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07ハミルトン姉は、こうして2度目のお見合いをした


 マーラ伯母さまによる、仮のお見合いは終わっていなかった。


 シスカ様とのお見合いから、3日もあけぬ内に訪ねていらし、次こそは正真正銘の男性だと断言された。


 背筋が冷える思いだったが、よしなにお願いさせてもらう。


 お相手は、マーラ伯母さまの派閥に属するカール子爵家の三男だそうで、私が人様の家に赴くのは難点が多すぎるため、もれなく来ていただくことになった。


 馬車がアプローチを通って、玄関前まで到着するのを伯母さまと並んで待つ。

 停車した馬車からは、一人の男性が現れた。


 「…………」


 まさかとは思っていたけれど、伯母さまの仮のお見合いは、やはり仮のお見合いだった。


 馬車の踏み台から軽やかに降りてきたのは、12、3歳ほどの少年だった。


 「……叔母さま?」


 物言いたげにマーラ伯母さまを横目にすれば、彼女はしれっとした顔で言う。


 「だから、貴女かどれくらい男性に耐性があるか、確かめさせてもらわないと」

 「……でも」


 「じゃあ聞くけど、貴女これから、あちらの殿方と同じ部屋で長時間過ごすわけだけど、何の問題もなく一緒にいられるの?」


 うっ、と呻いてしまった。


 お客様はまだ、御者から荷を受け取っている最中だったから良かったものの、この後のことを想像するだけで、私の身体はさっそく竦みはじめていた。






 カール子爵家の三男、レイモンド・カール様は、お母様を同伴されていた。

 しかし、お母様の方はマーラ伯母さまと共に、早々と別室に下がってしまわれる。


 レイモンド様と二人、応接間のソファに取り残され、私は必死になって言い聞かせた。


 いま目の前にいるのは、思春期を無駄にこじらせた、はた迷惑な中学生ではない。ちゃんと躾けの行き届いた、良家の血統書が付いているご令息だと。


 いくつか失礼な単語があった気がしたが、それどころじゃなかった。


 こちらの心情などつゆ知らず、レイモンド様はおもむろに動き出した。足下に置いてあった革の鞄を膝の上で開けると、何やらがやがやと取り出し始める。


 「……?」


 まずは、羊皮紙の綴じ込み用具が三冊。次に、数本の木炭が入った箱だった。


 それから、消し具用の食パンが取り出されるが、テーブルに何かが置かれるたび、びくびくと震えていれば、不審そうな目で見られた。


 「もしかして、聞いていないんですか? 僕がここに来たのは、アナタの肖像画を描くためで、今日は素描をしに来たんですけど」


 ええ、聞いていません。色々と聞いていませんとも、伯母さまっ!


 心の内では声の限りに叫ぶが、それを言葉には出来なくて、こくこくと頷いた。


 「……まあ、いいや。勝手に描いてるんで、好きにしてて下さい」


 レイモンド様は細かいことには頓着しないというように、綴じ具の紐を解き、羊皮紙を取り出した。


 綴じ具をそのまま下敷きして、鉛筆よりやや太い木炭を羊皮紙の上で走らせ始める。


 好きにしていいと言われても、絵を描くのだから、やはりこの場にはいないといけないのだろう。


 自分の置かれたこの状況に、複雑な感情を抱かずにはいられない。


 男装の麗人の次は、絵描きの少年。


 伯母さまの意図は分かる。どこまでが私のボーダーラインがなのか、この仮のお見合いで試したいという伯母さまの言葉に、嘘はないと思う。


 ただの少年ではなく、絵描きの少年を選んだところにも、伯母さまの配慮を感じた。


 何の目的もなく顔を合わせたところで、ろくな会話も出来ないと踏んだのだろう。悔しいけれど、それは大正解だった。


 自分の世界に入ってしまったレイモンド様を前に、私はだいぶ気が楽になっていた。


 しかし、である。だからと言って、黙っていなくてもいいと思う。

 伯母さまがサプライズ好きなのは知っているけど、さすがに心臓に悪い。


 だが、ここで挫けては元も子もなかった。


 見ず知らずの殿方と同じ空間にいても、何もしなくていいのだから、ここは見事に乗り切って叔母さまを見返してやりたい。


 見返してやりたいと思うのだけれど、木炭をせわしなく動かすレイモンド様が、手元から視線をあげるたびに目線が合ってしまい、大げさに目を逸らしてしまう。


 そのうえ、きょどきょどとかなり怪しく身体をゆらしていた。


 「……こちらに視線を投げている構図はあまり好きじゃないんで、無理にこっちを見てなくてもいいですよ」


 それはものすごく助かりますっ!

