70 中指
オレは、男の身体を必死で引っ張りながら、頭の中でこの状況を変える『何か』を探していた。
その『何か』が物であるのか、行為であるのかすらも、分からない。
あまりにも曖昧で、ハッキリとしない『何か』。
しかし、もしその『何か』が見付けらなければ、オレ達三人の人生はココで終わりだろう。
この男が、人をマトモに扱うとはとても思えないからだ。
命運はオレの頭脳に託された訳だが、頼りない事この上ない。
よりによって、オレの頭脳が最後の砦とは……。
タイムリミットは、後数秒だろう。
『何か』を、見つけなくてはならない。
この、正しく『鋼の様な肉体』の男をどうにかする術なんて……。
……そういえば、「目潰し攻撃は、指で弾くだけで十分」って話があった。
どんなに、鋼の様に身体を鍛えても、鍛えられない部分がある。
開いた目を狙らわれた場合、指を弾く程度の力でも倒されてしまうらしい。
どこで、聞いた話だっただろう。
まぁ、そんな事は、今はどうでもいい。
意外な事だが、オレの頭脳が難題の答えを導き出してくれた。
『目潰し攻撃』。
指を弾くだけなんて、パンチの数十分の一以下の衝撃しかないだろう。
という事は、目を狙った攻撃なら、オレのパンチでも数十倍の効果があるという事だ。
もし、オレの全力のパンチを、この男の開いた眼に当てる事が出来れば……。
この男にも、ダメージを与えられる可能性がある。
ダメージを与えられるのなら、逃げる時間を作れる筈だ。
そうであって欲しい。
そうだと、いいなぁ……。
こいつは、オレに倒されるなんて夢にも思っていないみたいだ。
案外、いけるかもしれない。
「お前達には、一緒に来て貰う。」
本当に、腹の底からゾクゾクっとするような声質だ。
何なんだ、こいつは?
こんな声を、『地獄の底から聞こえるような声』っていうんじゃないのか。
人間が出せる声とは、到底思えない。
オレは、必死で持っていた男の腕を放した。
もうこうなったら、『目潰し攻撃』を試してみるしかないだろう。
こんなのと一緒にどこかへ行くのは、死んでも嫌だ。
オレの全力のパンチが、こいつにとって『指を弾く』以上の打撃である事に全てを賭けよう。
正々堂々と、もの凄く近くまで距離を詰めた。
もし中途半端にパンチが効いた場合、その瞬間に反撃されて殺されるだろう。
しかし、こんな不気味な奴連れ去られるのよりも、即死した方がずっと楽だろうと思えた。
オレは、人差し指と中指が尖るように、力を込めて右の拳を握った。
真正面から、渾身の力を込めた右ストレートを放つ。
男は避けようともしない。
折り曲げた右手の中指が、左の眼球をとらえた。
男が、目を押さえて顔を下げた。
うめき声一つ上げないが、効いたようだ。
間髪いれずに、アッパーカットで逆の眼球を狙う。
今度も命中したようだ。
男は、両目を撫でる様にして押さえた。
「何だ、この脆い身体は。これで本当に強化済みなのか。」
ダメージは受けているようだが、痛みを感じないのだろう。
両目を押さえながら、フラフラと歩いている。
「とにかく、逃げよう!」
亜衣ちゃんと園池さんが、苦しそうに立ち上がった。
二人は少しフラフラしていたが、駅に向かって走り出す。
もちろん、オレも一緒に駅に向かう。
男は追って来ない。
どうにか、このまま巧く逃げ切りたいが……。
……一分。
女子二人を気にしつつも、全力で走る。
二人共、ふらつきは納まったようだし、十分に足も速い。
……二分。
振り切ったのだろうか?
「待て。」
そうは人生甘くない、か。
いつの間に、追い抜かれたのだろう。
またもや、あの不気味な男に、前を遮られている。
オレ達の脚は、何故か自然に止まってしまっていた。
男は、武術の構えの様なものをとっている。
抵抗するなら戦う、という事だろう。
さっきは油断していたから隙が付けたが、今度は絶対に無理だ。




