り届けてもらえませんか?」
「それは……無理だ。砦までなら案内する事もできるが」
それはそうだろうなとヒビキも思う。
「では紹介状的なものをお願いする事は?」
「何をどう紹介しろと」
確かにその通りだとヒビキもうなずく。頷いてこう答えた。
「腕の立つ冒険者候補として、ですよ」
ヒビキは拳をパキパキと鳴らし、いかにも武道家です、と言った雰囲気で隊長に告げた。
「紹介状のタイトルはこうですね。我々、偵察隊の命の恩人の姉妹です、と」
「何を言って……む?」
ヒビキが森に視線を向け、つられて隊長もそちらに目をやると、木々の間に何頭かの獣が見え隠れしている。
その体内を巡る魔力がその眼をうっすらと青く輝かせており、ただの獣ではない事は明白だった。
「魔獣か。普段は森からも出てこないし、火にも近づいてこないが……黒竜の影響か?」
隊長が部下に留めていた馬を解くように命ずる。
「お嬢ちゃんの腕前は拝見したいがまたの機会としよう。我々は丸腰、一方、魔獣の数は多い。この状況、どれほどの凄腕でも抑えきれない。手品でも使わない限りな。なら逃げの一手だ」
「こんなかよわい美人姉妹を置いて逃げると?」
「まさか。兵士としての体面もあれば、男としての面子もある」
隊長は部下達に命ずる。
「お前達はお嬢ちゃん達をそれぞれ馬に乗せろ。いや、体格差がありすぎるな。背負ってやれ。しっかり紐で固定しろ。そして全力で砦まで走れ」
部下達は何も言わずに従う。
魔獣達が姿を現して完全に囲まれる前に、行動に入るべきだと理解しているのだろう。
「紳士ですね」
「紳士だとも。だからいう事を聞いてお姉ちゃんと一緒に馬に乗れ」
「隊長さんは?」
「……それを言うと格好つけすぎだろうからな。内緒さ」
「内緒ですか」
「ああ、内緒だ」
隊長はそう言うと、深く深呼吸し、目を閉じて精神を集中させていた。
きっと決死の覚悟を固めているのだろう。
さきほどの会話の中での意味とは違う内緒という言葉にヒビキは笑う。
わざわざ問わずとも時間稼ぎをするつもりなのだ。
ヒビキはこの隊長の使命感と人間味にとても好感を持った。
一方、アリスはそんな会話を耳ざとく聞きつけ、真実は小説より素敵、とフルフルしている。
男のヒビキでさえ感じ入るやり取りだったのだから、無理はないかなとヒビキは笑う。笑いながら。
「では私の内緒を一つだけお教えしますよ」
「ほう。手品でも見せてくれるのかな」
いまだ目を閉じて深呼吸をしている隊長をよそに、ヒビキは首をコキコキと鳴らし頷いた。
「ええ、その通りです」
ヒビキは一部の魔力を戦闘用に解放する。アリスの世話で水を冷やしたりなどという微量な消費量ではない。
途端に体内の魔力が活性化し体内を巡る。同時にヒビキの瞳孔が青く光り始める。
もともと碧眼ではあったが、それはまったく別の青。
特に強い魔力を持つ者がその力を行使する時、瞳から魔力が溢れ、青く輝く。
魔眼、と呼ばれるそれであった。
「お嬢ちゃん……」
呆然とした呟きを漏らす隊長に対して、ヒビキは自慢げな顔で自信満々の微笑みを向けた。
だが隊長はヒビキの予想とは違った言葉を続けた。
「……も、魔眼持ちだったか」
「……も?」
得意げな顔で隊長を見れば、ヒビキほどではないものの、隊長の目もまたうっすらと青く輝いていた。
「……なんですか。命をかけて囮になって私達を逃がすというつもりではなかったんですか? ちょっと感動していたんですが、隊長さんもお目目光ってるじゃないですか」
魔眼となるほどの魔力持ちであれば、この状況は絶望的とまでは言わないだろう。
「いや、状況によってはそれも止む無しとは思っていたがね。だが易々と死ぬつもりはなかったよ」
隊長はそう言いながら、森からゆっくりと身を現した魔獣に向かって飛び蹴りをみまった。
反応すらできずに吹き飛んだ魔獣の体は、木々にぶつかり跳ね回り、葉を枝を幹を粉砕しながら森の奥へと消えていった。
「おお、隊長さん、すごいですね!」
アリスが歓声を上げる。
「お嬢ちゃんがいてくれるなら、お姉さんをまかせられる」
「お断りです」
「……なっ?」
隊長は視界から一瞬で消えたヒビキを探すと、すでに二頭、三頭と蹴り飛ばしているヒビキの姿を見る。
「……あれは、オレより数段上だな」
瞳の発光具合から予想はしていたが。
隊長は己の視界の中で起きている出来事を冷静に判断する。
他の魔獣達が森の暗がりから威嚇の唸り声を立てるが、それを幸いとばかりに位置を知ったヒビキが文字通り飛んで行く。
ヒビキが魔獣達を追って森の中に入り込み、激しい音が立て続けに暗い森を揺らす。
部下の二人が呆然としている横で、隊長は森から抜けてくるかもしれない魔獣を警戒する。
「まあまあ。ヒビキったら、張り合っちゃって、うふふ」
姉であるという年上の女はまったく慌てた様子もなく、近くの石に腰を下ろしていた。