六合の王
世界は戦火に満ちている。
ゲレイントが生まれたときからそうだった。あちらこちらで国が争い、人が死に、町々は焦土と化す。平和など夢物語で、平穏など生まれてこの方得たこともない。
「夜更かしか、ゲレイント」
野営地の隅で、一人ぼうっと夜空を見上げていた。呼ばれた方にゆるゆると視線だけ動かす。
月明かりでやっと輪郭が分かる程度だ。僅かな光で誰か分かる。ここ数日で見慣れた相手が佇んでいた。
戦場で知り合ったには珍しく澄んだ目をした男だと、気になって声を掛けたのはゲレイントが先だった。
「ヤシュカ……寝ないのか」
「眠れないんだ。隣、いいかい」
断りを入れてから木の幹に凭れるようにして隣へと腰を下ろした。そうしてゲレイントと同じように夜空を見上げる。
ゲレイントにとって煌めく星空を見るこの時間が、唯一と言える気の休まる時間だった。もっとも戦場で完全に気を緩めることなんて有りはしないのだが。
現に今も傍らに置いた剣から手を離すことはない。それはゲレイントだけでなく、戦場に身を置く者なら皆だろう。隣に座るヤシュカも、当然のごとく武器を身体から離さない。
「……なぁ」
ヤシュカの呼び掛けは懊悩に満ちていた。
横目で見ればその緑の目はヒタと星に向けられている。この陣営に緑の目は珍しい。むしろ明日戦うであろう相手国に多く見られるその色を、ゲレイントは密かに気に入っていた。
「ああ」
「戦いはいつ終わるんだろうな」
そんなこと指揮官にでも聞いてくれ、と言いたいところだが恐らくヤシュカが聞きたいのはそんなことではない。この戦争だけじゃない。世界中に溢れている武器を持った戦いのことだ。
そしてヤシュカは端から答えを期待していない。
何故なら知っているからだ。
戦いに終わりなどない。人がいる限り争いごとは無尽蔵に湧いてきて、それは守るためだったり、貫くためだったり、欲するためだったり、奪うためだったり……。そうやって理由なんていくらでも生み出せる。
だから終わらない。
「終わるわけがないさ」
ポツリと零した言葉は直ぐに夜闇に紛れてしまう。
隣のヤシュカが身じろぎした。
「終わらないんだ、ヤシュカ。争いは」
僅かな希望さえも抱かぬよう、言い聞かせるように、諭すように、ゲレイントは繰り返す。だが、本当に言い聞かせたかったのは誰にだろうか。
二人の間に沈黙が落ちる。
辺りには周りに雑魚寝する兵たちの寝息と、木々の間を通る風の音が満ちていた。
暫く二人は無言で空を見上げていた。沈黙を破ったのはヤシュカだった。
「……明日は晴れるかな」
「ああ、星の見え方が澄んでる。明日は快晴だろう。だからもう寝ろ」
夜が明ければ待っているのは戦いだ。晴れていれば余程、戦場は活気付くだろう。
明日に備えて身体を休めなければどんな失敗をしでかすことやら。戦場において小さな失敗は命取りになる。それはヤシュカもよく知っていた。
忠告に従い、ヤシュカは立ち上がる。
「分かった、もう寝るよ」
「ああ、おやすみ」
ヤシュカは三歩進んだ先で、思い出したかのようにくるりと振り返った。
「ねえゲレイント。僕はもう戦いたくないんだ。だから毎晩寝る前に願う、明日こそ戦いから解放されますようにって」
月明かりが逆光になってその表情は読めない。
ただ、辛うじて分かる口元が、笑みを形作っているように思えた。
「でも叶わない。だから僕はね、もうとっくに諦めてんだよ」
終戦を、命を、ヤシュカは諦めたと笑う。
「ゲレイント前に聞いたよね。なんで僕の目は澄んでいるのか、って」
「ああ」
「……多分それが答え。絶望よりも先に諦めちゃったから、だから澄んで見えるんだよ。なぁんにもないからさ」
