生きていていいんですか
「他に、見て回りたい場所等はございますか」
化物の声で正気に引き戻された。
高校に、行きたいとふと思った。そう思ったことに、自分が一番驚いた。
卒業して以来、一度も訪れたことのない高校。死後、行きたいと感じるとは思ってもみなかった。
行って、どうするというのだ。
恩を感じたことのない恩師に、友達だと思ったことのない友達。そもそも、自分が暮らしたこの地に郷愁すら感じないのだ。
それでも、僕はここに来ることを選んだ。死後のぼうっとした脳が誤作動を起こしたとしか思えないが、黙って化物に続く。
高校は何も変わっていなかった。おんぼろの校舎と、校庭の隅の伸び放題の雑草。僕のずっと前の世代から続く、県下一ださい制服。そして創立以来一勝もしたことのないサッカー部がのろのろと校庭を走っていた。窓から、僕が高校3年生の時に通っていた教室が見えた。ほとんどの人間が帰ってしまっていて、中には数人しかいなかった。カバンを手にして入口付近で話す女生徒と、窓辺でひとり勉学に励む男子生徒だ。男子生徒は、高身長で痩せぎすの、青白い人だった。顔はいいほうかもしれない。有名国立大学の赤本を解いているようだ。さぞクラスでは期待の星であろう。彼の目元には、どす黒いくまが浮かんでいた。
僕の高校時代にも、こういった生徒はいた。親にも教師にも友達にも期待され、一目おかれていた。学年一かわいい彼女がいて、現役で日本一の大学に合格した。羨む人は大勢いたけれど、彼を妬む人はいなかった。いつも誰に対しても笑顔で接していた。笑ったときに、どす黒いくまがさらに深くなり、彼の瞳を飲み込む様に、何人が気づいていただろう。
あれを幸せと呼ぶならば、僕は死んで良かったと思う。
勝ち組、って何だろうか。
化物に問うてみる。
「意識しないことでしょう」
意外にも、答えが返ってきた。
勝ち組であることを意識しないことが勝ち組なのか。それとも勝ち組であることを考えるべきではないということなのか。化物の真意は図りかねた。
僕にとって彼は、勝ち組だった。彼のようになることが成功だった。
でも僕は彼のように優秀でなければ容姿も優れていなかった。
人間の価値は学業や容姿ではない、と思うことは逃げであるような気がした。自分に学業や容姿以外の優れた点を見出すことができなかった。人間的な良さなど、何の足しにもならなかった。正直者は騙される。成功者の踏み台になるだけだ。
僕は自分に価値がないと思った。だから死ぬことを選んだ。
成人になるまでに、この無駄な芽は摘まれるべきで、他の成功者のために間引きされるべき存在だと悟った。
成功者になれない未来など見えた。この先、受験戦争のときに感じた苦痛や屈辱や敗北感を一生背負わなければならないのだったら、僕はこの生命を散らすことが最善だと思ったのだ。
「意味がなくても、生きてていいでしょ」
タバコの煙を吹きかけながら、姉が僕に言っていた。
死のうとしていた姉が、運ばれた病院で。
もう少し生きていれば、あの意味が分かったのだろうか。
姉の黒髪は、真っ白な病院によく映えて、美しく見えた。