秘するが花~精霊王の献身~中編
レイナ達と共にガラクシアスの里に居を移したが、それは怒濤の日々の幕開けだった。ガラクシアスとレイナは勿論、余も、アイリスも、ゼロも、目まぐるしく働いた。水面の泡のように、国が生まれては滅んで行くのを傍観した事はあっても、国を興すのは初めてで、迷いながら手探りで進んで行く。
幸いにもソーリスの里には、国の下地が出来上がっていた。痩せているものの広い土地を保有し、戦闘に偏らない異能者揃いの人材の宝庫。少し手を加えるだけで、劇的に化ける可能性がある。余とアイリスはまず、里の環境改善と人材の育成に手を付けた。
「炎の精霊王様! 見て下さい、こんなに収穫が増えました!」
「アイリスさまと、炎のせいれい王さまのおかげだね」
最初こそ疎まれていたが、人に交じり暮らす内に受け入れられ、笑顔を向けられるようになる。守る者が増えるとは思わなかったが……悪くない。
レイナが、かつて暮らした森を『箱庭』と称した気持ちが分かった。余は、狭い視野でしか物事を見ていなかったのだな。
地の精霊によって建造された瀟洒な城で、余とアイリスはガラクシアスの前に片膝を突き、頭を垂れた。
「……? アイリスに、炎の精霊王。いきなり跪くなんて、どうしたんですか?」
驚きに目を瞠るガラクシアス。王たる者、常に平静を装わなくてどうする。しかし、この素直さもガラクシアスの美徳か。
「ルベウスと呼んで構わない。敬語も不要だ。……余とアイリスは、ガラクシアスが王の器かどうかを見極めていた」
「結果、わたくし達は貴方に仕えると決めました」
ガラクシアスは戦争を嫌う。いっそ、憎んでいると言ってもいい。炎の精霊王という最大の武力を手にしたにも関わらず、断じて戦争に利用しなかった。戦争よりも、友好でもって国を守ろうとするガラクシアスの姿勢は評価に値する。まだ小さな国ながら、ガラクシアスは良き王だと言えた。……まあ、及第点だ。
「アイリス、ルベウス、ありがとう。僕は君達に愛想を尽かされないよう、いい王様になるよ」
照れたように笑うガラクシアス。隣で、レイナも喜んでいる。………………これで、いいのだ。
仕えるとは決めたものの、過度には手を出さず、成長を見守る。それが今の二人には必要な事だが、なかなか難しい。
『……小娘が戯言をほざくな。ここから、出て行けっ!!』
「いいえ、出て行きません。私達は戦に貴方を……古代竜を利用するつもりはない。ただ、人と異種族が手を取り合える世界を作りたいだけなのです!」
か弱いレイナを、威喝する古代竜を消し炭にしたい。けんもほろろにレイナを突き放す輩を焼き尽くしたい。余の、忍耐力が試されているようだ……。
「ルベウス、落ち着いて。凶悪な顔になってるよ?」
風の精霊が伝える、レイナの頑張りに水を差す訳にはいかないと、耐えていたらゼロに突っ込まれた。
「…………分かっているが、余に出来る事は何も無いのか」
「ルベウスが手を出せないなら、ぼくが行く。子供達の教育も行き届いて来て、時間が出来たんだ!」
ゼロの提案に余は難色を示す。余からすれば、ゼロも守る対象なのだが。
「大丈夫だって! 異種族と人の架け橋になるのは、ラクリマの使命だもの。それに、ルベウスから習った剣もある。安心して姉さんを任せてよ」
昔はレイナの後を追うばかりだったのに、ゼロは逞しく育った。……子の成長は嬉しいが、余の手を離れて行くようで、寂しい。
「わたくし達は、見守りましょう。レイナを、ゼロを信じるのです」
こんな時は、母親の方が強いのかもしれない。アイリスは平然としていたが、見守るしか出来ないのは、余には辛かった……。
▷▷▷▷▷
異種族の拠点やソーリスと似たような集落を次々と統合して、国は大きくなった。それに伴い、分かった事がある。
統治者として有能なのは、名君の素質があるのは、ガラクシアスではなくレイナの方だった。レイナは正妃として、政治方面でめきめき頭角を現していく。
「交渉に向かう国のリストをまとめたわ」
今では異種族だけでなく、国同士の外交もレイナの仕事だ。アイリスの情報を、余すことなく活用していく。
