徒花~寵姫の誤算~
あたしが一番ガラクシアスを愛していると思っていた。昔から、ガラクシアスの傍にいたのはあたしで、あの女──レイナが、後から割り込んだんだ!!
あたくしは、スピアーナ=ルークス。戦闘向きではない能力のせいで迫害に遭っていた所をガラクシアスに救われ、里に迎えられた古参のメンバーの一人よ。貧しい里に過ぎなかったソーリスが国となり、レイナが正妃として大きな顔をしていても、ガラクシアスの傍にいたくて側室になった。だけど、あたくしはずっと思っていた。
ガラクシアスの隣は、あたくしこそが相応しいと。
レイナが現れるまで、ガラクシアスを影で支えてきたのはあたくしだったのよ? あたくしだって、ガラクシアスのためなら何でもするのに。あんな、守られてばかりのお姫様、認められるわけないじゃない……!!
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レイナが、初めて里に来た時の事は忘れないわ。
貧しい里には場違いな、美しい異形を引き連れた、きらきらしたお姫様。そっくりな従者(後でレイナの弟だと知った)も彼女を守るように警戒していて、ただ一人レイナだけが危機感もなくニコニコしていたわね。
あたしの妹同然のメイに、差し出した手も貴族のように綺麗な手で、苦労なんか知らずに育ったのが一目瞭然。苛立ちを隠しきれずについ睨んでしまったのを覚えている。
メイ以外の里の皆からは除け者にされて、いい気味だと思っていたのに……!
レイナについてきた炎の精霊王の結界のおかげで、里は敵の侵略に怯える必要がなくなった。冬の寒さも和らいだから、生活が楽になって余裕が出来る。レイナの弟のゼロは、がむしゃらに働かなくてよくなった小さい子に、勉強や剣の指導をしてくれて、大人も子供も皆が感謝していた。
「風の精霊が教えてくれました。北で、不穏な動きがあるようです」
アイリスという有翼人の女性は博識で、医療の知識に優れているだけでなく、風の精霊を介しての情報収集に長けていたから、あっという間に里は発展したわ。そしてそれは、あたしのなけなしの能力なんて、使う必要がなくなるという事だった。
皆が手のひらを返してレイナを持ち上げた。ガラクシアスの、里の幸運の女神だと、レイナを褒めたたえる。みじめな気分だわ……。皆の笑顔は増えたのに、あたしはろくに笑えなくなった。周りが凄いだけで、レイナの手柄なんかじゃないのに。悔しかった。……あたしの居場所は、レイナに奪われたのよ。
「レイナ、僕の手を取って」
「はい!」
ガラクシアスの差し伸べる手を取って、幸せそうに笑うレイナ。あたしはついて行く事さえ許されないのに。……二人がいない間に、あたしは淑女の礼儀作法や社交界の知識を学んで、将来に備える。今度はあたしがレイナの場所を奪ってやる! いや、取り返すんだ……!!
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運命があたしに微笑んだのは、ソーリスが発展する最中の事。ガラクシアスが後宮に側室を入れると宣言したの。レイナは異種族には絶大な人気を誇るけど、人間の支持を得られなかったら片手落ちよね? そんな人間との交流を深めるため、という名目だったけど、嬉しかったわぁ。やっと、レイナの鼻を明かせる。
数居る側室の一人としてだけど、彼が直々に指名したのは、あたしだけだった。努力が遂に報われたと思ったわ。
「スピアーナ。僕の側室になってくれないか?」
以前よりもずっと輝かしく、威厳の増したガラクシアスが、洗練された動作であたしを抱き寄せた。夢見心地のあたしは、喜んで申し出を受け入れる。でも、少しは躊躇った方がいいのかしら?
「あ、あたしが側室になってもいいの……ですか? レイナ、正妃サマが快く思われないかも。あたしは、アイリス様や炎の精霊王様のように、ガラクシアス陛下のお役に立てませんわ」
「君は、後宮に居てくれればそれでいいんだよ。異種族との交流はレイナの役目。こうして、人との繋がりを強化するのは僕の役目さ。スピアーナ、どうか僕の傍に居てくれないか」
こんなに昏い瞳のガラクシアスは初めてだわ。きっと、疲れているのね。……レイナに彼は癒やせない。そう思うと、とても気分が良かった。これでレイナに勝てると、あたしはほくそ笑む。
「勿論ですわ! あたし、いえ、あたくしは貴方のために傍に居ます!!」
後宮の豪華な一室を与えられ、躾の行き届いた侍女達を侍らせる。触り心地の良い、最高級の絹のドレスに身を包み、たまにやって来るガラクシアスを癒すのがあたくしの役割となった。
側室である以上、自由はないけれど、ガラクシアスは沢山の贈り物をくれたわ。桃色の大きな宝石に、甘い香りの香水。どれも昔では考えられない贅沢なものばかりで、身に付ける毎に、あたくし自身も洗練されていくようだった。
垢抜けない田舎娘だった『あたし』はもういない。今のあたくしは、レイナにだって負けないきらきらしたお姫様──ガラクシアス陛下の寵姫・スピアーナ。後宮の実質的な主よ。
あたくしが、側室として現れた時のレイナの顔ったらなかったわ!
