始まりの花~正妃レイナの回想~後編
繁殖力が強いパピの花が蔓延るように、ソーリスの領土は広がっていく。後宮が美しい花々で埋め尽くされ、ガラクシアスの御子が三人に増える頃には、ソーリスは大帝国となり、ガラクシアスは皇帝陛下と呼ばれるようになっていた。
ガラクシアスにゼロは未だ思うところはあるようだけど、飲み込んでくれている。素直に感情を出せるゼロが、羨ましい。でも私が本心を晒して愛を乞うても、ガラクシアス──陛下は困惑するだけ。……この想いは、墓場まで持って行くんだ。
「まぁむ、まぁむ」
よちよちと歩くオリヴィアを見守る。最近は言葉を話せるようになって、私の事をまぁむと呼ぶのよ。最初はこの子を愛せるか不安だったけど、杞憂だった。今ではオリヴィアが愛しくてたまらない。
「もうこんなに動き回るのか。レイナの時も思ったが、人の子は成長が早過ぎる」
ルベウスが転びそうになったオリヴィアを抱き上げる。庭園でオリヴィアを遊ばせていると、誰かが必ず構いに来るのよ。特にルベウスは子煩悩で、すぐオリヴィアを甘やかすわ。初孫にはしゃぐお祖父ちゃんみたいね。
オリヴィアもルベウスが大好きで、キャッキャッと喜んでいる。もしかしたら、実の父親である陛下より懐いているかも。
「オリヴィアは愛らしいな。父親とは似ても似つかぬ!」
「またそんな事を言って……」
何だかんだ言って、陛下を認めているから仕えているくせに。
「ルベウス、変な事を吹き込まないで。忙しいせいで、陛下はオリヴィアと遊べないって嘆いているのよ。ねー、オリヴィア? 貴女のお父様はとても優しい王様よ。私達が平和に暮らせるのも、陛下のおかげなんだから」
私も公務に追われているけど、忙しい時間の合間を縫ってオリヴィアと過ごしているわ。癒しの一時よ。
「ふん。娘を奪われた恨みは深いのだ」
私は思わず苦笑する。ルベウスはずっと変わらない。いつまで経っても『お父さん』のままだ。
「オリヴィアがお嫁に行く時が怖いわ」
パピの花が風に揺れる。かつて暮らしていた箱庭そっくりな光景。でも、あの頃と比べものにならないくらい、大切な物が増えたなぁ。
筆頭はオリヴィアだ。私の愛と悲しみの象徴のような子。大きくなっても、私の事忘れないでね……。懐かしさのせいか、何だかしんみりしてしまう。感傷を打ち破ったのは、陛下だった。
「レイナ! こんな所にいたんだね」
……忙しいはずの陛下からは微かに甘い香りが漂うが、気付かないふりをする。
「ぱぁぷ!」
唐突に現れた父親に、オリヴィアが嬉しそうに手を伸ばす。
「オリヴィア、ちょっと見ない間に大きくなったなぁ。ルベウスも、遊んでくれてありがとう」
陛下がオリヴィアの鼻をちょんと突く。オリヴィアは嬉しそうだけど、関心を奪われたルベウスが拗ねてしまった。
「今、アイリスも呼んでいるからね。オリヴィア、良い子にしてるんだよ。ルベウス、オリヴィアを頼めるかい? ──レイナ、僕の手を取って」
きな臭いルークスとの戦争回避、異種族間の諍いなど、問題は山積している。陛下には、私の力がまだ必要なのだ。
…………最近、体が重いけど、きっと疲れてるのね。
「かはっ…………」
白い花の絨毯に、赤が散る。増え続ける真紅を綺麗だな、と思っていたら、視界が傾いだ。
「レイナ!?」
「姉さんっ!!」
皆の声が、遠い。どうして? 手足が冷たくなって、動かないの。助けを求めようにも、口から血が止まらなくて、声が出せない。陛下、どこにいるの。貴方の顔が、見たいよ……。
────陛下が大陸を統一して、これからという時に、私は倒れた。
私が20になるまで、あと一年。陛下の統治はまだ完璧ではないから、残りの時間を使って基盤を強化するつもりだったのに…………私の体は、限界を迎えてしまった。
