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09ハミルトン姉は、こうしてその言葉を聞かされた


 あれだけの発作に見舞われたが、意識を失うことはなかった。


 かといって、そのまま夜会を続けられるはずはなく、私はミハエルに抱きかかえられてセオドア公爵邸の客室に用意されたベッドまで運ばれた。


 その直後に医者を呼ぶ相談がされたが、私は咄嗟に拒んでいた。


 女性の医者はまずいない。医者とはいえ、今の状態で知らない男性に近づかれたら、過呼吸に近い症状をもう一度起こしかねない気がした。


 大丈夫だからだと、とにかく休ませてくれればいいと、マーラ伯母さまに懇願すれば、その様子を見ていたミハエルが、姉上の望み通りにしてほしいと口添えしてくれた。


 伯母さまはすぐに了承してくれなかったが、ミハエルという、おそらく私のことを一番良く知っている人の取り成しには、頷かざるを得なかったようだった。


 私をドレスから寝間着に着替えさせるため、いったん皆が部屋から出て行ったが、そのあとに戻ってきたのはミハエルだけだった。


 しばらくは、ミハエルと侍女のサラが交代で看ていることになったらしい。


 ミハエルはベッドの端に腰掛けると、気遣わしげに語りかけてきた。


 「本当に、大丈夫なのですね?」

 「ええ、本当に大丈夫よ。ありがとう」


 できるだけ安心させるように言ったが、あまり効果はないようだった。

 ミハエルの表情に翳りがともる。


 「……姉上、何があったのですか」


 なぜ急にあんなことになったのか。それは至極当然の疑問だろう。


 誰かに襲われたわけでも、急激な運動をしたわけでもないのに、あんな呼吸困難を引き起こすなんて不自然すぎる。


 原因があるとすれば、ただ不安になっただけ。


 けれど、そんな曖昧な理由では、どう説明すればいいのかわからなかった。


 精神病なんて、前の世界でもなかなか理解されず、きちんとした処置が確立されたのは、近代以降だったはず。


 ミハエルが信用できないわけではない。

 でも、ミハエルが居なくて不安になったのだと、言えるはずがなかった。


 「あのね、少し疲れていたみたい。何だかんだで忙しかったから」


 「…………」


 ミハエルは、どこか傷付いたような顔をした。


 「疲労で、あんなことになるんですか?」


 嘘を付いていると確信しているのか、まるで責めるような口調だった。


 「私は、姉上が色々な知識を持っておられること知っています。その中には、医学の知識もありましたね」


 「……ええ」


 「男性の医者にかかりたくないからと仰って、感染病など対する正しい処置や、予防など概念などを私は教えてもらいました。先ほど、伯母上の呼ばれ医者を拒まれた時、私には同じように思えました。姉上は対処法を知っておられるのだと感じました」


 「…………」


 「ご自分の症状に、本当に心当たりはないのですか?」


 ミハエルを相手に、完全な嘘で押し通すのは難しい気がした。


 「……あのね、あれは過呼吸と言って、心配事や不安なことがあると起こったりするものなの。でも、過呼吸は時間を置けばおさまるもので、絶対に死んだりしないわ。だから変に心配しなくても大丈夫」


 「……しかし」


 「お願い、大げさにはしないで。今日の夜会が原因だと思われたら、伯母さまが気に病んでしまうわ。それに……それに、伯母さまに知られてしまったら、きっともうお見合いなんてできなくなってしまう」


