第3話
教室は入学を喜ぶ生徒で騒がしかった。
そんな中、気持ちを分かち合える人がいない私。自分の座る席にカバンを置いて、途方に暮れていた。これからは誰にも頼ることができない。学校では、一人で生きていかないといけない。改めてこの事実を認識した私は自動的に、自分の席に座ってホームルームが始まるのを待つ破目になった。
こういうのが、私は一番嫌いだ。たとえば家から外に一歩も出ずにずっと一週間誰とも話さず過ごすのだって、私なら耐えられる自信がある。でも、今みたいに周りが楽しそうに友達とはしゃいでいるのに自分だけがこうして時間が経つのを待っているだけ、なんていうのは、なんだか胸が軋むのだ。老化した畳が音をたてるみたいに、ギシギシ、と。これは体験したらわかるけど案外痛くて、嫌なくらい心の弱い部分をついてくる。朝どうしても起きられず遅刻してしまう博美が登校するまでの間、私はよくこの痛みを我慢したものだ。
これからはこの痛みが、ずっと続く。前を見ると嫌なことばかりありそうだから、この高校生活中はあえて今だけを見るようにしようと思った。
その時、待ち望んでいたチャイムが鳴った。初めて聞く高校のチャイムの音は、中学校のときとは違い、どこかで聞いたことのある有名な曲のメロディー調。チャイムを聞いて、みんなぞろぞろと自分の席に戻っていく。そして全員が席に座ろうとしたのとほぼ同時に、先生がドアを開けて入ってきた。
さっきまでと比べて、少し教室が静かになった気がした。いや、どちらかといえば空気が変わった、といえる。やっぱりみんな、初めて見る先生がどんな先生なのか気になるのかもしれなかった。
どっちかといえばかっこいい部類に入る顔つき。三十前半で、青と水色の斜線が入ったネクタイをしめている。どこかで見たけど覚えていない、脇役の脇役であまり売れていない俳優のような、大してめだつわけでもないけれどそこにきちんと存在している、といった感じの雰囲気を漂わせている。
ホームルームが始まり、先生は白チョークを持つと、黒板に何やら書き始めた。たぶん自己紹介をするため名前を書いているのだろうと思ってたら、案の定そのようだった。「若葉瑛太」と書かれた字はとてもきれいで、これは黒板なれしてると見た。つまり、黒板に字を書くことに慣れている、ということ。たまに無駄に年だけとって字はうまくならない先生がいるけれど、若葉先生にはそういう「キツい欠点」というのはなさそうだった。
「えー、僕は若葉瑛太といいます。現国の担当です。高校初日で、みんな楽しみだったり不安だったり様々だと思いますが、このクラス全員で一年間いい思い出を作っていきましょう」
クラス全員、というところに胸が痛んだけど、それを除いて若葉先生の第一印象はまぁ悪いほうではなかった。といっても、これは私の個人的な感想だから、他の子たちが何を思っているかは分からない。もしかしたら、若葉先生を心の中でけなしているかもしれないのだ。
入学式が始まるまでのホームルームの間、恒例の自己紹介が行われた。先生によって自己紹介の提案する内容は違うけど、若葉先生の場合名前とあだ名、入りたいクラブを言うだけの簡単なものだった。でも、私はいつも以上に気がひけた。元々人前に立って話すのはそんなに好きじゃないし、何より自己紹介をしているときの視線がいや。そして、心細い。やっぱり、博美がいるのといないのとでは、精神的な面で全然違っていた。
自己紹介はなんとかやりとげることができて、落ち着きを取りもどしたのも束の間、すぐに全校生徒が体育館へ移動、入学式が行われた。
「新入生の皆さんは、後半年もしたら、文系か理系か、どちらの道に進むか決めなければいけません。まだ将来の目標が定まってない人も、勉強や読書、クラブなどに大いに挑戦し、自分が進むべき道を見つける努力をしていきましょう」
校長先生は私たち新入生の顔を見ながら語りかける。
将来の目標、私にはあるだろうか。高校一年、まだ始まったばかりの高校生活だけど、あっという間に時は過ぎていく、サクラの花びらが散っていくみたいに。今まで他人事みたいに考えてた事、でも私にもいずれ関係してくることなんだ。分かっている。ただ、やっぱり目標が無いのにがんばることなんてできないよ。頼みの綱の博美も失ってしまって、私にはもう何も残っていない。もはや生きているだけで他は無価値の私、この世に意味なんてあるんだろうか。無い気がする。勝手に周りの変化に踊らされているだけで、ほんとは人生のほとんどが無意味なもので構築されているんだと思う。気づきたくなかった。
誰かといたい。
誰かといれば、こんなリアルな不安、忘れることができるのに。