北方砦偵察隊は焚火を囲む
野宿の用意を始めた頃、ヒビキの耳は馬の足音が近づくのを聞き取っていた。
「……なんとも判断がつきませんね」
「どうしましたか?」
「馬が三頭近づいてきます」
疲労の表情だったアリスの顔に花が咲く。
「商人さんですか? 商人さんですか!? 商人さんですね!!」
「そうだと良いのですが、そうとも限りません。アリスはその木の陰に隠れていて下さい。確認します」
わかりましたと言って、すぐ近くの大木の陰に身を寄せる。
だが期待と好奇心が隠せないといった表情でこちらを見ているため、体の半分以上も木の陰から乗り出している。
「アリス、見えてます……が、もう結構です。そこでジッとしてて下さいね」
ヒビキは笑い、馬蹄の音の方向へと注意を向ける。
やがて街道を駆けてきた三頭の馬には、商人らしき装いの三人の男が乗っていた。
「ふむ?」
商人らしき、というのは、商人の格好ではあるがまず商人ではないだろうと思ったからだ。
特に疑問なのは三点。
荷物らしきものは、それぞれが背負った袋だけである事。馬車でもなく荷物が少なすぎる。
次に、遠目から見ても全員が鍛えられた体格と動きであった事。だと言うのに武具の類を身につけていないこと。
なにより、日が暮れた森の中に徒歩で入っていこうとしている事。
色々とちぐはぐだ。ならば何だろうか?
ヒビキは考える。商人に化けた盗賊の類だろうか。ならば軽装でも納得できる。
商人を装って街道の旅人を襲う。商人に化けているのは、油断を誘うためだろうか。
背中の袋はすでにどこかで一仕事を終えて得た戦利品で、これから森の中にあるアジトに帰る所だろうか。
だが、人相や表情からかなりの緊張感を感じる。これから決死の覚悟に何かに挑む、そんな雰囲気だ。
「……情報が足りません。バカの考え、休むに似たりですか。では、考えるより産むが安し。アリス、いいですよ、どうやら商人のようです」
「やっぱり!」
アリスは木の陰から飛び出し、三人の男の方を見る。
男たちは馬を木に留め、いまにも森へと入り込もうとしている。
「ああ、早くしないと行ってしまいます、ああ、ほら!」
「そうですね、声をかけてみましょう」
「急ぎましょう!」
アリスがはやくはやくと急かし、ヒビキはカバンを持ち上げて男達の方へと駆け寄る。
手を振り声をかけながら近寄ると、アリスもそれにならって大声で飛び跳ねながら挨拶を始めた。
ヒビキとアリスの声に気づいた三人の男達は二人に向かって猛然と走り出した。
ヒビキは彼らが襲い掛かってきているのではないとすぐに理解する。
走ってきた二人は辺りを見回しながら、やめろ、手を振るな、声を出すな、と必死に、しかし小声で忠告しているのだから。
しかしその声が聞こえなかったアリスは、自分の挨拶に答えて手を振り替えしてくたれのだと勘違いし、さらに盛大に手を振って歓声のような挨拶を返した。
「皆様、ごきげんよーう! みっなっさっまっ! ごっき、げっん、よぉーう!」
ヒビキは色々な状況はさて置いておいて、ここまでご機嫌なアリスはずいぶんと見ていなかったなと喜んだ。
***
「なるほど。田舎から出てきて、首都で冒険者登録をしようとな。大変だったろう?」
ヒビキとアリス、そして三人の商人風の男達は街道の側で火を焚き囲んでいた。
森から出てきた二人と、森に入ろうとした三人。
それぞれの目的の為に素性を隠しながら腹の探りあいをしていた。
少なくとも当初、ヒビキはこちらの情報を与えず、三人組の素性を知ろうと探りを入れる会話をしていた。
相手側の三人も似たように言葉を選びながら、会話を進めていた。
互いに口数は多く、会話も弾んでいるようで、何一つ互いの事は明かさない。
だが、ただ一人。
「ええ、遠いところからヒビキと二人でやってきました」
聞かれた事に対して素直に返答してしまう情報源がいた。これにはヒビキもどうしたものか思案したが。
「どこから来たんだい?」
白髪の混じった最も年上の男がアリスに優しく問いかける。