それだけ言うとヤシュカは再び踵を返して離れていく。
ゲレイントは手を伸ばすこともせず、ただいつものように「お休み、良い夢を」とその背中に声を掛けた。
二人の間に別れの挨拶はなかった。
翌朝、空は晴れ渡っていた。
そんな清々しさを感じる間もなく、戦は始まる。
ゲレイントたち傭兵が任されたのは前線の右翼。詳しい作戦は聞いていないがただ「正面突破しろ」というお達しだけは受けていた。つまり特攻して死ねというのが命令で、一人でも多く道連れにすることを臨まれている。
そんな無茶な命令に、ゲレイントは雇い国がいよいよもって追い詰められているのを感じた。
戦力の差は歴然。どこからか流れ者の傭兵たちを掻き集め、それを捨て駒にもしきれぬ状態だ。
この戦で勝敗は決まるだろうというのが専らゲレイントの見立てだ。ゲレイントだけでなく、多少なりとも客観的な目を持った人間であれば誰もが感じることだ。
そんな後の無い国に忠誠を捧げる義理などない。しかし前払いされている分、終戦を待たずして離脱することは契約違反に当たる。義理は無いが契約はある。傭兵は何よりも信用商売だ。契約違反はばれなければ良いというものではなく、信を売りにするならば犯してはならない一線である。
では、どうすればいいか。
ゲレイントに残された道は一つ。死なない程度に頑張りつつ、敗戦が決まった瞬間に戦場を離れる。
「よい、しょッとォ!」
向けられた切っ先を弾き、剣を敵に叩き込む。斬るのではなく、叩き込む。戦場において剣がまともに機能するのは最初のうちだけだ。その剣か使い手がよっぽどの傑物でもない限り、数人斬れば剣は血曇りや油でただのなまくらと化す。
それ以降は鈍器のように殴り殺しているだけだ。その傍ら、使えそうな武器を奪ったり拾ったりして剣を乗り換えていく。
「っと、あーあ、刀身歪んだか」
どうやら鎧ごと叩いたのが悪かったらしい。剣が酷く歪み、まともに振るのも難しい。
人々が入り組む激戦区だ。武器だけは事欠かない。
早速向かってきた敵兵の顔面目掛けて歪んだ剣を思い切り投げつけた。流石に剣が飛んでくるのは予測できなかったらしく、防ぐことも間に合わず相手は顔面に剣を受ける。その隙に近くにいた見方の傭兵が背後から一刀の下に切り捨ててしまった。
お互い目線だけで労いながら、ゲレイントは今殺されたばかりの敵兵の手から剣を抜き取る。幸いなことに血曇りはあるものの刃こぼれはなく、死体の服の裾で拭えばまだ何人か斬れそうだった。
剣を軽く振りながら立ち上がる。敵味方入り乱れる最前線に休む暇はない。
次々に襲いかかる敵兵をかわし、防ぎ、殺す。そこに余裕などない。ただがむしゃらに、本能の赴くまま、殺される前に殺すだけだ。ゲレイントも致命傷になるような大きな傷こそないものの、身体中のあちこちから血を流していた。
まだ死の気配は遠いが、このまま止血もせずに動き回っていれば時期に失血死するのは目に見えている。
「そろそろだと思うんだけど……ォシャァッ!」
また一人、気合いと共に蹴り飛ばす。
早朝に始めた戦だが、太陽はそろそろ南中を迎えようとしている。
真夏でないのは救いだが、未だ季節は過ぎ去ったとは言い難い。こんなジリジリと押されつつの消耗戦を太陽の下でし続けていたら斬られるより先に熱中症で死ねる自身がある。出来るだけ身体を軽くするために装備は軽くしているが、それでも鎧は着込んでいるのだ。重い上に熱がこもる。
ジリ貧のまま堪えるのも辛くなってきた頃、「そろそろ」と呟いたゲレイントの予測通り戦場に大きなラッパの音が響き渡った。その音と共に湧き上がる敵兵の歓声。