 レイモンド様からお許しが出たので、私は無言で頷いた。


 彼のやや乱暴な言葉遣いが少し怖かったのだが、人物画を描く人だけあって、よく人を見てくれている。芸術家には変わった人が多いと言うし、そんなに悪い人ではないのかもしれない。


 ふと思う。そもそも、なぜ子爵家のご子息が絵など描いているのだろうか。


 趣味だから、という理由が一番に浮かぶが、それで上位貴族からの依頼を受けるのは少し不可解なような気がした。


 となると、やはり子爵家の三男だからだろうか。

 三男では家督を継ぐことはまずないだろうし、将来的に自分で生計を立てる道を探さねばならないだろう。


 己に特技があるなら、それを活かしたいだろうし、レイモンド様の場合は絵画だったのかもしれない。貴族となると、徒弟制度には頼らず独学で行うのが多いと聞くから、セオドア公爵夫人に気に入ってもらえたなら、パトロンになってもらえる可能性もある。


 そんな、とりとめもないことを考えていたら、羊皮紙には、恐るべき早さでデッサンされた私の姿が描かれていた。


 伏せられた顔を中心に、横顔や視線の遠い顔。その多くが憂い味で、今にも泣き出しそうな雰囲気だった。


 やがて、三冊あった綴じ込み用具のうち、二冊分の羊皮紙が使用されると、レイモンド様は一息つくように木炭の筆を置く。


 「目の色を、見せてください」


 唐突に切り出された。

 言葉の意味に反応しきれずにいると、レイモンド様は返事を待たずにソファから立ち上がり、こちらにテーブルを迂回して近づいてくる。


 私は反射的に立ち上がった。近づかれた分だけ彼から離れると、レイモンド様は立ち止まった。二人とも立つとできてしまう身長差を使って、レイモンド様が下から顔をのぞき込んできた。


 「涙はもういいです。目の地色が見たいので、涙は引っ込めてください」


 そんな無茶なっ。


 ただでさえ、いっぱいいっぱいで震えてしまうのに、レイモンド様はあえて気付いていないふりをしているのか、じろじろと見つめてくる。


 「髪の色、漆黒ってやつですね。こういう質感を出すのって、結構むずかしい」


 そう言って目の前に伸びてきたのは、彼の手だった。


 「――っ」


 声にならない悲鳴が出ていた。


 彼の手を避けたのをきっかけに、動き出した足は止まらず、部屋の扉を一直線に目指していた。


 レイモンド様を一人残して応接室から飛び出し、自室へと逃げ込むが、その姿は、とてもじゃないが病弱な伯爵令嬢ではなかったと思う。






 「レイモンド様、貴女のことがとても気に入ったそうよ」


 夕食の席で、マーラ伯母さまがそう口に出した。


 あのあと、私が恐怖と自己嫌悪に震えて自室にこもっている間に、私のしでかした不始末は、伯母さまが全て片付けてくれていた。


 そればかりか、私のことが心配だからと、部屋から自発的に出てくるまで待っていてくれたため、公爵邸に帰るにはすっかり遅くなってしまっていた。


 おのずと今日もこちらに泊まることになったので、帰宅したミハエルと三人で夕食をいただいている最中だった。


 「特に、涙に濡れた儚げなところに心惹かれるものがあったんですって」


 伯母さまは、かなり上機嫌に見えた。


 「是非ともまたお会いしたいみたい。涙が似合う女性ってそうそう居ないから、もっとちゃんとした時間を設けて欲しいと頼まれてしまったわ。あと貴女の髪も好みみたいよ。確かに、真っ直ぐで艶のある黒髪って珍しいものね」


