第4話
通勤電車の中、手で隠すようにして欠伸をする。
昨夜はベッドのうえで大の字になって、そのまま眠ってしまった。
夜中に来た万里子からのメールにもまだ返信できていなかった。
ここ最近いろいろと変化があるから、疲れているのかもしれない。
ふと窓に映った自分の顔に違和感を感じる。
それを見つけ出そうと、窓を見つめていたら、後方に立っていた青年と目が合った。
同時に、感じた違和感の正体にも気付いてしまった。
「前野さん、おはよ。この線だったんだね」
その青年は、大きな駅に着いて若干空いたあたりで近づいてきた。
井上龍平だった。
内心では、あんまり寄らないで、と思っていたが、それが届くはずもない。
新しく入ってくる人の波で、奥に押し込まれる。
「おはよう。井上君も?あれ、でも大学は反対方向だよね?」
描き忘れた眉が気になって、前髪を指でいじる。
「今日はバイト。そういえば、今度やる耕司のライブ行くよね?波川さんに伝えておいたんだけど」
耕司とは、あのがっちり体型の男の子のことらしい。
「うん。夜、メールきてた。再来週だってね」
「そうそう…」
その瞬間、急停車して、バランスを崩す。
手を窓側に伸ばすが、うまく手をつけず、倒れると思った瞬間、二の腕を掴まれた。
なんとか倒れずにすんで安堵した。
「大丈夫?」
「あ、ありがとう…助かった〜」
誰かに足を踏まれたみたいで痛みが走ったが、この混みようじゃ下も見れない。
龍平は、危ないからと清香を壁側に立たせ、腕を差し出す。
さすがに腕には掴まれないので、斜にかけたカバンのストラップを握らせてもらう。
やっぱり男の子なんだな…
伸ばされた手は、意外と力強かった。
今も、清香がふらつかない様に、腕を支えていてくれる。
その紳士っぷりに、なんだか急に恥ずかしくなって、俯いてしまった。
しかも、お互いに手を回しているので、抱き合っているように見える。
清香が降りる駅までがすごく長く感じた。
ついた瞬間、改めてお礼を言って、そそくさと逃げるように電車を後にした。
足がズキズキ痛む。
踏まれた後は、真っ赤に腫れていた。
新品のストッキングにも穴が開いてしまって、泣きたい気分になる。
「清香ちゃん、どうしたの、大丈夫?」
足を少しだけ引きずるように歩き出すと、声を掛けられた。
馴れ馴れしく下の名前で呼ぶのは、同じ会社の由比だ。
今年30になるとかで、男性社員の中では一番若い。
清香にとっては、会社の中で一番苦手な人だ。
入社したころは、名前で呼ばれるたびに固まっていたが、もう慣れてしまって諦めてさえいる。
「あ、由比さん。オハヨウゴザイマス」
挨拶を交わすたび、固くなってしまう自分には呆れるが、まぁこれくらいなら良いほうだろう。
「なんか、足すごいことになってるよ。腕も」
腕は気付かなかった。見てみると、二の腕が赤い。
龍平に掴まれたところだ、また思い出してしまった。
赤面しそうになるのを必死で抑える。
「電車がもうすごい人で…踏まれちゃいました」
それにしても、会社までずっと一緒に歩くつもりなのだろうか。
清香のぴったり横につけて、歩調をあわせている。
由比をちらっと見ると、ニコニコしている。
人懐っこくて、いい人なんだろうけど…
下の名前で呼ぶのだって、女性社員にはみんなそうだし。
その人当たりの良さで、上司からも可愛がられている。
「あぁ、さっき潰されてたよね。そういえば、清香ちゃんのカレシ、結構イケメンじゃん」
・・・えっ?
そんなところから見られてたの?
抑えていた恥ずかしさが、一気に押しあがってくる。
「ち、違いますよ。友達です」
動揺して、踏まれた足に力が入り、鈍い痛みが走る。
「へぇ、そうなの?オレ、てっきりそうなんだと思って」
「いやいや…」
「清香ちゃんが男の子と楽しそうにしてるの珍しいし」
「私、いつもそんなにつまらなさそうにしてますか?」
気をつけなきゃ。
重くなるのもイヤなので、できるだけ軽めに聞いてみる。
「うーん。っていうか、こいつウザイって思われてるのかなって」
そんなことないですよ、と否定すると、由比は満足そうな笑みを浮かべた。
ちゃんと会話できるのは、"お爺さん・お父さん・子ども"の3分類に分けられる人だけだから、それから外れる由比に対しては、どう接していいか分からなかった。
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「清香、龍平に気に入られたみたいよ」
万里子が目を輝かせて清香を見る。
真奈のオススメのイタリアンレストランは、賑やかで、声が自然と大きくなる。
「龍平くんて、この前のライブの時、清香の隣にいた子でしょ?あのカワイイ…」
それは彼の前では禁句、と万里子が苦笑いで真奈を制する。
「は?私を?なんで?」
確かに、龍平は話しやすいけど。
「この前、電車で一緒だったんだって?ちっちゃくて可愛いとか清純そうで良いとか…いろいろ言ってたよ」
まぁ、真奈や万里子より背は低いけど。
「やるじゃ〜ん」
ニヤニヤした真奈が、清香の頬を突っついた。
「私も龍平だったら清香と合うんじゃないかって思うけどね。この前も良い感じだったじゃん」
そういうことを言われると、今度会いづらくなってしまう。
「でも、憧れの人とはうまく喋れないんだ」
近藤と言葉を交わした時のことを思い出す。
あれから一度も見かけていない。
「どんな人?清香の好みって聞いたことないかも」
空気が柔らかくて優しそうで…と指を折っていると、二人とも感慨深げに清香を見つめる。
「…なんか、オトメって感じ」
「清香とこういう話が出来る日がくるとは…」
お酒が入っているからか、しんみりした空気が流れる。
「真奈のとこはどうなの?」
「ん〜うちはねぇ。幼馴染だし、もうマンネリ化してるね」
中学生のころから付き合っているというから、もうすぐ10年になる。
「10年はすごいよね。真奈んち行った時なんか、もう夫婦って感じだったもんね」
高校を卒業してから同棲していて、清香たちも何度か遊びに行ったこともある。
「アタシ達の場合は、別れるパワーもないからだよ」
そう言いながらも、ふわっと笑う。
いつも、いたずらっ子みたいな彼女だが、カレシの話をするときは穏やかさを感じる。
その穏やかな愛情が、清香の理想でもある。
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「…でもさ、清香が男の子のことに前向きになったってことは、トラウマを克服したってこと?」
次回は、清香が男の人を苦手とする理由について書く予定です。
重い話にするつもりはないので、また読んでいただけると嬉しいです。