「ルーナエの王族は、水の精霊を信仰している。ルベウスとは相性が悪いわね。交渉の場には、セイレーンと水棲馬を護衛に連れて行きましょうか。それと、水の乙女に加護を融通してもらえるよう手配して。日照りが酷いからこその信仰、つけ込む余地は充分よ」
「せ、正妃様、例の国が戦争を仕掛けようとしていると情報が入りました! ど、どうすれば……」
「落ち着きなさい!」
ドワーフの長が、手ずから細工した豪奢な扇子をピシャリと打ち、レイナは気弱そうな文官に笑いかける。
「私のやり方をよく見て覚えておきなさい。あの国に余裕がないのは、戦に貪欲なのは、王が生来の病で先が短いと宣告されているからよ。共感を得るために、同じく病弱な私がガラクシアスと共に交渉に赴きましょう。アイリスもついてきて。エルフの里で作られた薬を幾つか手土産にするから、選んでちょうだい。使える物は、何でも利用しなくては」
深い蒼のドレスはレイナの戦装束。極上の青玉に負けじと、凛として咲くルリの花のような立ち姿に誰もが見惚れていた。
引き換え、ガラクシアスはドワーフの村から献上された王冠と宝飾剣に気押されているようだ。使われた宝石も、施された細工も、こんなに素晴らしい物は余でさえ見た事がないのだから、仕方ないが。
「ガラクシアスは華美だと言うけれど、新興国だと侮られないためには必要な装飾よ。私達が身に付ける物は、国の豊かさの象徴。こんな技術を、資源を持っているとアピールするの。だからと言って、独占しては駄目だけど。上手く流通させるのが大事なのよ」
異種族がもたらす恩恵を手札に、交渉を進めるレイナの手腕は見事の一言に尽きる。
ガラクシアスが側室を娶っても私情を挟まず、必要な事だと容認する度量の広さ。政務に携わるレイナは、水を得た魚のようだ。
ガラクシアスは、一国を治めるなら良い王だ。臣下の意見を聞き入れ、民衆の声もおざなりにしない。しかしそれは、流されやすく甘いとも取られてしまう。レイナが非情な面を見せ、ガラクシアスを庇う事は度々あった。
ガラクシアスが打ち出す政策をわざと反対して通りやすくしたり、レイナの献身の甲斐があって、ガラクシアスは臣下に蔑ろにされず、むしろ慕われている。冷酷な正妃と寛容な王という構図がいつの間にか出来上がり、レイナは影で“雪の女王”と囁かれるようになっていた。
……レイナの恩恵を受けている癖に、平気でレイナを貶める輩など、灰すら残さず焼き尽くしてくれようか。否、それさえも生温いっ! レイナが如何に貴く、優しいのかを理解しない有象無象など、この国には不要だろう? 怒りに駆られて炎を行使しようとした余を、他ならぬレイナが止めた。
「やめて、ルベウス。彼らもソーリスの国民なのよ? 怒りに任せて殺してしまってはいけない。気にくわないからと民を虐殺するなんて、仮にも王を名乗る者がする事ではないわ」
……レイナは本当に強くなったな。余を見上げる瞳には、一切の迷いも翳りもなかった。
「私は、本来なら長い時間をかけて進める事案を、無理に押し通している。反感を買うのは当たり前よ。最初から覚悟していたわ。でもね、ルベウスの気持ちは嬉しいの。私のために怒ってくれて、ありがとう」
レイナは微笑んだ。正妃の仮面を被った時の固い笑顔ではない、花がほころんだような素の笑顔に、余は思わず見惚れてしまう。レイナは舐められると言うが、この笑顔を見て“雪の女王”などと戯言を吐く者はいないだろう。もっと素直になればいいのに。
「私は嫌われ者でいい。臣下でも理解してくれてる人達はいるし。……どうせ、あと数年で終わるもの」
そんな悲しい事を言わないで、諦めないでくれ。頑なに政策を押し進めるレイナと、側室を囲うガラクシアスの間には、溝が出来ている。レイナを慕う余やアイリスが何を言ってもガラクシアスは受け付けないし、レイナも止まらない。
……レイナは劣等感から脱したが、ガラクシアスは未だ劣等感に囚われていた。それが二人の大きな違いだろう。
生き甲斐を見つけたレイナ。喜ばしいはずなのに、かつての余のように視野が狭くなっている。自らを追い詰め、壊れそうで怖かった……。このままでは誰も幸せになれない。
──────いっそ、レイナを攫って閉じ込めてしまおうか。
余は、レイナが壊れる所など見たくない。あの森の穏やかな生活に戻るのがレイナのためではないか?