離宮での療養を余儀なくされる。私が倒れたせいで忙しくなったのか、陛下に中々会えなくなってしまったのが、辛い。でも、絶えず訪れる見舞い客に心が慰められたわ。
「正妃様、ハリの花をいっぱい作ったよ。早く元気になってね」
「まぁむ。わたしもてつだったの。みて、ハリの花のかんむり」
初めて里に行った時に歓迎してくれたメイと、オリヴィアが競うようにハリの花を作っては、病室を飾り立てる。私はおまじないなんて信じないけど、その気持ちが嬉しい。
『……栄養をしっかり取れ。お前は瘦せ過ぎだ』
古代竜は人間嫌いなのに、わざわざ人型になって訪ねて来てくれた。お土産の肉の塊は一口しか食べられなかったけど、とても美味しかった。そう伝えると、泣かれてしまった。
満足に動かない体のせいで、私付きの侍女にも迷惑をかけた。ラクリマの皆だけじゃ追っ付かなくて、見舞い客の相手もしてもらったの。異種族を恐れていた子達だったから、鬼族や獣人の対応をさせるのは不安だったけど、丁寧に対応してくれてる。感謝の気持ちを伝えたら、侍女達は涙を流して平伏した。
「この国が繁栄しているのは、私達が平和に過ごせるのは、正妃様達のおかげなんです。……雪の女王なんて言って、ごめんなさい」
かつて、私を氷みたいと評した子達が、悔いている。あんなに私を嫌っていたのにね。反省しているのに、許さない道理はないわ。そう言ったら、余計泣かれた。異種族の事を、ただ知らないから怯えていただけで、本当は優しい子達なのよ。
迫害されていた里の人達が、人間を見限り、隠れていた異種族達が、守られるだけだったラクリマが、異種族を畏れていた人の子が、この病室に一堂に会し、争う事無く受け入れ合う。陛下が目指した共存共栄まであと少しの所まで来ているのね。……見届けられないのが、口惜しい。
「エルフの里の秘伝の薬だ。アイリスにそなたの病状を聞いて、ずっと研究してきた。特効薬の完成には至っていないが、これを飲んだら少しは体が楽になる筈だ」
アイリスは、私の治療を諦めていなかった。嬉しさと申し訳なさで胸が一杯になる。差し出される最高品質の魔法薬を飲むと、体の痛みが和らいで、わずかだけど体力が回復したわ。おかげで、ちゃんとお別れが出来そうよ。
「……来て、くれて、ありがとう」
私は、皆を見渡すために上体を起こそうとして、ゼロに支えられる。集まってくれた一人一人に感謝の気持ちを伝えると、皆泣きそうな顔になった。悲しませて、ごめんなさい。だけど私、皆から惜しまれて、嬉しかったよ。
「……皆。お別れの時間みたい」
◁◁◁◁◁
「ゼロ、お願いがあるの。私の代わりを務められるのは、貴方しかいない。私の代わりに陛下の行く末を見届けて、出来れば、陛下に力を貸してあげて。揺るぎない大帝国の完成まで、あと少しよ。少しだけでいいの。基盤さえ整えたら、ラクリマの加護が無くても陛下ならやっていける」
力の入らない腕を叱咤してゼロに縋りつく。泣いて真っ赤になった目が痛々しい。それでもゼロは力強く答えてくれた。
「姉さん、安心して。“王を定めたラクリマが、王を裏切る事はない。死ぬまで忠誠を捧げる”。そうだろう?」
昔、私がゼロに言った台詞が返って来ちゃったわね。……何よりも頼もしい言葉だわ。
「……ゼロ、ありがとう」
次に私は、はらはらと涙をこぼすアイリスを見た。
「アイリス、オリヴィアをお願いね……。この子はまだ小さい。母親が必要よ。アイリスは、私にとって最高の母親だった。貴女になら、任せられるわ」私はもういいから、子供達をお願い。
「……分かりました。任せて下さい」
何度も頷いてくれるアイリスに感謝を告げる。ゼロも、アイリスがいれば大丈夫ね。あの子は昔から、アイリスが大好きだったもの。