傭兵たちは皆、どこか安堵の表情を浮かべ武器を捨てる。
ゲレイントも早々に剣を地面に投げ捨てた。あとはこの戦場からおさらばするだけだ。そう思うも、頭の片隅に引っかかるのは昨晩共に星を眺めた相手のこと。
朝から姿は見ていなかったが、右翼に配置されたのは間違いないだろう。ならば死んでいてもおかしくない。だがなんとなく、本当になんとなくではあるが、ヤシュカが死んでいるとは思わなかった。
そんな確信のような予感は正しかった。
「傭兵諸君、武器を捨て大人しく投降しなさい。悪いようにはしない」
涼やかな凛とした声が青空に響く。
敵側の投降要請を行っているのはこの行軍で見慣れた顔。敵国の士官服に身を包んだ姿は当たり前のようにしっくりと馴染んでいて、その顔は見慣れていたはずなのに一瞬別人かと錯覚した。
「ヤシュカ……」
呼び掛けるためでない呟きは思いもよらず拾い上げられた。
「ゲレイント、君も投降してくれるね。でなければ斬る」
有無を言わせぬそれは要請などでなく命令だ。全く否やはなかったが、腹が立つのは確かだ。
ヤシュカの軍服の胸元にはびっちりと武勲の功績が飾られていた。そのバッチの数が階級の高さを伺わせる。威圧的に命令することに慣れた様子なのも納得だ。
しかしゲレイントはあくまでも傭兵。忠義でなく、ただ契約を履行する存在。契約は対等で、それゆえに縛られることなく、命令されることもない。
傭兵が厭うのはまさに拘束と命令。例に漏れずゲレイントも自由を愛し、命令を嫌っている。それが敵だろうと味方だろうと、ゲレイントの自由を奪うことは唾棄すべき行為だ。だからせめて恭順が、同意の上であると示したい。
「武器はとうに捨ててる、ここにいる全員な。反抗する意志もないさ」
今更言い聞かせる必要なんてあるはずもない。
ゲレイントたち傭兵は火事場泥棒のような悪行をしなければ、戦犯として裁かれることはない。大抵は敗戦が決まったあと申し訳程度に捕虜にされ、身分照会を終えれば数日のうちに自由の身となる。傭兵とはそういう商売だからだ。
そうしてゲレイントは周りの傭兵たちと一緒に捕まった。
敵国に移送されている途中、日が暮れれば当然野営だ。ゲレイントたちが押し込められた場所は布と簡単な骨組みで立てられた簡易なテントだった。広いがそれなりの人数がいるだけあって狭い。それでも家根があるだけマシで、敗戦国の正規兵などは後ろ手に拘束されたまま完全に外で寝かせられる。金でしか動かない傭兵は、やはりなかなか信用度が高い。
テントの唯一の出入り口は見張りが立っている。
「ゲレイントという名の者はいるか」
「あ?」
入口から見張りが顔を覗かせてなぜかゲレイントを呼んだ。テントの真ん中辺りに寝転んでいたゲレイントは身を起こし、出入口に向かった。
そして用事があったのは見張りでないことを知る。兵の陰になって見えなかったが、ゲレイントを呼んでいたのは敵将校の軍服に身を包んだヤシュカだった。手には軍刀と背嚢を持っているが、腰にはヤシュカ自身の剣が佩いてあった。
促されるままにテントを出る。
ヤシュカは護衛の兵も付けず、ひと気のない林の方へと向かっていく。無言でその後を追った。
何を考えているのかは知らないが、まさかゲレイントを始末しようと考えているわけではあるまい。
林の中に入ると、人が居ないのを確認して手に持っていた背嚢と軍刀を投げて寄越した。
「おいおい、まさか敵兵を逃がす気か。軍規違反だろうが」
呆れた、とため息をついてみせる。
「君の身元は私が把握している。わざわざ身元照会を待つ必要はない。このまま離脱するといい」
「ふぅん」