「もちろん賛成ですわ。皆様、これからよろしくお願いします。共にガラクシアス様を支えて行きましょうね」
ガラクシアスに側室を紹介されても、レイナの笑顔は完璧だった。だけどね、衝撃を隠しきれていない。“雪の女王”と揶揄されるくらい白い顔は、蒼白になっていて痛々しかった。……イイ気味よね!
「こちらこそよろしくお願いします。ねぇ、正妃サマ?」
殊更優雅に嗤ってあげた。胸がすく思いだったわ。これでガラクシアスの寵愛はあたくしのもの。里の皆だって見返してやれる。何もかも思い通りに行っていた、はずだったの。なのに!
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側室はどんどん増えていき、後宮はたくさんの美姫に彩られた。何とか寵姫の立場は保っていたものの、あたくしの存在は埋没しそうなのに、レイナは正妃として確固たる地位を確立していた。
子がいないのはあたくしと同じだけど、レイナは母を亡くした姫を引き取り、実の子のように愛し育てる慈愛の正妃として、レイナを貶めていた侍女達からも尊敬を寄せられるようになった。互いに相争う側室同士でさえ、レイナには一目置いて尊重している。あたくしはまた、みじめ極まりない立場に追いやられた。
………………本当は、醜い嫉妬だって分かっていたわ。それでも、悔しかったの。レイナはあたくしを歯牙にもかけない。色々吐き出して楽になりたかったけど、レイナはいつだって守られていた。体が弱いからと、後宮ではない特別な離宮を与えられていて、炎の精霊王とアイリス、他にも様々な種族が傍にいた。近付くなんて、無理だわ。
────行き場のない感情をぶつける術はなく、次第にあたくしは歪んでいった。
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ちょっとした、意趣返しのつもりだったのよ。
あたくしの異能は念話。遠く離れていても、一度でも視た事がある人となら、意思疎通が取れる。あたくしは、表向きはレイナを立てていたから、病に倒れたレイナが心配だと言えば、メイや里の仲間達は詳しい容態の情報をくれたわ。レイナがいよいよ危ないと知っていたのに、あたくしはわざとガラクシアスを連れ出したのよ。
「……僕は、なんて情けないんだろうね。レイナが苦しんでいるのに、何も出来ないんだ」
最初は、思い悩むガラクシアスがあたくしに助言を求めてきたの。ガラクシアスは繊細なところがある。弱ったレイナと向き合うのが怖くて、逃げ出したんだわ。……ずるい人ね。でも、いいわ。逃げ道を作ってあげる。
「ガラクシアス陛下。正妃サマのお見舞いに、花束など如何ですか?」
パピの花は繁殖力が強くて、庭園に植えると他の花を駆逐せんばかりに蔓延ってしまうわ。だから皇室の式典なんかに使う見映えのいい花々は、庭園から遠く隔離された温室で特別に栽培されているの。
「正妃サマは花の種類や花言葉にお詳しいと聞いた事があります。上手くお気持ちを伝えられないなら、花言葉で表現してみませんか。不器用な陛下にはぴったりでしょう?」
手ずから花を摘んで綺麗に飾り立てましょうと、わざと一本一本花を選ばせ、無駄に豪勢な花束を作るのを手伝った。
「レイナは喜んでくれるかな」
……温室は滅多に人の寄りつかない穴場。風も届かなければ、たくさんの花々があたくし達の姿を隠す。従者が探し回っているようだけど、簡単には見つからない。
ガラクシアスが気付く頃には、すでに手遅れよ。
レイナを想って微笑むガラクシアスを見ていると、胸が痛んだ。嫉妬なのか罪悪感なのかは、あたくしにももう、分からないわ……。
別にあたくしがレイナを害したわけじゃない。レイナの死因は病気よ。もともと長くは生きられなかったというし、ただ、あたくしはちょっと邪魔しただけ。ガラクシアスを、レイナの死に目に会わせなかっただけなのよ?
「……あたくしが、花束を贈ろうなどと提案しなければ!!」
しおらしく涙の一つも見せれば、ガラクシアスは許してくれると信じていた。
「正妃サマの代わりにあたくしがガラクシアス陛下を支えます!」
だけど、返ってきたのは、優しいガラクシアスが発したとは到底思えない、冷たい声だった……。
「──誰も、レイナの代わりにはなれないよ」
次の正妃はあたくしだと、期待してしまったから罰が当たったのかな。レイナが死んで忙しくなったガラクシアスは、後宮に寄り付かなくなったわ。
主だった異種族が同盟を離れ、反乱があちこちで勃発したらしい。もっと確かな情報が欲しかったけど、情報源だったメイ達は、あたくしに怒って絶縁を叩きつけてきた。
「……正妃様が危ないって、何度もつたえたのに……ひどいよ」
メイも、里の皆もあたくしを非難する。あたくしの味方は、誰もいない。
───あたくしは、どこで間違えてしまったのかしら?
