第8話
私の家は新築マンションの最上階。まるでスキャンダルに追い込まれた芸能人がこもる部屋、みたいな構造になっている。父は大学の教授で、家に帰ってこない日も多い。そんな父に愛想がつきた母は二年前家を出てどこかの海外に住んでいるという話を聞いたけど、ほんとのところは分からない。父の言うことは嘘まみれだから、信じようにも信じられないのだ。
家の鍵を開け、中に入る。
あれだけ学校で独りが嫌いだと言っている私。そんな私が、家で一人で寄るご飯を作って食べてテレビを見て睡眠、なんていう暮らしは無論できない。動物を飼うのが好きだった母が家を出て行ったときの唯一の忘れ物であるチャッピーが、私の心を癒してくれる。
学校でボロボロになった心の傷を修復しようとするかのように、チャッピーが玄関にいる私めがけて、一目散に走ってきた。
「ただいまチャッピー。いい子にしてた?」
チャッピーは犬だから、もちろん返事を返さない。でも良いのだ。チャッピーと私は話しをすることはできないけれど、チャッピーと私が離れ離れにならない自信はある。こういう絶対的な安心感。私の一番求めているものが、チャッピーには備わっているのだ。
チャッピーと目線を合わせるようにしゃがむ。するとチャッピーは、小型犬らしいどこか可愛らしげな目で私を見つめてきた。いつもなら思いっきり飛びついてくるところなのに、何か今日は違う。
もしかして、何かやってしまったんだろうか。とっさにそう感じ慌てて部屋へと進むと、案の定ゴミ箱が荒らされていた。昨日ゴミを出したばかりだったので床に散らばっているのは小さな紙くずだけ。どうやら、被害は少なかったようだ。
「チャッピー、ゴミ箱は倒しちゃダメっていつも言ってるでしょ」
私がチャッピーにそう軽く注意すると、チャッピーは私に許しを請うみたいに「クーゥ」と小さく鳴いた。こういうまるで弟みたいなチャッピーが、私は好きだ。もしかしたらチャッピーは、私を見捨てて家を出て行った母が最後に残した、私への贈り物なのかもしれない。時々そう思うこともあるほど、チャッピーが愛しくなる。
「もういいよ。これからは気をつけようね」
そう笑顔でチャッピーの頭をなでてあげる。
「クーゥ」
「よし、じゃぁ散歩行こっか。着替えてくるから、ちょっと待っててね」
散歩、という言葉を聞くと途端に部屋の中をかけ回るチャッピー。この動きを止める方法を私は知っている。私は走り回っているチャッピーの顔面にいつも散歩のときに使っている黄色の首輪を持ってきて、チャッピーがそれに気づいたのを確認してから「こっちだよ」と言い、脚の短いテーブルの上に首輪を置いた。
チャッピーは、首輪の前から一歩も動かない。じっと首輪を見ている。
猫が丸いものを好むように、チャッピーはこの首輪が大好きなのだ。




