幻の花~独り舞台の皇帝~前編
奇跡とは、彼女の事を言うのだろう。
パトリと言う名の小さな国で、僕、ガラクシアス=ルークスは運命に出逢った。幻想的な白い花畑に蹲る少女。皓々と輝く月の光を浴びたような、淡い金髪が結われもせず風に流れていた。俯いた白い頬には幾筋もの涙が伝い、抱きしめた可憐な花束を濡らす。
長い睫毛に縁取られた瞳の色は見えないけれど、なんて悲しくて美しい横顔なのだろう。まるで一枚の絵画のようだ……。止まらない涙を拭ってあげたくて、思わず僕は声をかけていた。
「やぁ、とても可憐な花が咲いているね。僕も摘んでいいかな?」
「……え」
弾かれたように頭を上げた彼女の、瑠璃色の瞳を見て、初めて彼女が探していた涙の一族だと気付いた。
でも、僕は悲しげな彼女の横顔に、すでに心を奪われていたんだ…………。
微睡みから目覚める。……ここは、一体どこだったっけ? 色褪せぬ思い出の場所と大違い、ひどく寒々しい場所だった。
贅をこらした宮殿の一室かな? 見上げる天井はドーム状の宗教画だ。どこもかしこも豪奢な飾りが目立つ部屋は、かなり広そうなのに、冷たい表情をした沢山の人間で埋め尽くされている。
僕は中央の一段高い所に設置された特大サイズの寝台に横たわっているのだけど、皆の視線が集中しているせいで、居心地が悪い。まるで独り舞台にでも上げられたような気分だ。
ここから逃げ出したいけど、体が満足に動かない。よく見れば、僕の体は沢山の管で繋がれていた。どうも、延命措置のように見える。それに、どうしたんだろう、管に繋がれた僕の手はひどく皺だらけで、まるで百歳の年寄りの手だ。……僕は病気なのか? どうしてこんな事になったのか、僕は記憶を振り返る事にした。
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涙の一族は、異種族と人間を繋ぐ一族だと言われている。気難しい精霊を始め、異種族と親和性が高く、その成長を促したり、歪みを矯正したりする。子の出来にくい長命種との間に子を儲けたとの記録もあるように、とにかく異種族に益をもたらし、愛される性質を持つ。
涙の一族の呼び名通り、涙に異能が宿るのだけど、それがまた特殊だ。ラクリマの涙を月光に晒すと、若返りの秘薬になると言うんだ。元々は長寿の多い異種族と人間の溝を埋めるために使われていたんだけど、人間は欲深い。“永遠の若さ”を求める人間に追われ、姿を消した幻の種族……それが、ラクリマだ。
初めて伝承を聞いた時、僕は閃いた。彼らを上手く利用すれば、戦に頼ってばかりの光の一族に勝てると。だから僕は、ラクリマを探して大陸中を旅していたんだ。
「綺麗な真紅の瞳……貴方は、ルークス?」
「そうだよ。澄んだ夜空のような瑠璃色の瞳、君はラクリマのお姫様かな」
間違いないと確信しながら、戸惑う彼女の手を取って僕は微笑んだ。よく中性的、穏やかだと評される僕の容姿に、彼女は警戒を緩めてくれたようだ。
「はじめまして、お姫様。僕はガラクシアス=ルークス。ここから遠い里で、族長をやっている」
「は、はじめまして。私はお姫様なんかじゃないわ。レイナというの」
謙遜だと思った。着ている衣服は質素ながら上質なものだし、洗練された仕草には気品がある。月の女神のような類い希な美貌もあって、瑠璃色の特徴的な瞳でなければ、どこの貴族の姫だと言われても僕は信じただろう。
「そんなに怯えないで。僕も、僕の治める里も、他の一族と違って争いを好まないから。ルークスの強みは多様な能力だけど、中には戦闘向けの能力を持たない者もいる。ルークスなのに穏やかな性格のせいで戦えない者もね。僕らの里は集落を追われ、迫害された人材や、行き場のない孤児達で構成されているんだ」
聡そうな彼女には、嘘なんて通用しないだろう。僕はつとめて本心で語る。まずは信用してもらわないと。
「僕もね、戦闘向けじゃない能力のせいで追い出された口さ。僕の能力は転移に特化してる。おかげでここに入れたんだよ」
僕の異能、転移は応用力が高い。こんな森の奥、隠された場所の強力な結界だって通過出来る。この何でも見通す瞳は、行った事さえない場所にだって行けるんだ。……一族には不要だと言われたけど、ね。
「私、貴方ともっとお話がしたいわ」
彼女……レイナの返事に、思わず笑みがこぼれた。
レイナは他愛ない事も辛い事も沢山話してくれて、僕もレイナに話を聞いてもらった。人に生い立ちを語ったのは、初めてだったな。
「僕は、ルークスの中でも特に高貴な家柄に産まれた。鮮やかな真紅の瞳はその証さ。幼い頃──遠い昔の少しの間だけ、僕は両親に愛され、周囲から期待され、何不自由なく過ごしていた。誇り高い両親に愛されて僕は幸せだったと思う。だけど、異能に目覚めた瞬間、全ては覆ったんだ……」
『嘘でしょう……? 転移ですって!? そんな益体もない異能しか発現しなかったの!?』
『お前の血のせいだ! オレの子がこんな穀潰しになるなんて!!』
あんなに愛していると言ってくれたのに、仲睦まじかったのに、争いが耐えなくなった両親は僕を責め、手を上げるようになり、僕は、とうとう家を追い出された……。悔しかった。僕を捨てた両親が、役立たずだと罵った一族が憎くてたまらない。
転移はとても便利な異能だ。使い方次第では、あらゆる不可能を可能にする。僕には、他のルークスにはない知恵もある。戦争になんか頼らなくても、大陸統一だって出来るんだ!!