「遠い、遠いところです。どこかは内緒です。ふふふ」
魔族の国からとはさすがに言ってはいけないと理解しているアリス。
だが、うまい嘘はつけないし、そもそも嘘で誤魔化そうという意識がない。
答えられないから内緒です、と返す。
実に単純な思考だったが、この場ではそれが功を制した。
あくまで道ですれ違ったもの同士、深い質問に答える義務もない。
なにより美人の笑顔というは、もうそれだけで圧倒的な説得力を宿している。
美人が内緒と言えば追求していはいけない、そして。
「商人の皆様はどこからいらっしゃったんですか? もう夜だと言うのに森に入ろうとしていたのはなぜですか?」
美人が笑顔で質問しているのだ。内緒や無視や拒否は許されない。少なくとも男性であるならば。
部下らしい二人が何かを喋りだそうとしたところで、白髪の男がそれを抑える。
「……いや、内緒だよ、お嬢ちゃん。お互い様だな」
お、強いなジイさん、皮肉まで入れてくるか、と、ヒビキは内心で褒めつつも、アリスの無垢の追撃を見守る。
「まあまあ! 商人さんですものね! オタカラの情報かもしれませんものね! うふふ、内緒同士ですね!」
「そ、そうだな」
もはや商人ではないことはあきらかだが、あくまで商人さん商人さんと連呼しているあたり、相手からすれば自分達が商人ではないと見破られている気になるだろう。
白髪の男にはアリスが得体の知れない存在となっているはずだ。
最初は与しやすしと、警戒を露にしているヒビキよりもアリスに多く話しかけていたというのに、いつの間にか自分が黙り込む展開になっている。
白髪の男は、アリスが実は呆けを装って、情報を引き出されたのではないかと、疑心暗鬼にすら陥ってた。
ヒビキはそんな現状を見て、とりあえずこの三人は自分達を害する者ではないと判断する。
すくなくとも盗賊の類であれば、ここまで穏便な情報収集などしてこないだろう。
辺りに彼らの略奪行為を阻むものはないのだから金目のものがあれば出せ、お前らは人買いに売ってやる、と力にモノを言わせれば良いだけだ。
「はいはい、ではちょっとお耳を拝借」
パンパンと手を叩き、埒の明かなくなった会話を終わらせるべくヒビキが立ち上がる。
「まずはお三方。なにやら事情のある中で、お仕事の邪魔をしてしまった事を謝罪いたします」
ヒビキがかわいらしい容姿に似合わないしっかりとした作法で三人に頭を下げる。
「い、いや、それはいいんだが……その君らこそ、こんな所で何をしていたんだ?」
警戒を増して白髪の男が答える。
「正直に申しますと」
「……うむ」
「遠い所からやってきて、冒険者になるべく首都を目指しています」
「……」
「そんな顔をなさらず。実際にそうなのですから。確かに我々は若い女二人ですし、怪しまれるかもしれません」
「そうだな。あまりに無用心というか、むしろここまで何事もなかったと言われる方が信じられんよ」
「姉は見たとおり華奢なおっとりさんですが」
「えへへ」
褒めてはいるが褒めてはいないとヒビキは苦笑しつつ、三人を見る。
なるべく不敵に。
やや冷たい微笑みを加えて。
だが身長を低く設定しているので、どうしても上目遣いになってしまうのは仕方ない。
「私はある程度、使える、ので。ゴブリン程度であれば物の数ではありませんし、失礼ながらあなた方三人が欲情して襲い掛かってきても返り討ちにする自信と実力はありますよ」
単純に自分の方が強いというと反感を買いそうなので、欲情して、という文言を入れる。
こうしておけばまともな倫理観を持った相手ならば、強い弱いよりもまずはそこを否定してくるだろうとヒビキは誘導してみる。
「よ、欲情など、我々は民を護る為に!」
「そうだ、今も任務を遂行すべく、こんな魔の森にッ!」
ヒビキの狙い通り、若い二人が口を滑らせた。
「おい! お前達!」
白髪の男の制止も間に合わなかった。
にんまりと笑うヒビキに、白髪の男は手を挙げて降参した。




