第9話
チャッピーは基本的に散歩好きだから、私は極力時間を見つけてチャッピーと外を歩くことにしている。平日は最低一回、休日は二回。別に義務感とかじゃなくて、私がして楽しいことがそのままチャッピーのためになるのだからそれに越したことはないのだ。
「チャッピー、行くよ」
チャッピーと一緒にマンションを出て必ず向かうのは、小さな公園。そこまでのルートも決まっていて、公園に着くまでにだいたい五分かかる。そこでチャッピーが遊ぶのに十分、そこからまた家に戻るから散歩にかかる時間は二十分前後になる。ほんとはもっと散歩に時間をかけたいのだけれど、父が帰ってこない日家事は全て私がしないといけないから、好きなことに時間をかける余裕は実際私にはほとんどないのだ。
公園に着くまでには、様々なものがある。といっても基本的には道の端々に木が植えられたレンガの道を歩くわけだけど、すれ違う人も色々でそこは同じ道でも日によって違う道になる。季節が変われば木の様子が、朝から夜になれば太陽が月に。殺風景ながらも、そこにはこの街唯一の自然がある。
公園の入り口から中に入ると、水色のジャングルジム。三つの高低差のある鉄棒と、ペンキ塗りたてと紙がはられたすべりだい。二つのそれぞれギシギシ鳴るブランコでは、小学生が立ちこぎをしている。
「ワンッ」
チャッピーが急にほえた。こんなに威勢のいいチャッピーの鳴き声は久しぶりで、何があったのかとチャッピーの視線の方向を見た。
公園の木造ベンチに、麻生君が腰かけている。ケータイをいじっているようだ。学校以外で同級生の誰かと会うのは高校になって初めてで、しかもそれが麻生君だなんて。学校の何かを学校以外の時間帯に、ましてやチャッピーとの散歩中に持ち込むのはいやだったけど、無視して公園に入るわけにもいかないので一応声をかけてみた。
「あの・・・・・・」
麻生君は私に気づいて、「おお」と軽くうなずいた。
「で、何?」
素っ気なく麻生君が言うので、
「え、ううん、別に何も」
「そっか」
気遣い、というのが麻生君には無いらしい。麻生君は再びケータイの画面に目を落として、どうやらメールを打っているようだ。親指が慣れた手つきで動いている。
短い会話が終わり訪れた沈黙に息苦しさを感じていると、ケータイを閉じた麻生君が、
「その犬、おまえの?」あごでチャッピーのほうを差し、私を見て聞いた。
「うん、私の犬。今散歩中なんだ」
「散歩か。いつもここ来てんの?」
「まぁそんなところ。チャッピーがここの公園好きで、散歩の時にはここで遊ばせるの」
「へぇ、この犬、チャッピーっていうんだ」
「そうだよ」
「なんか変な名前だな」
「変?」
「うそ、かわいいよ。センス悪いけど」
麻生君の言うことがどこかおかしくて、クスリと笑ってしまった。かわいいのにセンスない、というのはよくわかんないけど麻生君らしい気がした。麻生君を見るとなんと麻生君も笑っている。こんな人でも笑うのか、と思うと何だか楽しくなってきた。
そこで思い切って、
「あのさ」
と自分から話を持ちかけてみた。
「なんで今日スポーツテスト休んだの?」
「スポーツテスト?何それ」
「何って、とぼける必要ないじゃん。もしかしてまたサボり?」
「当り前じゃん。おまえ、今日俺が言ったこと忘れてるだろ。俺は点数がつけられるものは全部嫌いだって。テストっていう名前がつくやつは全部そうだろ。でもそんな理由で休むって言ったら先生怒るに決まってるから、朝熱測ったら微熱でした、ってウソついてやった」
「そっか。すごいね」
「すごいって、なんか大げさだな。誰だってウソくらいつくだろ」
「そうじゃなくってさ。だから、なんて言うのかな。あれだよ、麻生君はそうさっぱりしてるっていうか。こう思ったらこうするって、感情だけで動くっていうか。今日だって急に私の隣の席座るし、正直びっくりした」
「ふうん・・・・・・俺もびっくりした」
「え?」
「おまえまさか、そんなに喋れるなんてな。学校ではずっと黙ってるし、友達いないみたいだし、暗いやつって思ってた。でもさっきだって俺に話しかけてきたのはおまえだろ。なんか、拍子抜けした」
麻生君は嫌いじゃない。でも、最低だと思った。
たとえ麻生君にその気がないとしても、私は傷ついた。
「どうした?急に無口になったな」
勝手に私の中に入ってきて心をいじくり回して楽しんでるみたいで、急に麻生君が悪い人に見えてきて、ものすごく言い返したかったけどどう言い返したらいいか分からなくて、そんな自分が憎くてイライラして、結局怒りや失望などの感情を一つも表に出せなかった。
「チャッピー、行こ」
なんとか言ったその言葉を最後に、私は麻生君を一回も見ないまま公園を出ていった。散歩道の風景なんて見てる余裕はなかった。ずっと下を向いて絶対に途中で足を止めないように、一気にマンションまで向かった。早歩きで足首が痛んだけど、そんなの気にならなかった。マンションに着いて入る。一階に止まっていたエレベーターに乗る。ボタンを押して、ドアを閉める。
途端、体から力が抜けて、座りこんでしまった。
やっぱりダメなんだ。教室で麻生君が話しかけてきたとき、実はホッとしていたのに。これで友達ができるんじゃないかって。でも、もう全部終わってしまった。
「クゥ」
チャッピーが涙ぐんで鳴いた、ように見えた。チャッピーだけは私のことを分かってくれている。チャッピーがいるからこそ、私は幸せでいられるんだと思った。
「チャッピー、ありがとね」
この溢れ出てくる感動が、チャッピーに届いてほしい。今の私は、もうそれだけで充分だ。
もう3ヶ月以上、連載ができていません。
本当に申しわけありません。
一段落ついたら、また書き進める予定なので、そのときはよろしくお願いします。