 色々と失敗してしまった私への伯母さまなりのフォローなのか、レイモンド様が褒めていたことを、しきりに教えてくれるが、そう言われて思うことは、病弱な令嬢像が崩れていなくて良かったぐらいで、あまり嬉しくない。


 「でも、髪を触れようとしたら、一目散に逃げられてしまったって残念がっていたわよ」


 かちゃん、と大きな音が響いた。

 見れば、ミハエルがナイフを皿に落としたようだった。


 「そっ、そんなの逃げて当たり前じゃないですかっ。会って間もない女性の髪に触れようとするなんて、無礼にもほどがあるっ」


 たまりかねたように憤慨しながら、ミハエルが続ける。


 「だいたい何ですか、さっきから話を聞いていれば。姉上を気に入ったと仰いますが、見た目のことしか言ってないじゃないですか」


 「あら、でもこういう事って、たいてい見た目から入るものじゃない?」


 ねえ? と伯母さまが私に同意をも求めてくる。


 言われてみると、確かにそうかもしれない。

 絵画の依頼をされたのなら、気に入るも入らないも無いだろうけど、描きたい題材の好みはあるだろうし、その場合はやはり見た目から入るような気がする。


 伯母さまの意見に私は頷いた。

 しかし、そのせいでミハエルは、さらに取り乱したようだった。


 「――そ、そうかもしれませんが、でも、やはり可笑しいでしょう。儚げだとか、涙が似合う女性だとか。そんなところが気に入るなんて、危ない傾向のある人なんじゃありませんか?」


 「あら、そんなことないわよ。レイモンド様は自分の可能性と未来を実直に切り開かれようとしている立派なお方よ。ねえ、ロゼット。そういうお話しはされなかったの?」


 「えと、はい。私が怖じ気づいてまったので、会話らしい会話はできなかったのですが……でも、そういう方なんだろうな、とは思いました。少し変わったところがある気がしますが、一癖ある人の方が大成されるとも言いますし、将来は有望じゃないかと」


 「…………」


 ミハエルが押し黙ってしまった。

 しばらくの間、自分の前に並べられたメインの皿を見つめていたが、ゆっくりと顔を上げる。


 「……わかりました。ですが、その前に一度、私とも面会できるようお願います」


 「そうねぇ。それはいいけれど、レイモンド様とお会いして何をするつもりなの?」


 「決まっています。姉上の将来を任せるのに相応しい人物なのかを、確かめさせてもらいます」


 「え」


 真剣な様子で言い切ったミハエルに、面食らってしまった。


 そういえば、今回のお見合いも、前回と同様にお見合いとは名ばかりで、レイモンド様は私の絵を描くためにいらした少年だということを言っていない気がする。


 「ミ、ミハエル、待って。レイモンド様はね」


 「まあまあロゼット、ちょっと聞いてみましょう。ミハエル、ロゼットに相応しいかどうかって言うけど、どういう基準で確かめるのかしら?」


 「身体的な強さはもちろん、精神的な面でも人並み以上であるべきです。少なくとも、自分以上に姉上を守れる男でなければ、納得できません」


 「…………」


 言葉を失ってしまった。


 聞きようによっては、娘を嫁にやるお父さんのような台詞なのに、そこまで思ってくれているミハエルの気持ちに、動揺してしまう。


 くすくすと伯母さまの忍び笑いがもれた。


 「……そう。自分より上じゃないと、納得できないの」


 伯母さまは、どこか満足したような面持ちだった。


 「分かったわ、ミハエル。でもね、レイモンド様にお会いするのはいいけど、今の意気込みのままでお会いするのはダメよ。とても大変な事になってしまうから」


 「……? どういうことですか?」


 マーラ伯母さまは、にっこりと満面の笑顔で笑うと、ミハエルに真相を暴露した。


 明かされていく事実に、ミハエルは見る間にも赤面していき、ついには頭を抱えてテーブルに突っ伏してしまった。






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