つまりあの場で大々的に一人返すことは特別扱いになりかねないが、身元照会をするまでもなから無駄飯食らいこっそり減らそうということか。
だが、本当に特別扱いでないと誰が言えるだろうか。
数日間の付き合いでヤシュカがどれだけ甘い男かを知っていた。
「なぁヤシュカ、国を盗れるか」
「は……?」
唐突な、脈絡のない質問にヤシュカは面食らう。
「藪から棒に、何のことだ」
「いや、だから。一国を盗むなり、建国するなり、譲ってもらうなり……そういうの出来るか、って聞いてるわけだが。出来んの?」
「一国を?」
「そう、一国を」
どうやらゲレイントが冗談でもからかっているわけでもなく、真面目に聞いているのだということをヤシュカは知った。大きく息を吐き出す。「捕虜にされて釈放されようとして、その目の前にいるのが裏切り者だと知っているのに、この男は何を考えているのだ。」そんな考えが透けて見えるようだった。
一国を手にする……。
「出来るか出来ないかと聞かれれば、まぁ出来るよ」
ヤシュカはそれなりの立場の人間だ。国の大小に関わらず、ただ手に入れるだけならいくつか方法は浮かぶ。
「そうか、じゃあ俺を王にしてくれ」
「はぁ?」
まさに青天の霹靂。
「前から考えていたんだがな、頃合いだろう」
そろそろ嫁を迎える頃合いかな。そんなニュアンスをもって、とんでもないことを言った男を、ヤシュカは奇妙な生き物を見る目で見つめる。
「なぁ言ったよな、戦いたくないって」
昨日のことだ。あれは紛れもなくヤシュカの本音に違いないと察していた。
「戦いから解放してやると言ったら?」
「……ムリだ」
「俺もな、そろそろ戦には飽きてきた。それに夢があるんだ。その夢は決してお前の願いと相反さない。平和な国を与えてやろう。だから俺を王にしろ、ヤシュカ」
尊大で不遜な命令を下す。
その勢いに呑まれたようにヤシュカはたじろぎ、逡巡する。その顔には疑心と葛藤が見え隠れしていた。
「想像してみろ。春には花が咲き誇り、夏には川で子供たちがはしゃぐ。秋に金の麦穂が畑を多い、民は飢えることがない。冬には王も民も星を見て安穏を満喫する。そんな国を想像できるか」
ゲレイントの言葉は不思議と力に満ちていた。紡ぐ度に情景が脳裏に浮かぶ。
誰もが笑顔を見せ、武器の代わりに農具を持ち、怨嗟を叫ぶのではなく慶賀を謳う。国は富み、民は憂うことなく、人生を謳歌する。
そんな夢物語と笑われそうな情景を、ヤシュカはゲレイントの言葉で想像した。
「そんな未来を与えてやるよ」
言い切るゲレイントに視線を合わせた。
一瞬の後、ヤシュカの緑の目が何かを見つけたように光った。ゆっくりと、膝を折る。それは確かに忠誠を誓う騎士の姿だ。
「……違えたら」
「あり得ない。絶対だ」
「違えたら、その首俺が掻き切ってやる」
ヤシュカはゲレイントに願いを託した。
ゲレイントは満足そうに笑い、手を差し出すと跪いたヤシュカの腕を取って引っ張り上げる。視線が同じ高さで交差する。
「ヤシュカが俺の一人目の国民だ。大いに期待してくれ」
快活に笑うゲレイントの頭上には、どこまでも青空が広がっていたーー。
「言い訳」
*後に六合の王と呼ばれるゲレイントと、その側近騎士となるヤシュカが手を組んで国盗りを始める直前の話。話があっさり&ちょろいのは仕様。
*ヤシュカはちょろいように見えるけど、自国の王様も周りの王様も戦争大好きすぎて辟易してたところにヘッドハンティングされたのでぐらりと揺らいじゃった系。戦争大っ嫌い。
*ゲレイントは国が欲しいっていうより「夢」のために王様になる必要がある。
*ゲレイントの「夢」は正義を貫ける国。傭兵になる前は亡国の騎士をしていた。