第8話
「そこまで自信なかったの?」
万里子がとろんとした声で訊く。
飲みすぎて、結局、清香の家に泊まることになった二人は、常備している布団を引っ張りだす。
一人暮らしをいいことに、終電を逃した時などにしょっちゅう訪ねてくるので、今では二人用の洗面用具まで揃っている。
小学生の時の話は何度かしたことがあったのだが、詳細まで話したのは初めてだ。
「うーん、その時はね。岩田氏のおかげで、ちょっと自信付いたけど」
小さい頃から、何をやっても親に褒めてもらった記憶が無い。
テストで100点取っても、次も頑張りなさいよと言われ。
何をやってもダメな気がしていた。
だから、愛子に対してもユウに対しても自信がなかった。
「でもさ、岩田君、いいやつじゃん」
「だよね〜。清香、その後どうしたの?」
清香も、岩田には本当に感謝している。
乱闘になりそうなところを止めてくれたし、好きだって言ってくれて嬉しかった。
あの後、唯一まともに喋れる男の子は、岩田だけだったので、貴重な存在だった。
「どうって…。岩田君とは何度か遊びにいったりしたけど、付き合ってたわけじゃないし。それに、半年くらいで転校しちゃって」
数年は年賀状のやり取りをしていたが、もうそれも途絶えた。
「愛子ちゃんとユウ君は?」
「2ヶ月で別れたらしい。成人式の時も、全然しゃべってなかったよ」
清香が思い出しながら話すと、真奈が意外そうに言った。
「なんだ、そのユウって子のことまだ好きで引きずってんだと思ってた」
万里子も頷いて同意する。
「違うよ〜。もう、卒業式の日のことですっかり醒めちゃったし」
最近、自分でも大人になったなと思う。
真奈や万里子に話したように、子どもの頃は結構短気だった。
よくイライラして、人に突っかかったり。
でも、中学校に入って、仲のいい友達に出会って、居心地のいい場所を知った。
お互いに、無理をしなくても一緒にいられる。
それだけで、負の感情を抑える必要もないくらい、穏やかになっていった。
今ではこうして、過去を克服しようとする気持ちも生まれた。
少しずつだけど、変われるような気がする。
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「失礼します。○○コーポレートの近藤ですが、お世話になります」
その声にドキドキしながら振り向く。
会議があるので、事務所で留守番しているのは清香だけだ。
内線電話を切り上げると、いそいそと近藤のいる入り口へ向かう。
「いつもお世話になります。合田とのお約束ですね。申し訳ございません、会議が長引いておりまして…。すぐに呼び出しますので、掛けてお待ちください」
入社したての頃は、つっかえながら言っていた言葉も、もうスラスラと出る。
会議室に連絡を入れると、清香はお茶の準備に取り掛かる。
いつもはティーサーバーのお茶だけど、今日は特別だ。
完全な自己満足だけど、少しでも手を掛けたい。
「あれ、お茶変えたんですか?」
お茶を出して机に戻ろうとしたら、近藤に訊かれた。
気付いてもらえるとは思ってなかったので、清香は驚いた。
「わかりますか?すごいですね。近藤さんって、グルメなんですね」
正直に嬉しい。そんな気持ちがそのまま自然に顔にでてしまう。
「いやいや、そんなことはないですけど。なんとなくそう思っただけで」
「今日はお待たせしているので、特別です。今度みえる時は、いつものお茶ですけどね」
清香ひとりの時にしかできないし。
「なんか、得した気分だなぁ。ありがたくいただきます」
近藤がお茶一杯で嬉しそうな顔をしているのを見て、清香の心臓がドクっと跳ねた。
喋り声が近づいて来て、会議が終わった事を知った。
「いや〜、近藤さん。すみませんねぇ」
合田が大きなお腹を揺らしながらやってくる。
これが、意外と歩くのが早いのだ。
見る度に、隣の席の礼子と顔を見合わせてニヤニヤしてしまう。
「まっえーのちゃーん」
その礼子が、手に持った分厚いファイルで清香の肩をつつく。
「痛いですよ〜!止めてください」
「今日はラッキーじゃん?後で一部始終を報告してもらうからね」
本当は今すぐ聞きたい、という顔を隠そうともしない。
これで、お昼の話題が決定した。
「特別っていうのがいいじゃん」
君にしてはよくやったよ、と手に持っていたお菓子を差し出す。
清香はそれに手を伸ばすと、頬杖をついてそれを見つめる。
見てるだけじゃダメなんだよね。
それは初恋で思い知った。
でも、一歩踏み出せる日がいつか来るのか、想像できない。
「一緒していい?」
由比の声で現実に引き戻された。
「どうぞー」
礼子は以前、由比とはどうも気が合わないと言っていたのに、返事だけはにこやかだ。
席に着こうとする彼に見えないように、口を歪めてみせた。
清香は苦笑するしかない。
「そういえば、駅前に新しいレストランできたみたいだけど、もう行った?」
食べ物の情報に目が無い礼子は、身を乗り出す。
「え、どこですか?ランチやってたら、行ってみようか」
そうですね。と清香が相槌を打つと、礼子の携帯がけたたましい音を立てる。
「バイブ音って結構うるさいよね。…あ、ゴメンちょっと電話してくる」
あの様子は、彼氏からの電話なのだろう。
声のトーンが若干高く聞こえるのは、気のせいじゃない。
「さぁ、邪魔者がいなくなったね」
その低い呟きに隣の男を見ると、無邪気な笑顔で清香を見つめている。
「今日、仕事終わってから予定ある?」
「は?」
「新しくできたお店、行ってみない?奢るし」
由比の考えがイマイチわからない。
まともに会話したのは、この前の通勤時がはじめてで、それ以外は業務連絡がほとんどだ。
それなのに、なんで清香を誘うのだろう。
『食事に行くくらい、深く考えるほどのことじゃない』と、以前礼子が言っていた言葉を思い出す。
こんなに人目のある場所で誘うくらいだから、本当に、深く考えることじゃないんだろうけど。
それでも清香にとっては、冒険だ。
「…じゃぁ、高いの頼んじゃいますよ?」
少し迷った末に、出来るだけ明るく返事した。
「よしっ!仕事終わったら、通用口で待ち合わせね」
由比の満面の笑みに、まぁいいか、という気持ちにさせられた。
今回も読んでくださってありがとうございます!
次話は…由比っちと絡ませる予定。
早めに更新できるように頑張ります。
礼子と同じく、電話するときは声が変わる深水でした。。