第6話
卒業式の日が来なければいい。
そう思っていたのに、その日はあっさりやってきた。
母と買いに行った式用の服は、かっちりしていて、少しだけ大人になったような気分になる。
学校の門で愛子が待っているのを見て、気分が落ち込んだ。
不安そうにはしているが、決意に満ちた目は、少し離れた場所からでもわかる。
「おはよ〜」
「おはよ…」
愛子に良く似合う、裾にフリルが付いた服を着て、お気に入りの人形を握り締めている。
いつもカバンに付けている、小さいテディ・ベア。
清香が誕生日にあげたものだ。
まだ持っててくれたんだ。
愛子がユウに想いを告げる場所に一緒に居たくなくて、理由を付けて逃げようか、と思っていた自分が情けなくなった。
長ったらしい式を、ぼんやりとした頭でやり過ごし、式は呆気なく終わった。
先生達の中には涙を見せる人もちらほらいたが、生徒には感傷に浸るような子はそういない。
大体の子達は同じ中学校に通うのだし。
清香も涙は出なかった。
これから待ち受けていることに頭が一杯だったから。
記念写真を取る女の子たちに引っ張られて、自動的に笑みを浮かべる。
母親たちも、カメラを集めて皆の分を撮ってくれる。
「…さやちゃん、そろそろ私…」
そう言って清香の服をつかんだ愛子は、微かに震えていた。
手を握ると、汗ばんだ手で握り返す。
私、何やってるんだろう。
ユウのこと好きなくせに。
ほんと、弱虫だ。
でも、愛子を裏切るようなことはしたくない。
愛子のことも大好きだから。
無理やり自分を奮い立たせ、愛子に囁く。
「…ちょっと待ってて」
そう言って、清香は男の子達の群れに向かった。
「あっちで一緒に写真撮ろうよ」
そう言って、ユウと岩田を誘い出す。
清香に出来るのはこれくらいだ。
自然に二人きりになれるように、仕向けるくらい。
口実のための写真撮影中、清香は泣きそうだった。
息を止めて、必死に作り笑いをするが、堪えられそうにない。
愛子に掴まれていた袖を振り払うと、がんばってと囁いて、撮り終えるのと同時に逃げるようにその場を離れた。
後ろから、清香の名前を呼ぶユウの声が聞こえたが、振り返ると彼の腕をとる愛子の姿が見えた。
やっぱり逃げちゃったけど、これでいい。
役割はちゃんと果たしたもの。
体育館の外に座り込むと、気が抜けたのか、我慢していたものが溢れ出た。
きっと人は来ないけど、聞かれたくないので、自然に声を押し殺す。
「パンツ見えるよ」
聞き覚えのある声に顔を上げると、岩田がティッシュを差し出していた。
「前野でも泣くんだ、意外。寂しくなっちゃったわけ?」
「…うっさいな。悪い?」
見られたくないのに。
でも、泣いている理由を、皆と別れるのが寂しいのだと解釈してくれたのは助かった。
余計な事を知られたくない。
「愛ちゃんは?」
しゃっくり交じりの声で訊くと、岩田は黙って指で示す。
ユウと共に校庭の方に歩いていく。
途中、こちらに気付いたのか、ユウと目が合う。
清香は慌てて目を伏せた。
いつもと違う、ぶすっとした顔。
どう見ても嬉しそうには見えない。
「前野ってユウのことが好きなんだと思ってた」
岩田の言葉に心が痛む。
でも、今ここでそれを肯定することはできない。
無言でいると、岩田は続ける。
「さっき、三井さんに『さやちゃんが待ってるから』って言われたんだけど」
その言葉に驚き、岩田を見上げると、彼もこちらを見ていた。
ため息が出る。ちゃんと否定したのに。
「愛子のばか…」
思わず口に出してしまった。
「…それってさぁ。前野が俺のこと好きだって事?」
いつもポンポン言葉を出す岩田が、躊躇いながら訊いた。
彼は、先ほどの私の無言を否定と取ったのか。
「愛ちゃんには、言ったんだけどなぁ。ちゃんと」
どうしても岩田とくっ付けたいのだろうか。
「岩田くんはカッコイイと思うけど、それだけだよって」
それを聞いた本人は、首を掻きながらふーんと呟いて、ユウ達の方を眺める。
なんだかやけに時間が長く感じる。
二人の声が聞こえないのも、もどかしさに拍車をかける。
ああ、ホント私ってバカだ。
こんな思いをするくらいだったら…
本当の気持ちを言わなかった事を、今さらながら悔やんでいると、クラスの子達が体育館から出てきた。
清香は慌てて体の向きを変えると、岩田の持っていたティッシュを引っ手繰るように取り、涙を拭いた。
「…なんか変だよな、お前ら。」
ぼそっと呟かれてた言葉に、体が小さく揺れた。
「…何がよ?」
キッと目がつり上がる。
大体、いつまで一緒にいるつもり?
一人にしておいてほしいのに。
「ユウと前野って両想いだと思ってたんだけどな」
と岩田は口を尖らせた。
リョウオモイ?
思わず、自嘲気味に笑いがこぼれた。
笑うしかない。
友達と同じ人を好きになったことに動揺して、自爆しただけということか。
でも、もう取り返しがつかない。
もしも彼女が振られたとしても、清香は告白しないだろう。
やっぱり私も彼の事が好きだった、なんて都合が良すぎるもの。
そんなこと言ったら、愛子の顔が見れなくなってしまう。
愛ちゃんがうらやましいな
自分に対する自信が。
その行動力が。
清香がうな垂れていると、隣から軽く蹴りを入れられる。
「なにすんのよ」
岩田の視線の先には、クラスメイトに囲まれる二人が見えた。
女の子たちの黄色い声が聞こえる。
どうなったんだろう。
すごく気になる。
慌てて、立ち上がる。
それにしたって…
「泣いてる女の子を蹴るなんて、最低!」
岩田を睨みつけてやると、鼻を鳴らして笑った。
「ふん。泣いてた割には元気あるじゃん」
もしかして励ます為に一緒にいるのだろうか。
そういえば、いつの間にか涙が止まっている。
「…なんか、岩田って意外といい人だったんだね」
清香の言葉に、少年は目を見開く。
「へぇ、今頃気付いたわけ?ちょっと鈍いんじゃない?」
早口なのはきっと、照れているせいだ。
少しだけ顔が赤い気がする。
それが可笑しくて、愛子達の所に行こうと踏み出すがちょっと軽くなった気がした。
「前野」
清香が後ろから呼ぶ声に振り向くと、岩田が小さな声で言った。
顔はまだ赤いままだ。
「…三井じゃないけど、俺も今日、前野に好きだっていうつもりだった」
清香が言葉も返せないでいると、彼はそのまま続けた。
そうして、呆気にとられる清香を残して、人の群れへ歩いていった。
清香は立ち尽くしたまま、一歩ずつ遠のいていく背中を見ていた。
信じられない。
好きだと言われたこと自体は嬉しいけど。
まさか岩田が…
「さやちゃん、どうしたの?」
頭が真っ白になっていれ、愛子が近づいてきているのさえ気付かなかった。
ビクッとして後ずさると、他の友達も清香の方に歩いてくる。
愛子の表情が読めない。
いつも笑顔を絶やさない彼女が、人形のように無表情な顔で清香を見ていた。
だらだらと長くなってしまいました。
『苦い思い出編』は次話で終わる予定です。
それにしても、清香はうじうじしてますね(笑)