……レイナは僕のさして面白くもない半生を、真剣に聞いてくれたね。
話をして分かった事だけど、お姫様のようなレイナも劣等感に苛まれていた。
「ゼロは、とても優しいの。健康で何でも出来るのに、私のせいでこんな小さな箱庭に縛られている。私と違ってゼロには未来も希望もあるのに……」
病弱で何も出来ない自分が嫌で、健やかに育つ弟と違って、育ての親のお荷物、ラクリマの出来損ないとさえ思っているそうだ。……ルークスとラクリマは対極の一族。だけど、僕らは似ている。僕とレイナは急速に惹かれ合った。
「君に似合う可愛らしい白い花が沢山咲いていて、ここは楽園のように美しいね。初めて見るけど、何て名前の花なのかな」
花畑を見渡して僕は尋ねる。大陸中を駆け回っている僕でさえ見た事のない花。どうやら、精霊や異種族のみが育てている品種のようだ。
「この花はパピの花というの。とても生命力が強くて、どんな劣悪な環境でも咲くのよ。それに願いが叶うおまじないに使えるから、ルベウスが私のために植えてくれたの」
「願いが叶うおまじない?」
何とも心惹かれるフレーズじゃないか。
「そう。……内緒よ? 私を育ててくれた人、アイリスは有翼人なの。賢者と名高い有翼人に、ひそかに伝わる特別なおまじないなんですって」
レイナはパピの花の花束を、見やすいように持ち上げてくれた。
「パピの花を乾かすと、不透明な乳白色になってすっごく壊れやすくなる。ドライフラワーになった状態を“ハリの花”と言って、大切に飾っていたら、深い蒼色に輝く宝石の花になるの。宝石になった花は“ルリの花”と呼ばれ、それこそが、どんな願いも叶えてくれる魔法の花なのよ。……でもね、ハリの花はとても儚くてすぐ散ってしまうから、ルリの花を見た人はいないわ」
「素敵なおまじないだね。レイナは信じているの?」
僕の問いに、レイナは首を横に振る。
「本当は私、信じてなんかないの。花畑に来る口実に使ってるだけ──私はルリの花なんて信じないわ」
レイナの瞳には、昏い諦めの色が滲んでいた。
「何故信じないの?」
「………………私ね、生まれつきの病気なの。20まで生きられないって言われたわ。アイリスは気休めでおまじないを教えてくれたのよ」
「そっか……その病気、治らないの?」
「うん。ルベウスもアイリスも手を尽くしてくれてるけど、無理そうよ。人に感染ったりする病気じゃないだけ、マシかな」
きっと、それがレイナの泣いていた理由。レイナが悲しそうだと、僕も悲しくなる。何も成せないまま死ぬのは辛い。僕は片膝をついて跪き、レイナの手の甲に口付けた。物語の王子様のような、気障ったらしい動作だけど、レイナは顔を真っ赤にしながら受け入れてくれた。
「僕には叶えたい夢がある。おまじないを、ルリの花を信じるよ。だからレイナ、僕はパピの花も君も欲しい」
「……叶えたい夢?」
「そう。今の世には争いが多すぎる。この大陸は精霊や異種族の力が強くて、人間との対立が絶えない。ルークスのやり方は、余計な血を流すだけ、争いを激化させるだけで止められなかった。僕はね、こんな世界を変えたいんだ。君達ラクリマの生き方はとても素晴らしい! 共存共栄こそが、僕らが選ぶべき道だと思う。だから必死でラクリマの一族を探して、そして──君を見つけた」
この時の僕には、確かに打算もあった。数いるラクリマの中でも、炎の精霊王や有翼人といった大物に守られる存在なんてそういないだろうから。でも、僕はそれ以上にレイナに惹かれている。レイナという存在に夢中になっていたんだ。……だから口説き落とそうと決めた。
「断られても僕は諦めない。何度だって通うよ。例え、炎の精霊王を敵に回しても……」
「いいわ」
レイナは、花束を僕に手渡すと微笑む。春の陽だまりのような、心が暖かくなる笑顔だった。
「花も私もあげる。でも、私はおまじないなんて信じないわ。貴方の願いは私が叶えてみせる」
