幻の花~独り舞台の皇帝~中編
「……は、皇帝陛下の愛妾の血筋。まだ歳も若く、大帝国の跡継ぎにはとてもとても……」
「側室も愛妾も関係ない! 私こそが次なる皇帝だ!!」
「わたくしはお父様の最後の娘。寵愛もひとしおよ。わたくしの息子こそが皇帝に相応しい!!」
……なんて醜い争いだろう。誰もが疑心暗鬼になっている。信じられない、これが僕の家族だというのか?
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「レイナ、ぼくはこのままでは終わらない。もっと上を目指そうと思う。……ついてきて、くれるかな?」
「ええ。私は花束を渡した時から、貴方を偉大な王にすると誓ったの」
小国で満足していれば良かったのかもしれない。一族を見返してやるという憎悪を捨てて、身の丈に合った幸せを大切にして、野心を肥大化させなければ。こんなみじめな思いを味わう事はなかった……。
「交渉に向かう国のリストをまとめたわ」
今では異種族だけでなく、国同士の外交もレイナの仕事だ。僕が入り込む余地なんて、ない……。
「ルーナエの王族は、水の精霊を信仰している。ルベウスとは相性が悪いわね。交渉の場には、セイレーンと水棲馬を護衛に連れて行きましょうか。それと、水の乙女に加護を融通してもらえるよう手配して。日照りが酷いからこその信仰、つけ込む余地は充分よ」
「せ、正妃様、例の国が戦争を仕掛けようとしていると情報が入りました! ど、どうすれば……」
「落ち着きなさい!」
何て堂々としているんだろう。前はあんなにか弱かったのに……。
「私のやり方をよく見て覚えておきなさい。あの国に余裕がないのは、戦に貪欲なのは、王が生来の病で先が短いと宣告されているからよ。共感を得るために、同じく病弱な私がガラクシアスと共に交渉に赴きましょう。アイリスもついてきて。エルフの里で作られた薬を幾つか手土産にするから、選んでちょうだい。使える物は、何でも利用しなくては」
深い蒼のドレスは、シルキーやブラウニーが仕上げた一級品。レイナはどんな煌びやかな衣装も見事に着こなす。
……僕はドワーフの村から献上された王冠と宝飾剣に目を落とす。宝飾剣に使われているのは、僕の瞳の色に合わせた大粒の紅玉。だけど、王冠に燦然と輝くのは、レイナの瞳のように澄んだ青玉だ。
「ガラクシアスは華美だと言うけれど、新興国だと侮られないためには必要な装飾よ。私達が身に付ける物は、国の豊かさの象徴。こんな技術を、資源を持っているとアピールするの。だからと言って、独占しては駄目だけど。上手く流通させるのが大事なのよ」
レイナは広い目を持っていた。アイリスから学んだ教養もあり、政治はレイナの独擅場だ……。
戦争には賛成出来ない。向こうから仕掛けてこない限り、こちらからは戦争を起こさない。それが僕の方針だったけど、戦闘至上主義なルークス以外、一体誰が喧嘩を売るというんだ?
ソーリスは炎の精霊王に守られ、広い情報網を持ち、数多の異種族が後ろに控えている。攻めこまれては堪らないと、大国でさえ属国になる道を選んだ。……レイナがしているのは、無自覚の圧力、脅迫だった。
清濁併せ呑む器量。大胆な政策。僕も、頭が良い方だと自負していたけど、レイナには負けている。それでいて、レイナは必ず僕を立ててくれた。
「こんなに早く事が運んだのもガラクシアスのおかげね。転移は……貴方は皆を繋いでくれる。貴方と出会ったから、理想に共感したから私も異種族もここにいるのよ。ガラクシアスがいるからこそ、この国は繁栄しているの」
……おためごかしにしか、聞こえないよ。
時にはわざと非情にもなって、僕の考えを通しやすいよう、補助もしてくれる。レイナは、完璧過ぎだ。
「ガラクシアス様は、甘いのです! 禍根を残してはなりません。見せしめも時には必要だと、何故分かってくれないのです!?」
「それでも、僕は余計な血を流したくないんだ……」
「分かりました。反対勢力の子供達は、アイリスの風の監視の元、僻地に幽閉する事にしましょう」
幽閉と言いながら、レイナは子供を閉じこめるような真似はしない。用意した地は辺境ながら温暖な気候で、豊かな実りがある。暮らし向きも悪くはない。
……ただ、自分が悪役になって、甘い僕を庇ってくれているだけだ。『冷酷な正妃と寛容な王』それが周囲の評価だけど、本当は違う。
皆が、レイナを“雪の女王”だと揶揄した。優しい王に不釣り合いだと。……でも、雪の王妃でも氷の正妃でもなく、何で雪の『女王』なんだ? 暗にレイナこそが王の器だと言っているも同然じゃないか!!