 ミハエルを説得しようとするあまり、そう口走っていた。


 「――何を、仰っているのですか」


 顔色を失ったミハエルを見て、自分の失言を悟るが、もう遅かった。


 「あんなに苦しんでおられたのですよ。息が出来なくなるほど苦しんで――どれほど恐ろしかったか。あのまま死んでしまうのではないかと、私は―――」


 声を荒げていたことに、ミハエルは途中で気付いたようだった。

 はっと我に返ったような顔をしたかと思えば、詫びるように俯いてしまう。


 「―――……どうして、そこまでして結婚しようというのですか?」


 ぽつりと呟くような声。


 「姉上は……」


 ミハエルは何かを言いかけて、けれど、その言葉は呑み込まれる。


 「いいえ、何でもありません。すみませんお疲れだというのに、長々と話してしまいましたね。今はゆっくり休んでいただかないと」


 そう言って、ベッドから立ち上がってしまう。


 「あの、ごめんなさい。軽率だったわ。その、私はただ……」


 そこから先をどう続ければいいのか迷った。


 「姉上、今は休みましょう。私も、色々と混乱していて神経が高ぶっているようです。頭を冷やして考えられる時間をください」


 「……ええ。ごめんなさい」

 「姉上が謝る必要はどこにもありませんよ。さあ、ベッドに横になって下さい」


 すぐに眠れるとは思えなかったが、言われたとおりに横になる。


 それを確認してから離れていくミハエルを視線で追えば、彼は備え付けのソファへと腰掛けた。しばらくしたら、侍女のサラと交代するのだろう。


 ベットに横になって、私もこれからのこと考えようとしたが、心と身体は本当に疲れていたようで、横になって間もない内に眠り込んでいた。






 次の日、何事もなく一夜を過ごしたことによって、ひとまずはハミルトン邸へ帰ることになった。


 軽い朝食を部屋で済ませたあと、公爵邸を発つ前に、マーラ伯母さまがお見舞いに来てくださった。


 「ごめんなさい。昨日は無理をさせてしまったわね」


 伯母さまは、ひどく傷心しているように見えた。


 「いいえ、どちらかといえば私がお願いしたことですから」


 思わずそう返すが、伯母さまは力なく微笑んだだけだった。


 「それよりも伯母さま、昨夜のこと大丈夫でしたか? 何というか、その……見苦しい場面をたくさんの方に見られてしまいましたよね」


 言いながら気付いた。セオドア公爵家の夜会を台無しにしてしまったことも問題だが、あんな醜態を晒したあとで結婚相手を探すのは、ますます難しくなるのではないかと。


 しかし、伯母さまは小さな子を慈しむような顔して、私の頬を撫でてくれた。


 「いいのよ、そんな事は。貴女が健やかである方が大事だわ」


 そんな慰めるような言葉を与えられてしまうと、余計に申し訳ない気持ちになった。


 過呼吸という発作は、伯母さまに相当のダメージを与えてしまったのだと思った。

 もし何の知識もないまま、あの光景を見せられていたら、私だってきっと、かなりのショックを受けていたはずだ。


 「……ねえ、昨日ね、ミハエルと色々話したの」


 その言葉に連想してしまうのは昨夜のこと。

 もしかして過呼吸のことを話してしまったのか、私は慌てた。


 「ミハエルの……考えを聞かされたわ。けれど、わたくしには決められなくて。でも…でもね、私は、ミハエルに味方したい気持ちの方が大きいの。だから」


 そこでいったん区切った伯母さまは、真剣な面持ちで言った。


 「もう、お見合いをするのはやめましょう」


 「――え」


 いったいミハエルに何を言われたのか。それを聞き出す前に、伯母さまは続ける。


 「詳しいことは、ミハエルから聞いた方が良いわ。屋敷に帰ったら、きっと話してくれると思うから……その時に決めなさい」


 やけに意味ありげな言葉で諭す伯母さまは、そうして私が聞き返すことを封じると、もう一度私の頬を撫でてから、部屋を後にしてしまった。


 その直ぐ後、同じようにセオドア公爵邸に泊まっていたミハエルが迎えに来た。

 彼にしっかりと付き添われながら、ハミルトン邸へと帰る。


 馬車にゆられる中で、ミハエルから体調や、きちんと眠れたかを聞かれた。いたって普通の様子で、柔らかい笑顔もいつもと同じように見えた。


 玄関のエントランスまで着くと、自室に向かう前にミハエルが声をかけてくる。


 「お話しがありますので、後でそちらにお伺いします」


 伯母さまの言っていた例の話だろうと見当を付けて、私は頷いた。


 軽く着替えをしてからお茶を淹れてもらい、ひと休みながらミハエルを待つ。


 ミハエルがどんな話を伯母さまとしたのかは分からない。けれど、お見合いをやめましょうと言い出したからには、あの伯母さまを説得させるほどの内容だったのだろう。


 そしてミハエルは、きっと私にも同じ話をするつもりなのだと思う。

 どう考えても楽しい会話にはならないだろうと、私は心する。


 やがてミハエルが訪れると、彼からのお願いで、侍女のサラを下がらせた。


 私はてっきり向かいのソファに腰掛けるのだとばかり思っていたが、ミハエルは私の座っていたソファの脇に寄った。


 そればかりか、ソファには座ることなく、その場に膝を着いてしまう。


 「…ミハエル?」


 跪いてしまったミハエルに驚きの声をあげると、彼は私の手に自らの手を重ねた。


 突然の体温に戸惑っていれば、緑の瞳がのぞき込むように見上げてくる。

 真っ直ぐとひたむきで、何か重大な覚悟を決めた人の眼差しだった。


 「このような形で、想いを告げることを許してください」


 ミハエルの言葉に、先見めいた予感が走る。


 「――姉上、どうか、私と結婚してください」


 予感はすぐさま現実になった。

 彼がしてしまった決断を理解して、その瞬間、私は絶望に包まれた。






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