「ありがとう、レイナ。君の想いに応えられるよう、努力するよ。だから、僕の妻になってくれるかい?」
「──まだ、言って無かった事があるの。私、病気のせいで子供が出来ない体なのよ。協力はするけど妻には……」
「それでも構わない。僕の隣にいるのは、君しか考えられないんだ。レイナ、もう一度言うよ。僕の妻になって」
「気持ちはとても嬉しいわ。でも、妻だなんて……結婚するのは、もう少しだけ、か、考え」
僕は、想いを抑えきれずにレイナを抱き締めていた。
「良い返事を期待してるよ」
泣き顔も、笑顔も、この茹で蛸のように真っ赤になった顔も、どんなレイナも、魅力的だ。
「レイナ、僕の手を取って」
「はい!」
それからの一月は、蜜月だった。本性全開の炎の精霊王に迫られた時は生きた心地がしなかったけど、僕はレイナを連れだして、二人で大陸中の名所を回ったんだ。
「ガラクシアス、私、こんなに綺麗なもの、初めて見た……連れて来てくれて、ありがとう」
レイナは意外と涙脆くて、感動する度にすぐ泣いていたね。雪なんて、僕には寒くてひもじい冬の印象が強くて、あまり好きじゃなかったのに、君といると全てが輝いて見えたよ。
……捨てられた時から、僕の心は渇いていた。似たような境遇の仲間を集めて里を作ったのは、僕にとって野望の一環に過ぎない。大陸を巡って異種族の本拠地を特定したり、孤立した集落に渡りを取ったり、両親や他の一族を見返そうと、暗躍に使ってばかりの僕の異能を、レイナはとても素敵だと言ってくれた。レイナと出会ったから、僕は自信を回復出来たんだ。
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「…い…なは、どこ?」
ここにはレイナがいない。だからこんなにも身の置き場がないんだ。そう思って声を上げたのに、しわがれ、掠れた声しか出ない事に愕然とした。
「まあ! 目覚められたのですね、良かったわ」
「待っていた甲斐がありましたな」
良かったと言いながら、近寄って来る顔ぶれはどれもちっとも喜んでなんかいない。部屋中に殺伐とした空気が漂っていた。一体、この人達は誰なんだろう? さっぱり思い出せない……。
「ささ、大事な話をしましょう、皇帝陛下」
皇帝……? 僕は確か、小国の王になったはず……。
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レイナ達を里に迎えて、皆で国作りに奔走する。大変だったけど、充実感があって楽しかったなぁ……。
「子供達はぼくに任せてね! さあ、皆、勉強するぞー!」
「べんきょう、いやー! ゼロ、レイナ、もっと遊んで~」
人見知りしていた子供達だったけど、屈託のないゼロやレイナによく懐いた。特に一番幼いメイは、二人の妹のようで頬が緩む。里の大人達も、子供達の接し方を見て、徐々にレイナ達を受け入れていったんだ。
今まで努力していた甲斐があったよ。炎の精霊王は、ソーリスの里を人材の宝庫だと言ってくれた。里の改善は炎の精霊王やアイリスが引き受けてくれたから、僕は安心して他の里や異種族の縄張りに交渉に迎える。レイナはどんな時も傍に居てくれた。
レイナ達が里にすっかり馴染んだ頃だった。
「……? アイリスに、炎の精霊王。いきなり跪くなんて、どうしたんですか?」
まるで臣下の誓いじゃないか。僕は驚きに目を丸くする。
「ルベウスと呼んで構わない。敬語も不要だ。……余とアイリスは、ガラクシアスが王の器かどうかを見極めていた」
「結果、わたくし達は貴方に仕えると決めました」
僕を、認めてくれたんだ……!
「アイリス、ルベウス、ありがとう。僕は君達に愛想を尽かされないよう、いい王様になるよ」
喜ぶ僕に、レイナが寄り添ってくれたっけ。
……きっと、これが僕の人生の絶頂、一番幸せな時だったんだ……。