劣等感に囚われた僕は、ありがちだけど女に逃げた。政略的に意味があると言い訳して、レイナに相談もせず、独断で側室を娶ったんだ……。スピアーナも、そんな側室の一人だった。
「あ、あたしが側室になってもいいの……ですか? レイナ、正妃サマが快く思われないかも。あたしは、アイリス様や炎の精霊王様のように、ガラクシアス陛下のお役に立てませんわ」
「君は、後宮に居てくれればそれでいいんだよ。異種族との交流はレイナの役目。こうして、人との繋がりを強化するのは僕の役目さ。スピアーナ、どうか僕の傍に居てくれないか」
必要なくなったら、臣下に下げ渡せばいい。軽い気持ちで始まった関係だけど、スピアーナの傍は居心地が良かった。僕の事を昔から一身に慕ってくれたし……隠しているけど、僕と同じくレイナに劣等感を持っている。スピアーナに自尊心は慰められたけど、昏い気持ちは増すばかりだった。
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……僕はレイナ以外にも側室がいたんだっけ。レイナが影で泣いているのは知っていたけど、それに昏い悦びを感じて、側室を増やすのを辞めなかった。ここにいるのは、そんな側室の子供達なのか? しかし、数も多いが中には異種族が混じったような、異形の容貌の者もいる。まだ、思い出せてない事があるはずだ。
「お父様! お父様からも言ってあげて下さいな! 次の皇帝は、わたくしの息子ですわよね!!」
何と醜い……。これが僕の娘? 僕には、可愛い娘が居たはず。確か、名前は何だったっけ?
『ぱぁぷ!』
懐かしい、愛らしい顔が蘇る。そうだ、あの子はオリヴィアだ!!
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オリヴィアの母親とは、打算から付き合いはじめた。日陰の娘だけど、隣国の王族の血を引いていて利用価値がある。それに、体の弱い彼女は、出会った頃の純粋だったレイナに似ていた。
彼女に先立たれた時、残された赤子はレイナに育ててもらおうと、連れて帰って来た。レイナには子供が出来ないから丁度良いと思って。それがどんなにレイナを傷付けるか、考えもしなかった。
オリヴィアという名前はレイナが名付けてくれた。可愛いオリヴィアを見ていると、心が癒やされる。……レイナ達との、ぎこちない関係の改善には至らなかったけど。
「ガラクシアス、約束はどうした!! レイナを任せろと言っただろう!?」
「そうです。もっと、レイナの気持ちも考えてあげて?」
ルベウスとアイリスが何を言っても、僕には届かない。
「約束は、レイナを萎れた花のようにしないだったよね? 僕は約束を破ってなんかいないよ」
レイナに昔の儚さはない。生き生きと政治に打ち込んでいるじゃないか。
……ルベウスは、僕のなりたかった理想そのものだ。威風堂々とした偉丈夫で、自信に満ちあふれた姿には未だに気押される。ルークスさえ及びも付かない随一の戦闘力を誇るのに、国を守るためにしか使わない優しさも兼ね備えていて、彼にこそ、王者の風格があった。……並び立つのが苦痛ですらある。
彼のように生まれたかった。そしたらぼくはこんな卑屈にならず、きっと素晴らしい皇帝になれた。レイナを堂々と愛することが出来ただろうに。
「ねえ! 側室を減らせなんて言わないから、もっと姉さんを大切にしてあげてよ……。仕事の時以外も、傍で話を聞いてあげて!!」
……うるさいな。ゼロは可愛い弟分だと思っていた。でも、レイナが男だったら、病気じゃなくて普通の寿命だったら、僕なんかじゃ敵わない、立派な王になっていたはず。僕はレイナにそっくりなゼロも敬遠するようになっていた。
────そんな風だから、僕はレイナが倒れた時すら傍に居なかった……。
『ガラクシアス!』『……ガラクシアス様』『陛下』
レイナが僕を名前で呼ばなくなったのは、いつからだった?
僕が、劣等感に負けてレイナ達から距離を置いた。彼女を遠ざけたのは、僕からだったのに……。寂しいと思う資格は、僕にはない。だけど、レイナが死に瀕して、ようやく僕は後悔したんだ!!
今更、合わせる顔がないよ……。でも、助言を求める相手はいなくて、僕はスピアーナに縋った。それが、大きな間違いだとも知らずに。
「……僕は、なんて情けないんだろうね。レイナが苦しんでいるのに、何も出来ないんだ」
なんで僕はこんな時に感謝の気持ち一つ伝えられないんだ? 何があっても、捻くれても、レイナを愛する心は変わらなかったのに。
「ガラクシアス陛下。正妃サマのお見舞いに、花束など如何ですか?」
スピアーナの提案は、魅力的だった。僕が初めてレイナから貰ったのも、花束だ。二人の思い出が詰まっている。……今まで、僕からレイナに贈り物をあげた記憶はない。なんて最低な夫なんだと思い知らされる。
「正妃サマは花の種類や花言葉にお詳しいと聞いた事があります。上手くお気持ちを伝えられないなら、花言葉で表現してみませんか。不器用な陛下にはぴったりでしょう?」
手ずから花を摘んで綺麗に飾り立てましょうという、スピアーナの手を取って、僕は特別な温室に転移する。
本を片手に花を選んだ。紫色のヒヤシンスで謝罪を、青いヒヤシンスが変わらぬ愛を。白のダリアやピンクの薔薇、ガーベラは感謝を。そして、ピンクのカーネーションと目一杯の赤い薔薇で熱烈な愛を伝える。
「レイナは喜んでくれるかな」
花束を渡して、向き合うのが遅くなってごめんと伝えるつもりだった。だけど、そんなまどろっこしい事をしている間にレイナが死んでしまうなんて……そんなに悪いなんて、知らなかった。いや、知ろうとしなかったんだ。僕が駆けつけた時にはもう、手遅れで。────二度と、レイナが目を覚ます事は無い。
………………………………………僕は、レイナを永遠に失ってしまった。