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ガラクシアスがあたくしの元に帰って来てくれたのは、レイナが死んで半年後の事。
ろくに食事も睡眠も取れていないのか、窶れて顔色の悪いガラクシアスを、あたくしは歓迎したわ。
「正妃様の代わりにはなれないかもしれませんが、あたくしに出来る事なら何でもします!!」
……本心だったわ。レイナがいなくなって、大帝国は千々に乱れた。ガラクシアスが望まない戦争だって起こっているみたい。レイナは、守られてばかりのお姫様じゃなくて、ガラクシアスには欠かせない存在だったのだと、嫌というほど思い知らされていた。
「……ありがとう、スピアーナ。君にしか出来ない事がある。後宮から、出てくれ」
「……………………え?」
なんで? 嘘だと言ってよ、ガラクシアス。あたくしは後宮に居てくれればそれでいいって、言ってたじゃない!
「君ももう知っていると思うけど、レイナが死んで、彼女を慕っていた異種族の半数が同盟を離脱してしまった。レイナの遺言に従って、炎の精霊王とアイリスが残ってくれたのは僥倖だけど……そうでなければ、ソーリスは滅亡していたかもしれない」
大袈裟に話を膨らませている様子はない。苦渋に満ちたガラクシアスの顔は、真剣そのものだ。
「僕は、臣下にも不信感を持たれている。払拭するために、信頼の証に後宮にいる側室を重臣達に下賜する事になった。スピアーナ、君は僕の寵姫と名高い。こんな時のために君を寵愛してるように見せかけていたし、わざと君との間には子供も作らなかった。人との交流のため、今こそ君の出番なんだよ」
そんな……あたくしは、そのために側室に迎えられたというの!?
「後宮は、閉鎖するという事ですか……?」
茫然自失のあたくしの問いに、ガラクシアスは答えてくれた。
「いや。子をなした者や、後ろ盾のある者は残すよ。それと、残ってくれた異種族との関係を強化するために、彼らの身内を側室として迎える事になったからね。……レイナさえいれば、こんな政略結婚に頼る必要もなかったんだけど」
「嫌よっ、ガラクシアス、貴方を愛してるのっ! お願い、傍に居させて。……そうよ、ゼロ様は! 他のラクリマの一族だって居るはず。協力を求めるわけにはいかないの、ですか!?」
必死に追い縋るあたくしに、ガラクシアスは無情にも首を横に振る。
「ゼロは、一族を率いて出て行ったよ。あんなに尽くした姉の、死に目にすら会いに来ない男を皇帝なんて認めない。飼い殺しになるのはごめんだそうだ。アイリス達も探しているけど、手がかり一つ見つかっていない」
全身の血の気が引いて、あたくしは膝から崩れ落ちた。
これは、全てあたくしが招いた事なの? 嫉妬に曇った目でレイナを見ていたから? くだらない小細工で二人を引き離したから? ……ガラクシアスの夢を、あたくしが台無しにしてしまったの!?
「スピアーナ、君が寵姫でいられたのは、正妃であるレイナが認めていたからだよ。……主を無くした後宮で、何の後ろ盾もない、駆け引きも出来ない君は生き残れない。もう、僕には守る余裕がないんだ。君を後宮から出すのは、僕の最後の優しさだよ」
ガラクシアスの言葉に、とどめを刺された。
『守られてばかりのお姫様』は、レイナじゃなくて、あたくしだったのね……。寵姫として築き上げたと思っていた物は、砂上の楼閣だった。あたくしは泣きそうになるのを、唇を噛んで堪える。これ以上みっともない女には、なりたくなかった。レイナだって、ガラクシアスの前では泣かなかったもの。
「…………分かりました。後宮を、出ます」
ガラクシアスを支えたいという思いに、偽りはない。ガラクシアスのために何でもすると、迫害から救われた時に決めたのよ。────あたくしは、ガラクシアスが望むのなら、側室ではなくなっても、臣下として貴方を支えてみせるわ。
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あたくしの夫となったのは、ガラクシアスの側近中の側近、次期宰相と呼ばれる男だった。レイナの薫陶を受けたという男は、ガラクシアスにも、あたくしにも冷たい。それでもとても重要な地位の人物だから、絶対に籠絡するよう言い含められている。
場合によっては、あたくしの念話で情報を流すようにとも。まるで間諜ね。……昔もこうやってガラクシアスを助けてたっけ。でも、あの頃から何もかも変わってしまった。高望みをしなければ、レイナと成り代わろうとなんてしなければ、失う事もなかったのかな……。
人心掌握はレイナの得意分野だった。いつの間にか、レイナは種族を問わず人間からも親しまれ、愛されていた。あたくしには、とても真似出来そうにない……。陛下は、あれっきりあたくしを顧みる事はなかった。──たった一人すら味方に付けられず、自業自得とはいえ、里の仲間にさえ見放されたあたくしが、レイナの後釜を狙うなんておこがましかったのね。
ガラクシアスの後宮は益々栄えて行ったけど、正妃の座はずっと空いたままで。レイナはもういないのに、彼女の存在が消える事はない。
あたくしは、レイナに勝てなかった……………………………。