思い返せば、レイナのためと言いながら、余は自分の欲望に突き動かされていたのかもしれない。……しかし、余の浅ましい想いは、実行する前に他ならぬレイナの手によって粉砕される。
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「私は陛下に“愛してる”なんて一度も言われた事はないし、言った事もないわ。いい? 私と陛下は愛なんて甘い物で結ばれていない。唯一無二の戦友……いえ、盟友とでも言うべき関係よ」
ガラクシアスが隣国から赤子を抱えて戻って来た。
我慢の限界を迎えたゼロが、レイナに森へ帰ろうと提案したのだが、レイナはゼロの手さえ突っぱねる。
「私はね、陛下を後世にまで語り継がれる偉大な王にする。安らぎや子供は与えてあげられないけど……揺るぎない地位と、富と名声。比類無き大帝国を私は築いてみせる。これは、他の誰にも出来ない事よ」
……レイナは、見返りなど求めていない。決意に満ちた顔に悲愴な色はない。無理矢理連れ去れば、それこそレイナは壊れてしまうだろう。余はレイナの覚悟を甘く見ていたのだ。
そんな膠着したどうしようもない状況を好転してくれたのは、意外にも、ガラクシアスの赤子──オリヴィアだった。
「だぁ、だぁ、あぶぅ」
赤子には大人の柵なんて関係ない。純粋無垢な笑顔は荒んだ心を和ませる。血の繋がらない子、言ってしまえば浮気相手の子供とも言えるオリヴィアを、レイナは慈しみ育てた。まるで、本当の母子のような姿に周囲の見方が良い方向に変わって行く。
レイナの雰囲気が柔らかくなったというのも大きいか。オリヴィアのおかげだ。最初は複雑だったが、レイナと一緒に育てる内に情が湧く。オリヴィアの存在が潤滑油となり、バラバラになりかけた余やレイナ達の関係は落ち着いたのだ。オリヴィアには、感謝してもしきれないな。
ただし、レイナとガラクシアスの齟齬はオリヴィアでも修復出来なかったようだが……。
「レイナ。ガラクシアスと向き合ってみたらどうだ? ……お前は、あいつを愛しているのだろう」
パピの花が咲き誇る庭園にいるのは、余とレイナ、オリヴィアのみ。良い機会だから、踏み込んで話しをしよう。レイナは困ったように笑うが、どうやら答えてくれそうだ。
「うーん。陛下……ガラクシアスってね、生い立ちのせいで拗らせているのよ。異能──転移は汎用性も応用力も高くて、使いどころは難しいけどちゃんと使いこなせてるわよね。元々、里の長なだけあって、人を惹きつけるカリスマ性もある。だけど、ガラクシアスは欠点も多い。自信がないというか、実は自己評価が低いから、大きな事態に直面すると逃げ腰になるわ。根本的なところで人間不信だし。そのせいで人の心の機微にも疎いわね」
「……よくそんな男を王にしようと思ったな」
ちゃんと分析している当たり、恋情に目を曇らせず、冷静な判断は出来ているのだろうが。
「劣等感さえ払拭すれば、ガラクシアスは良い王になれるって信じてるもの。彼に自信をつけさせようと私も頑張ったのよ? だけど、逆効果になってしまった。私の言葉さえ、届かなくなった。……本当なら、もっと時間をかけて改善していくべきなんでしょうけど、私にはそんな時間が残されていない。だから、精一杯出来る事をやっておこうと思ったの」
レイナは、微睡みはじめたオリヴィアを優しく抱きしめる。とても心地の良い空気が流れた。
「私が生きている内に、ガラクシアスの理想郷を完成させてみせる。きっと、国を統治している間に、ガラクシアスの自信もつくでしょう。慎重なガラクシアスは国を発展させるのには向いていないかもしれない。でも、優しい彼は平和を維持するのに向いている。里の仲間以外にも信用の置ける臣下は増えて来たし、寵姫のスピアーナ様は本心からガラクシアスを愛している。支えてくれる人は事欠かないわ。オリヴィアもいるしね」
本当はずっとガラクシアスの隣にいたい、支えてあげたいと、寂しげな笑顔が語っていた。レイナは心からガラクシアスを愛しているのだな……。
「ああ。最悪でも余とアイリスさえいれば、ソーリスが滅びることはない。何とかやっていけるだろう。安心するがいい」
「そうね。私のお父さんとお母さんは優秀だもの! ……ガラクシアスはプライドが高いから、私にお膳立てされてたと知ったら、また拗らせそう。この事は二人だけの秘密よ?」
「分かった。約束しよう」
だが、レイナの思い描いた未来が実現する事はなかった。道半ばで、レイナが倒れたのだ……。
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……嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ、逝かないでくれ、レイナ!!