「オリヴィア、貴女の名前はね、オリーブの花から貰ったのよ」
オリーブの花言葉は、平和と智恵。貴女はその名の通り、優しく賢く育ってくれた。私の、自慢の娘。
「オリヴィア、お父様と、ルベウスを支えてあげて。二人とも、とても強いのに、脆い所があるの。どうか、傍にいてあげて」
「まぁむ。やくそくする」
オリヴィアは涙でくしゃくしゃの顔で、笑ってくれた。
「貴女は、きっと素敵な女性になるわ。愛しい子、オリヴィア。幸せになってね」
オリヴィアの頬に最期のキスをする。……大きくなった貴女を、見たかったな。
「これを、受け取って、ルベウス」
震えの止まらない私の手を、ルベウスがしっかり握り締めた。手のひらの中にあるのは、二つの小瓶。
「私の涙、若返りの秘薬よ。一つは陛下に……もう一つは、オリヴィアが大人になったら渡してあげて」
分け合う事も考えて充分な量を用意した。陛下の新しい正妃や、オリヴィアの将来の伴侶の分くらいはあるはず。……知ってるのよ、ルベウスも陛下も本当は淋しがり屋だって。
最愛の家族であるオリヴィアさえいれば、何があっても、二人が孤独になる事はない。
「ルベウス。これからも陛下を守ってあげて。陛下が生きている間だけでいいの。お願い……」
「ああ、約束する。余が約束を違えた事があったか?」
私の手に、熱いものが滴り落ちる。……ルベウスが泣くところを初めて見たわ。胸が締め付けられるように苦しい。ルベウスにつられたのか、皆の嗚咽が響き渡る。
「泣かないで、ルベウス。笑ってよ」
私のお願いに答えて、ルベウスは端正な顔を引き攣らせながらも、笑ってくれた。
「……ありがとう。お父さん」
………………もっと、伝えたい言葉があった。まだ生きていたかった。死んでしまったら、何も出来ないのに。死を前にして、浅ましく生を求めていた昔の自分を思い出す。
あの日、陛下と出会わなかったら、差し出された手を取らなかったら、私は狭い箱庭で外の世界を知らないと嘆き、死に怯えるだけで、何も成せないまま終わっていたと思う。
……外の世界は辛い事や悲しい事も沢山あったけど、それ以上に得るものがあったわ。私に出来る事はもうない。あとは、友に、大切な家族に全てを託そう。
胸を張ってもいいかなぁ。私は陛下にとっての、願いを叶える花になれたよね。
最期に、私は感謝の気持ちをこめて満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう────さようなら」
ゼロが、アイリスが、オリヴィアが、ルベウスが、集ってくれた皆が、遠くなる……。指の隙間から砂が零れるように、残された命が消えて行くのが分かった。視界が霞んだせいか、周囲が白い光で溢れる。薄れゆく意識の中、思い出すのは初めて会った時の陛下の笑顔と、手の温もりだった。
────これも走馬灯なのかな? それとも、幻?
アイリスの白い羽根のような、花びらみたいなものが、雪のように部屋中に降り注ぐ。陛下と出会ったばかりの頃、転移で世界中を渡り歩いた時みたい。
空を覆い尽くすような、桜の大木が並ぶ道を二人で歩いた。降り注ぐ花びらを掴もうと、陛下と手を伸ばしたっけ。赤や黄色に色を変えた落ち葉が舞うのも、一緒に眺めたね。
初めて雪を見た時の感動は忘れないわ。ルベウスの結界の中には降ってこなかったから。白くて綺麗で、とても冷たくて驚いた。雪に夢中になった私の手を、陛下が温めてくれて……私、本当に幸せだったの。
一月だけの短い逢瀬だった。だけど、陛下に残りの人生を全て捧げても良いと思うくらい、好きになっていたわ。……愛されなかったのは辛いけど、陛下を愛した事に後悔はない。
でも。
──────陛下、陛下。……ガラクシアス。一目でいいから、最期に顔見たかったな。