ガラクシアスの理想郷は、まだ完成していないのに。まだ早過ぎる!!
無情にもレイナの命の灯が消えていく……。ずっと寝たきりだったレイナは最後の力を振り絞って上体を起こし、集った者達一人一人に礼を言い、別れを告げる。その姿はまるで、私を忘れないでと訴えているようだ…………。
「……皆。お別れの時間みたい」
仲間達への別れが終わり、家族の順番が回ってきた。レイナは、ゼロに縋り付き、ガラクシアスへの助力を求める。
「姉さん、安心して。“王を定めたラクリマが、王を裏切る事はない。死ぬまで忠誠を捧げる”。そうだろう?」
「……ゼロ、ありがとう」
ガラクシアスは、この場にいない。探させてはいるが、転移の異能持ちのガラクシアスは居所を掴むのが難しい。……こんな時にも会いに来ない薄情な男の事を、レイナは最期まで心配しているというのに!!
「アイリス、オリヴィアをお願いね……。この子はまだ小さい。母親が必要よ。アイリスは、私にとって最高の母親だった。貴女になら、任せられるわ」
「……分かりました。任せて下さい」
「ありが、とう」
エルフの魔法薬の効き目が切れたのか、レイナの声からどんどん力が抜けていく。それでも、懸命に言葉を紡いで……アイリスは耐えきれずに涙を流している。
「オリヴィア、貴女の名前はね、オリーブの花から貰ったのよ」
余がこみ上げてくる衝動を必死に抑えている間に、レイナはオリヴィアへ優しく語りかける。
「オリヴィア、お父様と、ルベウスを支えてあげて。二人とも、とても強いのに、脆い所があるの。どうか、傍にいてあげて」
「まぁむ。やくそくする」
「貴女は、きっと素敵な女性になるわ。愛しい子、オリヴィア。幸せになってね」
レイナ、お前は本当に優しい子だ。余の事まで気遣ってくれるのだな。オリヴィアは血こそ繋がっていないが、内面はレイナによく似ているよ……。
「これを、受け取って、ルベウス」
震えの止まらないレイナの手を握り締める。青く美しいガラスの小瓶を二つ受け取ると、レイナは儚く笑った。
「私の涙、若返りの秘薬よ。一つは陛下に……もう一つは、オリヴィアが大人になったら渡してあげて」
何故だろう、余の視界がぼやけていく。これは何だ? レイナの顔が、見えないではないか!!
「ルベウス。これからも陛下を守ってあげて。陛下が生きている間だけでいいの。お願い……」
「ああ、約束する。余が約束を違えた事があったか?」
限界、だ……。余の双眸から、溢れ出た雫がレイナの手で弾けた。
「泣かないで、ルベウス。笑ってよ」
余は、生まれて初めて泣いていた。……胸が、引き裂かれるように痛い。これが“悲しい”という気持ちなのか。レイナは、いつもこの痛みに一人で耐えていたのだな……。受け取った小瓶は、ずしりと重い。こんなに沢山の涙が溜まるほど、影で泣いていたなんて。
……レイナ、余は、笑えているか? 笑おうとしているのに、涙が溢れ出て、頬が引き攣るんだ。レイナに、笑ってと言われたのだ。笑ってよと。なのに情けない笑顔しか作れない余を、許してくれ。
「……ありがとう。お父さん」
良かった……最期まで、余はお前の願いを叶えられたようだ。レイナが“父”を望むから、余はずっと父親であり続けた。ちゃんと、想いを隠せていただろう?
レイナは皆の顔を見渡した。正妃の仮面を外した、作り笑いではない心からの笑顔を向けて──────────
「ありがとう────さようなら」
──────────レイナは、逝った。呆気なく、逝ってしまった。